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今回日本に持って帰ってきたレバノン土産の中に、シナモンと幾つかの中東の香辛料があります。これは私と仲良かった友達が持たせてくれたもの。実はこの友達は今から2週間ほど前、私が日本に一時帰国する直前に亡くなってしまいました。 先回のブログでもご紹介したとおり、レバノンではガンが尋常ではない勢いで増えています。私のレバノン人の友達にもガンの人が多い。今回亡くした友達は私よりかなり年上でしたが、同じ独身だったせいか、あるいは単に波長があったせいか、いえ、きっと両方だったのでしょう、とても仲良くしてくれていました。言語の壁があったものの、なぜか不思議と通じ合う仲でした。よく彼女の家で一緒にランチをしたものです。月に1回抗がん剤治療をしながら、10年以上ガンと闘っていました。レバノン女性にありがちな派手さやプライドが彼女には全くなく、知的で清楚、中国や日本といったアジアの文化が大好きでした。私がスペインへ渡るちょうどその頃、脳にガンが転移していることが分かったのです。スペイン滞在中、彼女が急速に弱っていることを伝え聞いて、居ても立っても居られない思いでした。レバノン帰国後にすぐに会いに行きましたが、すでに歩くことができず、話すことも難しくなっていました。「また来るね」と言いながら別れたその日、2日後に彼女が亡くなるとは夢にも思わず…。その後、お葬式があり、埋葬があり、「慰めの日」が続き…たくさんの人がやってきて彼女の死を悼みました。スペインから帰ってきて会った時、すっかり弱って変わり果てた姿に、「これはまずい。この彼女を置いてレバノンを去れない」と思いました。彼女は死を予期していましたが、3,4カ月はもつだろうと彼女なりに予想していました。そんな友達に「サヨナラ」を言って、自分だけ日本に帰ることができるだろうか…と心がズキズキ。ところが、その2日後に彼女は息を引き取り、私の手元には元気だったときに一緒に撮った写真と彼女が持たせてくれたシナモンが残りました。大好きだった友達を失ったことで、私も相当な打撃を受けました。が、短い期間ながらも彼女の死までここにとどまったことで、レバノン生活に一つの区切りがついたような気がしています。スペイン→レバノン→ヨルダン→レバノン→日本と移動し、最後のレバノンでの滞在は10日間ほどでしたが、この期間が1か月にも半年にも感じられるほど、凝縮した10日間でした。でもこうして、レバノン生活に自分なりの区切りがつき、何か吹っ切れた感があります。亡くなった友達は、痛みから解放されて今は眠っていることでしょう。 春の中東散歩。http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx
2012.02.06
「ルブナーン」とはアラビア語で「レバノン」のことです。私は合計1年半ほどレバノンに住みましたが、そのうち2ヵ月半はスペインにいましたし、日本への一時帰国などの期間も考えますと、実質的なレバノン滞在は1年2ヶ月ほどになるでしょうか。 昨年8月の終わりに、レバノンのアパートはすでに引き払っていました。引っ越してきた当初からレバノンにはあまり長く住むつもりではありませんでしたが、いつ頃去るかという具体的な日付は決まっていませんでした。それが昨年8月の時点でレバノンを離れることを心の中で決意しまして、その後は引っ越しに向けた準備を少しずつ整えていたわけです。というわけで、今回の日本への一時帰国の際に「さらば、ルブナーン」!! もうレバノンで暮らすことはないでしょう。色々と理由はあるのですが、一番大きな理由は「核の汚染」。何回かこのブログでもお伝えしていますが、内戦時代に核廃棄物を諸外国から買い取って地中に埋めているレバノン。そのうえ、2006年でしたか、イスラエルの攻撃の際にはウランが弾丸に使われていたそうで、レバノン南部の都市ではウランによる汚染が一時ひどかったとか。ウラン使用の目的は「将来の世代を破壊すること」という情け容赦ないものです。今後、イスラエルとの間で戦闘になった際に、また使用されないという保証はありません。こうした諸事実をレバノン政府は国民に知らせていません。レバノン人は極めて無知で、ほとんどの人が水道水を「安全だ」といって飲んでいるような国です。が、否定できない現実として、ガン患者の急増。戦争を知らない若い世代もガンで亡くなっていきます。さらに核の汚染とまではいかなくても、ベイルートの公害はかなりひどいのです。夜になると海からゴミのくさ~いニオイが漂い、日中は黄色いスモッグで上空が覆われています。太陽が見えない街、ベイルート。しかし、レバノン人の誇りは健在。「レバノンほどきれいな国はない」と豪語してはばかりません。さらに政府の汚職が原因で、日々の電気すらきちんと供給されません。誰もが知っているこの政府の汚職。だけど何十年もそのまま。レバノンという国ほど、「improvement (進歩)」とは程遠く、「backward (後退)」という言葉がぴったりと当てはまる国もそうないのでは…??悪いけど、こんな国に住んではいられない!! それでも自分なりの目標があって移動してきた国でしたので、すぐに踏み切れませんでした。それにここでかけがえのない友達をたくさん得ることができました。レバノンでできた友達には、サヨナラを言うのが本当につらかったです。でも、健康はやっぱり大切。わざわざ汚染地域を選んで住み続けることは、やはりできません。思い返すと、ベイルートに住んでいた間、いつも体がしんどかったのです。午前中の活動を終えるとクタクタで、家に帰ると横にならなければやってられない。これって汚染の影響だったのだと思います。スペインで過ごした期間中、自分がすごく元気に1日中活動できることに驚きました。レバノンでは体があれほど重かったのに…年かなぁと思っていたのですが(笑)、実は環境のせいだったのでしょう。さてそんなわけで、レバノンとはサヨナラしまして、今後の私の行き先ですが、ヨルダンに戻ることになりそうです。すべては ″Insha' Allah (インシャ アッラー、つまり″神のご意志なら″)″。まだまだ中東でしたいこと、しなきゃいけないことがあります。語学の学習もそうです。道で覚えたアラビア語、日常会話には困りませんが、今度は基礎からしっかり学びたいと思います。心の中でヨルダンに「またよろしく」と挨拶している今日この頃です。 春休みはヨルダン散歩。http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx
2012.02.06
無事にレバノンに帰ってまいりました。今回のヨルダン滞在は約2週間。あっという間に過ぎ去りました…。ヨルダンのカラッカラの気候から一変して、ジトッとした高温のレバノンへ。ヨルダンで顔に塗りたくっていたクリームももう必要ありません。太陽の突き刺すような光にキリキリと痛んでいた目もレバノンでは楽ですね~。 前にも書きましたが、私はヨルダンに来る前にレ―シックの手術を受けているので、「極乾(ごっかん)」のヨルダンで手術後の目がかなり傷んでしまったんです。レバノンは湿度が高いので、目がラク。ヨルダンの気候は好きですが、身体には結構過酷なんでしょうね。レバノンの気候は好きではありませんが、目には優しい。ううむ。一長一短ですな。さて、レバノン生活に舞い戻りまして、また日常がやってまいりました。実は今回ヨルダン入りする前にレバノンで以前に住んでいたアパートを引き払いましたので、現在は友達の家に居候中です。この友達の家はかなり広いので、私だけの部屋があります。 私はよくフランス人の友達の家に泊まらせてもらうことがあるのですが、アラブの家に泊まることはこれまでありませんでした。アラブはいい国民ですが、一緒に生活したり住んだりするのは私には無理です。そんな私がこの友達のススメに同意したのは、まず彼女がアルメニア人であること(レバノン国籍ではありますが)、それから彼女の生活スタイルが私のスタイルに似ていること(早寝早起き)、プラス彼女は週末になるとベイルートを出て田舎で過ごすので、週末は私一人になること・・・ などもろもろの理由があります。そんな新しい生活が始まりましたが、so far so good (今のところ順調) という感じです。さて9月も後半に入ったレバノン、まだまだ高温多湿ではありますが、少しずつ気候が変わって来たのを感じます。日陰に入るとスッとした涼しさを感じるようになりました。皆さまは日本の初秋をどのようにお過ごしでしょうか? 秋休みはヨルダンへ。http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx
2011.09.16
8月も後半に入りました。時はどんどんと過ぎて行きますね。暑い夏ももうひと頑張りです! レバノンでは夏の時期、果物がとっても美味しいです。今、マーケットによく並ぶフルーツは、赤いプラム、黄色いプラム、マスカット、桃、バナナ、メロンにスイカ…どれも甘くて美味しいです。 それから、フルーツはもちろん日本と比べると格段に安い。例えば右の写真のマスカットですが、1キロ買って1ドルという安さ! フ ルーツをふんだんに食べれるのは嬉しいですね。今日は友達からプラムを袋いっぱい頂きました。 この友達はベイルートに住んでいますが、出身はアンジャル。アンジャルについては以前にアンジャル遺跡のご紹介をいたしました(http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201010230000/)。世界遺産に一応指定されているのですが、観光客は本当に少ないひっそりとした遺跡。このアンジャルに友達の家があり、毎週金曜日になるとベイルートからアンジャルへ車を走らせて、週末をこの静かな田舎で過ごすのです。この友達はアンジャルに果樹園を持っており、毎週たくさんのフルーツを収穫してベイルートに戻ってきます。私はそのお相伴(しょうばん)にあずかる役目。こんなにどっさりもらったプラム、どうしましょう~と嬉しい悲鳴を上げています。が、心配ご無用。毎朝の野菜ジュースにどっさり放り込みますよ。この野菜ジュースはニンジンがメインですが、フルーツを入れるととっても甘くてさらに美味しくなります。さらにさらに、完熟のプラムの果汁はお肌にとってもいいのだとか。キュウと果汁を押し出し、洗顔後のお肌に直接パックすると美しいお肌に変身できるそうです。ほんまかなぁ…と疑心暗鬼の私ですが、お肌にいいといわれるものは試してみたい。ここ数日、プラムの果汁のパックを顔に施しております。はたして結果は…??? あの~、なんか、小さなにきびがぽつぽつ出始めたんですけれど 果たしてこれがプラムパックのせいなのか、はたまた女性特有のホルモンの影響なのか、分かりかねます。もう少し様子を見てみたいと思います。プラムパックの効果については、後日またご報告させていただきますね~。秋のヨルダン散歩。http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx
