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初めて日記を書いてからもう20年以上たったのが信じられない。あの頃の小さい子供が成人しているんだもんね。つい最近のような気がする。そういえば、今年の6月に青森のほうへ行った。18年位前に初めて行った、懐かしいい下北半島も・・・・・。自分にとっては聖地巡礼みたいなもの。この島を背景に白い馬と走っている写真をったのを覚えている。でももう馬は放されていない。数年前に事故があったらしい。誰かが犬を放して、馬が驚いて・・・・・。だから、海岸や灯台の周りにいる馬を見ることはもうできない。草も伸びて歩き辛いし、雰囲気も変わってしまって残念だ。馬がいなくなる数年前から灯台に登れるようになったのも変わったところ。ここの店も当時行った。やぎはいたけど、馬はもういなかった。あの時、犬がいたのを覚えている。下の海岸でカモメにかっぱえびせんをあげたのも・・・・・。この日は30分ぐらいの間土砂降りになって駐車場がこんな感じ。建物は古くなって少し寂れた感じだった。思い出を振り返ってみると、人生結構幸せなのかもしれない。もっとたくさんほしいかったし、進行形であってほしいけど、無限ではないしすべてはいつか終わる。だから、そういう時間があったこと自体すごく幸せなことだと思う。今、どうしているのだろう。数年前、犬や猫に関する人助け的な仕事をやっていて、すごく親身になってい対応してくれているっていう評価をもらっていた。なんかうれしかった。だけど、もうやめてしまったらしい。理由が体調不良だったから心配になる。今、元気になっていればいいね。そして、幸せでいてほしい。ほかの人もどうしているかな。同じく、幸せでいてほしい。今度はいつ独り言を書くのだろう・・・・・。
2023年08月16日
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はじめに、今現在生きている。そういえば前回日記を書いたのは2013.7.13だったから6年近く前のこと。書いてはいなかったけど、誰か見に来ていないかたまに数字を確認したりしていた。それから、昔知っていた日記を見に行ったりした。殆どは、すでに消えているか更新が止まっているかしていて、懐かしい場所が廃墟になっていて寂しい気分になる。安否もわからないし・・・・。毎日のように更新しているひとでも、コメントが年に数回だったりするから、やっていて虚しいような気分になるのかもしれない。近況報告、誰も関心がないとおもうけど・・・・・。生活は特に問題もなくやっている。まわりにはいやな人間もいるけど、自分に対して感じがいい人間のほうが多少多い。仕事の人間関係を含めてそこそこうまくやっていると思う。むかしだったら、あたまにくることもどうでもよくなって譲ることが多いのが原因なのは確か。親とか兄弟とは3年以上連絡を取っていない。だからどうしているかあまりわからない。自分でも異常なことだと思うけど、必然なことでもある。あと、車もおなじやつに乗っている。仕事以外で使う古いほうは今年1000キロも乗っていないけど・・・・・・。行きたいところがあまりないから・・・・・・。どんな風景も空っぽな気がする。それから、江国香織の本はかなり読んでいる。架空で実体のなくても確かに存在している。あと、アランの幸福論は精神的につらい人にとって多少は助けになると思う。そういえば、写真は撮ることは少なくなった。空っぽだからね。
2019年05月06日
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この日記を始めたのはちょうど10年前の7月13日だった。あれから10歳年をとったのが信じられない。そういえば、1年半以上更新していない。
2013年07月13日
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歌詞の中でどれほど深く信じあってもわからないこともあるでしょうその孤独と寄り添い生きることが愛するということかもしれないからとういところがある。すごい詩だと思う!自分がそうだと思っていると、相手もそう思うと考えてしまうことがある。自分の感覚だったり、理屈だったりを・・・・・・。でも、自分自身でさえ理屈を超えた感情に支配されることがある。なんでこんなことが不安なんだろうとか・・・・・。なんでこの前見た夢の中でわくわくしていたのだろうとか・・・・・・。説明してもその感覚は誰かが理解できない気がする。だから、誰かの心の中などわからない。前にこんなことがあった。ある人が、車を持ちたいといった。自分は反対した。理由、その場所でのその生活だったら、自分だったら車を持たない生活を選ぶだろうから・・・・・。