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川上未映子アンソロジーR3
<川上未映子アンソロジーR3>
バンド活動、ホステス時代の苦労を経て、言葉、哲学を語る川上未映子であるが・・・
その好奇心、批判力によるエッセイは清少納言にも比べうるものと大使は思うのである。
最近は女優もこなしているそうだが・・・
女優が小説を書いた例はあるけど、作家が女優もこなすのは初のケースのようです。
・みみずくは黄昏に飛びたつ (2017年刊)
・すべて真夜中の恋人たち (2014年刊)
・安心毛布 (2013年刊)
・人生が用意するもの (2012年刊)
・六つの星星 (2010年刊)
・パンドラの匣 (2009年刊)
・ヘブン (2009年刊)
・そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります(2006年刊)
・関西弁へのこだわり
R3:『みみずくは黄昏に飛びたつ』を追記
【みみずくは黄昏に飛びたつ】
川上未映子×村上春樹著、新潮社、2017年刊
<商品説明>より
ただのインタビューではあらない。『騎士団長殺し』の誕生秘話、創作の極意、少年期の記憶、フェミニズム的疑問、名声と日常、そして死後のこと……。誰もが知りたくて訊けなかったことを、誰よりも鮮烈な言葉で引き出した貴重な記録。11時間、25万字におよぶ、「作家×作家」の金字塔的インタビュー。
<読む前の大使寸評>
図書館予約して、(予想外に早く)約3ヵ月後にゲットしたわけだが…
発売後ただちに予約したことと、神戸市が副本を6冊買ってくれたおかげでしょうね♪
<図書館予約:(5/30予約、8/26受取)>
rakuten
みみずくは黄昏に飛びたつ
『職業としての小説家』6
byドングリ
<すべて真夜中の恋人たち>
『すべて真夜中の恋人たち』の宣伝やあらすじが載っているということなのでIN★POCKET 2014年10月号を買い求めたのであるが・・・
それと、大特集『作家と文学賞』となっているので、即買いでした。超お買い得やで♪
【IN★POCKET 2014年10月号】
雑誌、講談社、2014年刊
<出版社サイト>より
【大特集:作家と文学賞】
いつ、どこで、どの作品で、賞を受けたのか。
驚いた。喜んだ。はたまた、悔しかった。
文学賞に対する思いは、作家の数だけ違う。
けれど、ひとつだけ共通すること。
どんな賞にも受賞者しか知らない秘密と思い出がある。
作家がこっそり教えてくれる、ここだけの「文学賞」、うちあけ話。
<大使寸評>
ピンポイントで大使のツボを突いています。
これで200円なら、超お買い得でおま♪
文学賞カレンダー(p53)なんてのもあるので、だめもと応募に役立ちそうです。(アホやで)
kodansha
IN★POCKET 2014年10月号
【安心毛布】
川上未映子著、中央公論新社、2013年刊
<「BOOK」データベース>より
妊娠・出産・子育てと、予想外な新生活の中でこころとからだに起きた大変化を綴る、著者自身もおどろきの最新エッセイ集。書き下ろしエッセイ「お料理地獄」収録。
<読む前の大使寸評>
追って記入
rakuten
安心毛布
<人生が用意するもの>
図書館で、川上未映子のエッセイ集『人生が用意するもの』を見つけて借りたのだが・・・
決め手は先日借りた『六つの星星』という対談集が良かったからです。
これらの対談に、わりと奇抜で本質的な思考が垣間見えたけど、さて、エッセイのほうはどんなかな。
大使は普段、週刊新潮を読まないので、「オモロマンティック・ボム!」というコラムがあることを知らなかったが・・・
このコラムのエッセイを集めて、エッセイ集『人生が用意するもの』が刊行されたとのこと。(2011年から2012年まで連載分、これで3冊目、今も連載中)
【人生が用意するもの】
川上未映子著、新潮社、2012年刊
<「BOOK」データベース>より
「世界のみんなが気になるところ」を論じ、あの三月を思い、人生のデコボコに微苦笑しながら、読者の意表を突きまくる最新エッセイ六十余篇。断酒日記付き。
<大使寸評>
