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真冬のこの時期、突然思い出した水泳大会。あれは中学1年の水泳大会であった。中学校では、クラス対抗の“クラスマッチ”なるものがあったが、その競技の一つとして、夏には水泳のクラスマッチがあった。ただ、スケジュールの都合かどうかは不明であるが、1年次にはなぜか夏休み明け後の9月に開催された。9月といえば、体育の水泳は終わっている時期だ。学校側が、わざわざクラスマッチのためだけに、新しい水を入れるのは勿体無いと判断したのか、プールの水は恐ろしく濁っていた。それはあたかも“バスクリーン”を入れたかのような「緑色」であった。この場合、水の濁りを誤魔化すため、本当に“バスクリーン”を入れた可能性も否定できない。ともかく、このような劣悪な環境の下、水泳のクラスマッチは開催された。ところで、私は水泳が得意だった。小学生の頃、水泳教室に通っており、一通りの基礎を教わった。ゆえに、「一応泳げます」という標準的な中学生よりも速く、かつ、長く泳げた。そんな私が選んだ種目は「50m自由形」だ。やはり「誰が一番速いか」明確に分かるので、理屈抜きの説得力がある。また、25mでは短すぎるし、100mでは長いし、50mで終わりという潔さも選んだ理由だった。我が中学校は25mプールを擁していたので、50m泳ぐには一度ターンする必要がある。前半遅れていても、後半で追い抜ける可能性がある。また、ぶっちぎりで1着をとる可能性もある。水泳のクラスマッチは各種目が滞りなく行なわれ、私の番が回ってきた。クラスマッチでは急速にクラスの結束力が高まる。クラスのみんなが応援してくれる。たまに、クラスの男子よりも他のクラスのカッコイイ男子を応援するという不届きな女子もいたが、幸い私は女子にも人気があった。そして、スタート台へ登る。ドキドキ緊張する一瞬。「位置について。よーい。パーン!」一斉に飛び込む。ザブーン!ワー!ワー!キャー!キャー!軽快に腕を回転させ、バタ足をし、リズミカルに息継ぎを行なう。前半は私が優勢だ。両隣のレーンとは、半馬身差がついている。このまま優位を保って、後半でも1位をキープだ。そして、1着でゴールするぞ!そう思っていた。やがて、25mの壁が近づいてきた。そこで、かねてより私はこう決めていた。“クイックターン”をしようと。つい半年前まで、小学生であった中学1年生で、クイックターンができる手合いは少ない。ならば、見た目が派手である、結構格好いい、そして何か凄そうな印象を与えるクイックターンを決めれば、“ただの1着”が“凄い1着”になるではないか。※クイックターンとは、壁の直前でクルリと一回転し、壁を蹴った反動で折り返すという技です。そして、壁の直前でクルッと一回転し、思いっきり壁を蹴った。“決まった・・・”と自分に酔いしれようとした瞬間、私には悲劇が起こったと、はっきり分かった。原因は恐ろしく濁った緑色の水だった。つまり、私が壁だと判断して思いっきり蹴った先に、壁はなかったのである。私は壁の少し手前でクイックターンをしてしまったのだ。どういうことになったか、ご想像いただけるだろうか。水中で一回転し、壁でないところを思いっきり蹴る。つまり、身体が思いっきり“ピーーーーーーン”と真っ直ぐに伸びた。手の指先から、足の指先までが完全に一直線になった。それ以上でも、それ以下でもなかった。壁を蹴る反動を利用して、勢いよく折り返すというクイックターンの思想は、そこには、ない。ただ身体が伸びただけ。(友人の目撃証言によるとあと50cmだったそうだ)半分水につかった私の耳にもクラスの爆笑する声がハッキリ聞こえた。伸びた身体のまま、転校手続きはどうしたらいいのだろうか、若しくは、しばらく外国に留学できるところはないだろうか、思案した。しかし、まずいことには、今、50m自由形の競技の真っ最中であるということだ。いつまでも伸びたままプカプカ浮いていられない。仕方ないので、今、自分がなすべきことを考えた。問題は、25mの壁にタッチしていないのに、身体だけが方向転換してしまっているという事実だ。その軌道修正からはじめる。とりあえず、立ち上がって、壁までザブーンと移動した。そこから、普通に「ぺタッ」とタッチターンして再び泳いだ。クイックターン失敗でクラスの笑いを誘った私に、もはや順位などどうでもよかった。もう、私の後ろに人はいないのだから。その後、クラスの女子からの人気は失墜し、私の地位は凋落した。ただ、不幸中の幸いであるが、選んだ競技がリレーでなくて、よかった。 この人よりも伸びていたことは間違いない。 私の肘はこの人のそれよりも確実に真っ直ぐだった。
2005年12月20日
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私は以前、アミューズメント・パーラーのスタッフだった。・・・ま、早い話が、パチンコ屋の店員だったわけだ。パチンコ屋はすごい。欲望と現金が渦巻き、夢と現実が交錯し、喜怒哀楽の人間模様が曼荼羅のように広がる特異な世界だ。店内には射倖心を煽る大音響が流れ、客の吐き出す煙草の煙はさながら地獄の溜め息のようである。現金こそが正義。ドル箱を積み上げるのがステータスの証。かように投機的興奮を呼び起こす店内は、相対性理論によって外界とは時間の流れが違う。更には、近年広まる「禁煙」なんかクソ喰らえ、副流煙でも何でも来いの治外法権が罷り通っている。それが我々店員の働く職場である。私の勤めていた店はそこそこ大きな店でパチンコ・スロット合わせて700台強を有する。お客さんも多くて土日祝日は空席の待ちのお客さんが出るほど。いつも満員御礼の優良店であった。組織としては、ニ交替なのでAチーム、Bチームがある。各チームには、リーダー(1人。例えていうなら課長)を頂点として、その下にサブ・リーダー(2人。同課長代理)、チーフ(2人。同係長)、メンバー(10人強。同平社員)、アルバイト(約10人)という完全なるヒエラルキーが存在していた。因みに、リーダーとサブ・リーダーは支配者階級に属し、メンバーとアルバイトは無産階級であった。何を隠そう、私も完全な無産階級だった。その上には、「店長(同部長)」という天上人がましましたが、店長は地域の3店くらいを統括している人物なので、滅多に店には現れない。リーダーはスーツ姿だ。主に事務所で仕事をする。サブ・リーダーは制服組のトップとして、無産階級とは一味違ったお洒落な制服を着用している。そして、事務所と現場(ホール)の半々で仕事をする。支配者階級の仕事は管理職の名に相応しく、まさしく「管理」だ。稼働率の動向とか、設定の具合とか、出玉の動向とか、不正行為が行なわれていないかとか、店員はちゃんと働いているかとか、その他各種データの集計・分析をしている。すなわち、事務と現場の双方を管理する。また、店内には至る所に設置された監視カメラがある。そして事務所にはそれを映し出す8×10個のテレビモニターがズラリと並び、店内の様子を詳細に伝えている。因みに、常時録画しており、ズームアップも可能だ。デ・ニーロ主演の『カジノ』なんて問題にならないくらいのモニター数である。支配者階級は、真剣な表情でよくこの画面を眺めていた。一人若しくは一集団の不正行為によって、時には数百万円の被害が出るであろうし、現金商売は人の流れによっては急激に売り上げが増減する。彼らは冷や汗を流す思いでいつも仕事をしていただろう。対して無産階級の我々は、常に熱い汗を流していた。パチンコ屋の店員は、意外と仕事が多い。そもそも原則として、一つの“島”を一人が管理することになっていた(島=両側にパチンコ台が並ぶコースのこと)。そして、仕事内容としては、玉交換、プリペードカードの販売、満杯になったドル箱を台から下ろし空の箱を差し出す、台表の玉詰まりの解除、台裏の玉詰まりの解除、クレーム受付、両替、食事休憩のカード発行、席を確保したまま戻ってこないお客の呼び出し依頼、灰皿掃除、テーブル拭き、各種報告などなどだ。これらは単品で見ると別段騒ぐまでもない。他愛もないものばかりだ。問題は、これらの仕事が、自分の管理している“島”の客約40人から「一斉に」発注されることだ。この時、お客さんは、指示の発令に「呼び出しボタン」を用いる。これを押せば、台の上部がピカピカ光り、店員が飛んでくるという仕組みだ。店員が到着して対応する。もう一度ボタンを押せばランプは消える。少し説明する。この「呼び出しボタン」は台の上部に付いている。ボタンの少し上には、ご丁寧に「御用がございましたら何なりとお気軽にお呼び下さいませ」というプレートが付いている。更にご丁寧なことには、何か御用があると、本当に何なりとお気軽にボタンを押して店員を呼ぶお客さんがいるということだ。具体例を挙げると、こういうことである。我々が、あるお客さんの指示により、満杯になったドル箱を三段重ねで運んでいる時がある(かなり重たい)。別のお客さんは文字通り両手が塞がった我々に対し、(時には目の前で)容赦なく「呼び出しボタン」を押して「空箱持って来い」だの「こっちも玉交換頼む」だの「プリペードカード頂戴」だの「玉が詰まっているから直せ」だの「玉が出ないぞ」だの「飯食ってくるから食事中のカード出せ」だの「台を移動するからちょっとこのドル箱持って来い」だの実に様々な要求をしてくる。そして、「呼び出しボタン」を押すと、お客さんの台の上部がピカピカ光ると同時に、島の両端上方に付いているランプもピカピカ光る。このランプのお陰で、背後でランプが点けられてもすぐに分かる。また、島の外にいる店員にも分かる。ランプに気付かない時は、隣の店員が教えてくれることもある。が、しかし、ここで重要なことは、島の両端上方でピカピカ光っているランプはまた、事務所のモニターにもバッチリ写っているということだ。この呼び出しランプが常時点いているようだと、あそこの島はお客様に対応できていない ↓あそこの島はお客様を待たせている ↓あそこの島を管理しているヤツは仕事ができないヤツだ、という“ダメ店員の三段論法”によって、“無能”の烙印が支配者階級によって押される。というか無線で怒声が飛ぶ。「○コース!ランプが点きっぱなしじゃないかっ!!」と。そこで、忙しくてたまらないときは隣の島の店員に無線で応援を依頼する。「○○コース、ランプ対応、お願いします」というように。しかし、無線というものは、当然だが、店員みんなが聞いている。もちろん、リーダーもサブ・リーダーもみんな聞いている。ために、無線で応援を頼むのも、度が過ぎると仕事ができないヤツだと思われる。やはり、自力で対応しなければならない。従って、店員としては点けられたランプを一秒でも早く消すように努力する。いや、ランプを点けようと手を伸ばしたところに対応する。いや、そもそもランプを点ける必要がないよう予め予測しつつ対処する。もちろん、慣れない内は、完全にパニックになる。まず、どこのランプが点いているのか分からない。消しても消しても次々にランプが点く。一つのことをしている間にもどんどんお客の要求が申し付けれる。かかる事情により、初めのうちは、ベテランさんと二人で一つの島を管理することになる。それでも、初めは無我夢中だ。しかし、一人で任されるようになり、1ヶ月もすればだいぶ慣れてくる。3ヶ月もすれば落ち着いて対処できる。半年もすれば、どんなに忙しくても一人でお客さんの要求を迅速に満たすことが出来る。次に何を言われるか大体予測できるので、対応も早い。ランプも点いたハシから消していく。そこの頃になると、「ワーキング・ハイ」だ。いくら同時にランプを点けられても、瞬時に優先順位を付けてランプを消しつつお客様に対応できる。完全に冷静で何が起こっているのか、誰が何を言っているのか完璧に把握している。ランプが消えている状態が正常である。ランプが点いたままだと落ち着かない。何でランプが点いてるんだ!?ランプを消すべし!かような職場で阿修羅の如くランプ抗争を繰り広げていると、次第に身体がパブロフ化してくる。何でランプが点いているんだ!?ランプを消すべし!それはベトナム帰りの米兵のように未だに私の体に染み付いている。私は外出中、就中、運転中、急に尿意をもよおすと、しばしばパチンコ屋さんのトイレに駆け込む。そこで、ランプが点いているのを見ると落ち着かない。イライラしてくる。何でランプが点いてるんだ!?ランプを消すべし!そして、10秒以上経っても店員が来ないときは、私がそこのお客さんに、空のドル箱を差し出し、満杯になったドル箱を台から下ろす。意外と律儀な私は「小便だけ垂れ流すのも悪いから、せめてものお礼です」という道義的な理由と、加えて、居ても立ってもいられなくなるという本能的な理由によって、かかる行動に出る。いきなり私人の私から空のドル箱を差し出されたお客さんは、とりあえず驚嘆の表情で私を見る。そして、はにかみながら「あ、ありがとう」と言う。「あ、いえ」と私は微笑み返す。そのうち、押っ取り刀でそこの店員が現れるが、用件を済ませた私を見て“何なんだ、お前は!?”という顔をしながら「どうもスミマセン」という。私も負けじと“貴様こそ何やってんだ!?”という顔をしながら、「どういたしまして」と言う。そして“一層励め”という偉そうな表情をしながら、店を後にする。