2011.08.17
アラブのフォークダンス「ダブキ」については、少し前にご紹介いたしました。詳しくは、こちらをどうぞ。http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201108060000/ 皆が一斉に足で同じステップを踏むいわゆるラインダンス (line dance) で、人数が多ければ多いほど楽しい。これも、″個″の文化でなく″群れる″文化であるアラブを大いに象徴するものだと思います。さて、先日の木曜日にダブキ大会が無事に開催されました! パチパチ ダンス能力ゼロの私のために、ダブキ ゼロからの基本編。 とはいえこのダブキ、ヨルダンでも何度となく踊る機会がありましたので、いくらダンス音痴の私でも、3年半も経てばそろそろ習得可能なはず! 写真で見ると本当に何をやっているのか分かりませんが、一応踊っているんですよ(笑)。今回、ダブキの2つのバリエーションを教えてもらいました。この2つはまずまず完璧ですよ。フフフ。とはいえ、先導してくれる人がいないと滅茶苦茶になりますがね まぁダブキは一人で踊っても面白くない。みんなと一緒だから楽しいわけで、同じタイミングで床をダンダンと踏みならすことができれば多少下手でも全然問題ありません。ダブキ一色になるはずだったこの日ですが、アラブ女性が集まれば、やはりダブキだけでは物足りないよう。アラブの色っぽい踊りを始めちゃいました。さぁこうなれば私はお手上げです。自分に酔いしれながら踊るアラブ女性たち。うーーーん。完全に自分の世界ですな…。でも踊る時の女性たちは本当にう~っとり、夢見るような目つきで、幸せそう。私は一人でソファに腰掛け、ポテトチップスをバリバリとほおばりながら、ダンス鑑賞を楽しませていただきました。次のダブキ大会はいつかな。ワクワク。初秋にヨルダン散歩。http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx
2011.08.15
英国での大規模な暴動が報道されています。若者たちによる略奪、放火、暴力…。方向性のない負の感情だけでつながった若者たち。破壊行為のエスカレートは必然と言えるかもしれません。 英国の経済の悪化についてはずいぶん前から報道されていますが、今回の暴動は若者たちの鬱積する不満が一気に爆発した形になっているようですね。生きることを楽しむことができず、投げやりな若者たち。先進国といわれる国にこそ多いのだと思います。一連の中東のゴタゴタでは「アラブ=暴力」という方程式が作り上げられていたかもしれませんが、いわゆる″先進国″の若者たちの行動を見てください。モラルも何もあったものではありません。アラブには、「暴力に訴える非情な国民」のようなイメージが時に付きまとうかもしれませんが、暴力はアラブ世界に限られたものではありません。むしろ世界中に浸み渡っており、世界が壊れて行っているのです。英国では相当数 (数百人規模) の若者たちが逮捕されたそうです。が、刑務所では毎日食事が出ますし、眠る場所も確保されています。クタクタになって働いている善良な市民の税金が、犯罪者に食事や住居をあてがうために使われているというのも皮肉なことですね。そんな不公平な世界ですから、若者たちが希望を持てないのも頷けます。希望がない→無気力→怒り→暴力…この連鎖が断ち切れる時が早く来てほしいものです。 ヨルダン散歩については… http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx
2011.08.10
暑いです!! ベイルートの暑さは、ベトベト、モワッ、ジメジメという感じ。日本の暑さに似ていますかね。カラカラ、ジリジリとしたヨルダンの暑さとは全く違います。 私のアパートは最上階 (6階) に位置しているため、屋上が焦がされて私の部屋も暑い暑い! アパートの構造ですが、ドアを開けて家の中に入ると廊下があり、右手と前方に部屋2室 (1室はバルコニー付き)、左手にトイレ・シャワー室と前方にキッチンという具合です。ベイルートではこの廊下まで部屋にしてしまう家が多いです。廊下にソファを置いたり、戸棚を置いたり…どのアパートも狭いので、ちょっとでも空いているスペースをフルに活用するしかありません。私は一人暮らしですから、廊下まで部屋にしてしまう必要はありませんが、実は廊下が一番涼しいということに最近気づきました。そして私がマイルームにしていた部屋は実は一番蒸し暑い部屋だということにも…。この部屋でフウフウいいながら勉強し、汗をダラダラかきながら眠っておりました。ほんまにベイルートはあっついなぁ! と文句をぶうたれながら…。ところが、普段全く使っていないリビングルームのほうは、風がよく入り、特に夜はスースーと何とも気持ちがよいのです! 同じ家でも部屋によってこんなに温度が違うんか~!! 知らんかった・・・ 朝起きたら汗くさくて髪の毛も汗でクシャッとしおれている、という生活でしたが、こんな苦しい思いをせんでも、部屋を換えるだけでかなりラクに過ごせるのです。そこで早速、寝室を換えることに。ベッドまで移動すると大ごとですし面倒くさいので、石造りの床に断熱シート+シーツを敷き、ごろんと寝転がることに。これが気持ち良い!! ベッドで眠るよりずっとよく眠れますし、腰にもすごくいい。実は日本でもずっと、ベッド派ではなく布団派だった私。ただ中東では、土足生活なので何となく床で寝るのを敬遠していました。でも今のアパートでは玄関先で靴を脱ぎますし、特に問題ありません。石造りの床は、夏のごろ寝にぴったりです。といいますか、夏でも石の上に直接寝ころぶとかなり冷えますので、断熱シートは欠かせません。それ以降、本当に気持ちの良い睡眠を楽しんでおります! で、これは前からなのですが、眠っているときに大きな大きな伸びをギュイーーーンとしている自分に夢うつつのうちに気づくことがあります。ギュイーーーーンと手足いっぱい伸ばしてみたり、ゴロンゴロンと寝返りを打ったり、けっこう眠っているときの運動が激しいんです。猫みたいやなぁ と我ながら思うことがよくあります。日本への一時帰国の際に、例外なく聞かれたのが「背、伸びたよね?」。会う人会う人に背が伸びたといわれ、母曰く「2年ぶりに会うというだけではなく、本当に伸びたのよ!」。この睡眠時の伸びって、背の伸びに関係あるんでしょうか??? ここ中東では自分の背の高さを特に意識することはありませんが、日本に帰ると確かに自分って大きいなと実感してしまいます。さてそんな中東では、背の高いことはプラスになるかマイナスになるか? この話題については、次回にお伝えしたいと思います! 夏はヨルダンへ。http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx
2011.08.09
レバノンに来てびっくりしたことの一つが「朝食一緒に食べない?」とよく誘われること。ランチやディナーなら分かりますが…、朝食ですか? アラブは何かにつけて人と寄り集まるのが好きですが、レバノン人はそのアラブの中でもダントツ飛びぬけて人と群れるのが好きかも知れません。 やれ朝食、やれ昼食、やれディナー、と何かにつけて家々を行き来しております。私としては、朝食は朝起きてしっかり食べて、それから出かけるもの、つまり非常にプライベートなものという感覚がありましたので、わざわざ友達の家に行って一緒に食べるという発想は新しいオドロキでもありました。寄り集まって食べる朝食のことを指すアラビア語もあります。多分これはレバノンでだけ使われている方言なのかもしれません。ヨルダンでは聞いたことがありませんでした。まぁ、私のアラビア語もヨルダンではかなり限られていましたが...。 寄り集まって食べる朝食ですが、いつもほぼ同じメニュー。以前にレバノン人の定番の朝食についてご紹介しました。マンウーシェと呼ばれるボリュームたっぷりのパンです (http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201012210000/)。朝食を一緒に食べましょう=このマンウーシェとほぼ決まっています。あるいは一緒にコーヒーを飲むだけの場合もあります。ところがこの寄り集まりの朝食は朝10時からだったりしまして…遅い!! 1日の活動を10時から始めるわけにはいきません。朝8時に友達の家に呼ばれる場合もありますが、それはそれで朝は戦闘のように身支度を整えているわけですから、友達の家に行く余裕などありません。というわけで、私はこの朝の寄り集まりをほぼ断っております。レバノン人は近所の人ともこうした付き合いを繰り返していまして、アラビア語には「家を選ぶ時はまず隣人を見よ」ということわざがあるくらい、近所の人との付き合いは大切なものです。レバノン人にとっての「良い隣人」とは、朝食を一緒に食べれる人、しょっちゅう行き来してもうっとおしがらない人、1日に1回は一緒にコーヒーが飲める人、まるで自分の家であるかのようにいつでも行き来できる人…です。私にとっては、こんな隣人は「悪い隣人」です! しょっちゅう来られたら困るし、自分も行きたくありません! こっちにはこっちの予定っちゅうものがありますがな。というわけで、近所の人との付き合いはかなり制限している私。友達とのお付き合いには結構応じるようにしていますが、近所の人までは身がもちません。そんな私は「悪い隣人」でしょう。でも仕方ありませんよね~。 夏休みのヨルダン散歩。http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx
2011.08.08