週刊新潮に連載の「オモロマンティック・ボム!」を単行本化した3冊目にあたるとのことであるが・・・
「オモロマンティック・ボム!」というタイトルからして、そして中身も面白いのである。
彼女は紫式部文学賞なるものを授賞しているそうだが・・・
なるほど、長くつづる文体は紫式部のようでもある。
でも、彼女の文体は、清少納言や吉田兼好のような随筆にこそ生きるのではないかと思うのです。
rakuten
人生が用意するもの
では、オモロマンティックな、はたまた真摯なエッセイをいくつか紹介します。
発刊が福島原発事故のあとなので、反原発テーマの章が設けてあります。
<デモであれこれ>
よりp86~88
9月19日に明治公園で行われた「さようなら原発 5万人集会」に参加した。震災以後に開催されたデモのなかで最大規模になると聞いていたけれど、実際に足を運んでみると想像を遥かに上回る人の数。団体や組合の掲げる旗がひしめき、見渡す限りが人であった。主催者発表では6万人以上、警察発表では3万人。
反原発の人々に対して、企業家や経済学者の多くが口にするのは「感情論もいいかげんにせよ」ということだ。代替案もないくせに原発を停めてどうすんの、いずれ仕事がなくなり経済は死にそれこそ日本は地獄絵図、残される子どもたちのことを考えろ、もっと合理的に考えろ、などなど。言いたいことはわからないでもないけれど、こういう話を目に耳にするたび「彼らは個人的な『恐怖』みたいなものはどう処理しているんだろう」と少し不思議な気持ちになる。
もちろん彼らにとっては「環境的に日本が死ぬこと」よりも「経済的に日本が死ぬこと」のほうがリアリティ濃く、個人的恐怖もそちらに寄り、懸念されている放射能被害だって概ねたいしたことじゃないと理解しているわけだから、まあしっかりした代替エネルギーが確立されるまで原発を停める必要を感じないのかも知れない。けれど今後、先日よりも大規模な地震に見舞われた場合に受ける原発の被害を考えたとき(そんなのは起きない、こないだので懲りたのでおなじようなミスはない、はナシね!)、この数ヶ月を振り返るまでもなくそれは経済的にもあまりに高リスク。もちろんわたしは経済的懸念よりも端的に食べ物、水・空気の環境汚染の懸念の方が大問題だと思うけど、いずれにせよ、原発を維持していくのは特にこの国では全方位的に無理だと思う。テロも不安だし、そんなことみんなわかっているんだろうけど、わかってて困ってるんだろうけど、しかしやっぱり早いとこ原発を停止する方向で固めてもらって、経済学者たちには原発が無い状態を始点として日本が経済を維持できるような理論を立ち上げて実践していただけたらと、お茶の間発想で申し訳ないけど切に願う。
そんなこと考えながらデモに参加したのだけれど、むろんデモにかんしても色々な考え&批判もある。「そのエネルギーを使ってボランティアに行け」「もっと効果的な方法を採れ」「デモは古い。学んでない」などなど。特に「デモより何々」的なことを言いたがる人って自分たちのやっていることが一番で唯一だと思いたいのか、なんかズレてるんだよね。募金もボランティアもデモもできることは全部やればいいんじゃないの。
あとは「自己満足」「その場限り」「集団でなにかをした気になるな。やるなら1人でやれ」とかそういう批判にもなってない文句。この種の自意識系のどうでもいい下らない問題なんて、それこそあなた個人でどうにかしてくれ。デモの参加者がそれぞれどんな内面の調子で歩いているのかなんて大事じゃなくて、肝心なのはそこにいる人が脱原発を主張していることで一致していて「原発に反対している市民がこれだけ存在している」ということをとにかく外部にアピールすることなのだ。
お茶の間発想と謙遜しているが・・・いやいやどうして本質を突いていると思います。
メディアに頻出する経済学者など、悔しかったら彼女を納得させる反論を述べてみろとも思うのだ。
次に、納税や仕事にたいする愚痴もエッセイとしてはこうなるのでしょうが・・・
これでは、国語の教科書には載らないでしょうね。
<たとえルールがわからなくても>
よりp109~111
