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2015年06月19日
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テーマ: 臨戦刀術(92)
カテゴリ: 臨戦刀術


 話が戦争めいてしまったが、
ここに土肥原兵法を描こうとする中心があるのだから、
もう少々我慢して聞いてもらいたいのだ。
 黄河を渡った土肥原兵団の最先鋒が、疾風の如く大敵を両断して、
隴海線上の内黄附近で鉄路を爆破遮断したのは、五月十四日の事で、
徐州にいた敵の主力も、まだ漢口を発した蒋介石直系大増援軍の到着前であり、
また唯一の退路でもあるので、顔色を失い、士気まったく沮喪したのであるが、
土肥原兵団の主力が、この遮断地点から、
敵軍の充溢〔じゅういつ〕する蘭封を攻撃するに及んで、
数に於いては、その敵にあらざる○○○であることを看破され、
加えるに、徐州増援のための北上軍が、ようやくにして大挙到着したので、
「徐州の怨み」とばかり、ここに土肥原軍殲滅への陣容をたて直し、
左右前後互いに緊密な連絡を取って、
いわゆる皷〔つづみ〕を鳴らして四角八面に攻めかかって来たのだ。
 機を見るに敏な将軍は、ここに絶好の機会を捉えた。
ちょうどかの磯谷将軍が、徐州を空っぽにさせて、
敵の主力を台兒荘の一戦におびき寄せたように、
この雲霞の如き大軍を、黄河の一辺に牽制して、
やがて徐州から南方を迂回するであろう友軍と呼応して、
一挙に殲滅せんとする計画をたて、唯一の黄河渡河点たる補給路陳留口の一点を、
開かれた扇子の要にしたような半円形に
__その半円の周辺が実に八里にも及ぶという形に、戦線を整理した。
すると、敵は「土肥原軍破れたり」と見て取り、隙き間なく囲んで来る。
我が方では、この一大背水の陣の戦線をさらに縮小して、
黄庄という部落に本部を固めたのであったが、
「飢ゆとも米は要せず、ただ弾丸を送れ」
という悲壮な有名な無電を発したのは実にこの時で、
もし弾丸の補給がもう一日後れたならば「一個兵団の総突撃」という、
全世界を震駭〔しんがい〕せしめたであろう一大白兵戦が展開された事と思われる。
 幸いに、五月二十八日、決死の竹澤自動車部隊が、
八十車両に、糧米、弾薬を満載し、群敵の中を戦いつつ輸送して来て、
昼夜を徹して黄河を渡したので、それによって壮烈な場面は出現せずにすんだ。
その時、弾丸雨下の黄河をわたす軽重特務兵各隊の壮烈さは、
それだけを書いても一篇の戦記となるであろうほど、壮烈極まるものであった。
当時の私の陣中日記には、