ランプを巡る抗争は今でも続いているのだろう。お客様としては、誰でもいいから、早く自分の要求を満たして欲しいと思っている。ここに意思の齟齬があるが、店員は対応待ちのお客様がいることはちゃんと分かっている、そして、その島を任された以上、なるべく自分で対応したいと思っている(もちろん、場合によっては無線で応援を依頼する)。自分の島が忙しいということは、両隣の島も忙しいのだから。そして、勝手な言い分だが、あるお客様の対応をしている時、別なランプが点くと「分かっている、ちゃんと気付いている。すぐに行くから、とりあえずもう一度スイッチを押してランプを消してくれぇぇ」と心底思う。というか、目が合っているので、目でランプを消すよう訴えかけている。この認識は顧客満足の観点からは間違っているのだろう。店員が一つのチームとなって臨機応変に対応すべきだと思う。ここで問題としているのは、その「機」ではない場合だ。常連さんほど、ボタンを押さなかった。彼らは、こちらの事情を察していてくれた。彼らは、アイコンタクトか、ジェスチャーで指示を発し、「ランプを消す」という我々の仕事を一つ軽減させてくれた。もっとも、プロならどんなにランプが付いても瞬く間に対応し、ランプを消すので、問題はない。したがって、お客様の立場としては、ボタンを押すのにためらいはいらない。いくら待っても来ない時などは、バンバンボタンを押すべきだ。しかし、私は店員さんの事情・気持ちも分かるので、仮にお客の立場になったとしてもボタンを押さない。さらに、類推するに、同様の理由から、ファミレスなどの飲食店でも「呼び出しボタン」は滅多に押さない。何か、悪いので・・・。そばを通った時に声を掛けるようにしている。さりとて、暇そうな割りに対応が遅い時や、気付いているのに気付いていないフリをされたときなどは、ためらいなく押す。たかが、ランプ(お客様視点)されど、ランプ(従業員視点) 上の呼び出しボタンを押せば、私が消しに参ります。消したら帰ります。 『カジノ』興味深い映画だった・・・
2005年12月19日
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アイロンのきいたシャツにネクタイをキュッと締め、颯爽と上着に袖を通す。やおら荷物を持って、いそいそと出掛けようとすると、ハッと気が付く。あ、ズボンを履いていなかった。というのは嘘だが、今日は学校に行く日だ。ところで、私は歩くのが速い。同伴者がいる時は文字通り足並みを揃えるが、一人の時は誰にも抜かれないくらい、速い。横断歩道が赤だった。ヒョイヒョイと身体を翻しながら、徐にポールポジションをキープする。緊張の一瞬だ。シグナルが赤から青に変わる。同時に私は足を踏み出す。ここで注意を要するのはシグナルが変わった「瞬間」ではないことだ。私の場合は「同時」、つまりタイムラグ・ゼロだ。解説すれば、こういうことだ。私の歩行者観察によると9割以上の人が、次のような行動をとる。1.信号が赤から青に変わるのを見る。2.一瞬足元に視線を移し、その安全を確認する。3.その結果、やおら第一歩を踏み出す。しかし、私の場合、上記2の過程がない。つまり、信号が赤から青に変わりそうな時から、私は既に足元の安全を確認しているのだ。ために、信号が変わったと同時に、ためらいなく第一歩を踏み出すことが出来る。私の考えでいえば、あのタイミングで、視線を下に移す行為は無意味だ。無意味なので、やってもいいが、私はやらない。ちょうど、駅の切符売り場で並んでいる時、自分の番が来てようやく上の案内を見上げて料金を確認し、財布からお金を取り出すようなものだ。次になすべきことは分かりきっているので、私なら並んでいる時から料金を確認しつつお金の準備をしておく。もっとも、両者を単純に比較することはできない。が、私の感覚は程度の違いで、かなり似ている。そんなこんなでポールポジションから、スタートを切った私はその後も快調に歩みを進める。たまに周回遅れのおばさん集団が行く手を遮る事もあるが、たくみな進路変更でかわす。また、ティッシュを配っているお姉さんからは、しっかりとそれを受け取る。コンタクトレンズのチラシを配っているメガネをかけたお姉さんには「まずは隗より始めよ」と心の中で突っ込みを入れる。やがて誰にも抜かれることなく学校に到着し、チェッカーフラッグを受ける。構内に入れば、ウイニング・ランだ。授業は午後と夜。この学校には週に1回しか行かないので、授業の合間、つまり夕方には時折質問を受ける。私は通常この時間、次の授業のためにプリントを印刷したり、ミッキーマウスのタッパに詰めたお弁当を食べたりしている。質問が来るのはそんな時間だ。「ちょっと質問いいですか?」「もちろんですとも!」私は快諾する。言うまでもないが、私は受講生思いの優しい講師だ。もぐもぐしていた口にお茶を流し込み、すぐに行く旨伝える。そして、眉間にできた皺を、下ろした前髪で隠すという思いやりも忘れない。通常は、受付カウンターで質問を受けるが、たまに混雑していると、受講生の休憩・談話室で質問を受ける。受講生「どうしてヤンキーのお兄さん達はあんなに勢いよく唾を吐くのですか?」私は慎重に言葉を選んで答える。私「彼らの前世が“テッポウウオ”だからですよ」私は受講生思いなので、しっかりと話を聞く。同時に、そばに座っている他の受講生の雑談なんかもしっかり聞いている。そこで思ったこと。男子グループの雑談は、大抵、テーマが絞られていてそれについて色々深める話をする。例えば、車がテーマなら、メーカーや車種、機能、何に乗りたいとか、テーマに沿った話を展開する。対して、女子グループの雑談は、洋服の話をしていたかと思えば、雑誌の話、彼氏の話、食べ物の話、ドラマの話、勉強の話とテーマが飛ぶ。もっとも、全てがこうとは言わないが、私の見聞した範囲では大まかにこのような傾向があるようだ。どっちがいいという話ではないが、興味深い。そして回答を終え、「また、いつでもどうぞ!」と如才なく愛想を振りまく。控え室に戻り、作り笑顔に酷使した顔の筋肉をほぐしつつ、再び苦虫の佃煮にお箸をつける。夜のクラスは、昼間、お仕事をしている人がほとんどだ。したがって、大層疲れていると思う。にもかかわらず、向上心を持って勉学に励む彼らを心から応援したい。お仕事をしながら勉強を続けるというのは、本当に大変なのだ。授業が終わり、誰もいなくなった教室の黒板を拭く。記録を付け、荷物を整理し、さぁ、帰るか。こうして夜も更けていく。←こいつがテッポウウオ 話を聞かない男、地図が読めない女
2005年12月14日
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私はお巡りさんが好きだ。お巡りさんは、地域の安寧秩序を守り、犯罪の予防・検挙に務めてくれる。我々住民が安心して暮らせるのは、彼らが24時間体制で身体を張り職務を遂行してくれるからだ。私はお巡りさんが好きだ。かつては、お巡りさんがよく読む雑誌、いや、お巡りさんしか読まない雑誌「警察公論」「警察論集」を愛読していた。そのくらいお巡りさんが好きだ。行政警察活動、司法警察活動、多岐にわたる職務に加えその区別は流動的で曖昧。住民と直接接するストリートレベルの公務は、その運用が非常に難しいであろう。機械的に全てのスピード違反を取り締まれば、社会が停滞する。また、全ての駐車違反を取り締まれば、車の置き場はなくなる。かといって、それらを放置することは法治主義が許さないので、非常に難しい裁量を持っているのだと思う。しつこいが、私はお巡りさんが好きだ。学生時代、私は友達と温泉施設に出かけた。のんびり温泉に浸かり、サウナに入り、リラックスした時間を過ごした。ただし、リラックスして温泉に浸かりすぎたせいか、のぼせてしまった。クラクラ眩暈がした。そこが潮時だと悟り、温泉から上がった。そこへは友達と、それぞれバイクで出かけていた。22時ごろだったように思う。帰宅のため2台のバイクで走っていると、突如、後ろから赤色灯を点けたパトカーが現れこう告げられた。「そこのバイク止まって下さい」と。日頃から親近感を抱いている私は喜んで止まった。ただ、湯中りしていた私は、早く帰って休みたかった。したがって、こう思った。単なる職務質問なら、疲れている旨を告げて早く帰ろう。でも、もしも、うっかり交通違反をしているのなら大人しく違反切符を切られよう、と。つまりはこういうことだ。職務質問は答えるか答えないかは被質問者の任意なので、強制できない。もちろん、停まるか停まらないかも任意だ。そのまま帰ったとしても法的には何ら問題ない。しかし、交通違反をしている場合は、所定の手続きを踏んで反則金を納めないと、前科者になってしまう。両者は任意であるか否か、という非常に大きな違いがある。のぼせていたし、信号を守りゆっくり走っていた私に落ち度はなかったはずだ。しかし、一応確認しておこう。そこで、私はパトカーから降りてきたお巡りさんに聞いた。「これは任意ですか?」と。「はい、任意ですよ。職務質問ですからね。」とか何とか、言うかと思っていたら、あにはからんや。「何を言ってるんだ君は!!」突然、怒り出した。いや、答えになっていないんですけど。「任意だよ!本官は警察官職務執法に基づいて聞いているんだよ!!」かなり怒っている。バカボンに出てくる鼻の穴が一つのお巡りさん以外で、一人称を本官と言っているお巡りさんに初めて出会った。嬉しかった。騒ぎを聞きつけたのか、パトカーに残っていた年配のお巡りさんも二人降りてきた。年の功で「まあ、まあ」と言ってくれるのかと思いきや、こちらも瞬間湯沸し器のようだった。もっと大きな声で何か怒鳴っていた。大声で何か言っていたが、全然覚えていない。丸腰の善良な市民、そして公正明大な私は、拳銃と国家権力を持った3人のお巡りさんに囲まれ怒号を浴びた。というか、私はのぼせていたのだ。ために、馬耳東風であった。何だか警察署に連行されそうな勢いがあったが、それも一興である。以前、刑務所・少年院・鑑別所を見学した私だが、警察署の留置場は未踏の地だ。ここで一泊すればかなり話のネタになろう。それにしても、やはり職務質問ではないか。用もないのに練習がてら職務質問するお巡りさんがいて、非常に熱心だと感心した。ところで、警察官職務執行法によると、職務質問の要件はこうだ。2条1項「警察官は、異常な挙動その他周囲の事情から合理的に判断して何らかの犯罪を犯し、若しくは犯そうとしていると疑うに足りる相当な理由のある者又は既に行われた犯罪について、若しくは犯罪が行なわれていることについて知っていると認められる者を停止させて質問することができる。」同条2項「その場で前項の質問をすることが本人に対して不利であり、又は交通の妨害になると認められる場合においては、質問するため、その者に附近の警察署、派出所又は駐在所に同行することを求めることができる。」同条3項「前二項に規定する者は、刑事訴訟に関する法律の規定によらない限り、身柄を拘束され、又はその意に反して警察署、派出所若しくは駐在所に連行され、若しくは答弁を強要されることはない。」同条4項「警察官は、刑事訴訟に関する法律により逮捕されている者については、その身体について凶器を所持しているかどうかを調べることができる。」つまり、私は「異常な挙動その他周囲の事情から合理的に判断して何らかの犯罪を犯し、若しくは犯そうとしていると疑うに足りる相当な理由のある者又は既に行われた犯罪について、若しくは犯罪が行なわれていることについて知っていると認められる者」だったわけだ。もっとも、お巡りさんは「普通の大学生だとは思ったけど、一応聞いてみた」とか分からんことを仰っていたような気がする。もちろん、お巡りさんは、職務上、「職務質問は任意ですから答えたくなかったら答えなくても構いませんよ」とは言えないだろう。そんなこと言っていたら、事前の防犯も事後の取締りもできない。ましてや、たかだか大学生ごときに職務質問できないようではお巡りさんとしての資質が疑われる。研修でもより効果的な職務質問の仕方を学んでいるようでもある。やんわりと被質問者を引き止めるトーク、任意の協力を求められそうなトーク、お巡りさんは色んなパターンに対応できるのだ。ところで、大声で怒鳴りすっきりしたのか、その後は急に和やかな雰囲気になった。その後、パトカーに無線が入り「火災発生」とか告げていたようで、彼らは現場に向かうことになった。「どうぞお気をつけて」と私は願わずにはいられなかった。 日夜、市民の安寧秩序のために働くお巡りさん。私はお巡りさんが好きだ。←この人です。 職務質問しちゃうぞ~
2005年12月12日