だんだんと暖かい日もつづくようになってきて、いいね、なんて言ってこのまま春の深まりに身を横たえて惰眠を貪りぬくぬく過ごしていたいのだけどそうはゆかぬのが人生です。いきなりガッと足首をつかまれて春のまどろみから引きずり出され、まるで有刺鉄線で編み上げられた絨毯でぐるぐる巻きにされて、そのうえから鬼が持っているいかつい棍棒でタコ殴りにされるかのような衝撃をくれるのはそう、どなたの明言だったかしらん、国によるカツアゲ・・・もとい、確定申告であります。
でもまあ、こうして年度末に税金を納められるのも1年間、怪我もせず無事に仕事ができたからで、基本的には感謝しているのだけれどもね・・・と殊勝なことを言ってみても私にしてみればやっぱり高い。本書をお読みの皆さんも、毎月毎月お勤め先から自動的に納税されているはずで、しかしそれが「見えない設計」であるためにいたずらに傷つかないで済む仕組みになっていますがどれだけ税金を納めているかに改めて向きあってみればそのまま走って消えたくなること必至ですよね。おまけにフリーランスはいったん振り込まれたなかから再度リリースしなければならないので苦しさもひとしお。ああパートの母の何年分、原稿にしたら何枚分、流した汗と涙なら何デシリットルになるだろう・・・なんて意味のない換算をし始めるともう駄目で、情けないことです。
ところで原稿料といえばそう、わたしがお世話になっている業界では、全部じゃないけどほとんどが事前に稿料の話をしないという慣例があるのだった。ま人によって稿料が違うこともあるだろうし「お金じゃないですよね」という暗黙の了解みたいなものや、逆に「お金のことを先に言うのは失礼でしょ」みたいな心遣いに類するものが何故なのか文芸の世界には残っているようで、わたしもなんとなく必要じゃなければ聞かないままになっている。しかし正直なところを言えば――小説は基本的に依頼に関係なく書くものだから該当しないけど、たとえば何々について書いてくれとか、何々に出てくれとかそういう依頼の場合は当然のことながらギャランティというのがひとつ、判断材料になるというのが本音ではあるのだよね。
しかし先方のほとんどが期日とか枚数しか告げてはくれず、きけば必ず教えてくれるのだけど、そのききかたがこれも何故なのかなんとなーく難しいのだ。単刀直入にきくしかないから結果的にはそうするけれど「こういった仕事の相談でお金の話を切り込んでくる」っていうのが、なんだか礼儀に反してるのではと躊躇させるなにかがばっちり効いているのだ。
なので最後の最後、まるで思いだしたみたいにしてきくのだけれど・・・。仕事なんだからお金の話するのは当然なんだけどなあ、って頭のなかではわかっていても、しかしとにかく何故なのか、お金にかんすることをききにくくさせる磁力めいたものがガンガンに働いていてそれが何なのかがいまもってさっぱりわからないのだ!
まあルールのわからない世界に放りこまれたのは、そもそも人生がそうなのだからいまさら憂うこともないけれど、まあ色々が不思議なことです!!
奇抜と思われる川上さんの、まじめで優しい一面が見られるあたりを紹介します。
<夢見る人を支えているのは>
よりp142~144
「この非常時にいったい文学になにができるのですか」というようなこと、3月のあの日から、数ヶ月、たくさんきかれたし色々な人が色々な意見を述べた。小説は原理的に書くのも読むのも時間がかかるから、あらゆる即効性とは縁遠く、時間が経たないことにはどうしようもない、目の前の事態がある程度収束したあとのゆるやかな支えになってほしいという認識と望みをもって、ただ毎日、時事を扱うコラムやエッセイの他に小説を書いていたのだけれど、それを信じて仕事をすればするほど、なにかが間違っている&なにかが完全に足りていないという思いは日ごと強くなり、それはいまもつづいています。
「フィクションに関わっている」ということで、なにかを棚上げにしているところがあるような気がするのだな。
もちろんフィクションは様々な緩衝材になりえるし、独特な力があって(念仏的な作用さえある)、震災とは関係なくこれまでだって存在したしこれからだって存在する。だから「自分の仕事をただ一生懸命にする」という原点に立ち返ることはごくまっとうで、まあそれしかできないのだからということでたとえば作家を全方位に安心させてくれるわけだ。もちろんそれでいいのだけれど、しかし自分に限っていえば、やはり「なにかが間違っている&なにかが致命的に足りない」気持ちがずっとしている。チャリティに参加しても募金しても、毎日小説を書いて読んでも、だからなんだということにどうしてもなってしまうのだ。