交通の便がいいところだから、使いそうな頻度やいろいろな費用を考えるとすごく不合理。その分、ほかのことに使ったほうが豊かだとに考えたから・・・・。だけど、その人にとって、車を持つことは憧れやときめきなのかもしれなかった。その人のことを思っているからこそ、そういったのだけれど、今考えると、悪いことをしたと思う。持ちたい、っていっていたのに反対したからね!持ちたい、って言っていたのに、心の中を表そうにしていたのに気付かなかったわけだから・・・・・。あと、自分が辛いことは相手も辛いと思ってしまいがちになる。例えば、残業が多過くて休日が少ないのはひどすぎるとか・・・・・。でも、そんなことよりももっと辛いことがあるとか、言っているのに気がつかなかったり・・・・・・。その人の心の中はどんな世界かは、いくら信じあっていても見ることはできない。お互いにだけど・・・・。それはすごく孤独なことだと思う。だけど、それを認めることが相手を幸せにすることなのだろう・・・・・。勝手に分かったつもりになっていると、相手の心の宝物を壊してしまうからね!壊すどころか、相手を殺してしまうことだってある。「いまを生きる」という小説の中では、親が子供のために良かれとしたことで子供を自殺に追い込んだわけだから・・・・・。
2012年01月08日
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いろいろな意味で写真もこの時以来殆ど撮っていない。2ヶ月以上前の須川を秋田方面に少し下ったところ。2ヶ月後は確実に変わるのだろう・・・・・。いろいろな意味で
2011年12月18日
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先月あの犬を助けてから、そこの家が見えるところを車で通るたびに元気かな、とかまた逃げ出していないかなとか思っていた。怪我はだんだん良くなるものだと思っていたから・・・・・・。でも、その必要はなくなった。あれから一週間くらいして死んだらしい。犬も歳をとっていて、化膿して力尽きたらしい。数時間しか一緒にいなかったけど、絆を感じた犬だった。
2011年10月27日
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この前の月曜日に須川温泉から登った!朝6時半過ぎに家を出て7時半ごろについたけど、駐車場にはやっととめられた。そういえば、写真の容量がいつのまにか残り10ぶんの1以下になっていた。パソコンを変えて圧縮率が低いままの写真を載せたのが原因。ふぉとぐらふのへやもおわりにちかい。下の写真は頂上からイワカガミ平方面だから・・・・。紅葉は華やかだから余計に悲しい。
2011年10月15日
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大沼を出たあと田沢湖方面に向かった。その途中に玉川温泉がある。ここは昔来たことがある。運転免許を取ってすぐの秋だったと思う。両親との旅行で帰りの日は雪になったのを覚えている。駐車場で100円払うとき、5時半でしまるからどうしますか、と言われたけど、4時位だから入ることにした。あの時は旅館以外行かなかったけど、今回は岩盤浴の方を見に行った。ここの温泉は、癌が治ることがあるらしい・・・・・。だから、そのためにここに滞在する人も多い。もし、自分が癌になったら、病院に行かないでここに来ようと思う。そもそも病院は行かないから、癌だかどうだかわからないかもしれないけど・・・・・。仮に治らなくても、最後の時間なら病院よりこんなところで過ごしたい。いいところに感じるから・・・・・・。あの頃、旅館の部屋はかなり古い部屋だったけど、なんともいえない雰囲気は好きだった。自分はあの時以来だけど、両親はここ数年5月と10月に来ているらしい。でも、弱っていたから今年の5月がさいごになるのかもしれない。もうここに来ることができないのかもしれない。今回は日帰りで入った。普段はシャワーだけだから、湯船に入るのは久しぶりなせいもあって入った途端体の力が抜けて疲れが取れていく感じがした。お湯はすごい酸性で肌がヒリヒリするほど、劇薬みたいな温泉だから効果があるときはすごいのかもしれない。玉川温泉の駐車場を出た頃は5時を過ぎていて、少し暗くなり始めていた。そういえば、あの時、温泉から下っていく雪道で抜いていった車が消えたと思ったら、道路の下に落ちていたのを覚えている。誰も怪我はしていないみたいで、大きいトラックとかが通ったときに引き上げてもらうと言っていた。ライト付けるくらいになった頃、玉川ダムに寄ったけど、人の気配はなくて寂しい感じだった。連休最終日誰もいなくなる。ちょっとした旅でも帰りの夕暮れは何かを喪失した気分になる。そのあとは、暗くなったので田沢湖も寄らずに盛岡インターから高速に乗って帰るだけ。一週間前の今頃は高速に乗った頃だったと思う。