先日友達の家に遊びに行きましたら、ペルシャ猫が飼われていました。生まれてから2ヶ月半ほどだということです。実際にはもう少し大きいかもしれません。US$100 で買ったんだ、という説明。正真正銘のペルシャ猫だそうです。ペルシャにしては三毛猫っぽい模様ですがね…実際のところはよく分かりません。 が、フワフワして可愛い~~。猫大好きの私としては、構わずにはおれません!! 実家では幼少のころから猫を飼っていまして、15,6 年ほど一緒に暮らしたでしょうか。やがて猫アレルギーを発症し、抱っこするとかゆくなるようになってしまってからは猫から遠ざかった生活をしています。が、本来は猫大好きです。自分では飼えない分、とある猫のブログを毎日覗くのが楽しみ。この友達の猫は「ヨッピー」という名前。気高いペルシャ猫にヨッピーという名前はなんだか似つかわしくない気もするが…。この友達の家にはライアナというとってもヤンチャな5歳の女の子がいるのですが、このライアナがヨッピーを無理やり引っ張ったり、ガシッと鷲づかみにしたり、本当に乱暴な扱いをするんです。ヨッピーは悲しげに「ミャヤァァァ」と泣き…度が過ぎるとお母さんがライアナからヨッピーを取り上げるのですが、そのお母さんも相当乱暴。ヨッピーをむんずと娘から取り上げ、叩きつけるように膝に無理やり寝かせています。あ、あ、あ…~~、と私はハラハラ。ヨッピーが死ぬんじゃないかと本気で心配です。本当にアラブには「優しくて繊細な気遣い」とか「そっと持ち上げる」とかそういう感覚が非常に欠けている…というか存在すらしないような気がする 子供に生き物に対する繊細な優しさや気遣いを教えるのは親の役目だと思うんですけれど、親がこう乱暴ではどうしようもありませんね。この友達がアラブの中でもかなり乱暴なほうなんでしょうけれど。もちろん子供に対してもかなり乱暴。突き飛ばされたり、急にグイッと引っ張られたり、物を突然取り上げられたり…などは子供にとって日常茶飯事です。愛情表現もかなり強引で、キスを浴びせられたり、息ができないほど抱き締められたり…何につけても、強引で力任せ という感じがしますね。やはり文化が違う。静かに静かに、丁寧に丁寧に、優しく優しく、繊細に繊細に、自然と共存してきた日本の文化とは根本が違うのでした。 さてそんな友達の家から眺めた夕焼け。地中海に沈んでいく太陽です。あまりきれいに撮れていませんが、実際にみる夕焼けは非常に美しかった! この夕焼けを見ながら、ヨッピーの行く末をひそかに案じる私なのでありました。 夏休みはヨルダンへ。http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx
2011.08.07
暑中お見舞い申し上げます。 ここ2週間ほどとても忙しくしておりました。正確には10日間なのですが、週末を挟んでいたので週末返上での大忙しでした。今日はその最終日でしたので、最後のシメに着物を着て行きました。中東で着物を着るのは2回目です。日本では自分で着付けをしたことなんてありません。この着物、ヨルダン時代に日本から送ってもらったものですが、着付けを一人でしたことがないので何となく着るのを躊躇していました。でもレバノンで一念発起。せっかく持っている着物、着ずに終わってしまうのはもったいない。着物は着物でも、汚れてもいいように古いお下がりです。でもこちらの人にとっては、古かろうが何だろうが着物は着物。着物を着るとみんな喜んでくれます。2ヶ月ほど前に大切なミーティングがあった時に初めて着物を自分一人で着ました。帯は名古屋帯でお太鼓結び。2,3回ほど事前に練習したでしょうか、なんとか着れましたが2時間の格闘。今日は、と言いますと…何だか知りませんがサラサラサラッと着れてしまい(あくまで私の基準)、所要時間1時間なり。しかも着崩れしないかと不安だったのですが、着崩れもなく、1日中着物でラクに過ごせました。着物=苦しい、というのがこれまでの常だったのですが…、着付けにも着物にも少し慣れたのかもしれません。自分で着付けするほうがラクなんでしょうね。紐の結び加減とか調整できるし。ところで、中東の中ではレバノンと日本の結びつきが一番薄く、レバノン人は日本に関して極めて無知です。シリアやヨルダンには日本から青年海外協力隊などがたくさん入っていますので、日本という国の知名度は極めて高いし、親日感情もかなり高いです。そこへ来るとレバノンは、ごくごく少数の人を除くと日本との関わりが全くないので、ただ国の名前を聞いたことがあるという程度の認識。日本についても日本人についても何も知りません。そんなレバノン人ですから、着物なんてモノの存在を知らない人も多い。今日も着物でミーティングに参加していたら、「なんでクッション(座布団)を背中に付けているの?」(爆笑)と来た。帯揚げ(帯の上で縛るフワフワしたものですね) は「顔を拭くタオル?」(爆笑)。さらに足袋を見て、「なんでそんなストッキングをはいているの?」。ストッキングじゃないって~。もともと2股に分かれているんですよ。「なんで、こうなの」「なんで、なんで」と聞かれますが、なんでって、着物はこういうものなの!! めんどくさいし、私も「なんで」という質問は予期していなかったので、これはこういうものなの、と説明して終わり(笑)。 恐るべし、レバノン人! すべて自分中心の彼らは、レバノン以外の国は「地球外の惑星」、レバノン人以外は「地球外生物」だと思っていますからね(笑)。そんなこんなで、忙しかった2週間が飛ぶように過ぎ去り、明日から少し普通の日常が戻ってまいります。もうすぐ8月ですね。皆さまもお体にお気をつけてお過ごしくださいませ。 夏休みのヨルダン散歩。http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx
2011.07.29
夏!! と言えば、蚊の季節。蚊!! と言えば夏。 レバノン、いえレバノンのみならず中東には蚊がおります。ヨルダンでもおりましたが、レバノンのほうが多いような気がします。高温多湿のレバノンの夏、やはり蚊の発生率は乾燥した砂漠気候のヨルダンより多いのではないかと思われます。さて、蚊って本当に厄介なものですよね。特に夜に眠っているときに耳元で飛びまわられると…何ともいまいましい! ヨルダンでは蚊取りマットを使っていたのですが、使用頻度はそれほど多くありませんでした。レバノンではボトルタイプのものを購入していたのですが、こちらでは毎日使用する必要があるのに加え、電気の供給が切れた時には用を成しません。どうしたものか…と思っていたら、何と! レバノンには「蚊取り線香」が売ってあるんですね~。早速購入。日本のものと同じ形です。使用説明には「under license of FUMAKILLA Ltd. TOKYO- JAPAN」 などと書かれていますので、当然といえば当然か…。でもニオイは明らかに日本のものと違います! こちらはインドネシア製。日本の蚊取り線香のニオイ、実は私は大好きでありまして…蚊取り線香のニオイをふんわり嗅ぎながら眠りにつくのが夏の楽しみでした。その懐かしい香りとは少し違うのが、こちらの蚊取り線香。日本の蚊取り線香のニオイを少し酸っぱくしたような感じ(笑)。日本のよりケミカルなニオイがします。通常、蚊取り線香は換気のよい部屋で使用すれば人体には害はないと思いますが、こちらの蚊取り線香はケミカルっぽいので、換気をよくしていてもツンとしたにおいが気になります。でも致し方ありません。だって夕方になると蚊が攻撃を始めるんですから。中には蚊取り線香にも屈しない屈強な蚊もおりまして…。昨日もしぶとい攻撃に悩まされておりました。蚊取り線香よ、もっと頑張ってくれい! こちらの蚊は日本のものより色が薄く(ゴキも日本のものより色が薄い)、ふわりふわりと飛んでいるので仕留めることができる場合も多いです。ゴキといい、蚊といい、中東に生息しているものは日本のものと比べてどうも動きが鈍いんですけれど…彼らもメタボなんでしょうかねぇ。。。 夏休みのヨルダン散歩。http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx
2011.07.24
日本で髪を毛をかなり短く切ってきましたが、やはり毛は伸びるもの。このブログを訪問して下さっている方なら、私が何度となく中東の美容室事情について嘆いているのを知っておられることでしょう。 例えば、パイナップルのような髪型になったこともあります(http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/200908010000/)。これはヨルダンでの話。レバノンは少しマシかと思い、レバノンで一度美容院に行きました。それも、よーくよく選択した揚句、腕が良いと誰もが口をそろえて言う美容師のところに。が!!!! 最悪!! でした。写真まで持って行ったのに、全然ちゃうやん!! カリカリに短くされ、ほんっと、男の子みたいでした。しかも夏の暑さで痩せていたので…誰が見ても男の子、という感じでしたよあまりにもショックで、ブログにもアップしなかった恐怖の体験でした。その直後にアテンドの仕事があり、ホームページでの写真の顔を想像しておられたお客様はあまりの落差にきっと絶句されたことでしょう。さすが日本のお客様は「絶句した」などとは言われませんが、「か、髪の毛切られたんですね…」と短くひとこと。ええ、そうですよ。自分の意志とは無関係に、またしてもパイナップルのようにされましたよ。そんな経験から学んだこと…中東の美容院には絶対に行くまい。ですから、今回の一時帰国の際に何をしたかというと…ムフ。つけ毛を買ったんです。髪の毛が伸び始めたら、後ろでギュウとゴムで縛り、あとはこのつけ毛をちょこんと乗せるだけ。写真で見ると、左のようになります。ホントの髪の毛のように見えますか?これ、本当に便利なんです。ほとんどの人が騙されます。初めて会った人には必ず、どれくらい髪の毛が長いの? どうやってこの髪型にしているの? なんて聞かれます。ムフフン。つけ毛ですよ。平和堂(超ローカル!!)で500円で売ってたんですよ~。ところが、注意しないと大変なことになります!! ついにやってしまった、この間。私は家ではつけ毛を外していまして、外出前にクイッとクリップで留めるのですが、この最後の仕上げを忘れて出かけてしまったのです!! つまり、髪の毛(地毛)は後ろで無造作にゴムで縛られており、雀(すずめ)のシッポのように突き出ています。短い髪の毛を無理やり引っ張っているわけですから。しかも髪の毛の長さが足りないため、上と下とに分けて縛っています。後ろから見ると雀のシッポが二つ、といったところか。この髪型で、外をふらふら歩き始めまして、ふと手を髪の毛に当ててみたら…ない!!!つけ毛がな~~い!! やってしまったぁ。雀のシッポ2つを手で隠しながら、家へ速攻で帰りました。その時間は電気の供給が切れていたため、アパートのエレベーターが動いていません。つけ毛をつけるためにひいひい言いながら6階まで階段を上ったのでした。そんな風にジタバタしておりましたので、友達との待ち合わせの時間はとうに過ぎてしまい、遅れた言い訳は…「つけ毛忘れて、6階まで階段を上っててん」。アホやなって感じです それもこれも、中東の美容師の技術が足りないからですよ! ショートカットが何やらも分かっておらん。中東(ヨルダン・レバノン・シリア)在住を考えておられる方、あるいはやむを得ず中東在住になる方は、つけ毛のご準備もお忘れなく…って、私だけ?? 夏の中東散歩。http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx
2011.07.22