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自分でもいかんいかんと思うが、私は言葉の前に、つい「あ、」と入れてしまう。 「あ、はい」「あ、分かりました」などなど。 もちろん、100%全てに入るわけではないが、相手が目上の場合は顕著に出る。 かつて、バイト先のマスターにも言われた。 「大福くん、その「あ」って止めた方がいいよ」と。 それでも「あ、はい」と、つい返事をしてしまう。 以来、10年以上経つが、この癖はなかなか治らない。 そもそも、口癖に限らず「癖」というのは、無意識に出るから始末に困る。 全く意味のない口癖だったら、遣わないだろうから、一応の理由はある。 そしてそれは状況により含意が異なる。「○○しといて」「あ、はい」という会話がなされたとする。場合1「あ、」を入れることによって、これまで作業していた意識とは切り替えましたよ、ちゃんとあなたのいう事を聞きましたよ、と暗にアピールする意味を込めた「あ、」。場合2「ああ、そうでしたね。あなたに言われる前に私が気付くべきでした」という意味の「あ、」。つまり「ああ、そうだった。それをやっておくべきだった」という意味の、気付きの「あ、」。場合3「そんなこと簡単ですよ」もしくは「了解しましたよ」という意味での「あ、」。つまり「ああ、なんだそんなこと。すぐにできますよ」という意味を込めた「あ、」。 しかし、どれももっともらしい理由ではあるが、「あ、」を正当化するする合理的性はない。 むしろ、スムーズな意思疎通を疎外するやもしれぬ。 簡潔かつスピーディーな意思疎通には全く不要だ。 そして、聞いた感じが美しくない。 プライベートで遣うならまだよいだろうが、公の場面で遣うのは、問題であろう。 ただ、私の場合、プライベートでは「あ、」を遣わない(と思う)が、公の場面及び相手が目上の場合にこれが出る。 なるべく意識して「あ、」が出ないようにしたい。 余談ではあるが、「サザエさん」のマスオさんも「あ、なんだい、カツオくん」と大抵「あ、」を入れる。ずいぶん前から気になっていた。自分と同じ癖を人が持っていると気になる・・・。マスオさんのみそづくり指南
2005年12月10日

一皮剥けた。事の次第はこうだ。先月末に風邪を引いた。といっても、鼻風邪だ。鼻風邪というネーミングに相応しく、常時洟が垂れるので、常時洟をかんでいた。ところがである。鼻をかみ過ぎたのか、鼻に何か異変を感じた。今日はお出かけをする日である。よもやと思い、鏡を覘けば、果たせるかな鼻の皮が剥けていた。患部は鼻の下である。鼻の下の皮が剥けていた。これは事情を解さない善意の第三者ならば、乾いた「鼻糞」と間違うこと請け合いだ。李下に冠を正さず、瓜田に履を納れず、鼻の下に睫毛を置かず、鼻の下の皮を放置せず、なのである。文字通り「出鼻を挫かれた」。ところで、全然関係ないが、この「鼻糞」、就中、「糞」という漢字は凄い。「米」が「異なる」と書いて、「糞」。さすがは漢字の国。中国人の光るセンスが伺える。ちなみに、「屎」でも「クソ」だ。「尸」は棒状に堅く伸びたもののこと。「屎」は食べた米の滓なので米印をつけたというのが由来だそうだ。とすれば、西洋人の場合は「尸」の中に「肉」でも入るのだろうか。話がズレた。もたもたしている時間はなく、鼻の皮をどう成敗してくれようか、懊悩した。対処法は3つ考えられた。1.指の爪で抓みポイする。2.刃物を使ってポイする。3.切り取らず、貼り付けて誤魔化す。高速でそれぞれのメリット・デメリットを比較衡量する。1.指の爪の使用。これはイージーかつプリミティブな方法である。だが・・・あいにく詰んだばかりだった。これでは牛乳瓶の蓋すら開けられまい。よって却下。2.やはり文明の利器、刃物か。だが、薄皮である鼻の皮を図工用の鋏で切るとは、まさに“鶏を割くにいずくんぞ牛刀を用いん”であろう。まことに使いにくいし、鼻そのものを切り落としてしまうおそれがある。また、以前私は髭を生やしてしたのだが、ある日チョキチョキ鋏で手入れしていた。その時、あまりにリズミカルだったので調子に乗って切っていると、「ポト」と何か落ちた。下唇の皮膚だった。ギャーーー!それ以来、鋏は怖い。それに今から出血していたのでは外出できないではないか。カミソリはそれ以上に危険極まりないので論外である。よって、刃物案も却下。3.とすれば、抜本的な解決方法ではないが、やはり元の鞘に収める手法がベターだろうか。これが一番リスクが少ない。軽く水分をつけて、ピタリと貼り付けたが、思いの外上手く誤魔化せた。これなら誰も鼻糞とは思うまい。しかし、水分は蒸発する。冬場の乾いた空気ならば、その蒸発も早かろう。したがって、現場に到着次第、患部に水をつけることにした。 そして、現場に到着し、早速トイレの鏡でチェックした。 オオ!メクレテナーイ! まずは安心であった。ところで、この現場とは学校である。私は非常勤講師だ。したがって、これから数十人の受講生の前で授業をしなければならない。その時「鼻糞」らしきものが付いていたら、いくら大層なことを言っていても、全く説得力に欠けるではないか。第一、オッサンの鼻糞は目の毒、いわば公害だ。ここで気を付けなければならないのは、問題が、私の主観による認識(鼻の皮)にあるのではなく、受講生の客観的な認識(鼻糞)にあるということだ。したがって環境に優しい私は極めて慎重に対処した次第だ。そして難なく1コマ目をこなし、2コマ目もこなした。案ずる事はなかった。そして、次の3コマ目の時間になり、授業に臨んだ。ところがである。授業中、黒板を消している時、急いで消したため、大量の粉が舞い散り、急性鼻炎になった。時を経ずして洟がつまり、洟が垂れてきた。今日街頭で貰ったばかりのティッシュで対処するも、稼働率が最大になった鼻水生産工場は衰えを知らない。「ちょっと失礼。」とか何とか言って、黒板の方を向き、とりあえず鼻をかんだ。チーン! 健闘空しく、かかる応急処置も焼け石に水だった。うっかりすれば、最大瞬間計測15cmほどの透明な洟が垂れた。完全に私の視界に入っていた。もはや、鼻の皮どころの騒ぎではない。夜は3時間の授業だったが、いつもより早く休憩に入った。それは、決して受講生のためではない。そう、私が鼻をかむためだ。這々の体で控え室に戻り、己の鼻を恨んだ。しかし、その原因は明らかで、私の鼻が悪いわけではない。原因はチョークの粉だ。万物の霊長として、また、食物連鎖の頂点に立つものとして、日頃矜持を抱いていたつもりであったが、あんなちっぽけな粉に私は粉々にされた。花粉症の時期でも、授業中はくしゃみ・洟水の類が出ない私だが、今回のチョークにはやられた。直接に大量に吸い込んだようだ。思う様洟をかみ、スッキリして教室へ戻った。そして、何事もなかったように授業を再開した。黒板消しもソロリソロリと使ったお陰で、粉塵から我が身を守ることができた。何とか無事、授業を終えた。しかし、黒板の文字は消せても受講生の記憶は消せない。もっとも、私はカリスマ講師でもないし、イケメン講師でもない。洟を垂らしたところで失うものは何一つない。だが・・・ハナタレ講師という渾名は・・・嫌だ・・・。←これを付けた講師がいたら、それは私です
2005年12月07日
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いつからだろうか。電話を切る際に「はーい」と言うようになったのは。ここで論じる「はーい」とは、「YES」の意味ではない。厳密に何を意味しているのか、よく分からん「はーい」なのだ。私の個人的な体験によると、初めてそれを意識したのは、今から12年前。93年のことだ。先輩と電話で話しているときに気付いた。先輩「じゃあ、またねー。」大福「はい。では、失礼します」先輩「はーい。」この先輩は、毎回必ず「はーい」と言って電話を切っていた。そして、私は友達に電話をする際、面白がってこの「はーい」をよく真似していた。ちょっと誇張して。・・・そして、染った!それでも毎度毎度遣っていたわけではない。だが、年々その使用率は高まった。もちろん、それまで私の中には、そのタイミングで「はーい」という文化はなかった。周囲を見てもそれはかなり少数派だったように思う。しかし、現在、「はーい」人口は徐々に増加していると思われる。50代のおじさまでも遣っているのを見かけるし、コールセンターのオペレーターでも遣っているのを聞く。・・・かくいう私も「はーい」を遣う一人になってしまったし。いったん遣い出すと、慣れてしまってそれ以外の文句では落ち着かなくなってしまう。よく分からんまま遣っているんだなあ みつを。もっとも「私は遣ったことはありません」と仰る御仁もいるだろう。正式な社員教育を受けた電話対応のプロなら絶対に遣わないと思う。それでも、電話使用人口における、プライベートな電話という条件設定なら、その使用率は高まっていると察する。実は私が気付かなかっただけで、はるか以前から世の中では電話を切る際に「はーい」が遣われていたのだろうか。その可能性も否定できない。全ての可能性を考えていては議論が曖昧になるので、絞る。ただし、客観的なデータは何一つなく、全て私の主観・経験則であることを断っておく。もっとも、文責は私にある。ここで「はーい」人口が増加していると仮定する。そして、次に、なぜ「はーい」人口が増えたのかというステージに進みたい。しばし長考し、疑問の解明を試みる。まずは、これまでの応答。A「じゃあ、またね。」B「うん、じゃーねー。」次に、現在増えつつある形。 A「じゃあ、またね」B「はーい」(「うん、じゃーねー。はーい。」というパターンもあり)両者のモデルを使って検討する。そもそも、電話を切る際、両者は切り際の挨拶をする。以下は受け手の挨拶(上記でいうならB)に関してである。検討1その際、「では。」「はい。」「じゃあ。」等、1拍で終わる挨拶は音的に短い。音的に短いと何か素っ気無い印象をもたらすので、何拍か長さがないと落ち着かない。恐らく、「さようなら」もしくは「バイバイ(バイバーイ)」と同じく2~3拍の長さが心理的に心地よいのだろう。検討2また、Bは「じゃーねー」と伸ばしている。これは私の何気ない匙加減で書いたものではない。そういうシチュエーションを想定した場合、受け手は長音を用いた挨拶(「じゃーねー」)をすることが自然だろうと思ったからだ。経験則によれば、受け手は長音返事の方がしっくりくる。それは相手に安心感を与え、自分でも安心できるからだと思う。検討3加えて、人間は生物学的な本能から、労力を最小限に留めようと無意識に楽な方へ流れる傾向がある。「ごめん下さいませ。失礼します。」よりも「はーい」の方が遥かに容易で労力を削減できる。そして、既にAが「じゃあ、またね」と切り際の挨拶をしている。そこでBは労力削減のため、重複する挨拶を避けながらも、その旨の気持ちを表す言葉を発することになろう。つまり、Bが代動詞「do」と同じ役割をする言葉を探したとしても不思議ではない。検討1~3をまとめるとこうなる。すなわち、Bの立場では、音の長さ的にも心地よいものであり、かつ、長音であり、さらには代動詞としての役割を託せる言葉が便利なのだ。それが簡単な言葉ならなおよい。すなわち、これらの要件を兼ね備えることができる(ことになってしまった)「はーい」が広まったのだと、私は解する。・・・待てよ、「はーい」の出現と「ちょームカつく」「キレル」「うざい」等、包括語の出現とは軌を一にしているのではあるまいか。 とすれば、日本人全体の傾向として、近年は、状況や感情に対し、表現の細やかさ・多様さを考えずに、多くの場面で無難に使える包括語が多用されているのかもしれない。 日頃、かかる包括語を呪詛している私が「はーい」を遣うことは、己のアイデンティティーを危うくする。 したがって、今日からなるべく「はーい」を遣わないように努めよう。 他の人にとってはどうでもいいことだが。イクラちゃん
2005年12月06日