 手より手に受けて黄河をたまわたすは蟻の如けれ特務兵つよし

 と、短歌の形式で記してある。
弾薬補給の事実を知った敵軍は、同時に、
背後遠く我が応援部隊が、徐州から迂廻し来つつある事を察知して、
急に焦りだし、遮二無二土肥原兵団を全滅せしめんと、
十五榴弾を雨のように降らせて来た。
補給がついたのでこちらでも盛んに応戦する。
実際この時の陣中には「必死必殺」の気の漲〔みなぎ〕った物凄さが横溢していた。
 兵団本部の前に、大きな砲弾が一個落ちて炸裂した。
ちょうど歩哨のすぐそばだったので、その兵隊は、弾丸が落ちた刹那、
雲散霧消、壮烈な戦死をとげてしまっていた。
前夜まぎれ込んでいた敵の便衣隊が、本部の位置を発火信号によって知らせたため、
将軍の宿舎近くに集中砲弾が落下し始めたのである。
再び兵団長の身辺に危険が迫って来た。
峯森副官や中村中佐(今は少将)が、掩蓋壕〔えんがい ごう〕の掘鑿〔くっさく〕を、
切に将軍に進言したが容れられない。
将軍はいうのだった。
「わしが一人生き残って何になる。」
 二人は、もちろん各部隊でも掘っている事を述べたが、将軍は聞き入れない。
かくて一両日、再度将軍に迫り、
「各部各隊の壕が完了致しましたから、御巡閲を願いたい。」
 と申し出たので、はじめて壕の掘鑿を許した。
筆の序であるが、当時陣中の食事は、明けても暮れても、米麦半々または四分六分、
時には全麦の飯に、実のない粉味噌汁というただそれだけ、
しかもその水たるや、井戸は涸〔か〕れて一滴の水も出なくなり、
仕方がないから、汲水班は大黄河の濁水を汲んで来て、それで茶飯のような飯を炊く。
野菜などは、この何里四方に菜っ葉一枚葱一本ないのだ。
ここはすでに何万という敵が駐陣していて、何物もきれいに食いつくして去った。
そのあとなのだ。 
ヴィタミンがどうの、カロリーが何のどころか、その飯その汁さえも、
時には減食絶食なのだ。
それでいて、肉体はもちろん、精神状態もびくともせぬのだ。
将軍もまたその飯その汁だ。
ある時、少量の豚肉(一説には野犬の肉ともいう)を手に入れたので、
当番だったか、炊事長だったかが、それを煮て将軍に差し出した。
すると将軍は、皆にも、即ち兵隊にまでも行きわたったかを訊ねた。
然らざる旨を答えると、その時箸を出して、
やおらその珍味に一箸つけんとしていた将軍だったが、ふと箸を置いていった。
「わしゃ喰わん。」
 この一言で、持って行った兵隊は恐縮してまかり下がったというが、
将軍はいつもかくの如くであった。
 ただ一度、塩っからい、まるで肥料用の干し鰯のような干物が一尾と、
指先ぐらいのキュウリのかけらが一つ宛て渡った事があった。
兵隊なんぞは、嬉しさあまって、直ちに口に入れ兼ねぬほど珍らしいものであった。
後に、将軍は私に、
「あの時の、塩っからい鰯な。あれはばかにうまかったなァ。」
 と語られた事から推して、
将軍の陣中の食膳が兵隊とまったく同じものだったことが知られる。
 将軍の当番をしていた秋山という一等兵が、後に私らのところに来た。
この兵隊は理髪師で、油断のできないなかなかの茶目坊主だった。
「オイ諸君、誰がえらいったっても、この班じゃ俺に及ぶものはなかんべ。
閣下の頭を直接この手で、こうおさえたんだからな。」
 兵器部へ来てからも、理髪となるとこの兵隊がよく出掛けて行った。
かれの話によると、陣中の将軍は、考えるか、読むか、たまに飲むかで、
決して出歩いたり、むやみに人を呼んだりしない、そうだ。
「本か。小説や講談じゃないぞ。お経みたいな、
なんでも、ばかにむずかしい名の本ばかりだったぞ」
 かれはこんな事もいった。
 ある若い少尉は、将軍陣中の書架に、ガストン・パリの真理探究の書物や、
ベルグソンの哲学やらが、老子荘子と並べられていたと語っていた。
 将軍は少しはいける口で、ほのぼのと潮がさして来ると、
軽快な しゃれ も口をついて出て来る。
どっちかといえば座談のうまい方で、一座はたちまち あるなごやかさに包まれてしまう。
陣中で会食の折などは、若い少尉の前まで行って酒をついでやる。
固くなりきっている士官學校を出たばかりの少尉などは、
将軍の座談に心なごみ、情のこもった酒をいただいて、かえって感激の度を加える。
その当時、陣中でも別懇だった大塚中尉は、先日著者との会談で、
「いや、閣下は大きいよ。大きくて とらえどころがないよ。
何もかも承知でござって、それでいて細かい事はいわぬ。
陣中で、冗談をいいながら酒をついで廻って
部下を犒〔ねぎら〕うあのなつかしい態度には、心中泣いて酒をのんだね。
死んでも心残りはないと思ってのんだね。」
 著者と、統制のきびしい昨今の酒を酌み交わしながら、
しちまじめな、武道家の、陣中では「闘牛」と渾名されたこの勇敢一図な中尉が、
たえがたい追憶に、泣いて酒を呷るらしくさえ見えた。





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Last updated  2015年07月06日 17時30分50秒


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