レバノンのベイルートも本格的な暑さに突入です。ア・ツ・イ!! まるで炎 (アラビア語で「ナール」といいます) のようです。ヨルダンと違ってレバノンの湿度はかなり高い。地中海に面していることと、特にベイルートは盆地になっているため、湿った空気がベイルート市に降り注ぎ、蒸し蒸し蒸し蒸し…と熱せられます。 さてそんな本格的な暑さを迎えて、望ましくないお客様が自宅にお目見えすることが多くなったような気が…。未確認飛行物体とでもいいましょうか。本日の飛来は3匹なり。え? 「匹(ひき)」って…? はい、実はゴキの飛来なんです。い、いややーーー中東にももちろんゴキは存在しております。日本より頻繁に出没するかと思われますよ。どのアパートにもその辺に死体が転がっています。しかも1匹2匹の世界ではありません。アラブはゴキを見ても日本人ほど極端な反応はしません。もはや生活の一部…? 乾燥気候のヨルダンでは、本当にたま~にゴキを発見して恐れおののいていました。が、レバノンでは自宅にブンブンと飛来してくる!! い、いややーーー前にもご紹介の通り、ベイルートの住環境はかなり悪く、家々が隣接しているうえにどのアパートも古ぼけています。そしてゴミがあちこちに捨てられており、芳しくないニオイも漂います。ゴキにとっては絶好の生息場所。私はアパートの最上階(6階)に住んでいるので、ゴキの被害にはそれほど遭わないだろうとタカをくくっておりました。が、そんなこたぁありません。1日に3匹ですよ。先が思いやられる…。ただ中東のゴキは、かなり鈍くさいのがせめてもの救い。ほぼ100%の確率で仕留められます。ここのゴキは日本のゴキより色が薄く、その代わりやや巨大ではあるのですが()、それほど agressive (攻撃的)ではありません。ゴキを見つけると一瞬固まる私。すぐには行動できません。でも一人で戦うしかない! ス、スプレーは…とよろけつつ取りに行きます。逃げられたか、と思いますが、スプレーをむんずとつかんで戻ってきてもゴキはまだいます!! その後はこれでもか!! というくらいジェット噴射です。ああ、ゴキよ。どうして私の部屋に飛んでくる? 実は数日前…眠っているときでしたが、お腹にガシッとした昆虫系のものを感じたんですよね。夢うつつのうちに、えいっと振り払いましたが、翌朝ゴキの死体発見。でもベッドの付近ではなく、少し離れた場所だったので、まさかねぇ~と深く考えないようにしていました。でも今日の飛来の様子を見ると、その「まさか」だったかも!! い、いややーーーさぁ、そんな頭の痛い季節を迎えました。暑い夏はまだ始まったばかり。日本の皆さま、それから世界各地の皆さまもこの暑さを乗り切ってくださいね。私もゴキと決死の戦いを繰り広げてまいります…。 夏休みはヨルダンへ。http://picturesque-jordan.jp/comentsfromourclients.aspx
2011.07.15
以前のブログで、レバノンではアラブの家庭によく招かれるという話をいたしました。私もときどきお食事に来てもらいます。やはり人気は「寿司パーティ」。実は日本ではお寿司を作ったことがなかったので、無類の寿司好きでありながら寿司コンプレックスでした(笑)。でも中東では「お寿司を作って!!」というリクエストを受け取ることが多く、日本人の誇りにかけても「作れない」なんて言えへんで。そんなわけで、ヨルダン時代に修業をいたしまして、今では「Naoko の寿司はおいしい」といわれるまでになりました。エッヘン(い、威張ることでもないか…)で、感じるのがですね、アラブの水分摂取量は本当に少ない!! ということ。お食事に呼ばれても、食事中に水が出ることはまずありません。出るとしたらペプシか7UP。でもそれも出ればいいほうで、飲み物そのものが出ないことも多いのです。食後も水が出ることはありません。こうなると、私の喉はもうカラカラ…。でもアラブは平気そう。水を出すという発想すらない。不思議です。私が招待する時は「水飲む?」と何度となく聞くのですが、食事中も食後も誰も飲むといいません。「いらない」という返事。へ~~~っ。健康な成人であれば1日に2リットルの水を摂取する必要があるというのは、現在ではよく知られた通念です。レバノン人は2リットルどころか、1リットルも飲んでいるのかどうか怪しい。レバノン人のほぼ95%が肥満気味ですが、この肥満と水分不足には大いに関係がありそうです。 「水で太る」というのは大きな間違いで、水不足こそが肥満の原因にもなると言われています。体内の水分が不足すると、脱水症状を避けるため汗や尿が抑えられてしまうのです。その結果、老廃物の排泄がうまく進まずに蓄積され、新陳代謝が低下して脂肪が燃焼されなくなるのだそうです。アラブを見ていると、この説には本当に納得させられます。いわゆる「肥満」が本当に多いのですが、プヨプヨした肥満ではなくがっちりした肥満です。俗に言う「固太り」っちゅうやつですね。この固太りですが、とあるサイトによりますと「固く張った大きなお腹(りんご体型)、胃腸が丈夫なので暴飲暴食の傾向がある、高血圧・高コレステロール・中性脂肪の値が高い傾向がある、筋肉質でがっちりしている、疲れにくい、便秘になりやすい、声に張りがある」などという特徴があるそうな。ふむふむ、まさにアラブそのものですな。さらにこんな情報も。「慢性の脱水状態になると、喉が渇いてもあまり感じない。むしろ渇きを空腹感と混同して食事量が増える場合があり、体重調整失敗の原因になる」ほ、ほーーう。アラブそのものですな。というわけで、何度も言いますが、アラブの生活習慣は私から見ると不健康極まりない。こうした点において非常に無知なアラブには時にかなりびっくりさせられます。保健士さんなどになってアラブ世界で健康の講座などを開きたいと思ってしまう…。転職しましょうかね。…って、きっと誰もあまり注意を払わないと思う。残念ながら何事に関しても、無知であるだけでなく、人の言うことを聞かないのがアラブですから。。。ほんまに、しゃーないなぁ。 夏休みはヨルダン散歩。http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx 応援してくださる方はクリックしてくださいね。
2011.06.22
夏のベイルートは何かと騒がしい。春になるのを待ちわびたかのように人々は活動的になり、この時期は結婚式が相次ぎます。私の住む小さな町でも毎日のようにドンチャン・ドンチャンとどこかの家で結婚式(しかも派手!!)。この小さな町内だけでもこんなに多いのですから、レバノン全体では毎日何組が結婚しているのでしょう。当然のことながら、新しい命も次々に生まれます。高齢化社会の日本とは対照的に、中東では人口の60%が30歳以下とも言われています。そんな中、去りゆく命も。レバノンでは交通事故による死者が後を絶ちません。我先にと先を争うめちゃくちゃな運転と、ほとんど存在しない交通ルールのせいで、あちこちで大きな事故が起こります。無駄な早死にをする若者が非常に多いのも中東の特徴かもしれません。特にレバノンでは、息子を亡くしたという人があちこちにいます。割合から言うと、一家で一人は子供が亡くなっているのでは? と思うほど。せっかく生まれても、道半ばで途絶える命も多いのです。昨日は、20歳の息子さんが交通事故で亡くなったというニュースが町内を駆け巡りました。高速道路をバイクで走っていて、車にはねられたということ。今日はお葬式の日でした。故人の家の近所には、下の写真のように白のテープが張り巡らされ、お葬式があることが分かります。町内のあちこちに、亡くなった若者の写真が貼られます。彼の友達だった人の車にも写真が貼られ、白いテープが車体に巻かれます。こうした車を何台も見かけます。棺(ひつぎ)を運ぶ霊柩車の後には、こうした故人の写真を掲げた友達の車が列をなし、早すぎる死を悼むのです。亡くなってしまっては、死を悼んでもどうしようもありません。亡くなる前になんとかならなかったのか…あまりにも惜しすぎます。レバノンでは、ヨルダンやシリアなどと比べてバイク人口が多いのですが、ヘルメットをしている人などほとんど見たことがありません。渋滞する車の列を縫って若者の運転するバイクが勢いよく走りますが、ヘルメットなしでの無謀運転は本当に危なっかしい。車の運転手も絶えずイライラし我先にと突っ込みますので、事故が起きるのは必然。日本の震災では、ペットが救助され保護されているというニュースも聞きます。動物の命さえ懸命に救助されているのに、ここレバノンでは人間の命が、それも助かるはずの命でさえあまりにも簡単に取り去られていきます。せっかくの命、もっと大切に...と思わずにはいられません。 夏休みはヨルダン散歩。http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx 応援してくださる方はクリックしてくださいね。
2011.06.20
レバノン人はヨルダン人と比べてかなりカジュアルに人を家に招待します。ヨルダン人の場合は、正式な招待にあずかってお食事をいただくことが多かったのですが、レバノンでは毎日のように「食べて行きなよ」「寄って行きなよ」 と誘われ、パパッと急いで作った気取らないお食事をいただくことが多いです。こうしたカジュアルな招待ですと、こちらも気が楽ですね。さて、そんな具合ですからレバノンではレバノン人の料理の仕方を実際に目で見ることが多いです。ところが、私ってすぐに忘れてしまうんですよねぇ。日本に帰って「レバノン料理、何か作れる?」と聞かれても…多分作れない!! 作るつもりがないからでしょうけど(笑)。いやいや、こんなのではイカン。身を入れて修行せねば。でも、なぜ私がレバノン料理にそれほど魅力を感じないかといいますと、その油の量、塩の量に圧倒されるからです。彼らが料理する様を実際に見ていると、びっくりするくらい油と塩を使っています。特に塩!! よく日本のレシピでは「塩・コショウ少々」などと書かれていますが、こちらでは「少々」という概念は存在しません。どさっと勢いよく放り込まれる塩を見て、絶句。私の1週間分の摂取量が1度の料理で使われてるんちゃうん?確かにレバノン料理はおいしいわけです。そりゃ、当たり前。しっかり味つけされていますから。でも・・・体には悪いですよね。ほぼ100%すべての中年レバノン人が、高血圧、高脂血症、糖尿病などの生活習慣病を抱えています。ある程度美しいのは若い時だけで、30代前半から後半になると体型はどんどん崩れ、ほとんどのレバノン人がぶくぶくと太り、中年からは死ぬまで「やれここが痛い、あそこが痛い」と不調を訴え続け、薬漬け。重たい体を支える腰や膝は悲鳴を上げ始め、やがて歩くのも難しくなります。うーん…。スリムで生き生きと生活を楽しんでいる中年のレバノン人を見たことはありません。レバノンの中年女性の印象としては、ぼってりとした重たいお尻と巨大な胸をゆっさゆっささせながら、のったりのったり動いている姿。イスから立ち上がるのもイスに座るのも、「よいこらせ」と一苦労。男性は男性で、20代の後半からぼってりとしたお腹を抱え、こちらもいかにも重そう。こういう彼らを見ていると、日本人でよかった~と思います。一般的にレバノン人はヨルダン人より健康志向ではありますが、それでも私の目からすると不健康極まりありません。まずは減塩から! でしょうな…。 夏休みはヨルダン散歩。http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx 応援してくださる方はクリックしてくださいね。