高校2年生の時、英語の教科書で「After ten years」という短編小説を読んだ。 粗筋は次のようなものだった。 舞台はアメリカのある街。 警察官がパトロールしていると、暗がりに一人の男が立っていた。 何をしているのかと聞くと、「友達と待ち合わせをしている」という。 その男はタバコに火をつけながら話した。「オレは昔、ある親友と約束をした。お互い大きなことをして、10年後の今日、この時間、この場所できっと会おうと。この10年間、色んな場所で危ない仕事もしたが、この約束を忘れたことはなかった。オレは、この日のためにここに帰って来たのだ。・・・そろそろ約束の時間だな」 「きっと会えると思うよ」警察官はそう言ってパトロールに戻った。 しかし、その後しばらくして、その男は警察に逮捕された。 実はこの男、指名手配中のギャングの一味だったのだ。 そして、逮捕された警察署で一通の手紙を受け取る。 それは、何と待ち合わせをしていた親友からの手紙だった。「私もこの10年間、約束を忘れたことはなかった。私は今、警察官になっている。さっきの警察官は私だった。マッチの明かりで君の顔が分かった時には心臓が止まりそうになった。しかし、私は警察官である以上、君を放っておくわけにはいかなかった。」 とまあ、大体このよう内容である。 ここで、警察官である親友の取った行動の是非は論じない。 高校2年生の私は、単純に「これ、やろう!」と思った。 そして、同じクラスの親友に提案した。彼は快諾してくれた。 この親友「四郎」は、同じクラスで部活(サッカー部)も同じだった。 考え方や価値観は違うのだが、メチャクチャ気が合ってよく一緒に遊んだ。 何時間でも話した。今でも年に1回は会うし、会えば高校時代の二人に戻る。 で、「いきなり10年後というのは、ちょっと長いから、はじめは3年後にしよう。今17歳だから、20歳の12月24日、いや、その頃は何か用事が入っているかもしれないから(笑)、25日の夜8時、あそこの神社の手水舎のところで手を洗いながら再会しよう!」と約束した。 10年という月日は今でも長いが、17歳当時の10年先は、全く見当も付かないくらい長い。 したがって、「After three years」にした。 そして、1年後。 クラス替えで四郎とはクラスが別になった。 それでも部活で会ったり、図書館で一緒に勉強したりした。 もちろん、それ以後、お互い約束のことを口にしたことはなかった。 定期的に約束を確認しながら再会したのでは、いわゆる「スケジュール」になってしまう。 2年後。 私たちは高校を卒業した。 四郎は大学生(県外)となった。私は浪人生となった。 そして、3年後。 四郎が大学2年生。私が大学1年生(県外)となった。 つまり、約束の時が来た。 12月25日は他にどんな約束もしなかった。男と男の約束が優先する。 そして、「After three years」の当日、私は約束した神社に19:45頃から行き、冷たいながらもウケ狙いのために、ひたすら手を洗い続けた。 四郎が現れれば、3年前の約束どおり手水舎で手を洗う私の姿を見てウケるに違いないと思ったからだ。 しかし・・・。20時になっても、20時を過ぎても四郎は現れない。 「After three years」は実現しなかった・・・。 このまま帰ってもよかった。 そして、電話で四郎を呼び出すのは本来の趣旨ではなかった。 でも・・・しかし、彼の状況を確認したかった。 公衆電話から四郎に電話をかけた(携帯は猫と杓子と高校生は持っていない時代)。 四郎の実家に電話をした。・・・・・・・・いた。 ・・・彼はテレビを観ていた・・・。大福 「今日は何の日か分かる?」四郎 「クリスマスじゃないの?」大福 「まあ、そうだけど。でも、何で家にいるの?」四郎 「・・・え?何で? そして何でそんなに残念そうな声してるん?」 ということで、事情を説明したら、彼は約束を思い出したらしく、それからチャリで駆け付けた。 すっごく謝っていた。 来るか来ないか分からないスリリングな楽しみもあるので、約束を失念していたとしてもそれはいい。 3年越しの約束をしていたこと自体が満足だった。 そして、結果的に約束の場所で再会を果たせたことも嬉しかった。 約束の存在をお互いが覚えていただけでも(言えば分かる状態だったので完全に忘れていたわけではないと認定)、秘密の共有的な愉しさがあった。 それから、寒かったけれど、神社の境内で缶コーヒーを飲みながらお互いの近況を話し合った。 嗚呼、青春。 今年の年末、都合が合えばまた会おうね。 そして、今。 大学時代の親友2人と2000年に約束をしている。 10年後の某月某日某時間にあの場所で会おうと。 次回こそ、正真正銘の「After ten years」である。 でも・・・きっともう、忘れているだろうなぁ。。。 あと5年。私は必ず行く。 それまでに、大きなこと、とは言わないけれど、自分を磨いて、色んなことを積み重ねて、みんなに顔向けできるように成長するからね。 約束の場所で再会できたら嬉しいけれど、会えなくても構わない。 一人で佇んで思い出に浸る。 そして、もしも、会えたら・・・また昔に戻って一晩中語り明かそうね。ベラール コート・デュ・ローヌ ヴィラージュ 1995←After ten years
2005年12月03日
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すっかりご無沙汰です(滝汗)。連日楽天から視覚に優れた「日記記入日率」という名の強迫を受けており、それに抵抗(?)しておりましたら、先日、ついに一桁台に陥りました(赤い方が記入率。念のため)。 なので私も、重い腰をヨッコラセと上げ、筆を執りました。いや~、しかし、毎日日記を書いていらっしゃる方はもちろん、1週間に1度でも更新されている方を私は尊敬します Oj乙オソレイリマシタ---------------------------------------------------------------------- 以前、「30勝1敗 運を呼び込む田村式投資法」という本を読みました。 ジャンルとしては、株式投資のための本なのですが、“運”というものに焦点を当てた面白い本です。 そもそも株価の動きは単純で、上がるか、下がるか、変わらずか、の3つしかありません。 しかし、これから株価がどう動くかを予想するとなるとなかなか一筋縄ではいきません。 そこで、これからの株価の動きを予測する方法が考え出されたわけですが、それには大きく分けて二つあります。一つはファンダメンタル分析。もう一つはテクニカル分析。 ファンダメンタル分析とは、企業の財務諸表等を見て、今の株価が割高なのか割安なのかを計り、割高なら売る、割安なら買う、とする手法です。(PER(株価収益率)、PBR(株価純資産倍率)等々ありますが、要するに株価が割高か割安かを判断する指標です) テクニカル分析とは、過去の株価の動きからあるパターンを見出し、これを将来に当てはめて“次はこうなるだろう”と予測するものです。 この本は、この二つの手法では大きな利益を出すことができず、利益を出すには、運気が必要だと悟った著者の自説が載っています。 つまり、株式投資に運気という要素を取り入れた本です。 一般的にはシビアな投資の世界に運気など関係ないと思われるかもしれませんが、私にはかなり面白い内容でした。 投資に関する知識がなくても面白く読める本なのですが、より分かりやすく読めるために軽く説明をします。株に限らず為替でもオプション等でも、投資で利益を出すためには、・安く買って、高く売る。・高く売って、安く買い戻す。と言う二つの方法があります。前者は一般的な方法です。例えば、500円で1,000株買い、600円になったところで1,000株売ると、+100円×1,000株=+100,000円の利益となります(手数料、税金は考慮しない)。反対に、400円になったところで1,000株売ると、-100円×1,000株=-100,000円の損失となります。つまり、買った株価よりも値段が上がれば上がるほど利益になります。後者は信用売り(空売り)と呼ばれるもので、株式を保有していなくても、証券会社から株を借りて売るものです(株式を持っていないのに売るから空(カラ)売り)。例えば、500円で1,000株信用売りします。借りたものは返さないといけませんから、いずれ買い戻して証券会社に返します。それが400円に値下がりしたところで、1,000株買い戻すとすると、-100円×1,000株=-100,000円信用売りは値下がりすればするほど、利益が出るので、結局この場合も100,000円の利益となります。反対に、600円になったところで買い戻すと、+100円×1,000株=+100,000円 となり、100,000円の損失になります。つまり、売った株価よりも値段が下がれば下がるほど利益になります。実際のトヨタ自動車の株価を例にとると次のようになります。・4,150円で売り → 3,850円で買い戻し =300円の利益・3,900円で買い → 4,200円で売り =300円の利益 前置きが長くなって恐縮ですが(汗)、運気を重視する著者の主張は、次の通りです。 プラスとマイナス、対極同士が合わさることで0となり、そのとき運気となるエネルギーが生じる。 例えば、プラス電子とマイナス電子とで電気が発生する。男女が交わることで快楽が生じる。昼間の活動は夜休息することによって元気を回復する・・・すなわち、プラスとマイナス、陽と陰とが合わさることによって運気(エネルギー)が生じる。 ここで著者は、株を買ったときは「下がってください」と願うそうです。もちろん、株を買ったときは株価が上がれば利益に繋がるわけですから、上がるよう願うのが普通です。 しかし、客観的に株価が上がれば嬉しい状況で、「下がってください」と言うことで運気が生じる。 そして、よくよく考えると、株を買えたということは、売ってくれた人がいるということ。売ってくれた人にとっては、まだまだ下がると思ったから売ったのであって、下がってくれた方が良いのです。 これは開運の研究を続けた著者が「人の幸せを願えない人は幸せになれない」ということから編み出した気持ちの持ち方だそうです。 自分に株を売ってくれた人の幸せ・利益を願う気持ちが「下がって下さい」になります。 またこのことが自分の気持ちの余裕に繋がります。自分の利益と反対方向に株価が動いても(下がっても)、想定の範囲であれば心は動かず狼狽売りすることはないのです。(いくら株価が下がっても絶対に売らないというものではありません) 逆に、自分が売った場合は、下がってくれた方が良いのですが、上がるよう祈ります。 これもプラスとマイナス、そして、自分から株式を買ってくれた人の幸せ・利益を願う気持ちです。 株を売った後に、「下がれ!下がれ!」と願うことは、例えば、自分の乗っていた車を人に売ったあと、「壊れろ!壊れろ!」と祈るようなものだと著者は説明します。 この考え方は、日常生活にも通じるもので、例えば、お財布を落とした場合、客観的な事象としては「マイナスの出来事」です。しかし、そこで愚痴を言ったり、泣き言を言うなど「マイナスの言葉」を口に出すと「マイナス」と「マイナス」で運気は発生しません(電池の充電でも同極同士では充電にならず、むしろ液漏れしますものね)。 そういうときこそ「ああ、厄落としになってよかった」「全財産までなくさずにすんで良かった」「命まで落とさずにすんで良かった」と「プラスの言葉」を口にすべきで、そうすることが運気というエネルギーを生むのでしょう。 逆に、自分に「プラスの事象」が起こったときは「オレ様の実力はどんなものだ!」「私のお陰です!」と連呼することなく、「自分の実力以上のことが起きました」とか「みんなのお陰です」など謙遜する言葉で運気が発生するのでしょう。 また、株式等で利益が出た場合、すぐに別な銘柄に再投資せず、しばらくお金を休ませる方が運気のアップに繋がるようです。人間でも、長い間働いたら、休息が必要です。それを「よっ!お疲れさん。また次行っておいで!」と言われたら、ぐったりするでしょう。お金も同じことで、頑張ってお金を稼いでくれたのですから、しばし労をねぎらうためにもお休みが必要だそうです。 さらに、利益が出たら、ある程度消費することでまた運気のアップに繋がるようです(寄付なども)。利益というプラスの事象には、消費(寄付等)というマイナスの事象を組み合わせることで運気が発生するのです。100万円が200万円。200万円が400万円。400万円が800万円、という風に倍々にはいかないそうです。人間でも食べたら出しますし、溜め込む一方では運気が悪くなるそうです(別の口座に移し変えるだけでもいいようですが)。 そして、お金を使うことによって「お金があるお陰で、こんなに楽しい思いをすることができました。ありがとうございます」という感謝の気持ちがお金に伝わり、「こんなに喜んでくれるのなら、またこの人の所に帰ってこよう」とお金が思ってくれるそうです。反対に、利益を出すだけ出して、使わないと、「この人にお金は必要ないのかな」とお金が思ってあまり集まらなくなるそうです。 ある程度使った方が良いのですね。 心理的になかなか実践しにくいところもあるのですが(苦笑)、慣れると結構楽しいです(笑)。 著者の主張の妥当性自体、意見が分かれるかもしれませんが、私は自分の価値観と整合するところがあるので、すんなり読めました。 長々と読んで頂きありがとうございました。 次回は短くまとめたいと思います(大汗)。 皆様に更なる幸運が訪れますようにお祈りします。
2005年07月26日