もちろんこれも翻弄されているだけ&ナルシズムではあるし「なにかしてなきゃいけないのか」とこの震災程度のことでは動じない姿勢の人には滑稽にも映るだろう。でも、わたしの一部分が「変わった」とまでは言えないけれど、しかし確かに「動じている」のは否定しようのない事実である。そんな日々のなかでフィクションを作り、そこに身を置く職業だからこそ「フィクション=物語」に過剰な拠り所や価値や意義を見いだすのには疑義を持ちたいと自分自身に思ってしまう。フィクションにしか到達できない場所や治癒があり、わたしはそれをとても信じているし、それは個人を超えた大きな事実なのだけれど、だからこそ、その「歯がゆさと心地よさ」に安住してはならないのだと思う。
わたしたちがフィクションをつくってお金を稼ぎ、夜は眠って夢を見て、目覚めてからもなお「夢想家」でいることができるのは、たとえば家を流され家族を失い、なにもかも失い、夢を見ることもままならない無数の人たちの、それでも希望や夢を見ようとせずにはいられないほどの現実があってこそなのだから。
避けがたい死とは生物の摂理であるが、そのあたりについて語っています。
<すべてはあの謎にむかって>
よりp212~214
先週、実家で暮らしていた犬が死んでしまった。
人間でいえば80歳の13年を生きたのだから大往生とはいえ、元気だったのに、突然ころんと寝転んで数時間後に息を引き取ったらしくて驚いた。上京してからは別々に暮らしたけれど、どこまでも仲の良い我々だった。生まれたばかりのころのまだ歩くこともできなかった足、毎日拭き取った緑色のうんちのことなど、全部がついさっきのことのように思いだせて、すごく悲しい。
しかし人間関係のことならいざ知らず、ペットの死、とりわけその悲しみについて書くのは剣呑だ。経験のある人は「わかるぜ」と深く肯いてくれるだろうけど、そうでない人にとっては比較的どうでもいい&残念だとは思うけどそんなに共感できない、そんな話であるわけで。
しかし人間の死と動物(特に犬)の死にそれぞれ接してみて、深い感謝とともにある種の後ろめたさがあってしまうのは後者なんだよね。それはやっぱり彼らのふるまいを人間の都合によって解釈しつつ、際限なくその献身を享受しつづけたことによるのかも。
冷静に振り返ってみれば我々は話しあいをしたこともないし、気持ちを確認したこともないし、いつだって成立していたのは人間の言葉を介した想像の当てはめなのだった。
あんなに通じあっていたのに、そういえば1回だってしゃべったことないんだったなあ、と思うと少し不思議な気持ちになる。人間にとって言葉は大きなものだけど、しかし人間だって死んだ後、思いだして苦しくなるのは手触りとか一緒に時間を過ごした感覚そのものだったりして、ああ世界は言葉とそれ以外のもので今日も順調に満ち満ちているのだった。
しかしそれが誰であれなんであれ、大事だと思うものに死なれてしまうのはやっぱりいやなことだと改めて思う。もう会えなくなる、触れなくなる、見えなくなるという実際的な悲しみの恐怖も大きいけれど、「生まれて、生きて、死んでいく」という、この避けがたくいつかすべての生き物を必ず捉えてしまうこのサイクルの訳のわからなさを何度でも思い知らされることもまた、恐怖のひとつだと思う。思えば人類の歴史を推進してきた巨大なエンジンのひとつは、この訳のわからなさに対しての抗いでできあがっている。宗教も科学も戦争も愛も哲学も、けっきょくは生を維持すること=死への恐怖、そしてその解明と克服とを原動力として日々育っている最中なのだ。
だからまあ、生きている者が死んだりすれば、そりゃ悲しくて怖くて、訳がわからないのは誰のせいでもなく、それはもう誰かと関わりあって生きているだけでどうしようもなく備わっている限界というか摂理みたいなものだから、悲しいあいだはずっと悲しんだっていいような気もするよ。無数にある悲しみのなかには、いつか忘れられるものもあるだろうし、どうしたって忘れられないものもあって、その濃淡だって日々変化していくものになるかもしれないし、ならないかもしれない。努力でどうにかなる生活上のこともあるけど、世界の初期設定&ルールは我々にはどうすることもできないことで、がちがちにできあがっていることに、改めて感嘆の溜め息つきつきだ。