2011.06.16
レバノン南部には、ユネスコの世界遺産に指定されたティルスの遺跡がひっそりとたたずんでいます。レバノンもまだまだ日本人にとっては馴染みがない国ですから、ティルスなんてもっと馴染みがないことでしょう。でも聖書に造詣の深い方なら、ティルスという名前が聖書の中に何度となく出てくることにお気づきでしょう。ティルスは、現在ではアラビア語で「スール」と呼ばれています。ティルスは、フェニキア人の主要な港として発展。今から4000年ほど前から都市国家として存在していました。非常に美しく、豊かな富に恵まれたティルスは、「海の女王」として君臨していました。この都市は、実は2つの部分で構成されていました。1つは本土にあり、もう1つは島にありました。本土側はバビロンによって陥落し、島側はアレキサンダー大王によって征服されました。アレキサンダー大王の進軍に最後まで抵抗した唯一のフェニキア人国家がティルスです。島側のティルスが降伏を拒んだため、アレキサンダー大王は島側の都市を攻囲します。その攻囲の期間、実に7か月。アレキサンダー大王は、ティルスの本土側市街の瓦礫をこそげ取って,島との間の約1キロメートルを埋め立てて土手道を築き,そこを滅ぼしたのです。下の写真は島側のティルス遺跡ですが、アレキサンダー大王が築いた土手道が今でも残っています。 聖書のエゼキエル書の中には、アレキサンダー大王がティルスを征服するずっと前に、ティルスの石や木工物や塵が「水の中に」置かれるであろうと予告されていました。何百年もあとに、実際にアレキサンダー大王が旧市街の瓦礫という瓦礫を水の中に放り込んで約1キロもの土手道を築いたときに、聖書の預言通りになりました。かつて海の女王として君臨したティルスですが、現在ではローマ時代の遺跡がひっそりと残るだけです。世界遺産ではありますが、入場料は無料。観光客もほとんどいません。特にレバノン南部はイスラエル国境に近いことから、「紛争地帯」というイメージが定着し、観光客の足は遠のいています。 そんなひっそりとした観光地ですが、ティルスの海は本当にきれい。ザザーッ、ザザーッと押し寄せては引き返す波がひっそりたたずむ遺跡と共に「盛者必衰の理(ことわり)」を表しているのです。夏休みはヨルダン散歩。http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx 応援してくださる方はクリックしてくださいね。
2011.06.15
今日、近所の八百屋さんに行きましたら、採れたてにんにくが並んでおりました。やった~。いつも買う中国産ではなく、レバノン産です。このニンニクは、外皮がちょっぴり赤みがかっていて、皮を取り除くときれいな透明の粒が出てきます。ニンニクの粒といえば、一般的に乳濁色のものが多いですが、このニンニクは透明色。中国産のニンニクはおいしくないわけではありませんが、農薬がちょっぴり心配です。ですので、このレバノン産ニンニクを早速購入。私はサラダをとにかくよく食べるのですが、ニンニクは欠かせません。アラブ式のサラダは、オリーブ油とレモンをたっぷり使い、あとは塩・コショウで味付けするのが一般的ですが、人によってはいくつかの香辛料も合わせて使います。よく使われるものがスンマックと呼ばれる中東のパウダー。日本では、「ゆかり」という名前のシソを砕いたものがよく売られていますよね。中東のパウダー″スンマック″は、色合いからするとこの「ゆかり」みたいなものですが、味はもちろん全然違います。スンマックはサラダに美しい色合いと上品な酸味を与えます。それから、人によってはザクロソースをちょっぴり隠し味的に使います。あとは、ミントのパウダー(もちろんあれば、生のミントを使います)などもサラダにはよく登場します。さて早速このニンニクを食べてみました。ピリッとした刺激があります。が、おいしい! サラダって飽きませんよね~。ボウルに山盛り作って、一人でバクバク平らげてしまいます。ところで、今まで食べたニンニクの中で一番おいしかったのは、シリア産のもの。シリア国内を通過中に偶然 道路で売っていました。外皮も内皮もレバノン産以上に赤みがかっていました。普通のニンニクと違って、一つ一つの粒がすらりとほっそり長いのです。粒がほっそりしているので剥(む)きにくいのは剥きにくいのですが、皮を剥くとその透明感のある美しい粒の色ときたら!! つるり、きらり、しゃりっとみずみずしい。 これまでニンニクを見て「きれい」と思ったことはなかったのですが、この時ばかりはニンニクってなんてきれいなんやろう…!! とそのピュアな透明感にしばし見とれました。もちろん味も格別でした! もう一度あのニンニクを食べたいなぁ、というのが私のひそかな願いです。シリアからは現在ほとんどの外国人が退去しており、国内は閑散としているようです。特に大きなデモは報道されておらず、人々の生活は普通に営まれていますが、観光客が戻ってくるには時間がかかりそう。デモが今後どうなっていくかも現時点では誰にも分かりません。シリアがすっかり落ち着いたら、あのニンニクを探しに出かけたいものです。 夏休みはヨルダン旅行。http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx 応援してくださる方はクリックしてくださいね。
2011.06.01
昨日はアレイに住む友達の家にお泊まりに行っておりました。アレイ(Alley)とはベイルートから15分(混んでいたら30分)ほどの場所にある地域の名前。高台に位置しているので、ベイルートと比べて涼しくさわやかで、夏はサウジやカタールなどの湾岸族がわんさかと押し寄せる避暑地となっております。アレイには別荘やホテル、貸しアパートが多く、夏の時期にはすべて満室となります。が、冬になるとこうしたアパートなどはことごとく空になり、人口がぐっと減るのがこの地域の特徴。私の友達は別荘としてではなく、年間を通じてこのアレイに住んでいるそれほど多くないアレイ人の一人。といっても、フランス人と日本人のカップルですが(笑)。アレイはベイルートからそれほど遠くないものの、ベイルートとは全く違う風景。緑が生い茂り、花が咲き乱れ、山の間から見下ろす風景はまさに「絵のような」美しさ。その友達の家から撮ったのがこの下の写真。黒で囲んである部分には、実はベイルートが!! ベイルートの向こうには地中海が広がっています。↓ 黒の丸の部分をぐぐっと拡大。ベイルート市がぼんやりと分かりますか?実は首都ベイルートの環境汚染は甚だしく、アレイから見下ろすベイルートは大抵スモッグに覆われているのだそう。2日前に雨が降ったので、今日のスモッグはマシな方で、いつもは黄色のもやもやに覆われているのだそう。そんなベイルートを見下ろしては、2人で「Naokoはあのスモッグの中にいるんだねぇ」と話しているのだそう。そんな環境汚染のベイルートはこの時期からもやもやとした異常な暑さで、夏は息をするのが苦しいほど。夜には海からのクサ~イ臭い(海の近くにゴミ捨て場がある)が漂い、何とも不快。特に6階にはこのニオイが漂いやすいらしく、夜になると漂うこの悪臭にリラックスなんてできません。去年の夏は灼熱のベイルートでカリカリに痩せこけ、散々な思いをしました。今年はアレイに避難してきたら!! と友達は勧めてくれます。そうやな~、黄色いスモッグに覆われたベイルートを見てしまうと、その中に自分が住んでいるのが恐ろしい!! 夏は「脱ベイルート」を図るべきでしょうな。 夏休みはヨルダンへ http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx 応援してくださる方はクリックしてくださいね。
2011.05.31
シドンで数日過ごして帰ってまいりました。その翌日の今日、シドン付近で爆破事件が起きたというニュースが。あれ~。昨日バスで通ったところやん!! シドンはレバノン南部に位置する海沿いの町です。イスラエルとの国境に近いことと、反欧米・反イスラエル路線を掲げるヒズボラ(政治組織)の活動の拠点であることから、ちょっとしたいざこざが起きやすいといわれている町。とはいえ、通常のシドンは平和そのもので、人懐っこいレバノン人が忙しく行き交う活気のある町。今回の爆破事件は、ベイルートからシドンへ通じる主要道路で起きたもの。平和維持のために駐留しているイタリア兵が乗ったUN(国連)の護送車が爆破され、6名のうち1名が死亡、数名が大けがを負ったようです。 写真はBBCからの転載この爆破事件に誰が関わったかは、まだ分からないということです。犯行声明も出ていないようです。シリアの情勢と何らかの関わりがあるのでは、とも言われていますが、真相は明らかになっていません。爆破事件???!!! レバノン全体が緊急事態と思われるかもしれませんが、そんなことは全くありません。ほとんどのレバノン人はテレビのニュースでこの事件について聞き、「シドンで爆破があったんだって~」「え? そうなん?」と話している状況です。ほとんどのレバノン人は平和を望んでいます。これはヒズボラの人たちも全く同じ。ヒズボラ=過激派組織という風に報道されがちですし、覆面をかぶったテロ組織のようにイメージされる方もおられるかもしれませんが、実はごくごく普通の人々です。靴屋や薬局を営み、英語やフランス語を堪能に話し、「おはよう」「ありがとう」などちょっとした日本語も知っていて、私が日本人と分かるや「日本語知っている!」と披露してくれたりもする人懐っこい人々。ヒズボラについて書きましたが、これはヒズボラが今回の事件に関わっているということではありません。レバノンで何かあればすぐにヒズボラと結び付けられるので、そうではないことを知っていただきたいと思うからです。人々の願いとは裏腹に、なぜかゴタゴタに見舞われる中東です。この時期、美しい花々がレバノンを彩ります。この地に本当の意味での春が訪れるのはいつのことでしょうか。 夏休みはヨルダンへ。http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx 応援してくださる方はクリックしてくださいね。
2011.05.28