私が密かに尊敬している桜餅さん。 お料理とテニスが好きだと仰るのは、世をたばかる仮の姿(笑)。 実は世の中の現象を帰納的に解明する思想家であり哲学者であり、求道者です。 そんな桜餅さんが日記で興味深い本を紹介されていました。4月16日山田ズーニーさん前編 5月13日山田ズーニーさん後編 著者は山田ズーニーさん。 小論文のスペシャリストであり、これまで多くの受験指導を通じて得たメソッドが、幅広く日常生活に応用できるような本です。豊富な具体例と順序だてて細分化した内容がすっきり鱗を落としてくれます。「伝わる・揺さぶる!文章を書く」「あなたの話はなぜ「通じない」のか」「NHK知るを楽しむ 日本語なるほど塾―想いが通じる!コミュニケーションレッスン」 これらの本を本屋さんで読んだのですが(買えって!:笑)、非常に有益で、新たな視点、新たな手段が手に入った気持ちになります。もちろん、一朝一夕にはマスターできないでしょうから、意識して少しずつ使えるようにし、最後は無意識で使えるようになりたいコミュニケーションメソッドです。 心に残ったことはたくさんあったのですが、そのうちの一つを書きます。 「根本思想」というものがそれで、「いくら方法論を磨いても、根本の思想(例えば恐れ)を隠して書くとその思想(恐れ)が出る」というような内容でした。 従って、根本思想をしっかり持ち、それを隠さないこと、ということでした。 桜餅さんの4月16日の日記を拝読した時にも、あることを思い出したのですが、ズーニーさんがそれを分かりやすく説明していたので、すっきり納得でした。 私が思い出したこととは次のことです。 仏教の本に書いていたことです・・・(また仏教かよっ!)-----------------------------------------あるところに、一人のきこりがいた。山奥に入り、いつものように斧で木を切っていた。そこへ、「さとり」という非常に珍しい動物が姿を現した。この「さとり」を探し求めて、どれだけ多くの人々が奔走しただろうか。きこりは思った。「さとり」に巡り合うとは自分は幸運な男だ。“よし、生け捕りにしよう”しかし、直ちにきこりの心を読んださとりは、からかうようにこう言った。「お前は、オレを捕まえようと思ったな」心を読まれてきこりがびっくりしていると、「オレを捕まえようかというお前が、オレに心を読まれてビックリするとはだらしがねぇ話だ」とさとりは言った。ますます驚いたきこりは、“ええい、小癪なヤツ!斧で一撃のうちに殺してしまおう”と考えた。すると「さとり」は、「おや、今度はオレを殺そうというのか。いやぁ、おっかない、おっかない」と、逃げる身構えをした。ホトホト呆れたきこりは“こりゃかなわん。こんな動物を相手にしていては飯の食い上げだ。 こんなもの忘れて本来の仕事を続けよう”と考えた。「さとり」は、またまた、きこりをからかうように言った。「ははは~。とうとうオレを諦めたか。」 きこりは「さとり」の言葉に耳を傾けず、元気を出して木を切ることに没頭した。力一杯斧を振り上げ、木の根元に振り下ろす。全身から汗が流れ、黙々と木を切っていく。すると、全く偶然に、斧の頭が柄から抜けて飛び、「さとり」に当たった。お陰できこりはこれを生け捕りにすることが出来たという。きこりの心の動きを読み取り、きこりをからかったこの動物も、無心の心はついに読み取れなかった。-------------------------- 少々長くなりましたが(汗)、この話とズーニーさんの「根本思想」は通じるものがあると思いました。書き手が「きこり」で、読み手が「さとり」。 読み手は自然と、書き手の真意や根本思想、人柄を察知すると思います。 私自身、文章を書くときには、ついつい多くの可能性を考えるため、良く言えば幅を持たせ、悪く言えば言い訳がましい文章になるのです。例「~等」←他の場合の余地を残す「~だろうが」←である、と言い切らない「~と言い得る」←得る、ということで他の可能性を残す「(多くの場合)(全てではないが)」←カッコ付きで僅かに他の事が起こりうる可能性を示唆する などなど(←これも:笑)、これらの言葉を多用してしまいます。 文書の性質上、断言できないこともあるし、断言してはいけないこともあるのですが、それらと関わりのない私的な通信にも、ついつい使ってしまうのです(汗)。 ですが、私自身、後から読み直すと、回りくどくて読みにくい。自分の考えなどは、あくまで自分の考えなのですから言い切っていいはずなのに、それができない。言い切ることに対する恐れが出ているように感じます。 他の方でも意見は言い切った方が潔くてすっきりした印象を受けます。 狭い視野・狭い判断材料で、偏見に満ちた言い切りには、すっきりしませんが、ある程度確信の持った内容には言い切りも必要だと思いました。 バランスのとれた根本思想があれば、自分を守りながら文章を書かなくても読み手にはきっと伝わるのでしょう。 他にも、本当に色んなシーンで根本思想はにじみ出ると思います。 「儲けたい、儲けたい」と焦ると、お客さんはその心のうちを読んでしまいます。 お客さんは「買う」のは好きですが、「買わされる」のは嫌いです。 確かに、商人にとって「儲け」を出すことは大切です。 しかし、儲けるにしても「お客さんを喜ばせて儲ける」ことと、「客にウマイこと言って買わせて、儲けてやろう」と思うことは全く別。 大欲は無欲に似たり。自分だけの儲けや売名をがむしゃらに追うことなく、お客さんを喜ばせること、眼前の仕事に没頭することによって、結果、「さとり」という珍しい動物を捕まえることが出来るのだと思います。 また歌手や俳優にしても、歌唱中・演技中に頭の中でソロバンをはじくことはないでしょう。それよりも、自分の大好きな歌や演技に没頭していると思います。 日本一の商人、斎藤一人さんも、お弟子さんたちに最初にお話したのは「商売のコツ」ではなくて、「心が豊かになる話」だったそうです。まず初めに、己の心を豊かにし、相手の幸せを願うことが大切なのでしょうね。 同じようにコミュニケーションも、まず根本思想をしっかり(豊かに)することが大切。その上で、コンスタントに意思を上手く伝達できるような方法論を学ぶことが大切なのだと思いました。(本にあった例ですが、お受験に失敗した子のママが他者の言動を自分への嘲笑・攻撃だと思い込んで、他のママさんと対立する場面がありました。これも、内心の怒り・劣等感・自己防衛・問題の所在のすり替え等、劣等感で固められた根本思想がにじみ出た結果だと思いました。対応するママさんには、感情に流されず問題の所在を把握して、対立を避ける方法が書かれています。) もちろん、これらは車輪の両輪のような関係で、根本思想をしっかりしながら、方法論を学んでもいいし、方法論を学ぶうちに根本思想も確立してくるのだと思います。 精密に書かれた文章からは意外とも思える(?)キュートな山田ズーニーさん、家庭や仕事やお友達とのコミュニケーション力を高めたい方には一読の価値ありです。 「根本思想」に焦点を当てて書いてしまいましたが、多くのページが割かれているコミュニケーションの方法論は非常に有益です。例えの文章で、感動したくらいですから(笑)。 そしてズーニーさんの方法論にも感動したのですが、それより、文章からにじみ出る彼女の誠実さ、真摯さに心打たれました。彼女の心に感動しました。ズーニーさんの根本思想が響いて来るくらい誠実さがにじみ出ています。 私も根本思想をしっかり持って、変に守りに入った文章ではなく、自分の意見は意見としてしっかり書いていこうと思いました。 もちろん、傲慢になるのではなく、また、独善になるのでもないのですが、意見は意見として書いていこうと思います。 最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
2005年05月16日

「百選」といえば、「日本の名水100選」「日本の景色100選」「日本の滝100選」「ふるさとの駅100選」などなど、様々な百選が思い浮かぶでしょう。 ご存知かもしれませんが、法律の世界には、裁判の判決を集めた判例集があります。 これには民法判例百選とか、刑法判例百選という比較的メジャーなものから、交通事故判例百選、保険判例百選などというその業界の人しか読まないマイナーなものまで色とりどりのコレクションがあります。 これらの判例集、「百選」と謳っておきながら、その実、100以上も判例が収められている奥ゆかしい本です。 憲法判例百選(1)第4版 ( 著者: 芦部信喜 / 高橋和之 | 出版社: 有斐閣 ) 今日は憲法記念の日ですので、憲法判例百選の中から私の好きな裁判例をご紹介しましょう(え!?誰も聞きたくないって?)。 牧会活動事件 神戸簡易裁判所 昭和50年2月20日 判決[事案] 建造物侵入等の事件の犯人として警察が捜査中の高校生二人を、教会教育館に約1週間にわたり宿泊させた牧師の行為は、犯人蔵匿罪に該当するとして起訴された。[要旨] ・・・(被告人の本件牧会活動は)専ら被告人を頼って来た両少年の魂への配慮に出た行為というべく、被告人の採った右牧会活動は目的において相当な範囲にとどまったものである。 ・・・(また)被告人の本件牧会活動は手段方法においても相当であったのであり、むしろ両少年に対する宗教家としての献身は称賛されるべきであった。 以上を綜合して、被告人の本件所為を判断するとき、それは全体として法秩序の理念に反するところがなく、正当な業務行為として罪とならないものということができる。[判決] 無罪(※牧会活動・・・個人の魂への配慮を通じて社会に奉仕する活動) この牧師さんの行為は、宗教家として当たり前といえば当たり前なのかもしれません。 しかし、自分の信条を貫く行動をとったことに感動しますし、判決も血の通ったものと思いました。 いざというとき、自分の信条を貫けるか・・・正直になれるか・・・謝ることが出来るか・・・自分の身を構わず行動できるか・・・日頃から覚悟を決めておかないと到底出来ないことです。 もっとも、宗教家が逃亡者を匿うことは昔からあったことで、鎌倉時代の執権、北条泰時の帰依を受けた明恵上人もその一人です。 この帰依を受ける原因になったのが、承久の乱(後鳥羽上皇VS北条義時)。 この承久の乱、結局、後鳥羽上皇が破れたのですが、その上皇軍の敗走兵の中に明恵上人のお寺に逃げ込んだものが相当数いました。 明恵上人はそれらを匿います。 このことは当然、北条方に知られることなり、明恵上人は捕らえられて泰時(義時の長男)直々の取調べを受けることになりました。 しかし、明恵上人は毅然とした態度で「高野山は仏教の霊地で、殺生は禁断であるから、猟師や追われた鳥や獣でも、逃げ込んでくれば命を助けてやらねばならない。まして、敵に追われたとはいえ、逃げ込んできたのが人間であれば、どうしてこれを拒むことが出来よう。 それがいけないとあれば、まず拙僧の首をはねられたがよい。拙僧は自らの命よりも、出家としてなさねばならぬ使命を全うしたい」と言い放ちました。 この命をかけた発言にいたく感服した泰時は、罪をとがめるどころか、かえって上人に深く帰依したそうです。 私は俗物ですし、ここまでの覚悟は一生できないでしょう。 ただ、ほんのわずかでも、この覚悟を持てば何だって出来ると思います。 もちろん、この覚悟を持つことと、常日頃、悲壮感を漂わせることとは全く別です。 日頃は楽しくなるよう心がけ、また工夫もしますが、いざというときの覚悟が出来ていれば、同じことでも楽に感じるでしょう。 反対に、覚悟ができていなければ、どんなささいなことでも辛いものになるでしょうね。 憲法記念日に憲法判例を思い出し、新たに覚悟を決めた一日でした。 憲法判例百選(2)第4版 ( 著者: 芦部信喜 / 高橋和之 | 出版社: 有斐閣 ) 上記の判例百選は「1」で、こちらは「2」。 載っている範囲が違います。 条文を素読しても眠ってしまいますが(笑)、判例は具体的な事件の下で条文を解釈していますから、分野によっては面白く(?)読めます。
2005年05月03日
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私は以前、NHKの番組モニターをしたことがある。年に2回募集しているので募集を見たことがある人もいるだろう。 何でも「応募要領を取り寄せ、番組の感想を書いて送れ」ということなので、試しに番組の感想を送った。 すると、運良く採用された。 後日、NHKでアゴ足付き(食事と交通費付き)の説明会があるので、来て下さいとの連絡があり、出掛けた。 NHKの番組モニターというくらいだから、50~60人くらいいて広~い講義室のような場所で説明があると思っていた。 ところが、NHK放送局に着き、案内どおりの部屋に入るとそこは狭い会議室で、ややうろたえた。 口の字型に並べられた机の上には「大福16様」という立体の名札が立っている。さらに用意された資料を見ると、モニターは10人。「これは真面目にやらないといけないな・・・」(←当たり前:汗)と思っているうちに説明が始まり、モニター各氏の自己紹介もあった。 10人中3人が男性(私・20代:当時、40代の学校教諭、60代の定年退職者)、 7人が女性(年齢バラバラ、仕事の有無もそれぞれ)という構成だった。 その時の倍率は約8.7倍だったそうである。20代・男の応募者が少なかったんだろうな、と思いつつも選ばれた以上、ちゃんとやろうと考えた。 NHK側が何度も言っていたのが「なるべく厳しい意見を」ということだった。「お褒めの言葉も嬉しいが、なるべく厳しい意見を遠慮せずに書いて下さい」とのことなので、なるべくそうしようと思った。 一通りの説明が終わり、スタジオ見学をさせて貰った。いつもテレビに映っているスタジオに入って、説明してもらった。生放送中のデレクター等の仕事も見せてもらった。また本番直前のアナウンサーが原稿の下読みをしているところも見えた。 その後、先の部屋に戻ると昼食のお弁当が用意されていた(味噌汁付き)。NHKのスタッフ2人、モニター9人(男性教諭は仕事のため来てなかった)で、昼食をとることにになった。 だが、みんな初対面で話すこともないし、黙々と食べていた。時々、NHKの人が話しかけていたが、それもすぐに途切れた。 漬物を噛む「ボリッボリッ」という音が静かにこだましていた。 ここで、NHK番組モニターの仕事を紹介しよう。任期は6ヶ月(私は後期:10月~3月)。モニターには、担当番組と選択番組が割り当てられる。前者は局が指定した番組を週に2本(全国放送1本、ローカル放送1本)(月8本)後者は自分の観たい番組を週に1本(月4本)合計で月12本くらい観ることになる。そして、2ヶ月ごとに担当番組が変わる。