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2015年05月15日
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テーマ: 臨戦刀術(92)
カテゴリ: 臨戦刀術

御神助

 支那事変勃発の年の春である。
 私の一家から妻の名で、当時、
満州国内匪賊討伐中の諸部隊に贈る慰問袋に応募したことがあった。
 すると、二ヶ月ほどして、通化に駐屯している柴部隊の吉澤という上等兵から、
慰問袋を入手したというお礼と、
その中味の若干を部隊長に差し上げたという事とを通知して来た。
ついで、

  ……柴部隊長殿は、今年の三月まで陸軍戸山學校の教官をしておられました。
 (著者いう。柴少佐は当時銃剣術教士剣道錬士であった。)
 在任中の昨年八月、戸山學校大道場において、
 成瀬という人の手裏剣術の演武指導があった。
 この慰問袋の送り主成瀬御一家は、もしかして成瀬さんのお宅ではないかと、
 何という事なしに思われるから、一度伺って見よという部隊長殿からの命で、
 この手紙を差し上げた次第であります。云々。

 という手紙が来た。
 意外な奇縁に驚いて、まさにその一家に相違ない旨の手紙を書き、
さらに何かの慰問袋をこしらえて共に出した。
 それからしばらくの間吉澤上等兵からの便りもなく、一方支那事変が勃発して、
國内挙げて戦時気分となり、間断なく大陸に出征して行く将兵の見送りのうちに、
その年も残りすくなくなった。
 暮れに迫った十二月下旬、久しぶりに吉澤上等兵から便りがあった。
そのしばらくの沈黙の間に、柴部隊は、通化から北支に近い錦縣の朝陽に移動し、
事変に呼応して蠢動〔しゅんどう〕する性悪な匪賊を討伐中であるというので、
しばらく便りがなかったのも、その為であった事が頷かれた。


 私は、特に支障のない限り、毎年大晦日から元日にかけて、
神社仏閣に参籠、初詣でする事を例としてきた。
 その年、即ち昭和十二年の十二月三十一日の朝は、早めに家をたって、
妻及び男児二人をつれ、箱根峠の旧道を辿り、
夕刻、元箱根村の金波樓という湖岸の旅館に到着した。
 大晦日の箱根芦の湖畔は、雲深く垂れこめ、寒風は湖水を吹き渡り、
荒れ海のごとく波浪が高かった。
この小さな街に、泊まり客とてほとんどないらしく、
春から秋へかけての天下の遊覧地も、ひっそり閑として、
名もなかった昔の寒村同然の相貌にかえっていた。
 夜半から雪模様となり、夜が明けて昭和十三年となった元朝も、
雪は霏々〔ひひ〕として降りしきり、吹雪の気味をさえ帯びてきた。
 その吹雪の中を、親子四人が礼装して箱根神社に参拝、
まずもって皇軍の武運長久を祈願し奉り、
筵〔むしろ〕を一枚神前の雪の上に置いて、
そこで家に伝わる桑名藩傳山本流居合術の内の数本を奉納すべく、
神官にその許可を乞うたところが、
特に拝殿において奉納してよいという事で、その上お祓いまでしていただき、
さらに、罷〔まか〕りさがる折りには、
神代杉の御神符、神盃、御供物、御守札等までいただいた。
 宿へ帰る途中、おみやげの売店に立ちより、干菓子類、玩具等を求め、
御神符、神盃、御供物等と共に包装し、立ちながら手紙を書いてそれに入れ、
特に柴部隊に宛てて小包郵便として発送したのであった。


 月末に至って、吉澤上等兵から一つの奇蹟を報告してきた。

  ……一月二十三日、部隊は北票に出没する匪賊の大集団を討伐すべく、
 各武装を了し、部隊長から出動命令を待っていた。
 すると、そこへ内地からの軍事郵便が到着した。
 第一番に、箱根からの御心づくしの小包を開いたところが、
 神社の御神符をはじめ、数々の珍菓が出た。
 御供物は細かく分〔わ〕かつて一同でいただき、御神盃で冷酒を飲み交わし、
 御神符は特に部隊長がこれを背にして、一同勇躍進発した。
  ……北票に到着すると、直ちに多数の匪賊と交戦した。
 敵も相当数の火器を持っており、案外に頑強、
 こちらは次第に犠牲者も出て来るという始末で、
 予想以上の悪戦苦闘が数時間にわたり、
 ひとまず敵匪を撃退してほっと一息入れていると、
 匪賊の退却した方向の遥か彼方から、
 馬に乗った新しい敵兵らしき集団がやって来る。
 敵匪の加勢が来たという事で、一同緊張して再び配備についたが、
 残念ながら弾丸が足りなくなっていた。
  ……乗馬の敵兵らしいものが、だんだん近づくにつれて、
 敵匪はこれに力を得て盛り返すかと思いのほか、
 それらの騎馬兵が、反対に逃げ行く匪賊に向かって発砲している様子に、
 一同不審を抱いていると、間もなく、
 これは蒙古兵が急を聞いて応援に来てくれたのだとわかった。

 吉澤上等兵は、このような事を細々〔こまごま〕と書いた後、

 ……畢竟するに、これ箱根明神の御加護によるものと、
 部隊長はじめ一同しばし感泣〔かんきゅう〕致し候事にて候。云々。

 と結んであった。
 部隊は、この蒙古兵の協力を得て、匪賊を潰滅した後、
匪首九江なる者を生け捕りにして、
悠々と基地に引き揚げたのは翌二十四日であった。
その次の日の日付で、柴部隊長から妻宛てに、
はじめて次のような手紙を寄せてきた。

 前略御便り並びに御恵送の慰問品有り難く拝受仕り候。
 小生も昨年の三月までは戸山學校教官を致し居り
 御主人様の御演技は戸山校の大道場にて拝見仕りし次第
 何等かの奇縁に候可〔べ〕し。
 吉澤上等兵は、小生の当番兵として何から何まで世話し呉れ、
 時折り御宅様の御噂を承〔うけたまわ〕る次第に候て
 度々の銃後の御後援を奉謝候。
 御子様達へも一々返事仕可き所、
 討伐にて若干の負傷者を出し取り込み中の為め、
 何〔いず〕れ後便にて御礼申し上げる可く宜しく御伝言願い上げ候。
 不一。

 その後、柴少佐から著者への手紙が来、こちらからもやったりしているうち、
二月十三日に至って、著者もまた北支に従軍する事となった。


 私は、上陸すると間もなく、寺内部隊に属して徐州作戦地域に派遣となり、
磯谷兵団の前線台兒荘周辺の第一線に、徐州の陥落する四、五日前までおり、
それから土肥原兵団の蘭封の陣中に派遣替えとなり、
こうした激戦場を往来して開封へ入城、さらに新郷に出て、
七月十日に寺内部隊へ帰った。
ついで息つく間もなく、十二日には蒙疆〔もうきょう〕の蓮沼部隊に派遣されて、
九月末まで蒙古各地を経めぐったのであったが、
その間、一度柴少佐から葉書をいただき、ほど経て、
家から、柴少佐は中支に編成替えとなって出征されたという便りを受け取った。





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Last updated  2015年06月14日 15時16分10秒


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