この時期の中東では、きれいなきれいなジャカランダの花があちこちで見られます。この花の特徴は、美しい紫色。花の形は長方形で、ラッパのような形をしています。ぱっと見ると桐の花に似ていますので、キリモドキという別名も付いているのだそうです。が、ジャカランダの木の葉っぱは、桐の木の葉と全然違います。ジャカランダは熱帯に適した木のようで、中東に限らず中南米でも見られます。暑い気候に強いようで、砂、砂、砂のヨルダンのぺトラ遺跡でもきれいに咲いていました。桜と同じように、まず花が咲いて、しばらくしてから緑の葉が生い茂ってきます。ゴツゴツとした木の幹に美しい紫の花がたわわに(?)咲き乱れます。この春の時期はブーゲンビリアもわんさか花をつけますので、ブーゲンビリアの目も覚めるような赤とジャカランダの清涼感のある紫のコントラストがとてもきれいなのです。上の写真は、レバノン南部の町シドンで撮ったもの。首都ベイルートにもジャカランダの木はありますが、古びたビルが連立する街角で居心地悪そうに咲くジャカランダよりも、自然の中で元気いっぱいに咲いているジャカランダのほうがずっときれいです。もうしばらくすると花がパタパタと下に落ちてしまいます。ベイルートのジャカランダはシドンよりも一足先に花が落ち、すでに緑の葉で覆われています。この時期に中東にこられる観光客の皆様は、是非このジャカランダの花も楽しんでくださいね! 夏休みはヨルダンへ http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx 応援してくださる方はクリックしてくださいね。
2011.05.26
レバノンに限らず、中東では道端での井戸端会議に花が咲が咲く、咲く、咲く。井戸端会議といってもおばちゃんたちだけではありません。おじちゃんたちの井戸端会議が圧倒的に多い。複数の男性が道端やお店の前にわらわらと固まり、なんやなんや、大事件でもあったんか? と思うと単に話しているだけ。本当にアラブは群れるのが好き。あっちにも人。こっちにも人。あっちでもガヤガヤ。こっちでもガヤガヤ。静けさとは無縁の世界。日本に帰国したときに道路が妙に静かなのに驚きました。誰も外に出ていない、たむろっていない...。静寂...!! そう、中東では「静寂」などというものを期待すらできません。レバノンの首都ベイルートでは、アパートというアパートが所狭しと建っています。あまりにも接近しているので、別棟のアパートかどうかも判別が難しいほど。接近しているため、プライバシーがないというお話は前にお伝えしました(http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/20101007/)。パーンと窓を開け放した隣人の生活の一部始終を観察できます。さて、今日は金網越しの友情のお話。私のアパートの向かいにあるアパートで、毎日話し声。家々がとにかく接近しているので向かいのアパートの話し声も結構聞こえてきます。誰が話しているのかと思ったら、屋上におじいちゃん二人。ポカポカと春の日差しを浴びて、気持ち良さげ。でも、あれ? よく見たら同じ屋上にいますが、金網越し。実はこのおじいちゃんたち、別々のアパートの住人。2人とも屋上に上がっては毎日話しこんでいるのです。ビル2の屋上は、金網で仕切ってあります。下の写真では分かりにくいかと思いますが、左側のじいちゃん(ビル1の住人)は実は金網の外にいるのです。 拡大図↓ビル1のおじいちゃんとビル2のおじいちゃんは、金網越しに話しこんでいるわけです。なんか…刑務所での面接みたいな感じやな。 このおじいちゃんたち、毎日の大半をこの屋上で過ごしています。どちらも向かい合わせに座り、話している時もあれば、話さずにお互いぽけーーーっとしていることも。でもいつも一緒。何かを飲むにしても相手には渡せませんので、お互い持ち寄るんでしょうかね。2人の間のシステムはよく分かりませんが・・・、これもアパート同士が接近しているベイルートならでは。私はと言えば、プライバシーの確保が一番大切。レースのカーテンで住人からの視線をシャットアウトしております。と言いつつ、こうやっておじいちゃんたちの日常をカメラに収めているわけですから、アラブ化してますかね(笑)。バルコニーで洗濯を干していても、四方八方にアパートがあるわけですから、どこかのアパートのどこかの住人と目が合います。私の部屋は最上階なので、それでもまだ人々の目が届きにくいんですけれど。やれやれ。そんなベイルート。夏が近づくにつれ、騒音と井戸端会議と人々のお目がパワーアップ!! 私のアラブ観察もパワーアップ???!! レースのカーテン越しに住民の様子をうかがうストーカーチックな、ちょっぴりアラブ化した日本人女性約1名。ベイルートから発信していきます。 中東のご旅行に関しては http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx。
2011.04.21
以前にジューサーで野菜ジュースを作って毎朝飲んでいるというお話をいたしました(http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201006020000/)。これを始めてから、かれこれ1年となります。出張で長期に家を離れる時などは無理ですが、それ以外はほぼ毎日飲み続けていることになります。レバノンでは、計画停電ならぬ「無計画」停電が毎日ありますので、このジュースを作るためにかなりの努力を要します。朝は戦場さながらの毎日。電気がカットされる前に、ドライヤーをかけることと野菜ジュースを作ること、この2つに徹底的に精力をつぎ込みます。これさえやれば、あとは電気がいつ切れてもOK! ところが最近のレバノンの電気事情、なぜか少し寛大になっていて、朝は10時頃まで電気が通っています。以前は朝7時ごろに電気がプツッと切れて4時間ほど停電し、また電気が4時間ほど供給されて、次の4時間は停電…などということもありました。が、ここ最近は心なしか以前より長い時間電気が供給され、停電の時間も短い気がします。とはいえ、日によってさまざま。ほんまに無計画やな!! なので、やはり朝はできるだけ身支度を早く整えるようにしています。さて話を戻して、野菜ジュースにはフレッシュな野菜が欠かせません。ところがレバノンで心配なのは「汚染」。内戦時代に資金源確保のため先進国から買い取った核の廃棄物が、地中処理されているという話もあり、ここ数年ガンが急増しているのは知る人ぞ知るレバノンの実情。そんなレバノンですから、水から野菜まで何も信頼できません。一般のレバノン人は水道水を飲みますが、私は決して飲みません。 野菜もどこまで汚染されているか・・・そんな折、日本への一時帰国の際にいい情報を手に入れました。中国に住む日本人の友達からの情報ですが、野菜の消毒に”ホタテの力くん”を利用しているとのこと。早速購入し、日本にいる時から使い始めました。ホタテの力くんのことをご存知の方もおられると思いますが、少しご紹介。キャッチフレーズは「ホタテの貝殻成分から生まれた天然素材100%の除菌洗浄剤」。残留農薬やワックスの除去も簡単にできる、ということです。実際に野菜をつけておくと、農薬やワックスの汚れが浮いてきて水が濁ります。 さて、私はこのホタテの力くんを意気揚々とレバノンに持ち帰りました。レバノンで買う野菜は徹底的にこれで除菌・殺菌・消毒するぞ、と。で、実際に毎日野菜をつけているのですが、水がさっぱり濁りません。時どき土付きの野菜を買うので、その時は濁りますが、この濁りは泥の濁り。あれれれれ??というわけで、レバノンの野菜にはワックスや農薬がほとんど使われていないらしい!! ということが判明。ここでは、野菜は近くの八百屋さんで買いますが、本当に朝収穫して来たばかりのものが並びます。八百屋には保冷設備も何もありませんから、所せましと無造作にと並べられた野菜は、夕方にはしゅんとしおれてクタクタになります。なので、人々は毎朝八百屋に通い、新鮮なものを買い占めます。野菜も不格好で不揃いなものがほとんどで、確かにワックスなどの細工はなされていません。ちょっといいニュース。レバノンの野菜は農薬フリー!! とはいえ、核の廃棄物となりますと農薬うんぬんより土壌汚染が心配です。これに関しては、「ホタテの力くん」の力もあまり効果ないか・・・?! ここに長く住むつもりはありませんが、できるだけ消毒や除菌を心掛け、生水は決して飲まない、を徹底していきたいと思います。このホタテの力くんですが、「食材の鮮度保持」もうたっていまして、野菜を新鮮なうちにつけて処理すると本当に日持ちします。私はこのホタテの力くんのまわし者ではありませんが、最近のお気に入りです。皆様も機会がありましたら、ぜひお試しあれ。 中東旅行のことなら http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx
2011.04.07
日本での復興活動の様子を毎日インターネットでチェックしています。生活物資が足りなかったり、寒さに凍えておられたり、汚染の影響で野菜がダメになったり…問題は山積していますね。とても心を痛めています。避難生活が長引くと、身体面だけではなく精神的にかなりきついことと思います。遠い中東から応援しています。中東でもたくさんの人々が日本のことを心配しています。みなさま、頑張ってくださいね!!ここレバノンでは、先週の週末に夏時間への調整が行われました。ヨルダンとシリアでは今週の木曜日の夜に一斉に夏時間への調整が行われます。こうした調整は週末を使って行われるので、同じ中東でも週末の曜日が違うレバノンとヨルダン・シリアで時間差が生じるのです。レバノンの週末は日本と同じ、土曜日と日曜日。ヨルダンとシリアの週末は金曜日と土曜日です。 時計の針を1時間進ませます。これで日本との時差は6時間となります。時計の針が1時間進んだことで、日がすっかり長くなったように感じます。これからどんどん日が長くなり、活動しやすくなる季節。レバノンでは夏になると夜遅くまで人々が表へ繰り出し、何とも騒がしい季節を迎えます。結婚式のばか騒ぎや大音響の音楽が聞こえ始めるのもこの時期。夏の終わりまで(しかも温暖化の影響で年々、夏の終わりが遅くなる…)、騒音との闘いです。同じように人々が夜遅くまで活動するのがシリア。シリア人は本当に夜型です。夜遅くまで、家族連れなどで街は賑わいます。その代わり朝はゆっくり、のんびり始めるのがシリア流。対照的にレバノン人はかなり早くから朝の活動を始めます。体力あるな!! 体力あるっていうか…睡眠障害を抱えているレバノン人もかなり多いのですが。なので、同じ夜型でもシリア人のほうがずっと健康的なイメージがあります(私はいつでもシリア人の味方ですからね、レバノン人には何かとケチをつけたくなります。でも本当のことですから致し方ありませんよね。はい)。夏に向けて始動開始。日本でも日一日と復興が確実に進んでいきますように…。 中東旅行のことなら何でも http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx
2011.03.29
パリでの3泊を終えて、昨日レバノン入りしました。約2か月ぶりの中東ですが、一気に現実へ!! レバノンについた瞬間、日本にいたことはまさに「夏の夜の夢のごとし」。パリでは、かの有名なノートルダム大聖堂を見たり…→ コンコルド広場の夜景を楽しんだり…↓…と、まずまず平和な日々を過ごしまして、さてレバノンへ。到着日のレバノンは、まさにStorm (大嵐) の真っ最中。飛行機は着陸できず、上空をしばらく旋回し、雷と突風が落ち着くまで待機状態。なんだか私のこれからの生活を象徴している…? タラリ とはいえ飛行機は何とか無事に着陸し、大雨と突風のベイルート市に降り立ちました。タクシーを予約してもらっていたのですが、なんと別の友達が空港まで迎えに来てくれていました。なにせ大荷物を抱えてましたので、助かりました。今回はビジネスクラスだったので、合計で69キロ(トランク3つ分)の荷物を預け、それに加えて機内にも15キロほど持ち込んでおりました。友達はあきれ顔。でも人生で最初で最後 (であろうと思われる) のビジネスクラスですもん、欲張りましたよ、私は。家に到着した後は、インターネットの申し込みに行ったり、野菜を大量に購入したり、とかいがいしく(?)働きまして、全てはまずまず順調に思えました。用事が全部済んだから、あとはゆっくりくつろぎましょう、とほくそ笑んでアパートの部屋にエレベーターで向かっていたその時、超ポンコツのこのエレベーターがガタンと音を立てて止まりました。一瞬何が起きたか分からず、ドアを押すのですが開きません。そうです、午後6時は魔の時間。政府からの電気の供給がストップしたのです。ええええ~~ッ? で、私はどうなるわけ??? エレベーターの中のボタンを押しまくりますが、もちろんウンともスンとも言いません。こ、この中に4時間もいろと? しかも4時間たって電気が回復する保障もありません。実は常々、不思議に思っていたのです。エレベーターに乗っている最中に電気が切れた場合、どうなるんやろ~と。通常は、一番近い階にエレベーターは止まり、速やかに脱出する、という手順のはずですよね。ところが、このポンコツエレベーターは全く突然にガタンと止まり、上にも下にも1寸たりとも動かず、あとは不気味な暗闇に取り残されることに。信じられへん!! 帰国したその日にこんなことが生じるとは!! 幸い、同じアパートのどっかの階のおばちゃんに知られる事態となり、救出作戦が始まりました。このおばちゃん、最後は怒って金切り声をあげていたので、どうしてしてくれたか聞けなかったのですが、いずれにしても上からエレベーターの籠 (かご) を少しずつ手動で下ろすこととなったようです。私の乗った籠はしずしずと下に降りて行きますが、上からはどこまで下りているかもちろん見えませんので(ほんっとにオンボロなんです!!!)、上から「まだか」「まだか」という怒鳴り声がし、私も中から「まだ」「まだ」と怒鳴り返し…ハイテクなどというものはなく、全ては人間の目と手に頼るしかないのです。しかもこのポンコツ、1Fまで下ろさないとドアが開かない仕組みになっているらしく、止まった4階から最下階まで到着するのに時間がかかります。やっと1階につき、ドアを押しあけることができました!! その頃には、赤の他人をなぜか助ける羽目に陥った例のおばちゃんが怒って金切り声をあげていて、「電気が止まる時間帯になんでエレベーターに乗るのよ!! 午後2時と午後6時には絶対に乗っちゃダメェェェェェ!!!」とお叱りを受ける羽目に。いやはや、とんだ騒動でした。ベイルート2日目の今日は、さらに天気が大荒れで雹(ひょう)まで降る始末。この冬一番の寒さだとか。 さらにお昼の12時に電気が突如切れ、午後2時になっても6時になっても回復せず、やっと電気が来たのは午後11時。11時間も電気が供給されません。めちゃくちゃやな、レバノン!!!そんなこんなで、「コントロールする生活からコントロールされる生活」へ。ここレバノンでは、意に反して様々なことに自分の生活がコントロールされ、それに合わせていくしかありません。今日は暗闇の中でバッテリー式の小さなライトを持ち歩きながら、インスタントのお味噌汁をズズッと吸い、小さな光を頼りに顔だけ洗い、「バッテリーが切れる前に顔が洗えてよかった」と自分を褒め、1日が終わります。ほんま、こんなことで自分を褒めるなんて、レベル下がりそうやな。先進国から第3世界へ帰ったことを心に刻みつけた瞬間でした。 ゴールデンウィークは中東へ。http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx
2011.03.11
本日1月10日、いえ正確には1月11日(フライトが深夜の1:15amなので。。。)は、私の日本一時帰国の日!! 待ちに待ったこの日がやってまいりました。現在、空港で待機中です。待ちに待った日なのに、その日が来るとなんだか妙にドキドキ。2年ぶりの帰国なので、浦島太郎の気分です。中東の適当さに慣れ親しんだ今、果たして先進国に順応できるのでしょうか?? ベイルートからいったんモスクワに飛び、モスクワでは12時間待ち。遠いなぁ、日本!!本日のレバノンは、雨が降ったりやんだりの寒々とした天気。この雨はここ5日間、しとしとと降り続いています。2か月留守にするというのに洗濯物が乾かず...。結局部屋の中に洗濯物を干したままの出発と相成りました。これだけは避けたかったのですが、致し方ありません。ベイルート空港を利用するのは今回が初めてです。アンマン空港と比べて広々としており、とてもきれいです。今回はビジネスクラス利用ということで、30キロまで荷物を持ち込めます。トランクの中身はほとんどお土産。自分の服は1セットしか入っていません。日本ですべて買う、と決めていますので、お土産以外はあえて何も持って帰りません。 大したお土産は買っていないのに、どのお土産も重たいんですよね…。アレッポ石鹸、中東のお酒アラックのボトル類などなど、ズシリとしたものばかり。50キロほどあるのでは? とヒヤヒヤしていましたが、27.5キロでした。レバノンでは電気の供給が非常に不安定で、一日に何時間も供給されません。基本的にスケジュールに沿っての電力カットになります(4時間ごとにカットと供給を繰り返す)が、このスケジュールがかなりの頻度で気まぐれに変更されます。一体誰が操作しているんでしょうね。今日も夕方6時に切れた電気、夜10時には回復するはず…が待てど暮らせど電気が来ない!! 電気が来ないとドライヤーがかけられません。シャワーを浴びた直後に電気が切れたため、髪のセットができず…4時間後の夜の10時を待ってからドライヤーをかけ、すぐに空港に向かう予定でした。が、やむなく断念。というか、ついに10時半ごろに友達の家に駆け込んだのですが、彼女の家も電気がカットされており…結局ヘアセットが不十分なままバタバタと空港へ。まぁ、セットしたところで、モスクワ12時間待ちの間に崩れることは確実ですが。ではでは、空の旅を楽しんでまいりま~す。 ゴールデンウィークのご計画は今から。http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx
2011.01.11
新しい年になりました。2011年。本当に時が経つのは早いですね。私の中東生活も3年目が間もなく終わり、4年目に入ろうとしています。来年の今頃はどの国にいるのでしょうか。レバノンで初めて迎える新年はアミューンという北部の街で。ベイルートに住んでいる友達がここにマイホームを持っているので、12月31日から1月2日にかけてお泊まりしてきました。ベイルートの新年はそれはそれは騒がしく、あちこちの家から大音響の音楽が聞こえてくるわ、夜の12時になると鉄砲が打ち鳴らされるわで、騒音がひどいらしい。そんなベイルートから脱出できるようにとの友達の取り計らいでした。大晦日の31日は11時にはぐうぐうと眠りにつき、静かな静かな新年を迎えました。 ここアミューンは、ベイルートから1時間半ほど北に走った場所にある静かな街で、大邸宅が並んでいます。オリーブの木がたくさん植えられていて、オリーブ油の製造でも有名な町です。 元旦にはアミューンから足を延ばしてさらに北上し、ラハベという田舎町までお出かけしてきました。レバノンの人口は首都であるベイルートに集中しており、ベイルートには所狭しと賃貸アパートが立ち並びます。部屋もとても狭く、個室などは夢のまた夢。成人した子供でも、親と一緒の部屋で寝起きするのが普通。中東では結婚するまでは親元を離れませんから、30歳近い男性がお母ちゃんと一緒のお部屋でネンネしていたりするわけです。私には到底受け入れられない現実!! そんなレバノン人の生活ですが、実はほとんどのレバノン人が田舎にマイ・ホームを持っているのです。でも田舎には仕事がありませんから、ほとんどのレバノン人が都市に移動してきています。週末になると、こうした田舎へ帰り、田舎で過ごすのが彼らの生活のパターン。クリスマスや新年などはもちろんのこと田舎へ帰省し(帰省といってもレバノン自体が岐阜県と同じ大きさの小さな小さな国ですから、あまり時間はかかりません)、親族一同が集まって過ごします。私が今回お訪ねした友達も、アミューンに親族一同が集っていました。アラブ世界では一般的に家族が大きいので、家系図が必要なほど様々な人を紹介されます。これがイスラム教徒なら、さらに複雑になります。ベドウィンなんて兄弟24人とかだったりします。そのうち6人が同じお母さんから生まれたとか。またアラビア語では、父方の親族と母方の親族で呼び方が違ったりします。本当にややこしい。これにはまだ慣れません。私にとっては母方であろうが父方であろうがあまり関係ないのですが、アラブは本当に丁寧に説明してくれるのです。そんなこんなで、1月2日の今日、無事にベイルートに戻ってまいりました。中東では新年のお休みは日本ほど長くありません。1月3日からは通常の生活に戻ります。では、新しい気持ちで明日からまた頑張りましょう!! ゴールデン・ウィークの計画は今から。http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx
2011.01.03