因みに私の担当番組は10・11月(全国版)真剣10代しゃべり場(地方版)夕方のローカルニュース番組12・1月(全国版)クローズアップ現代(地方版)夕方のローカルニュース番組(前と曜日が違う)2・3月(全国版)おはよう日本(私の担当は7:00~8:13)(地方版)夕方のローカルニュース番組(前と曜日が違う) 真剣10代しゃべり場は・・・これまで一度も観たことがない番組でやや困惑しました・・・。私はあの手の番組が嫌いだからです。ま、でも仕事として観よう。 これらの番組をモニターは観る。そして、専用用紙に氏名・モニター番号・地区・放送日時・番組名を書いて、5段階の総合評価をつける。また、12項目のチェックポイントがあり該当するものがあればそれをマークする。 そして具体的な感想を書く。この感想の書き方は一切自由。箇条書きでもいいし、作文調でもいい。どんな感想でもどんな着眼点でもいい。 そんなこんなで、私のモニターが始まった。 私の場合、メモを取りながら1時間番組を観て、まとめ&下書きで30分。清書で30分。合計2時間強くらいの時間がかかった。送信は番組によって違うが、郵送とFAXの二方法が指定される。 ここで、皆様も気になるであろう報酬であるが、月約12本をモニターして報酬は15,000円。一回が1,250円で、時給にすれば約625円前後になろう。移動時間0ということを考慮しても決して高いとは言えない(NHKが好きで、且つ、文章を書くのが好きな人には、そこそこいいかもしれないですね)。 参考までに私の書いたモニターレポートを載せます(私は手紙でも何でも出す前にコピーをとる)。 モニター通信というものによると、書き方は本当に人それぞれだった。私は全ての番組について「良かった点」「改善した方が良いと思った点」という2項目を立てて箇条書きで書いていた。番組名:真剣10代しゃべり場サブタイトル:お金のない男はダメ!総合評価:1(よくない←これは5段階中一番低い評価)良かった点・歯に衣着せぬ口調で提案者が意見を言うのは番組を活気づかせ、みんなの意見も活発に出させるので良かった。改善した方がよいと思った点・今回のテーマは「お金のない男はダメ!」ということだが、提案者の言う「お金」とはいくらからいくらの範囲のお金を指すのか、最初に言って欲しかった。若しくは、誰か最初に聞いて欲しかった。一口にお金と言っても、人それぞれイメージする額が違うと思うからである。その上で、そのくらいの額がないとダメと主張し、叩き台にした方が絞った議論が出来ると思う。・もっとも、このテーマで提案者の言いたいことは「ケチな男はダメ!」もしくは「女に金を出させる男はダメ!」という印象を受けたので、冒頭からこういう趣旨であると告げてから議論を始めた方が良かった。的を絞った議論をしないと雑になりやすい。こちらは結論よりも議論の過程に興味があるからである。・提案者と○○さんの議論は熱くて楽しいが、如何せん噛み合っていない。自分の主張を通そうとするあまり、相手の意見をよく聞かずどこに納得できないかを上手く伝えきれていない印象を受ける。・道場破りの△△さんは緊張しているせいか発言が少なく残念だった。他のメンバーと発言のタイミングが重なった時にも引いていたので更に発言回数が少なくなっていた。レギュラーは、ほんの少しだけ道場破りに発言の機会を譲って欲しい。・この番組の目的がいまいちよく分からない。相手を論破することなのか、意見交換の場なのか、それとも番組名どおりただのしゃべり場なのか・・・?ただのしゃべり場ならば目的を果たしているが、毎回のテーマも議論の交わし方も彼らの自己満足だけで私個人としてはほとんど得るところはない。 「厳しい意見を」と言われていたので、遠慮なく思ったことを書いたのだが、この番組はいつも提案者の考えが練られていないように思った。 とはいえ、一般的にNHKの番組は隠れた名作が多くて、色々と学ぶべき点が多かった。 また、選択番組で何を見ようか考える時、番組表を見たが、その時意外と興味深いものを発見したりする。 一度モニターしたので、もう充分だが、なかなか楽しいモニター生活でした。 機会があれば、別の番組についても回想録を書こうと思います。 新選組!完全版 第壱集 DVD-BOX 新選組!完全版 第弐集 DVD-BOX 密かな幕末マニアの私は第壱集はもちろん、4月22日に発売された第弐集ももちろん取得。 「新撰組」は、時代が動く幕末の動乱、対立するイデオロギー、多様な人間関係、これらをすっきり面白く学ぶことが出来ます。先人達は何を思い行動したのか・・・。その思想は現代にも通じるものがあります。いかんせん、このDVD-BOXは高いので幕末マニア・新撰組オタクでないと購入はお奨めしません(苦笑)。 ただ・・・NHKさん・・・なんで次が800年前の「義経」なんだ!?
2005年04月30日
↑スマイルA 本文とは関係ありません。・・・スマイルじゃないし(汗)「笑顔下さい」・・・別に私がマクドナルドで言ったわけではない。昨日の夕方、用件があったので外出した。横断歩道で信号待ちをしていると、若い女性に声を掛けられた。「すみません、お兄さんの笑顔一枚下さい(ニコ)♪」あああ・・・つい一週間前にも同じ言葉を掛けられた。その時も横断歩道で信号待ちをしていた。何気に立っていると20代前半の女性が話しかけてきたのだ。~回想~「すみません~♪お兄さんの笑顔下さい(キャピ)♪」「え!?」「イベントの会社なんですが、この頃なかなか人が集まらなくって困っているんですよ~↑ 優しそうな人だったんで声を掛けさせてもらったのですけど、お兄さんのような笑顔の素敵な人のお写真を撮らせてもらって、それを宣伝用の広告に使いたいと思ってるんです~↑10秒くらいですぐ終わります♪」断っておくが、私はニヤニヤしながら歩いていたわけではないし、このときも突発的な思い出し笑をしていたわけでもない(たまにするが)。何も考えていなかったが、何かを深く考えるフリをしていただけだ。そして、何も考えていない私でも「撮影は一瞬で終わるが、出来上がった写真はいつまでも残る」くらい分かる。そもそも、私は自分がジャニーズ系でないことを知っているし、イケメンでないことも知っている。また、若い女性に声を掛けられて舞い上がってしまうには短い鼻の下しか持ち合わせていない。さらに、個人情報の流出を自ら奨励しているわけでもないし、肖像権は守りたい。何より、自分の写真が自分の関与しないところで、不特定多数の人に晒されるのは気持ちが悪い。「個人情報を流出したくないので、いいです」とか言ってお茶を濁した。1週間の間に2回も同じ台詞をかけられるとは、私はその団体から新人の「練習用」としてロックオンされているのだろうか? それとも、私のような人相は断る率が低いと統計的なデータが出ているのだろうか? 詳しく話を聞いて、実態を調査したいというハイリスク・ノーリターンな好奇心にも駆られたがやめておいた。私は自分が無理矢理契約させられない人間だということを知っている。私は万が一契約したとしても、契約の無効・取消・若しくは解除の主張をし得る人間だということを知っている。そして、私は、私のような人間こそ被害に遭い易いことも知っている。なので結局は断っただけなのだが、あれは一体、何なのだろうか??彼女らのバイト代は、どのようにして捻出されるのだろうか??会社名を聞いておくべきだった。(ちゃんとした会社だったら私の情報不足です><)
2005年04月26日

地方都市に住む私は、5年前の12月、兄上と一緒に東京へ「おのぼりさんツアー」に出掛けました♪行きたいところをリストアップして、それを線でつなぎ、おのぼりさんの、おのぼりさんによる、おのぼりさんのためのツアーを企画したのです。わが兄弟はビートルズが好きなので、埼玉の「ジョン・レノン ミュージアム」に行ったり、夜は六本木にある「キャヴァンクラブ」でビートルズの曲目に酔いしれたり。また、密かに「男はつらいよ」のファンでもある我々は葛飾・柴又の帝釈天を訪れ「寅さん記念館」で小躍りしたり。兄弟水入らずで楽しい時間を過ごしました。今回はその中でも国会議事堂見学をした思い出を書こうと思います。ご存知のように国会(参議院)は当日の受付で見学することが出来ます。(ただし、衆議院の見学には衆院議員の紹介がいるそうです)折角の、おのぼりさんツアーですから権力に擦り寄ろうと見学に行きました。受付を済ませた後、見学まで時間があったので、院内のお土産屋さんを物色。国会にちなんだキ-ホルダ-、筆ペン、ライタ-、飾り提灯、ベルト、ネックレス、ル-プタイ、歴代総理大臣の似顔絵の描かれた大皿や座右の銘入りの大皿、絵はがきなど様々なものがあり、マニアの心をくすぐります。そんな品々を、涎を垂らして見ていると見学の時間になりました。係りのおじさんが来て、「こちらへどうぞ」と案内された広場には、社会科見学の小学生がたくさんいました。「今日は小学生の見学と一緒です」と言われて、彼らの後ろに並んで歩く(笑)。赤絨毯の上を歩いて、天皇の御休所とか中央広間とか見ごたえのあるコースです。 天皇の御休所 中央広間(伊藤博文・大隈重信・板垣退助像あり) そして、議場へ。 傍聴席から、参議院の本会議が行われている場所を見学しました。その傍聴席で、小学生による質問コーナーがありました。係りのおじさん「はい、では、何か質問のある人はいますか~?」小学生「は~い。あの~、どうして衆議院と参議院の二つがあるのですか?」“おお!”と私は内心唸りました。二院制の本質、参議院の存在意義を問う鋭い質問です。かつて、シェイエスが「上院は下院と一致するときは無用であり、下院に対立するならば有害だ」と唱えて第二院の存在意義を否定しました。また、日本国憲法のもとになった連合国軍総司令部(GHQ)草案は一院制でした。因みに韓国は一院制を採っています。一般的に言われている第二院の存在意義は次の通りです。1.議会の専制の防止2.下院と政府との衝突の緩和3.下院の軽率な行為・過誤の回避4.民意の忠実な反映かかる小学生の、栴檀は双葉より香ばし的な質問を受けて、国会見学・案内のプロはどんなに噛み砕いて、分かりやすく、簡潔な答えをするのかと全身を耳にして回答を待ちました。ちょっと困った顔をした係りのおじさんは、おもむろに口を開きこう言いました。「あの~、どうしてって言われてもね~、法律にそう書いてあるから仕方ないんだよね(笑)」。。。ズルッ(ノ_ _)ノ もう、ぶっ飛んだのなんのって・・・(爆)思わず「うそ~!?」と言いそうになりました。ま、確かに係りのおじさんの答えも一つの答えでしょう。しかし、それは形式的な理由です。小学生が聞きたかったのは、実質的な理由、すなわち、どうして二院制という制度が法律に書かれたのですか?ということでしょう。おそらく、このクラスの社会科の時間に次のような質問があったはずです。小学生「先生、どうして衆議院と参議院の二つがあるのですか?」先生「はい、では、その質問は今度の国会見学の時に、質問しましょうね」先生も恐らく、係りのおじさんのこの答えにはぶっ飛んだはずです。さりとて、ここで適切な回答をすればこのおじさんに恥をかかせることになる。したがって、改めて学校で補足説明をしようと思ったのでしょう。ここでは、密かに道徳の授業も行われていたのでした。つい好奇心で先生の表情を見ようとしたのすが、私の位置からは見えませんでした(←意地悪~)。その後も、いくつかの質問が出て、憲法的に鋭いものもありました。しかし、またもや「これも・・・法律に書いてあるからなんだよね~(笑)」と答えていました。もちろん、議事堂が出来た経緯とか、実務ではどう使われているのか、などには的確で詳しい説明をされていました。そして、質問コーナーも終わり、次の見学場所へ移動。歩いていると、先ほどのおじさんが来て、「いや~、最近、忘年会が続いて今日も二日酔いなんですよ~(笑)。その痛い頭に、さっきみたいな難しい質問が来たらもっと頭が痛くなりますね~(笑)」とおっしゃってました(汗)。「はは・・・はは・は・」と顔の筋肉だけで愛想笑いをした私は粋な男です。一通りの見学で、国会内の色んな場所や、通路を通ることが出来、楽しかったです。最後は、国会議事堂の正面で、さっきのおじさんに写真を撮ってもらいました。さんざん書いてきましたが、このおじさんは、親切で楽しくて、すごくいい人でした。参議院バーチャルツアー ここでバーチャルな国会見学が出来ます権力へ擦り寄ることに快感を覚えた我々は、国会を出て、さらに、最高裁判所を目指しました。ところが、如何せん「要予約」という3文字に門前払いをくらいました(涙)。最高裁判所バーチャルツアー 最高裁のオールスターが勢揃いする大法廷は大迫力(椅子だけ)今回はおのぼりさん必須の「東京タワー」にも行けなかったのですが、次回、機会があれば首からカメラをぶら下げて「ワーキャー」言いながら、東京タワー型の文鎮をゲットしたいと思います(そんなのないって!?)。そして、もうすぐ5月3日の「憲法記念日」がやってきます。現行憲法については、色々な議論がなされていますが、一度全文を読んでみるのもいいかもしれませんね~。
2005年04月23日