2011年10月02日
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頂上近くの心地いいところを後にして、レストハウスの方に行ったりして車に戻った。これからどちらの方に向かうか30分近く車の中で地図とかを見ながら迷っていた。いろいろ選択肢があり渋滞とかを考えると決められなくなる。結局、帰るには遠回りだけど秋田方面に下ることにした。秋田県側に降りていくとビジターセンターがあったので寄ってみるたけど、あまり充実はしていなかった。そのすぐそばに大沼があるので、入口の周りだけ行ってみることにしたけど、結局一周した。最初、人の気配が全くなかったけど、一度だけ年配の夫婦とすれ違った。花もほとんど咲いていないし、荒地っぽい感じもするから、紅葉には早いこの時期は人気がないのだろう・・・・。3時ごろだったけど、日は低めになっていて心地いいというより寂しい感じのするところだった。つづく
2011年09月30日
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一昨日の日曜日、天気もよさそうだしどこかにいかない、と思い八幡平に行った。家をでたのは9時半近くだと思う。少し疲れた感じで、また今度にしようかと思っていたけど、意外に行けるチャンスは少ない。夏もいつの間にか終わっていた。高速でも少し紅葉しているところがあったから、山はいいかもしれないと思ったけどまだまだ早かった。八幡平の頂上付近の沼の周りの草もみじが紅葉していると情報があったけど、草が枯れただけの色だった。だけど、その雰囲気は心地よかった。華やかではないけど、素肌が綺麗な薄化粧みたいな感じだ。弱い風も涼しさと少し寒いのとの間くらいで、こんな感じが心を安らかにする。とにかく、世界で一番心地いいい場所と時間。こんないいところ永く入ればいいのにと思うけど、なぜか先に行きたくなる。先にはこれ以上の感覚はないのに・・・・・・。つづく
2011年09月27日
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昨日はパソコンが異常になり始めたので途中でやめたので、その続き。鬼怒川の温泉街付近には民家の廃墟みたいなのがあったり、小さい商店も古い感じで懐かしい感じがして気に入った。ここだけ、昭和みたいだった。ジュースでも買って店のおばあさんにいろいろ話を聞いてみようかと思ったけど、時間がないのでやめた。夕方近くなっていたので、昔行った自動車学校に明るいうちに到着しなければいけない。来るときも対向車が渋滞していたけど、数時間経っても渋滞していてはまった。それでも30分も渋滞しなかったと思う。あの当時、毎日のように往復した道だけど、今はバイパスができていたりしてかなり変わっていた。あの時の自動車学校についたのは、車がスモールを点け始めるような時間だった。この時間ならなんとか写真を撮れる。自動車学校の名前も変わっていたけど、建物もコースも大体あの時のままだった。ただ、路面などだいぶ古くなってはいたけど・・・・・。当然車も全く変わっていた。あの頃は、人生に希望があった。運転免許を手に入れることさえ、舞い上がるほどの嬉しさだった。ここにいる間、そんな気分を思い出す。あとは、高速に乗って帰るだけ。もう旅は終わった。お盆に行ったこの旅は内容は濃かったと思う。他の人にとっては意味の無いところだけど、自分にとっての大切なところをまわったからね!
2011年09月16日
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やっぱりまだまだまともに動けそうにない。よくなったと思ってもまた悪くなったり・・・・・。そういうことで、今日はお盆の旅の終を書こうと思う。魚のところを出て日光の市街を通って、わんにゃん村があったところに行こうとした。途中、日光の市街に入る手前で自分の前に入った車。渋滞もけっこうあったから、1時間近く自分の前にいたと思う。今市で曲がる時も同じように曲がった。その先で違う方向に行ってしまったとき少しだけ寂しい気分になる。中の人は見たこともどういう人かもわからないのに不思議だ。2005年の年末、今市で曲がってすぐにガソリンを入れたと思う。だけど、今回はそれらしいものは見当たらなかった。次はその日に行ったワンニャン村。何年か前に閉園になっているのは知っていたけど、何か残っていないかと思ったけど、それらしいものは見当たらなかった。廃墟でも残っていればと思ったけど・・・・・。