ウーム 哲学的な一文ですね。
若いわりに悟りきっているのがなんともはや?というか・・・・ええでぇ♪
ところで、彼女は紫式部文学賞なるものを授賞しているそうだが・・・彼女の文体で気になることを、挙げてみます。
長くつづる文体は紫式部のようでもある。それから、文章中に&を入れることや、体言止めは大使もよくやっているが、彼女の文体では常用されていますね。
彼女の文体は、独自の発見を自由な口語の文章で書き連ねる・・・つまり、随筆に適した文体なんでしょうね♪
彼女の文体が「あとがき」によく表れているので、じっくり読んでみましょう。
<あとがき>
よりp216~218
「オモロマンティック・ボム!」も早いもので連載4年目に突入し、単行本はこうして3冊目を刊行できる運びとなり、うれしいことだなあと思いながらいまは夏、ものすごく暑い夏で、さっき台所の窓から外を見てみると誰もひとりも歩いていない。音だってなんにも聞こえないよなそんなぐあいで、電柱や瓦や、公園の縁取りや、このあたりのカラスたちがおそらく住んでるだろうとあたりをつけている小さな林も、ふだんどおり当然のことながらしっかりと色はついているのになぜかどこまでも真っ白に見えてしまう、そんな印象ばかりが残ってしまう、とにかく目も眩むような夏の真んなかあたりで(と思ってたら今日の東京はいちばんの35度を記録した模様)、この文章を書いています。みなさんはお元気でいらっしゃいますか。
ついこのあいだ、子どもを生んで、変化だったり大変だなあと思うときにこそ頑張らずしていつ頑張るのだ、なはんていう意味不明の強迫観念がなぜかどうしてかいつからか常にあるせいで、そんなふうにがんがん産後を過ごしていたらあっというまに体長を崩してしまって、いま現在は連載を休憩させていただいているところなのだけど、でもやっぱり授乳をしていても食事を作っていても、あやしていてもニュースを見ていてもシャワーを浴びているときでも、なにかしらちょっとでもどこかにひっかかるような点があれば「うしし、メモメモ」ってな感じで気持ちはつねにオモロマとともにあるわけで、みなさまがこのあとがきを読んでくださってるいまは復帰しているとたぶん思うのですけれど、そんなわけで今後ともなにとぞよろしくお願いいたします!
この数日間、ここに収める1年分の文章をまるっと読み返していたら、3月の大地震について書いている部分に突きあたると、やはり気持ちはうんと沈むのだった。どうしたって思い出してしまうあの日のこと――そしてそれ以来、それぞれに訪れた困難は、東京に住んでいたってやはりとらえどころのないしんどさの中にいまをずるずる引きずりもどす、そんな力に満ちていて、ひきつづき大変なことです。もちろんなにも解決していないどころか問題は日々増えていく一方なのだけど。
いいものもそうでないものもひっくるめて、人生が用意するものはいつだって数えきれずあるけれど、でもやっぱり、遠くを見ても近くを見ても、日常が一色であることはありえない。どんなにものすごいことが起きたって、ふとしたときに、どうでもいいようなことで笑ったり怒ったりいらっとしたり倒れたり、喜んだり抱きあったり途方に暮れたり忘れたりしながら、そういうマーブル状のあれこれとして、この連綿とつづいているように見えてしまう毎日の背中をそれでもなんとか押してくれる、そんな瞬間があってくれるのもまた本当なので、そういうものをなんとか繋げてやっていければよいなと、2012年の今はそんなふうに思っています。なんとか、なんとか。
ウン♪ 川上節の文体がええでぇ♪
最近、いろんな本から書き写すことで我知らずに、その文体または文章に影響されている大使として、思うのだが・・・
川上未映子の文体は、本質的というか、コロンブス的に自由であり、面白いのである。
格調とか薀蓄までを考慮すると、当代随一のエッセイとまでは言えないかもしれないが・・・
