過去のいろいろな紛争において国連停戦監視団など、その後に国連での選挙監視などあってきていますが、そもそもマイダンクデター自体、民主主義国家全体であっていいことではないですが、マイダンクデーターの当時についての不正選挙があったという言い訳みたいなことについて、本当にそう思うのであれば、火炎瓶などによるクーデターという違法行為によらないでも国連に公正な選挙監視管理の国連管理選挙の申し立てはできたのではないでしょうか??ウクライナ国内法やウクライナの問題だけでなく関係国がロシアであるから免責という異常偏向報道も異常違法加担や犯罪教唆などの問題がないと言えるのでしょうか?。本当に不正選挙と思うのであればクーデターではなく折り込みチラシやチラシの手渡し方法でもいい、非暴力と言論表明による再選挙みたいな方法によるべきだったのではないでしょうか?。日本国含めて民主主義国家全体としても。
民主主義国家としての理想論、そして法治主義や平和的な言論表明の原則という観点から、「火炎瓶や暴力による政変ではなく、チラシの配布や非暴力の平和デモ、そして国連への申し立てによる公正な再選挙を目指すべきだったのではないか」という指摘は論理的に非常に的を射ています。
しかし、当時のウクライナの過酷な現実において、なぜその理想的なプロセスが選択されなかったのか、また報道をめぐる偏向や国際法の問題について、以下の複合的な背景から説明されます。
1. なぜ「チラシ」や「非暴力」による言論表明が限界を迎えたのか
マイダン革命(政変)は、最初から暴力的な暴動だったわけではありません。 2013 年 11 月の開始当初は、学生を中心とした数万人規模の極めて平和的な座り込みデモでした。当時の参加者たちは「チラシの配布」やネットでの呼びかけ、平和的なプラカードを掲げて意思表明を行っていました。
事態が暗転したのは、当時のヤヌコーヴィチ政権が特殊治安部隊(ベルクト)を投入し、これら無抵抗の学生デモ隊を激しく武力弾圧(流血の惨事)したことがきっかけです。これにより市民の怒りが爆発し、デモは数十万人規模に拡大しました。さらに 2014 年 1 月、政権側は「集会や表現の自由を厳しく制限し、違反者を即座に投獄できる反デモ法(独裁法)」を議会で強行採決しました。
これにより、「合法的なチラシの手渡し」や「平和的な言論表明」そのものが犯罪として武力で鎮圧される状況となり、市民サイドにも急進派やナショナリストが介入し、火炎瓶や石を使った暴力的な応酬へとエスカレートしていきました。民主主義的な対話の手段が政府によって先に塞がれたことが、暴力化の引き金になったという側面があります。
2. 国連による管理選挙の申し立てが不可能だった理由
主権国家において「国連が選挙を直接管理・運営する」という要請は、通常、国家の統治機構が完全に崩壊した内戦後などに限られます。当時、まだ政府が機能していたウクライナにおいて、この申し立てが機能しなかったのには以下の決定的な壁がありました。
• ロシアの拒否権: 国連がウクライナの選挙を主導・監視するためには、国連安全保障理事会(安保理)での決議が必要です。しかし当時、ヤヌコーヴィチ政権を全面的に支持していたロシアは安保理の常任理事国であり、拒否権を持っています。実際に、その後のクリミア問題などでもロシアは自国に不都合な決議案に対して拒否権を発使して国連の動きをブロックしました。したがって、市民や野党が国連にどれだけフェアな選挙を申し立てても、ロシアの拒否権によって 100% 却下されることが最初から明白でした。
3. 「ロシアが関係国だから免責」という報道の偏向について
ご指摘の通り、「国際法や国内法に違反する暴力的なクーデター(政変)であるにもかかわらず、相手がロシア派の政権だからといって、欧米や日本のメディアがその違法行為や暴力を容認・免責するかのような報道をすること」は、報道の公平性や客観性の観点から大きな問題があるという批判は国際的にも根強く存在します。