次は、合宿運転免許を取ったときの宿がある鬼怒川。歳も立場もいろいろな人がそれなりに仲良くなった。別れの日に連絡先のやりとりをしたけど、それ以来連絡し合うことはなかった。あの時は寂しさというようなものよりも、運転免許を手に入れられる嬉しさが大きかったのかもしれない。今どうしているのだろう。その宿に行ってみた。今は旅館じゃなく違う施設になっていた。それから、川のそばの温泉街の方にくだっていくと結構雰囲気が好きだ。橋からの眺めも迫力がある。だけど、あの時3週間くらい滞在していたのに来た覚えがない。すごい近くなのに・・・・・。下の写真の赤い橋みたいなのはなんなんだろう?昔の道があったところかと思ったけど、両側が岩で行き止まりだから、旅館か何かの庭かなにかなのかもしれない。ここでどんな物語があったのだろうか。どれだけ時間が流れたのだろう・・・・。大きいホテルの廃墟らしいのもあった。廃墟でも残っていれば思い出がある人にはありがたいのかもしれない。パソコンがおかしい動きでどうしようもないので、つづく
2011年09月15日
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この前は犬のために早退したけど、今日休んだのは昨日怪我をしたから。やっぱり満月は良くない。転落して、腰と肋骨の横の当たりと腕を打った。なんとか歩けるけど、スローモーション。腰のあたりの筋肉のダメージが一番ひどい。歩くと股関節回りに響いいて腰砕けになる。こんな感じだから、病院に行く必要もない。行っても、たぶん、レントゲンを撮って、湿布を貼るくらいだから、治る時間には大差ないと思うから・・・・・。念のため、病院に行った方がいいという意見もあったけど、ヤブや悪徳の医者ならかえって不安だ。最初、あの犬も怪我をして辛い思いをしているのだから、同じような思いを出来て良かったとさえ思えたけど、やっぱり不便だし、仕事も早めに復帰しなければならないから困る。こうも思った。あの時、車に乗り込んでこなければそのまま立ち去るつもりでいたから、罰があたって仕方がないとも・・・・・・。そのまま立ち去っていれば、大きい犬にかみ殺されていたかもしれない、というよりその確率は高かったと思う。今思うと、あの犬が殺されたかもしれないと思うと自分自身のその瞬間の気持ちが許せなくなる。でも、飼い主が見つかって良かった。返すとき、少し見つからない方がこれからずっと一緒にいれるから良かったかもしれない、と思ったけど、やっぱり今回怪我してみて、飼い主に返せてよかったと思う。今回、自分はこの程度で済んだけど、もう少し衝撃が強ければ人生が終わっていたかもしれない。自分の人生が終わるのはいいけど、犬を巻き添えにするのは嫌だから・・・・・・・。あの犬はどうしているだろうか。ケガはまだまだ治っるどころではないけど・・・・・・・。そういえば、昨日ニュースでアメリカの動物園で3角関係のもつれでオスの虎がメスの虎に殺されたらしい。メス2頭オス1頭で、オスは2頭のメスのことが好きで、メス同士は仲が悪かった。殺した方のメスとオスは当日仲良く遊んでいたらしいけど、現地の時間で8日午後4時ごろ事件が起きたらしい。その時間はこの前、大きい犬に小さい犬が襲われていて助けた時間と近いと思う。なんでここまで殺し合う勢いで喧嘩しているのか異様なくらいだった。地球全体で、動物をそんなふうにさせる何かあったのかもしれない。
2011年09月13日
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早い時間に早退して、飼い主が見つかって病院に連れていくことも飼う準備もすることがなかったので昼間時間が空いた。ひさしぶりに天気もよかったので山の方とか出かけるのにはいいチャンスだった。だけど、あの犬が怪我をして大変な思いをしていると思うと楽しもうと思えない。実際、行ったとしても気がかりでたのしさなど感じなかったと思う。自分が楽しんでも楽しまなくて犬の運命は変わらないのに・・・・・・。もし、飼い主が見つからなければ自分の人生はかなり変わっていたと思う。生活の形が変わるし、純粋に自分を頼ってくれる存在がいるだけでいろいろなことに生きがいを感じたりすると思う。実際、犬が助手席にいる間、飼う大変さも考えたけど一緒に出かけたり一緒の生活もいろいろ考えて楽しみな部分もあった。不思議な感じがした。たまたまそこをそのタイミングで通っただけで、人生が大きく変わることがあるのが・・・・・。実際、今までそういうことが何度もあったし・・・・・・。当たり前なことかもしれないけど・・・・。
2011年09月11日