とにかく清少納言のように言いたい放題であり、この路線を鋭意継承するのもいいではないかと思うのである♪
なお、彼女の文章を読んでいて読みにくいと感じることがあるので・・・
書き写した文章の一部に、漢字変換と句点追加を行っています。(著者には申し訳ないが)
川上未映子 第一回「短いながらも築けた『わたしと、わたしの赤ちゃん』という特別な関係」
で川上さんの近況が見えるでぇ♪
<六つの星星>
図書館で借りた「六つの星星」という本を読んでいるのだが・・・
川上未映子が6人の賢人と対談を行い、言葉、文体、関西弁、思考などについて語りつくすという趣向になっています。
【六つの星星】
川上未映子著、文藝春秋、2010年刊
<「BOOK」データベース>より
精神分析、生物学、文学、哲学をめぐって、第一線と語りつくす。川上未映子の思考の軌跡。
【目次】
川上未映子、精神分析に勧誘される×斎藤環/生物と文学のあいだ×福岡伸一/性の呪縛を越えて×松浦理英子/世界はコトバで満ちている×穂村弘/からだ・ことば・はざま×多和田葉子/哲学対話1 ニーチェと、ニーチェを超えた問い×永井均/哲学対話2 『ヘヴン』をめぐって×永井均
<大使寸評>
川上未映子といえば、大使の認識は、長い文章を関西弁で書く作家という程度であるが・・・
ホステスなんかで苦労したそうで、わりと哲学的な語り口なところも気になっていたのです。
この対談集を読むと、なるほどかなり哲学的であり、物書きの素質に溢れていることが分かりました。
福岡伸一さんとの対談が面白いので、更に読み進めます。感想は後ほどに・・・
rakuten
六つの星星
多和田葉子さんとの対話では「小説を書く原動力」にふれたヵ所があったので紹介します。密かに小説家をねらっている大使にとって、参考になりました(アホやで)
<新しい作品が生まれる瞬間>
よりp134~136
川上:多和田さんにとって、小説を書かせる原動力があるとしたら、それはいったい何なんでしょうか。
多和田:どうしても、ひとつ挙げるとすれば、前の小説を書いてしまったってことでしょうか。小説を書き始めると溢れ出してくるものがたくさんあるんだけど、同時にどんどん捨てていかないと書き進めないので、実際に書かれたものより捨てる方が多い。だから、その小説を書き終える頃には、捨てたゴミの圧迫がすごいことになっているんです。
自分たちはどうなるんだって押し合いへし合いしていて、すぐに次の小説を書かなければ、私は押しつぶされてしまうような感じがあって。だから、書くことが書くことを呼ぶんです。
川上:そうだとすると、一番はじめの出発点、前作がなかったときに書き始めた動機のようなものを覚えていますか。
多和田:それは読むことが圧力になっていたんだと思います。読んでいるうちに書かざるをえなくなっていた。でも、なんで読んだのかと言われると難しいな(笑)
文章を書くことのない人でも、言葉をコミュニケーションの手段として使っている。それが手段に留まらず、いろんな思いが重なり合って次第に言葉が爆発して、会話におさまりきらない言葉の力が自然に増幅していくと、どうしても書きたくなる。書かれたテキストには、重層性があるんですね。それはしゃべることでは得られない。
いくつもの層が重なり合うことでしか発揮できない言葉の力があって、それは身体とも関係があるんです。身体って全部が同時に存在するからこういう身体なわけで、手の指しか使ってないと思っていても、やっぱり足はあるわけです。そういう重層性をもった身体を私たちは生きていて、それに寄り添うことができるのは、やっぱり、書かれた文字の言葉しかないと思います。
川上:たくさんの書けなかったことが蓄積するなかで、次作を書かざるをえないエネルギーが高まっていったときに、多和田さんはゴミの何を見ているんですか。ゴミの主成分って何なんでしょう。テーマなのか。ひとつの単語なのか。それとも・・・。
多和田:ゴミ自体は、まとまりがなくて作品になりません。そこで、新しいテキストを書き始めることができるとしたら、それはいくつかの偶然が重なり合った瞬間だと思います。つまり、あるテーマに関心を持っていて、しかもこの単語が面白いと思っていたら、急にある人物が浮かんできた、というように。いくつかの偶然が同時に起こったときに新しい作品が生まれる。そうじゃなければ、いくら豊かでもゴミはゴミのままです。