4月16日(土)、楽しみにしていた退行催眠のセミナーに行って参りました。 友達とお昼ご飯を食べて、会場へ。 セミナーの時間は、14:00~16:30。 講師は青木勇一郎先生です。 セミナールームは、6人座れるテーブルが6脚。それが全部埋まるくらいの人が参加していました。 時間が来て、先生の自己紹介。 それから同じテーブルに座っている人達で、互いに握手と軽い自己紹介をし、和やかな雰囲気になりました。 退行催眠を始める前に、まずはイメージをつかむイメージトレーニングがありました。 レモンを想像し、それをかじる。色・形・大きさ・味などを想像する・・・ 軽くこの練習をして同じテーブルの人同士で感想を言い合う。 そしていよいよ退行催眠へ 最初に退行催眠を受けるに当たっての説明がありました。 どんな光景が見えても、見えなくても、こだわる必要も焦る必要もない、ありのままを感じることが大切、などなど・・・ そして先生による催眠誘導が始まりました・・・ 「目をつぶります・・・全身の力を抜いて・・・リラックスします・・・」 全身の力が抜け・・・ぽわ~んとリラックスしてきました。 そして・・・だんだん・・・私の前世が明らかに・・・なるつもりだったのですが、 何とっ!この日一睡もしておらず、かつ、お昼ご飯をたくさん食べていたので、思いっきり寝てしまいました(爆)! ふと気が付くと、退行催眠も終盤に差し掛かった模様(涙)。 寝てしまったものは仕方ないので、起きた時点からまた参加。 この時は過去を見終わって、未来の自分に会う、というところ。 ぼんやり映像が見えてきました。~そこはオフィスビルのようで、枠の広い窓がありました。 その前に今使っているものと同じデスクがありました。 窓から見える景色は見晴らしがよく、青空が広がっていました。 未来の自分はその席に座っておらず、誰も人物は見えませんでした。~ この光景は、ただの妄想かもしれないし、夢うつつの映像だったかもしれません。初めて受けたので、まだまだ慣れなかったのでしょうか。 特に何かのメッセージを受けたということもありませんでした(トホホ)。 約1時間の催眠トラベル後、意識を戻す時間が来ました。 「誰か過去世が見えた方はいますか?」という先生の問いに、何人かが答えていました。 ある人は、古代ギリシャでシャーマンをしていた過去世を見たと言って、非常に具体的な内容を語っていました(この方は現在の職業もそれに近いようでした)。 その後、テーブルの参加者達とそれぞれが見た映像や内容について話し合いました。 私はほとんど寝ていたので(苦笑)、歯痒い思いをしたのですが、一緒に行った男友達が過去世を見ていました。 その友達が見たのは~芸者(女性)をしていた江戸時代の過去世。 途中で芸者をやめて、和菓子屋を営んでいる和菓子職人と結婚。 男の子一人と女の子一人を授かる。 年老いて旦那を亡くし、不安を抱えながらも、頑張って和菓子屋を守っていった・・・~ というものです。自分の知らない人の発言ならともかく、非常に親しい友達がこのような具体的な話をしたので、かなり驚きました。 そして私が驚いたのは、その友達がパティシエ(洋菓子職人)の勉強をしていたからです! その他の参加者の話を聞いて、ほとんど見えなかったという人もいれば、具体的な内容が見えたという人もいました。 回数を重ねると、徐々にリラックスして、色々見えるのかなと思ったりしました。 今回はうっかり寝てしまったので、会場で販売されていた先生の本を購入しました。この本に付いているCDには、今回行った退行催眠が出来る先生の声が収録されています。 今回のセミナー料金が5,000円、本代が1,785円。 基本的に私はセコイのですが(苦笑)、これならと思い、買いました。 【送料無料商品】催眠トラベル 幸せの糸口が見つかる 前世?未来への旅 先生がその場でサインして下さりました。先生のお名前の「勇」の字を書かれ、その隣に、購入者が朱で「サンズイ」を書いて「湧く」という漢字を完成させました。 先生の表情は穏やかで優しく、とても気さくな方です。 前述の通り、この本にはCDが付いていて、先生の声で退行催眠が出来るようになっています。早速この夜、CDを聞いて退行催眠を試しました。 今度は全身がリラックスしているにもかかわらず、眠くならずにすごく入り込めました。 ~足元を見ると裸足で、毎日を自由気ままに暮らしている弥生時代のようでした。 「自由気ままに暮らしている」という実感をすごく受けました。 一枚の布に穴を開け、そこから頭を出して服にしています。 髪型は大木凡人のようでした(笑)。 生涯独身だったようで、歳をとって死んだ直後も回りの人たちは淡々としていました~ はっきりした映像ではないし、感覚としてこういうものを感じました。 何度か回数を重ねていけば、深くリラックスしてクリアな映像が見えるかもしれません。 すごく不思議な感覚なのですが、私はこういうことが好きなので、日にちを置いて何度も試してみたいと思います。 また何か違った過去世を見たら、ご報告します。
2005年04月20日

「私は18歳です。……長いドレスを着ています……時代は紀元前1863年です……」催眠療法中の女性患者が、前世の記憶を鮮やかに語り始めた。彼女を通して伝えられた精霊達のメッセージによって、精神科医は現代科学では説明できない輪廻転生の世界を徐々に理解していく。神秘的とも言える治癒の記録を綴ったこの手記は、人間観・人生観の革命であり、生きる真の意味を教えてくれる(裏表紙より)。←「季節の花300」さん色んなお花がきれいです 医療行為としての退行催眠により、小さい頃のトラウマを思い出させ、その原因を突き止めれば、原因不明の体調不良、精神不調を脱却できることがあるそうです。そこで、退行催眠により患者を治療していた米国の精神科医が、なかなか改善のみられない患者に対して、ある時「あなたの症状の原因となった時まで戻りなさい」と指示を出しました。 すると、冒頭のような前世の記憶を語りだしたのです。それも、毎回同じ前世ではなくて、いくつもの前世を語りました(その患者は86回生まれ変わっているそうです)。その時々で、医師が「あなたはこの人生で何を学びましたか?」と問い、患者はそれに答えます。各時代の人生ごとに学びのテーマがあって、それを学ばないと何度も同じテーマで生を受けることになります。ある過去世では男だったり女だったりして、いろいろなことを学びます。(退行催眠でいくつもの前世に触れた患者はその後すっかり心身ともに健康になりました) それだけでも、興味深いのですが、ある時、退行催眠治療中に、患者が本人ではない声、口調で語りだしたのです。それが精霊(マスター)の声でした。マスターが語る教えには、目から鱗が落ちます。 マスターは例えば、次のように言ってます。「大切なことは忍耐とタイミングだ。……すべてのことには時がある。人生をあせってはならぬ。人生は多くの人々が期待するように、うまく予定通りにゆくことはない。したがって、人はその時々にやってくるものを受け入れ、それ以上を望まない方がよいのだ。命には終わりがない。そして、人は決して死なないのだ。新たに生まれるということも本当はないのだ。ただ異なるいくつもの場面を通り過ぎてゆくだけなのだ。終わりというものはない。人間はたくさんの次元をもっている。時間というものは、人が認識しているようなものではない。答えは学びの中にあろう。」 前世や生まれ変わりというと、怪しいと思われがちな分野ですが、この本は医師が実例をあげて退行催眠中の会話やマスターの教えを載せています。これらの考えを信用する、しないは別としても一読の価値はあると思います。 自分はどこから来て、どこにいくのか、生まれてきた目的は、など考えさせれます。 また、転生は魂のグループによってなされるそうです。自分の家族や親しい友人、また大嫌いな人などは、いくつもの人生を一緒に過ごしてきた魂のグループなのかもしれません。初めて会ったのに昔からの親友と思えるような人も、いくつもの過去生をともに過ごしてきた魂のグループの一員なのかもしれません。 私もこの人生で学ぶべきことをしっかり学ぼうと思います。神秘的で新たな価値観に気付かせてくれるような本です。【楽天ブックス】前世療法 そして、今日、私は退行催眠を受けるセミナーに出席します(←これが言いたかったのか!?) 前世が見えるか見えないかは分かりませんが、試しに受けてみます~。 一度受けてみたかったのだ~。 友達と一緒に行くのですが、もしも友達が変な声で「人生を焦ってはならぬ!」とか言い出したら、私は裸足で逃げ出します、怖いもん(笑)。 結果が面白ければご報告いたします~~♪
2005年04月15日

あなたは、どちらを選びますか?質問1 仕事の成功でボーナスが支給されることになりました。 次のA、Bの封筒のうちどちらかを選ぶとしたら、 あなたはどちらを選びますか?A:必ず80万円入っているB:100万円入っているが、15%の確率で1円も入っていない質問2 先の仕事はその後、一つのミスから大きな損害を出しました。 あなたは既に貰ったボーナスを返還して損失の穴埋めをします。 次のA、Bのうち、どちらを選びますか?マネーの心理学 A:80万円を支払う B:100万円を支払うが、15%の確率でまったく 支払わなくてもよいこれらの問題、いわゆる期待値を考えればどちらがお得なのか分かります質問1の場合、期待値は、A:80万円 B:85万円(100万円×85%=85万円)質問2の場合、期待値は、A:-80万円 B:-85万円(-100万円×85%=-85万円)したがって、それぞれB・Aを選ぶ方が合理的です。ただ、期待値からは上記の選択が有利なのですが、多くの人は違った判断をします。質問1の場合、多くの人は確実に80万円貰えるAを選びます。「貰えるものは手堅く貰っておく」と考えるのは、一般的な人の心理です。反対にBを選ばなかったのは、少し額が多いにしろ15%の確率で貰える額が0円になる恐れがあるからです。次の質問2なのですが、こちらは圧倒的に多くの人がBと答えるそうです。支払う側になると、確実に80万円支払うよりも、15%の確率で全く支払わなくても良いほうに魅力を感じるのです。このように、人を動かすのは、確率ではなく心理であるということです。同じ金額であれば、人は得た時の喜びよりも、損をした時の不快感の方が大きくなります。そうした感情から、多くの人は確実な利益を望みます。また、確実な損失を避けるあまり、リスクをとりがちになります。ちなみに、私の場合、質問1はA。質問2もAでした。期待値は分かるのですが、それを100回繰り返すならともかく、一発勝負ならば確実な方を選びたいからです。この二つの答えから、それぞれのタイプが分かります。【A・Aと選んだ人】 慎重な性格で手堅いタイプといえます。お金に関して慎重に行動するタイプといえます。【A・Bと選んだ人】 投資には向かない人。マーケットでも損をしやいとされる。そして、ほとんどの人がこのタイプなのだそうです。 ただ、大切なことは自分の癖を知ることでしょう。己を知れば、また修正するきっかけになります。【B・Bと選んだ人】 ギャンブラータイプです。勝つときは大勝ちしますが、負けるときは大負けするといっていいでしょう。【B・Aと選んだ人】 このタイプこそ、もっとも相場に向いている人だそうです。中でも直感的にB・Aを選んだ人は、もっとも投資家に向いている人と言っていいそうです。 期待値から判断した人は、冷静で合理的な判断が出来る人で、直感的に選んだ人に次いで投資家に向いていると言えるとのことです。質問3 あなたは資金豊富な投資家です。ある世界的に有名なカリスマ投資家が「○○株を大量に買っている」という情報を入手しました。 さて、あなたはどうしますか?A:自分だけが得た耳より情報だから、○○社の株をすぐに買うB:世間の噂だから、とりあえず○○社株を調査する質問4 では、あなたがその有名なカリスマ投資家だったとします。 そのとき、あなたの株の買い方はA、Bどちらの方法をとっていると思いますか?A:市場で「私は○○社株を買っている」と周囲に教えながら買うB:市場や周囲の投資家に、できるだけ悟られないように買う多くの人は、質問3・4共に、Bを選ぶと思います。自分より優秀なはずのカリスマ投資家が、自分もしないような手の内を明かすことはしないでしょう。反対に、カリスマ投資家の情報がマーケットに流れているとすれば、その情報には裏があるかもしれませんね。世界的に有名な投資家であるジョージ・ソロスも、市場に流れる情報を上手く利用したといわれています。つまり、口の軽い銀行では「売り」を行い、同時に口の堅い銀行ではこっそりと、そして大量に「買い」を行ったそうです。ここで大切だと思うのは、「自分なら何をするか」という判断とは別に、「自分よりも優秀な人間ならば何をするか」という思考を持つことです。 自分よりも優秀な人間の気持ちになって、いつも冷静に、置かれた状況を考えることができれば、よりよい結果をもたらす可能性が高くなると思います。 投資で利益を出し、また利益を出し続けるためには、投資のルールや取引手法を勉強しなければならないことはもちろんのこと、人間の心理についても勉強する必要があります。 実際に投資をしていると、心理的な要因が強いことに気付くでしょう。 その意味でも、この「マネーの心理学」は面白かったです。 