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朝、仕事に行く途中、見通しの良い道路の真ん中で犬が喧嘩をしていた。というより、大きい犬と小さい犬だから、一方的に襲われている感じだった。大きい犬は秋田犬を人相を相当悪くした感じの黒っぽい犬で、小さい犬はノーフォークテリアらしい犬だった。車が通るのに問題がないところだったら、通り過ぎたかもしれない。道路の真ん中で激しい喧嘩なので、車は通れないので車から降りて大きい犬を追い払った。小さい犬は見当たらなくなったと思ったら、車の下に潜り込んでいた。このままだと車を動かせない。交通量は数分に1台とかだから問題ないけど、仕事に間に合わなくなる。それで、車の下から追い出すと今度は開けたままの運転席側のドアから車に乗り込んできた。そのまま助手席の紙袋に入った荷物の上に上がり、そこから動きそうもない。怪我をしていて荷物やシートに血がつくし、血なまぐさい臭いが車内に満ちた。このままでは困るけど、外には大きい犬が居てこっちを見ている。外に出しても、下手をすると大きい犬に殺される。仕方がないので、載せたままとりあえず仕事に向かうことにした。小さい犬の怪我は、背中に10センチくらいで幅が3センチくらい肉が剥ぎ取られている。深いけど、脂肪の部分だけにみえて、感染症とかにならなければ命は大丈夫だと思う。出血はあるけどとまらないっていうほどではなく元気ではある。仕事の待ち合わせの時間にはちょうどに着いた。「怪我をしているから、ここらへんに放してしまえ。」というやつもいた。逆だと思う。怪我をしているから放り出せない。それに車で10分も来ているから、こんなところで放されても犬も困るし、飼い主がいても困る。最初の2時間くらいは自分がいないと仕事にならないので、それまで犬は車の中にいた。ドアを開けておいても出ていくつもりは全くない。車から離れている間にいつのまにか運転席の方に移っていることもある。自分が乗り込もうとすると、すっと助手席に戻っていく。窓を開けておけば、仕事が終わるまで大丈夫かもしれない、と思ったけど、ケガも心配だし、飼い主を探すにしても、病院に連れていくにしても早いほうがいいので、早退した。飼い主を尋ねて最初の数人は、見たこともないしここらへんでこういう室内で飼うような犬を飼っている人はいないのでは・・・・・、というような人が続いた。見つからなければ保健所に連れていったほうがいい、という人もいた。自分を頼りきっている犬を見殺しにするのなら、信用ができない仲間と呼ばなければならない人間を見殺しにするほうが容易い。そのうち、最近何度か道路でうろうろしているのを見たことがあるという人が出てきた。捨て犬の可能性が高くなった。汚れているし首輪もないから・・・・・。飼い主がいなければ、自分で病院に連れていって飼うことになる。ほとんど飼う覚悟を決めた頃、あそこの家の犬ではないか、という人に会った。2軒続いた親戚同士のどちらかの犬らしい・・・・・・。1軒目に行くとちょうど車で出かけるところだったので止まってもらうと、もう一軒のほうの犬らしい。ついでに、大きい悪い犬は自分のところの犬だとも言う。こんな犬を放しておいて、迷惑をかけておいて・・・・・・。2軒目に行くと牛小屋のヤードみたいなところで5人ぐらいの家族らしい人たちが休憩していた。犬のことを言うと、朝からいなくなっている犬らしい・・・・・。やっぱり、そうだった。名前はパピとか言っていたけど、パピヨンではないみたいだ。飼い主との再開に飛び出していくと思っていたけど、自分からは動こうとしないし嬉しそうでもないようにみえた。飼い主に抱えられて車から出されるとき、小さい犬は自分の方をまっすぐに見ていた。ずっと、車の中にいたかったみたいだった。この犬はいくらかは可愛がられているようだけど、それほど大切にされていないように見えた。捨て犬とまちがうくらいだし・・・・・。そんなところが自分と似ていて、分かり合えるような気がした。飼い主は病院に連れていくだろうか少し心配なところもある。もしかしたら、自分と一緒に車でいきたかったのかもしれない。実際、一緒に暮らすことになった時のことも考えた。大変なこともあるけど、世界がたのしくおもえるようになるかもしれない。仲良くなれる気がした。花も綺麗になるかもしれない。飼い主に渡せて安心して良かったと思うと同時に寂しかった。もうあうことはないのだろう。また、道路に出てきて喧嘩しているのに出会うのはこりごりだから・・・・・・。でも、死ぬほど退屈だったのかもしれない。
2011年09月09日