川上:ゴミの中に、つながりが見える瞬間があるんですね。
多和田:頭のなかにゴミを抱えたまま散歩をしていたら、バスに乗り合わせた人の言葉が耳に入ってきて、ハッとしたり(笑)。つながりを見出すきっかけが、外から来ることもある。でも、きっかけだけでは難しくて、体系的に考えていたことが重なり合ったときに、はじめて書けるんだと思います。
川上:その感覚は、私も近いものがあります。例えば、歯医者さんの治療椅子の上の患者さんが、舌の上に寝転んでいるように見えてしまう。その舌の上に寝転んだ人にも舌があって、この入れ子状の構造はなんて美しいんだろうって、私のビジュアル部が思っている。かたや、人はどこで考えているのか、本当に脳みそなのか。脳みそを取り出したこともないのにわからないなあ、という疑問が前々からあって。それが「歯」でピタッと結びついて「わたくし率 イン歯ー、または世界」ができたんです。
なるほど、大使の場合は、多和田さん言うところのゴミに埋もれているんだろう。
ブログで日々綴っていても、ゴミはゴミのままです(笑)
「わたくし率 イン歯ー、または世界」という本のタイトルが奇抜であるが、川上未映子の脳みそも奇抜というか、哲学的なんでしょうね。
あとがきにも書いているとおり、また、表紙の画像でもわかるとおり装丁がシックで・・・
もちろん内容も創造性に富み、哲学的な本でおました♪
<あとがき>
よりp213
刊行するにあたって、文芸春秋の大川繁樹さんに、そして装丁は大久保明子さんにお世話になりました。どうしようもなくエレガントにしてほしい、という願いを素晴らしく実現してくださいました。紺色の夜空にうかぶ白色の星という字をみたとき、胸がぐんと鳴りました。ありがとう。ありがとう。
そして、その仕事に、あこがれ、驚嘆し、信頼し、少しでもその秘密に触れたいと思ってきた綺羅星たるみなさんと、とても大切だと思えることについて語りあえたことは、日々炸裂している奇跡のうえにかさなるさらなる奇跡です。みなさまに、未来永劫、心からの感謝を。
そしてなにより、この対話集を手にとってくださったあなたに。ここに収められた対話が、あなたの何かと結ばれることがあれば、こんなにうれしいことはありません。それこそが文字通り、世界にとってこんなにも有り難い、星の、白い、きらめきそのもの。
<パンドラの匣>
彼女は『パンドラの匣』で 第83回キネマ旬報新人女優賞を受賞(2010年)した女優でもあるわけで・・・
歌手、作家、女優という、このクロスメディアぶりに圧倒されるのです。
映画を観る前に、個人的予告を作っておきます。
【パンドラの匣】
冨永昌敬監督、2009年制作
<Movie Walker解説>より
太宰治の同名青春小説を「パビリオン山椒魚」の冨永昌敬監督が映画化。戦後の日本のとある結核診療所を舞台に、そこに入所した少年と彼を取り巻く人々との日常をユーモアを交えて描く。
<観る前の大使寸評>
竹さん役で川上未映子が出るんだって・・・さて、どんなかな。
Movie Walker映画
パンドラの匣
<ヘブン>
著者初の長篇小説ということで、興味深く読んだのだが・・・
いじめに遭っている男子小学生を主人公にして小説が書けるとは、何者にも憑依できる能力とでもいうんでしょう。
ムム、これはもう一筋縄では出来ないと、大使の野望は撃ち下される思いがするわけです。
【ヘブン】
川上未映子著、講談社、2009年刊
<「BOOK」データベース>より
「僕とコジマの友情は永遠に続くはずだった。もし彼らが僕たちを放っておいてくれたならー」驚愕と衝撃、圧倒的感動。涙がとめどなく流れるー。善悪の根源を問う、著者初の長篇小説。
<読む前の大使寸評>
このところ川上未映子づいているので、この際、この長篇小説に手を出した次第です。
rakuten
ヘブン
【そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります】
川上未映子著、ヒヨコ舎、2006年刊
<「BOOK」データベース>より
女子の世界は妖しくて愛しくて我武者羅でときどき、こわい。文筆歌手・未映子の三年に渡る日記。