その他にもいろいろな問題や興味深い事例が紹介されていて、読んですぐに実践できる内容でした。【楽天ブックス】〈図説〉マネーの心理学 私の場合、ルールを厳格に定めていて機械的な運用をしているのですが、それもある意味、心理的なものに惑わされないようにするためです。 経験上、投資のルールを破れば、マーケットはそのルール違反を責めるように損失を拡大させます。そうなるとあとは、不安や恐怖に駆られて理性による運用は困難になります。 投資における心理学は、その知識があるだけで随分違うと思います。 「金持ち父さん」は「金持ち父さんの投資ガイド(上級編)」で次のように言っています。「プロの投資家で、自分のチームの一員として心理学者を含める人が多い……少なくとも私が一人含めている…」のは恐怖心があるからだ、と。 【送料無料商品】金持ち父さんの投資ガイド(上級編) 「金持ち父さん貧乏父さん」の内容からさらに「投資」に絞った内容です。 さまざまタイプの投資家について書かれてあり、自分はどこを目指すのかの、具体的な指針となります。 また、デイトレーダーであり、プロのデイトレーダーを養成しているオリバー・べレスは共著の「デイトレード」で次のように言っています。「トレーディングの八割以上は心理的なものである」「マーケットに関して言えば、心理的に実行が容易な行為は、ほとんどの場合、不適切な行動であるという事実は驚きである」 【送料無料商品】デイトレード この「デイトレード」は、心理に加え、投資のルールを定めることを何度も説いており、非常に有益な本です。この本を読んだお陰で、私は利益を出し続けていると言っても過言ではありません。決して難しいことを書いているわけではなく、シンプルであり、かつ、ジョークが各所に散りばめられています。本当に笑えます。 株ですぐに利益を出したいならば、上記の「金持ち父さんの投資ガイド(上級編)」よりも、この「デイトレード」がお勧めです。 株に限らず、為替やその他のデリバティブをこれからはじめる方にもきっと役に立つでしょう。 「自分よりも優秀な人の視点」を身につけて、利益を出し続けましょう~。
2005年04月15日

「王より飛車を可愛がり」これは将棋の永世棋聖、米長邦雄さんが言った運を悪くしない教えです(氏は、2003年に現役を引退されました)。ある日、ラジオで「米長邦雄・勝負の方程式」という特別番組がありました。この番組、メチャメチャ面白かったのですが、その中で印象に残った言葉がタイトルの「王より飛車を可愛がり」という言葉。もともとこれは、将棋を詠った川柳で「へぼ将棋 王より飛車を 可愛がり」というもの。本来、一番大切な王将を守るために、攻めて守る飛車(将棋の駒の一つ)がいるのに、大事な王将よりも、ついつい飛車の方を大事にしてしまうという、初心者の心理を面白く詠んだものです。で、米長さんは、「運をよくするため、そして運を悪くしないためには、「王より飛車を可愛がり」という気持ちが大事だ」と言っていました。それは、どういうことか。つまり、米長さんが言うには、例えば街で、こっぴどくフラれた昔の恋人に出会ったとする。そして、今、自分には恋人がいるとする。その時、たとえ嫌な記憶がよみがえったとしても、邪険にしてはいけない。優しく気遣いをしなければならない、ということです。また、別な例で言えば、会社を訪問したとする。そのときは、その会社のお偉いさんよりも、まず、一番下っ端のアルバイトや掃除のおばさんから先に挨拶をしなければならない、ということです。これが「王より飛車を可愛がり」ということです。これをすれば運が良くなる、というよりも、むしろ、これをやらないと運が悪くなるそうです。そうしなければ、いつ足を引っ張られるか分からない、と。これを聴いて「なるほど!」と膝を打った私は、以来この教えを守っています。・会社や学校を訪問した時、組織の下の人には、とびっきりの笑顔で挨拶します。 (お偉いさんには普通の笑顔:笑)・掃除のおばさんがいたら、「トイレ、ピカピカで気持ちいいですね」と笑顔で 言います(お世辞ではなくて、本当にきれいだから声に出す)。・お茶を頂いたら、「ありがとうございます」と笑顔でお礼を言います。これらのことは当たり前のことかもしれませんが、特に意識してするようにしています。そのお陰で(?)、私は色んな人に可愛がってもらえています(多分:笑)。険悪な雰囲気の人もいませんし、人に恵まれるようになりました。つい最近、ある会社の総務の人から聞いたのですが「○○社の××さん、今まで私が挨拶しても無視してたのに、総務になってから急に愛想がよくなったのよ。信用できんよね~」と。ま、この××さんはちょっと問題ありの人なので、極端な例かもしれませんが、ゾゾゾ~としました(私はもともと無視なんかしませんけど:笑)。米長さんの開運に関する本は「運を育てる」が有名。将棋を知らなくても、面白く読め、ためになります。萩本欽一・大橋巨泉・団鬼六等、各界の著名人も出てきます。運を育てる飛車を可愛がりますが、王将も可愛がります(笑)。6年ほど前、日本将棋連盟から通販で買いました。九谷焼で現在も使用中~。厚みがあって冷めにくく、唇に触れる感触も良い。王将湯呑米長ファン垂涎の扇子(書は「惜福」:レプリカ)ま、米長ファンしか涎を垂らしません(笑) お香の香りが漂う立派な扇子です。永世棋聖 米長邦雄扇子【惜福】
2005年04月12日
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4月8日の日記に「日日是好日の気持ちで毎日を送られれば良いが、四苦八苦や自然災害などで、この気持ちを持ち続けることは生半可なことではない」ということを書きました。ここで四苦八苦とは具体的にどういうことなのか。仏教では、基本的な苦としてまず、生・老・病・死を説きます。それに次の四つの苦を加えると、八苦になります。愛別離苦(あいべつりく)・・・愛する者と離別しなければならない苦しみ怨憎会苦(おんぞうえく)・・・怨み、憎む者と会わなければならない苦しみ求不得苦(ぐふとくく)・・・・求めるものが得られない苦しみ五蘊盛苦(ごうんじょうく)・・肉体と精神の全てがそのまま苦である(正確には、色・受・想・行・識の5要素の作用から起こる苦しみのことですが、複雑なので上記のものだと仮にしておきます)これらの四苦八苦によって、毎日が手放しで「タノシイ~♪イエーイ^^v」とはなかなかならないでしょう。しかし、改めて考えると、これらは本当に「苦しみ」なのでしょうか?生まれてきた瞬間のことは、苦しかったのか、誰も覚えていないでしょう。老いることとは、換言すれば時間が経過すること。私達は毎日毎日、いえ、毎秒毎秒老いているわけですが、その全てが苦しみでしょうか? そんなことありませんね。♪人生~楽ありゃ、苦もあるさ~の通り苦しいこともあれば、楽しいことも結構あります。病についても、自覚症状がなければ苦しみもないでしょう。また、入院したお陰で人様の優しさや健康に感謝することもあるでしょう。無病息災よりも一病息災とも言われます。死についても、死ぬことが苦しみなのか、実際に死んでみないと分かりません(苦笑)。死ぬ間際に脳内モルヒネが作られ、安らかに死んでいけるという学説もあります。その他、愛別離苦以下の「苦」についても、全てが絶対的に「苦しみ」であるとは言い切れません。実は、この「苦」という漢字、般若心経などにも書かれているのですが、原典のサンスクリット語では「苦しい」という意味ではないそうです。そもそも釈尊は、古代インド(現在のネパール付近)に生まれた人で釈尊の入滅後にまとめられたお経もサンスクリット語で書かれています。そして、一般的に普及している漢訳された般若心経は、西遊記でお馴染みの玄奘三蔵が600巻にも及ぶ「大般若経」のエッセンスを262文字に簡潔にまとめたもの。激安ミュージックCD般若心経 観音経 通勤・通学に「般若心経」をイヤホンで聞くのが静かなブーム~♪ 音量を大きくして音漏れがすると、周りからサーと人が引くでしょう♪ このご利益(?)を活かして快適な通勤電車にできるかも!?漢字では「苦」ですが、サンスクリット語では「苦しい」の意味ではなく「思うがままにならないこと」という意味です。とすれば、「生・老・病・死等の四苦八苦が苦しみ」であるという解釈は適切ではないでしょう。改めて考えてみると、生・老・病・死・愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦は、思うがままにしようと思っても出来ません。つまり、思うがままにならないことを、思うがままにしようとするから苦しみが生じるということになります。思うがままにならないのならば、早く気持ちを切り替えて、楽しいことに意識を持って行った方がいいですね。人生が「今」という一瞬の連続であるならば、その「今」を楽しく、なるべく多く過ごした方がいい。過ぎ去った過去を悔やみ、まだ来ぬ未来を思い煩うよりも、今を精一杯生きた方がいい(もちろんこのことと、過去の反省・分析と未来への計画・対策とは別)。ところで、あるとき釈尊に質問した人がいます。「私は美しい花を見たり、トゲを踏んだりすると、心が動いてしまいます。心が動じないようにするにはどうしたらいいのでしょうか?」それに対して、釈尊はこう諭されたといわれます。「私も美しい花を見れば美しいと思うし、トゲを踏めば痛いと顔をしかめる。このように私も第一の矢を受ける。 だが、凡夫は第二の矢を受けるのに対して、私は第二の矢を受けることはない」 つまり、釈尊でも美しいと思うし、苦痛を感じます(第一の矢)。 しかし、釈尊はその場を離れれば、もう先のことに心が捕らわれていません。 いつまでも思いに捕らわれることなく、次のことがらに気持ちを切り替えています。 しかし、凡夫はその場を離れた後でも「あの花きれいだったなあ」とか「一体、誰があんなところにトゲなんか捨てたんだ、危ないじゃないか、まったく」といつまでも思いを持ち続けます(第二の矢)。 第一の矢を受けるのは当然でしょうし、人間らしく生きるために必要です。 ですが、第二の矢を受けていては、次に来ている今を楽しめませんね。 余談ですが、交通事故を起こした人には、「夫婦ゲンカ」をしていることが多いと聞いたことがあります。運転中も心のどこかにケンカの意識が残っているのでしょうか。 ハードチップ用矢 Lクラス(3本セット) これはリアルの「矢」(笑)☆ 夫婦ゲンカのお供に~(ウソ:笑)♪ フィルムを入れて撮影するカメラでも、一枚撮ったら、フィルムを巻かなければ二重取りになってぼやけてしまいます。 いつでも心のフィルムを巻いて、今という時間を楽しんでいたいですね! そして「莫妄想(まくもうぞう)」という禅の言葉、私は好きなのですが、これは「妄想する莫(なか)れ」ということ。 読んで字の如し、考えても仕方の無いこと、人間が考えても分からないこと、は考えなくていいよ、ということです。 もちろん、ある程度の予測を立ててその対応策を練ることとと、上記のこととは、違いますね。 仏教の法話や、お経の物語は、様々な比喩や例え話の宝庫です。 長い歴史に積み重なった叡智を感じることが出来て楽しいです。 何だか偉そうなことを書いてしまいましたが(汗)、もちろん、私に煩悩が多いからこそ、こういう話が好きなのでしょう。 毎日妄想を繰り返しているからこそ、「莫妄想」という言葉が好きなのです。 本当に第二の矢を受けず、日日是好日の気持ちでいられるならば、(当たり前すぎて)こんなことに関心がないでしょうし、もしかしたらお迎えが来るのかもしれませんね(笑)。 長々と読んで下さりましてありがとうございました! 今日も心のフィルムを巻いて、どうぞ楽しい一日を~♪↑あ、これは本当のカメラとフィルム(←アホ:笑)~♪
2005年04月10日
4月8日、今日は花の日。お釈迦様が生まれた日です。花の日をきっかけに日々の出来事を綴っていこうと思います。タイトルの「日日是好日」ですが、これは禅の言葉です。毎日楽しいことばかりだといいのですが、最愛の人と離別することもあれば、合わない人と同席せざるを得ないこともあります。また、欲しくてたまらないものがどうしても手に入らないこともあれば、抑えがたい欲望と戦う日もあります。さらには、地震や台風などの自然災害に脅かされることもあります。こうした中を毎日「日日是好日」の気持ちで送ることは、生半可なことではありませんし、まだまだ私ごときにできることではありません。したがって、毎日を「日日是好日」と送るため、読んだ本、出来事、出会った人などから楽しいことを探し、自分の心を高めていければ、と考えています。夏にする花火を大きく回すと、光の輪が出来ます。輪に見えるのですが、よくよく考えると、これは一瞬一瞬の光の点が連続してつながったもの。時間の流れも、今という一瞬の連続。一瞬、一瞬を楽しんで過ごせれば、生きる道もまた、楽しんで過ごすことができると思っています。出会いを大切に、色々なことを学びながら続けたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
2005年04月08日
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