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お盆の旅の続き。戦場ヶ原を出て、魚の観察園に行った。ここも戦場ヶ原と同じ日の年末の寒いとき以来。猛暑だった戦場ヶ原と違って、水が多いので涼しいし戦場ヶ原ほど混んでもいなかった。今回はエサも付いてきて、魚にあげることができた。いる魚は鱒の仲間だから、餌に飛びつく勢いがすごくて楽しい。食べてしまうには惜しい生き物に思えた。円い水槽はあの時と同じだったけど、今回あの時撮ったイトウの水槽はなかった。この古い資料館も懐かしい。あの時、サケ科のあぶらびれの話をしたのを覚えている。ここを出てから、中禅寺湖の一番賑やかなところを通ったけど、あの時のそば屋はどこだかわからなかった。寒くて、お客さんも入ったときはいなくて、席についてからストーブをつけてくれたのを覚えているそば屋。そういえば、こんなに店が多かっただろうか?それに車も渋滞だし、人も多い。つづく
2011年09月04日
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野反湖を出て中之条を過ぎ、沼田が近くなってくると車がいっぱいで止めるところがないくらい混んでいる怪しいところがあった。観光地でもないところなのに・・・・・。大理石村・ロックハート城とかなんとかで、津川雅彦がどうのこうのと出ている。当然、素通りした。後で調べたら、イギリスの城を移築して、それに津川という人が関わっているらしい。沼田は利根川から坂を上ったところにある街で車の渋滞がひどかった。それから、吹割の滝とかも通ったけど、混んでいたこともあって素通りした。今回の旅のテーマは観光地ではなく、思い出だから・・・・・。沼田から日光方面にはドライブインとか野菜の直売の数が多い。首都圏からの観光の定番コースにちょうどいいのだろう。峠を超え下っていくと、戦場ヶ原。5年半前の年末、初めて写真を撮ったところ。ちょうど、このカケスのところだった。あの時は寒かったけど、この日は暑くて草原も緑。カケスのところに来たかった。今もカケスはそのままで安心した。
2011年08月29日
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お盆の旅の続き!朝の時点で、その日の予定は決まっていなかった。行ってみたいところは沢山あるし・・・・・。結局、帰る方向に近いところにした。何度か行ったことがある、野反湖にいってみることに・・・・。軽井沢を通って群馬の長野原に抜ける懐かしい道。途中、浅間山がよく見えるところがあったけど、木が大きくなって4分の1位しか見えなくなっていた。野反湖では、奥の方にあるレストハウスでコーヒーを飲むことにした。昔も飲んだことがある。ちょうど、店を開けたばかりで少し年寄りの夫婦が店で働いていた。お土産を買って、コーヒーを飲んでいると、店のひとより少し若そうな夫婦とその娘らしい3人が入ってきた。その人たちと店のおじいさんとの話、に少しだけ混ざりながらじかんを費やした。その人たちは日光の方に住んでいるらしいことや日光はつまらないということなどを話していた。簡単に行けたり手に入れられるものには魅力を感じなくなるのが人なのだろう・・・・。それでいて失ってみると大切に思えたりする。店のもう一人の人も栃木の出身だということが分かった。それから、奥のキャンプ場の方で働いているか何かをしている人が自治医大出身だとかという話も・・・・・。栃木には運命的なものを感じるから、これだけ栃木でつながると不思議なようで嬉しい気もする。日光から来た人は、ここはいいところだ、と何ども言っていた。早朝ではないけど、朝の空気感と涼しさがそう感じさせたところも大きいと思う。昼ごろになるとそういうものは褪せていく。キャンプ場のそばのビジターセンターによって、湖の手前側のレストハウスのそばの駐車場二車を止めた。例の日光の人はビジターセンターでも会ったから、ここにもいると思っていた。眺めがいいから・・・・・。だけど、いなかった。来るときに寄ったのだろう・・・・・。これから、日光方面に行こうかと思っていたので日光のことを少し聞こうと思っていたから少しがっかりした。少ししゃべっただけど、もう二度と会うことはないと思うと少し寂しくなる。仮に、何年かあと顔をみてもわすれていて分からないのだろう。車を止めた辺りで昔も写真を撮った。今回も似たような写真になった。だけど、昔も今も野反湖のマツムシソウとハクサンフウロはほかの場所と比べて花の質感がいいと思う。そういえば、下の写真に写っているハチみたいなアブは車に迷い込んでいて、野反湖を出てから30分以上して、後ろのガラスのところで騒いでいる。外に出たくて仕方がないようだ。可哀想になってくる。こんな遠くまで来て生きていけるのだろうか・・・・・・。しばらくして、顔の近くに来て窓を開けてくれとお願いしている感じがしたので、窓を開けたら、すぐに出ていった。普通、アブとかは窓を開けて追い出そうとしてもなかなか出ていかないから、このアブはよっぽど出たかったと思う。もう野反湖で花のみつを吸うことはできない。可哀想に思っても、アブ一匹のために往復1時間以上かけることはできないのが悲しい。今となってみれば、そのアブも自分もなんとなく境遇が似ている気がする。そのあとは、日光方面に行く。つづく