<読む前の大使寸評>
関西弁で文章を書きたい大使は、川上未映子の文体を会得できないかと思ったのでおます♪
rakuten
そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります
『そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります』2
byドングリ
<関西弁へのこだわり>
NHKのトップランナーに川上未映子さんが出ていました。美人ですね(どこを見とんねん)
で、さっそく彼女のホームページを覗いたのです(ミーハーなこっちゃ)
川上未映子がホームページのなかで、関西弁への拘りを述べています。
大使は生粋の関西人ではないのでここまでの拘りはないが、関西弁のほうが本音がでやすいという感覚はわかるような気がします。
純粋悲性批判
より
サリンジャーの「ゾーイー」、これってズーイーがほんまもんなんですかね、ゾーイーの兄妹喧嘩のあの台詞のやりとり、私好きやねんけど、ゴッホんときみたくいつか舞台で大阪弁でやったら面白いやろうなあってそこはかとなく思ってたら、なんと昨日たまたま読んでた本で村上春樹氏が「ゾーイーを関西弁で翻訳したい」つって書いててここにもひとつの共時性が。や、関西弁の人はけっこう思ってる人おるんかもね。
そうそう、なんか、標準語、っていうか、あの場合は翻訳調が、ってことになるのかな、ゾーイーの鬱陶しさとか真剣さとか優しさとか、フラニーの駄目駄目っぷりとかさ、自意識と若さの「不毛さ」から「太っちょのおばさん的救い」へ一気に駆け上がるあの素晴らしい素晴らしいくだり、その救いが観念的であればあるほどこんなにも素晴らしく、こういう文章に出逢うと「虚構」と「観念」の出自と効果の鮮やかな一致が、私をとてつもなく喜ばす!のだが、会話というよりもおのおのの独白の端々の素敵なところが、もひとつなんか、こう、爆発、する必要もないのかも知れんけど、開花というか、爆発して浸透する、っていうもっとそのための風景があるんではないかなーと思うわけで、んで関西弁。
ということで、未映子さんは「私はゴッホにゆうたりたい」と関西弁で本音を語っていました。
私はゴッホにゆうたりたい
より
春がこんこんと煙る中
私は、ゴッホにゆうたりたい。
めっちゃゆうたりたい。
今はな、あんたの絵をな、観にな、
世界中から人がいっぱい集まってな、ほんですんごいでっかいとこで
展覧会してな、みんながええええゆうてな、ほんでな、どっかの金持ちはな、
あんたの絵が欲しいってゆうて何十億円も出して、みんなで競ってな、なんかそんなことになってんねんで、
パンも食べれんかったし最後のパンも消しゴム代わりに使ってな、
あの時もどの時も、あんたはいっつもおなじように、描いててな、苦しかったな、
才能って言葉は使わんとくな、なんかの誰からかの命令なんかな、
なんか使命なんかな、
多分絶対消えへんなんか恐ろしいもの、恐ろしいくらいの、美しい、でも苦しい、
そういう理みたいな、そんなもんに睨まれてあんたは、
いっつも独りで絵を、絶対睨まれたものからは絶対逃げんと、や、逃げる選択もなかったんかな、
それでもとにかく、絵を、絵を描いて、
そら形にするねんから、誰かに認めてもらいたかったやろうな、
誰かに「この絵を見て感動しました、大好きです」
ってゆわれたかったやろうな、
それでもいつまでも独りぼっちでよう頑張ったな、淋しかったし悲しかったな、
それが今ではあんたは巨匠とかゆわれてんねんで、みんながあんたをすごいすごいってゆってほんで、
全然関係ない時代の日本に生まれた私も、あんたの絵が大好きになった、
新地のクラブでホステスをしながら、弟の学資を稼いだという苦労話に・・・いまどき、こんな子がいるのかと感心していた大使である。
また、子どもの時から「なぜ?」を連発する哲学的な子であり、長じては一時は売れない歌手でもあったそうで、生来のクリエーターなんでしょうね。
歌のうまいホステスといえば・・・・もろ、大使のツボを突いとるがな♪
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