佐遊李葉 -さゆりば-
1
そう言うと、日蔵は手に持っていた数珠を揉みしだきながら、低く響く声で真言を唱え始めた。 鬼はしばらく身をすくめながらもなお日蔵の足元に蹲っていたが、やがて真言の威力に耐えかねたのか、よろよろと立ち上がった。そして、日蔵の方へゆっくりと頭を下げると、そのまま日蔵の脇を通り過ぎる。日蔵が後ろを向き直ると、鬼は巨大な身体を折るように肩を落とし、痩せた足を引きずって、暗い山道を降りて行くようだった。 その後ろ姿を見つめながら、日蔵は回向を続けていた。地獄へ落ちたという女の苦しみを少しでも和らげるために。 でも、日蔵にはわかっていた。女が、決して救われはしないことを。自らその心を魔物に奉げたという女の罪は重い。その魔物との愛欲に穢れ果てた魂を、地獄の炎で清めるには、一体どれほどの月日がかかることか。それは、永遠にも等しい時間であろう。 そして、日蔵は去っていく鬼の蒼い後姿を見ながら思った。 人間への愛憎の想いに狂わされた者は、やがて蒼い鬼……紺青鬼になるという。その蒼さは、女への執着と満たされぬ愛欲の想いの化身。あの鬼は、これからもずっとその蒼い炎に焦がされながら、苦しみ狂わされ続けていくのであろう。おそらく、永遠に……。 日蔵の目の前で、木立の暗がりを照らしていた蒼い光は、次第に小さくなっていった。光の中心にあった暗い影も、やがて薄れて見えなくなった。 そして、小さな鬼火に姿を変えた蒼い鬼は、吉野山の漆黒の闇の中へと消えて行った。 (了)↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2008年07月29日
閲覧総数 11