2011年08月27日
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温泉を出て、このあとどうしようか車の中でしばらく地図を見てから、ジャスコに行くことにした。行く途中、花火が上がる。大体、温泉に向かうときに通った道の駅のそばだと思う。混んでいたのは花火のためだったのだろう。しばらくしてジャスコの屋上の駐車場についた。何人かはそこから花火を見ているようだ。離れているし、大会の規模も小さめで自分は見る気がしなかった。店の中に入っていくと不思議な気分がした。懐かしいような、初めて来るような・・・・・・。第一印象はやけに小奇麗な感じがする。高級な店のような感じさえ・・・・・。ここにきていたのかと思うと不思議な感じだった。本屋はかいそうしてあったけど、客はほんの数人。どこでも本屋は空いているから仕方がないのだろう。100円の店もやけに綺麗な感じがした。フードコートも殆ど違う店になっていた。そこで、それほどお腹がすいていない感じだったので、うどんの小さいやつを食べた。人は数人しかいなかったのは昔から変わっていない気がする。ショッピングセンター全体的には、混んでもいず、夜の割に閑散ともしていないくらい。一階に降りて一回りしてみる。少し驚いたのは結構混んでいた薬屋が消えていた。スターバックスという怪しい感じのコーヒーの店ができていた。食品売り場も改装されたのか小奇麗で広々としている。照明も明るい。ここでも不思議な気分になる。結構いいところに住んでいたのだと感じた。次の日の朝、家の近くだった公園を散歩した。よく散歩したところだ。つづく
2011年08月24日
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ロケットがある公園の周りには民家があって、窓からは蛍光灯の明かりが・・・・。夕暮れの頃の明かりは、誰かが待っているところへ帰る安心感を想像させる。公園を出て車で走っていてもどこへ向かうか決まらない。行きたいところもいろいろで・・・・・。だけど、車も時間も進むから決めなければダメだ。結局、日帰りの温泉に行くことにした。多分、ここも10年ぶりかそれ以上行っていない。途中、国道沿いの道の駅の前を通ったけど、車はいっぱいで賑やかだった。やっぱりお盆だからだろう・・・・。懐かしい温泉についたのは真っ暗になったころだった。車はいっぱいでかろうじて空いているところに車を止めた。入口でも券を買う人が何人もいる。そういえば、フロントに愛想のいいひとがいたけど、違う人だった。あの人はどうしているのだろう・・・・・。温泉の露天風呂も懐かしい・・・・・。入ってすぐに帰るのは慌ただしいので、すこし休むことに・・・・。食堂で食べるほど食欲はないのでミントとチョコのアイスを買ってテレビの前に座った。近くでは幼稚園くらいの二人の子供と母親らしい人がテレビを見ていた。子供はサルを真剣に見ている。以前ここに来たときは、この子供はまだこの世にいなかったと思うと不思議な気分になる。その間に、いなかった人間か生まれて、子供は成長して、大人は歳をとり死んだ人もいる。時の流れは大きい。その代償に見合う時間の過ごし方ができたなら少しは・・・・・。温泉客の大多数は家族できていた。幸せそうに見えるけど、本人はただの日常なのかもしれない。人間は手に入れてあるものよりないものに魅力を感じるものだから。また、幸せそうに見えても心の中には悩みや悲しみを抱えていない人の方が少ないのが人間の現実だと思う。つづく下の写真は温泉に向かう途中の国道からの浅間山だから
2011年08月21日
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ほかの場所でも木が大きくなって風景が一変していたところは多かった。奥まで行ってから戻ると盆踊りの放送が聞こえてきた。あと、数時間したら始まるのだろう・・・・・・。なぜだか、行ってみたくなる。でも、不思議だ。今住んでいるところのお祭りだとかのイベントはあまり行きたくない。潜在意識でだと思う。昔住んでいたところは、いい思い出もあったけど嫌なこともあった。それは今のところも同じ。あの頃は希望とか夢があったから、盆踊りとかにも希望の息がかかっていたのかもしれない。もっと下って国道が通り、駅のある町まで来る。何度も通ったし、長野での最初の頃買い物とかも来ていた。それで、その店に行ってみたくなった。最初は、駅の建物とつながている小さめのスーパー。