レバノン人の大好きな食べ物の一つに「マンウーシェ」があります。これはピタパンに幾つかのトッピングを乗せてオーブンで焼いたもののこと。トッピングには幾つかのバラエティがありますが、一般に「マンウーシェ」といえばザータル(中東の野生のハーブ)を乗せたものを指します。このマンウーシェは、レバノン人の定番の朝食。マンウーシェ=朝食と決まっています。このマンウーシェを毎日毎日毎日毎日…飽きもせず食べ続けるのがレバノン人。本当にレバノン人って同じものを繰り返し食べるのが好き。これはレバノン人の昼食にも如実に表れています。レバノン式ランチについては、また後日アップいたします。 マンウーシェを売るお店は、ベイルートの至る所にあります。店のガラスケースにはほとんど何も並んでいないので、本当に営業しているの? という感じですが、これは注文してから焼いてくれるからです。アツアツのマンウーシェを2つに折りたたみ、紙に包んで渡してくれます。これ1つを食べるとかなりのボリューム。お味のほうですが、ザータル(中東のハーブ)に慣れていない方にはきっと不思議な味でしょう。かなりの酸味があります。このザータルについては、後日またアップしたいと思います。とりあえず今日は、中東といえばザータル、ザータルといえば中東、というようにザータルと中東は切っても切れない関係であるということをお伝えしたいと思います。先ほど、マンウーシェのトッピングには幾つかのバラエティがあると書きましたが、ザータルの他にもピザ風のマンウーシェやチーズをたっぷり乗せたマンウーシェなどがあります。私自身はザータルよりピザ風のマンウーシェのほうが好き。ザータルも悪くはないですが、レバノン人のように目をキラキラさせてザータルのマンウーシェを楽しむほどの情熱は感じません。このマンウーシェはレバノンの風物詩。ヨルダンでは味わっていただけません。レバノンに来られた方は、ぜひレバノン式ブレックファスト「マンウーシェ」をご賞味くださいね。 春は中東散歩。http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx
2010.12.21
最近レバノンの街角でよく見かけるのが、このトロピカルフルーツ。もちろん輸入品です。英語では "Sugar Apple"、日本語では "釈迦頭" とも呼ばれるそうです。釈迦頭とは読んで字のごとく、果物の表面の凹凸が仏像の頭部に見えることから来ているそうです。が、なんとも食欲がなくなりそうな名前・・・。アラビア語では「アシュタ」と呼ばれています。荷車にどっさり積んで、街角で売っているおっちゃんなどを見かけます。また野菜屋さんには必ずと言っていいほど並んでいます。初めていただいたのは友達の家で。今までは見向きもしなかったのですが、食べてみるとかなりおいしいです。さっそく自分でも購入。ごつごつした表面ですが、食べごろになると押さえた時にプニプニとした感触になります。こうなると、もう食べてもいいよというサイン。こんなにゴツゴツしているのに、手で割く事が出来ます。中には真っ白な果肉。でも一つ一つの果肉に大きな黒い種が入っています。ねばねばした果肉はもったりと甘く、その甘さときたら半端じゃありません。口に含むとドリアン的な感触ですが、ドリアンのような癖のある味もニオイもありません。しかし、おいしいですね~。このアシュタは輸入物なので、他の果物と比べるともちろんかなりお値段が張ります。とはいえ、日本円に直すと1キロ300‐350円くらい。でも普通のお野菜や果物が1キロ70円くらいであることを考えると、かなり高級な果物です。レバノンでは野菜から何から何までヨルダンと比べて高い!! と毎日文句を言っている日々ですが、日本円に直すとホントまだまだ安いんですね~。まぁ平均的な1か月のお給料が3-5万円くらいであることを考えると、 日本円に直して考えること自体に無理がありますが。この時期、中東の観光客は少し減ります。クリスマスまで、しばしの閑散期。この時期にたまたま中東に来られることがあれば、このアシュタもぜひご賞味くださいね。 年末年始の中東散歩。http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx
2010.11.30
中東と言えば一般にヨルダン・シリア・レバノンの3国。この3国をまたいで仕事をするようになった昨今、国民性の違いなども以前よりだいぶ理解できるようになりました。レバノン在住となった現在は、もちろんレバノン人と接する機会が数多くあります。レバノン人は極めて誇り高い国民。これは中東3国の中でもよく知られた事実で、レバノン人=proud、showing off (プライドが高く、目立ちたがり屋) という代名詞が適用されます。 自国をこよなく愛し、何かにつけて自分たちが一番だと考える(誤解する)傾向があります。 レバノン人同士で集まると、何かにつけて「やっぱりレバノンが一番よね~」という会話が何度となく交わされます。さて、レバノン人の誇りは一体何に根ざしているのでしょう。それは主にその豊かな自然。レバノンは国土の面積がちょうど岐阜県と同じ大きさ。中東の中では一番小さな国ですが、山あり海あり、四季あり、緑あり…というのがどうも大変に自慢らしい。確かに「中東=砂漠」というイメージ。中東だけではなく、湾岸エリアのサウジやカタールなども砂漠で、きびしい気候であることは確か。でも…日本をはじめヨーロッパやアメリカなど、世界にはレバノン人が誇りとする四季、海、山、川、緑が豊かに存在する国が数多くあります。しかもレバノンの規模を大いに上回ります。そんな世界に対してレバノンは挑戦しているのです。それはつまり、岐阜県が世界を相手に「俺様が、俺様だけが最高なんだ~~ぁぁぁ」とわめいているようなもの。私は表向きあえて抵抗しませんが、同意もしません。心の中では「アンタら、世界を知らんやろ」とかなり興ざめしてしまいます。実際、彼らは自分たちが世界の最高峰だと思っているので、ごく隣国のヨルダンのことすら知らないのです。満点の天の川が夜空を彩る月面のような砂漠のことも、そそり立つ薔薇色の岩壁の都市ぺトラのことも、真っ白な塩の結晶とサファイアのような海が織り成すコントラストも見たことがないのです。日本のことなんてさらに知りません。「日本=アジアの貧しい一国」と思っている人も多いのです。レバノンの教育の程度は非常に高いです。小さいころから他言語を学び、大学教育は普通のこと。ではこの一般的な無知の理由は? それは彼らのプライドに由来します。「自分たちほど教育を受けている国民はない。自分たちは何でも知っている。自分たちが最高」と思い込んでいるので学ばないのです。人から学びはしないが、人には教えたい。すぐに自己流うんちくをたれたがります。こちらが静かに聞いていると弾丸のように自論を展開し、こちらは疲れ果てます。プライドは人を無知にするんですね~。危険です。この傾向は若いレバノン人ほど顕著です。全くもって危険!!さてレバノン人にはいい面もいっぱいあります。例えば非常に寛大で世話好き。でも、プライドの高い人といつも一緒にいるのは気持ちの良いものではない。というわけで、私はレバノンという国もレバノン人もそれほど好きではありません。とはいえ住んでいる国ですから、ポジティブな面もたくさん見つけていきたいものです。初恋で一目惚れのヨルダンとは異なり、レバノンを愛するには少し時間がかかるかも…。あるいは心からは愛せないかも。1年後の自分の感情を今から楽しみにしています。 年末年始の中東散歩。http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx
2010.11.20
「食べる物がありすぎて困る~~」という、嬉しいんだか悲しいんだか分からない悲鳴を上げる今日この頃です。もともとやせ型の私。この夏の熱波でさらに体重が減り、カリカリとした少年のような体になってしまったことはつい先頃のブログでもご紹介いたしました。ところが私って、ワシワシと食べるんです。これはヨルダンでは周知の事実で、「馬のように食べるが太らない」という異名(?)で知られていました。ところ変わってレバノン。新しい友達たちは私が痩せている理由が理解できません。「家で食べてないでしょ」「何食べてるの?」「料理できないの?」と食に関する質問が多い。寝不足でめまいがした先日などは「めまい!! 食べてないからでしょ」と決めつけられ…。「痩せている=貧しくって可哀相な子」っちゅう一昔前の固定観念が抜けないわけですね。彼らは私を太らせようと一致団結して固く決意しているようで、やれケーキ、やれアラブ料理と、とにかく一人では絶対に食べきれないであろう量の食べ物をおすそ分けしてくれるのです(でも実はしっかりすべて消化しております)。食事招待されたら、「食べろ、食べろ、食べろ」と脅迫です。で、私は実際に食べれるのでワシワシと食べていましたら、今度は「やっぱり家で食べてないから、こういう機会にたくさん食べるのね」と間違った結論。一体どっちやねん! 食べればいいわけ? 食べない方がいいわけ? というのは少し誇張でして、まぁ皆さん、本当に本当に本当に親切なんです。最近は「ナオコはどうも食べても食べても太らないらしい」「太らない理由は毎朝の新鮮な野菜ジュースにあるらしい」とだんだん理解が深まってきたようです。それにしても、冷蔵庫の食べ物の量! さすがの私も食べ過ぎです。昨日はお腹がいっぱい過ぎて何だか睡眠が浅かった。今日は私のアパートのご紹介をする予定でしたが、冷蔵庫を覗いたらあまりにもたくさんの食べ物があるので、つい話がそれてしまいました。。。ここで本題に。無事にナバア地区から引っ越しを終えた私。現在はアパートの6階に住んでおります。ベイルートの家々はかなり隣接して建っており、プライバシーのない生活を余儀なくされることはご紹介済み。私の家は6階(最上階)なので、それでも一応のプライバシーが保たれるという、私にとってはかなりホッとする空間。さてその6階から見下ろしたのが今日の写真。住民たちの車が写真のように適当に駐車してあります。特に決められた駐車場がないので、空いているスペースがあればラッキーという感じ。そんな状態ですから、朝が非常に騒がしい。出勤時間の6時半や7時くらいになると、クラクションが下から鳴り響きます。出れない車がクラクションを鳴らしまくって、「車、どかせよ!!」とがなり立てるわけです。後続車の持ち主が来て、実際に車をどかすまでクラクションは続きます。眠っている人がいる、赤ちゃんがいる、病人がいるなどとはつゆほども考えません。とにかく自分が出れないということをアピール。この忌々しいクラクションが毎朝のように6階まで聞こえてきます。私はチッと舌打ちしながら、起き上がるわけです。もう眠ってられませんから。アラブ世界では、騒音を出した方が勝ち!!? 音を立てても誰からもとがめられることはありません。騒音に関してはかなり寛容なアラブ世界。何故って彼らは明日は自分が騒音を出すことを知っているからです。そんなベイルート。今日も騒音と共にたくましく生きる。 年末年始は中東へ。http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx
2010.10.13
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