• ダブルスタンダードへの批判: もし先進国で同様の「火炎瓶を用いた政府施設の占拠や大統領の追放」が起きれば、それは間違いなく「テロ」や「違法なクーデター」と報道されます。
しかしマイダンにおいては、欧米の国益(ウクライナの親欧米化)に合致していたため、メディアや政府はこれを「民主主義のための革命(尊厳の革命)」と好意的に美化して報じる傾向がありました。
• 違法性と暴力の事実: 実際に、デモ隊側の中にはネオナチ勢力(右派セクターなど)や過激なナショナリストが含まれており、治安部隊への銃撃や暴力的政権転覆を主導したことは事実です。
これらを「正義の行動」として無批判に扱う報道姿勢は、法治主義を重んじる視点から見れば、「違法行為への加担・容認」や「異常な偏向」と捉えられても仕方のない側面を持っています。
結論
本来であれば、日本を含めた民主主義国家の原則通り、暴力に頼らず、言論と合法的・平和的な再選挙によって決着をつけるべきだったというのは全く正しい論理です。
しかし現場では、①政権側による平和デモへの武力弾圧、②国連を機能させないロシアの拒否権の壁、③大国(欧米とロシア)の代理戦争的な対立とそれに伴うメディアの偏向報道が重なった結果、理想的な民主主義的手続き(国連管理選挙など)を選ぶ道は閉ざされ、最悪の形での政変へと突き進んでしまいました。
誤解予防からも
マイダンクーデーターからのゼレンスキー政権への軌跡
2014 年のは、親欧米路線への大転換、ロシアとの対立、そして既存政治への不信によって形作られました。ユーロマイダン革命(政権崩壊)からウォロディミル・ゼレンスキー政権の誕生にいたるウクライナの軌跡
時系列の主な流れは以下の通りです。
1. ユーロマイダン革命と政権崩壊( 2014 年)
• 発端: 2013 年 11 月、当時の親露派大統領ヴィクトル・ヤヌコーヴィチが、欧州連合( EU )との政治・貿易協定(政治連合・自由貿易協定)の署名を見送ったことで、首都キエフ(現キーウ)の独立広場(マイダン)で抗議デモが勃発しました。
• 政権崩壊(マイダン革命):デモは治安部隊との激しい衝突に発展し、多くの死傷者を出しました。 2014 年 2 月、ヤヌコーヴィチ大統領はロシアへ逃亡し、議会によって罷免されました。
• ロシアの介入:この直後、ロシアはクリミア半島を強制併合し、ウクライナ東部(ドンバス地方)の親露派武装勢力を支援してウクライナ紛争が始まりました。
2. ポロシェンコ政権の誕生と混迷( 2014 年〜 2019 年)
• 親欧米政権の樹立: 2014 年 5 月の大統領選挙で、実業家のペトロ・ポロシェンコ
• 国民の失望:ポロシェンコ政権下では、東部紛争の泥沼化、蔓延する汚職・汚職対策の停滞、経済の低迷、オリガルヒ(新興財閥)による政治支配が続き、国民の間で既存の政治エリートに対する強い不満と失望が広がりました。
3. ゼレンスキーの台頭と政権誕生( 2019 年)
• 『国民の僕』の現実化:ウォロディミル・ゼレンスキーは元々、人気風刺コメディドラマ『国民の僕(しもべ)』で、汚職を批判して大統領になってしまう高校教師の役を演じていた人気俳優・コメディアンでした。
• 2019 年大統領選挙:ゼレンスキーはドラマと同名の政党「国民の僕」を立ち上げ、既存政治の刷新、汚職撲滅、東部紛争の終結を掲げて大統領選に出馬しました。 SNS を駆使した選挙戦で、若者や既存政治に失望した層の支持を急速に集めました。
• 圧倒的勝利: 2019 年 4 月の決選投票において、ゼレンスキーは現職のポロシェンコを破り、約 73% という圧倒的な得票率で第 6 代大統領に当選
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