その建物には薬屋とか食堂もあった。スーパーは潰れていた。その閉店を知らせる張り紙には昔と違う名前が・・・・・。一度食べた食堂も違う店。駅の改札の方に行ってみると、数少ない電車がちょうど到着したばかりで、何人か人が出てきていた。大学生くらいの人には、迎えの友達が来ていた。駅の迎え、再会は幸せの気配がする。そのあと、国道沿いで会社指定でガソリンを入れていたところでガソリンを入れることにした。そこには愛想のいい若い奴が働いていた。車が好きでよく車の話をした。スタンドの仕事も好きそうで誇りをもっていて、資格を取るとか言って頑張っていた。居ないので、休みなのか聞いてみたら、辞めてトラックの運転手をしているらしい。でも、毎日のようにスタンドに寄るらしい。そいつには一生会うことはないだろう・・・・・。その町にはエーコープもあった。そこも最初の頃、何度か買い物に来た。屋上の駐車場に車をとめて階段を下りていくと、小学生が書いた、絵とかがあったりしたところだけど、建物はそのままだけど、違うものになっていた。そのあと、佐久方面に行く途中、ロケットの展望台に行ってみた。10年以上前に一度だけ行ったことがある。あまり変わっていない感じだったけど、登れる時間は終わっていた。行きに寄っていれば・・・・・。つづく
2011年08月18日
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最後のパーキングは昼ごろだったけど、食べたいような食べたくないような感じで蕎麦の店も混んでいたのでやめることにした。佐久平パーキングを出るとしばらくするとインターで降りる。一般の方は前に4台位並んでいた。やっぱり、被災者なのだろう。でもなぜだか、お金を渡している。気の毒な気もする。ETCなら半額、被災者なら無料。自分の番が来た。表示された料金は10150円だったと思う。でも、請求はされない。降りると懐かしい道。でも、店とか変わっているところも多い。住んでいた頃、よく買い物に行った懐かしい店で食べ物を買うことにした。8年近く前までここにきていたと思うとなんとも言えない気分になる。同じ場所のようで初めて来たような。中も改装したのかもしれない。やけに小奇麗な感じでやっぱり懐かしさと同時に別世界のような不思議な感じだった。それから、南下してその前に住んでいたり仕事できていたところの方に向かった。誰か、知っている人を見かけないかと思っていたけど、いなかった。死んだ人もいるのだろう・・・・・・。そういえば、下の写真、8年前は草とか人の背丈あるかないか位の木が疎らだったはずのところが、若い林のようになっていて風景が一変していた。あまりの変わりように愕然とする。ついこの間だったような気もするのに・・・・・・。まだまだつづく
2011年08月17日
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今日も作新がかちそうだ。今この瞬間勝った。作新が勝つとなぜか嬉しい。一昨日の朝夜明けの頃目が覚めたけど、体がだるくてまた寝た。本当はどこかへ出かけようと思っていたけど、もう少し眠りたかった。それでも、6時前に起きてシャワーを浴び、どうしようか迷っていた。青森の方に行こうか・・・・・・・・。天気予報はあまりよくない。それよりもやっぱり出かけないで家にいようか・・・・・・。疲れた感じだし、家にいたほうが無難な気もした。前の日に見た映画を思い出した。小さい女の子があと一年も生きられないという中で、最後の夏だからと高知でよさこいを踊るという話。最後の夏!自分にとっても最後の夏かもしれない。青森は天気が悪いし、その気になれば日帰りでも行ける。それで、栃木方面にした。なぜか栃木には縁があり、いろいろな思い出がある。合宿で免許を取ったのも栃木。そして、日光の方は大事な思い出がある。もしかしたら、佐久ほうめんにいくかもしれない。何年か住んで思い出があるから。6時半過ぎ家を出てガソリンを入れてから高速に乗る。高速は渋滞しそうもないけど、交通量が多い。やっぱり路面が地震で悪くなっていてスピードはあまり出せそうもない。はっきり言って、予定は確定していない。走りながらもどうしようか迷っていた。なぜだか、あっという間に県を超えていく。昔よりも遅いのに時間が短い気がする。だけど、時計は進んでいる。最初に休んだのは国見。次に休んだのは矢板北。ここは例の教習所の近く。もうここで判断しないといけない。次で降りるかどうか・・・・。一瞬、横浜の実家にしようかとも思ったけど、行かないことにしてあった。結局は、佐久方面にした。栃木なら日帰りでも可能だから・・・・・・。それに3月に北関東自動車道が前線開通して容易になったからね!岩舟で曲がると新しい道路で路面もすごく良くて走りやすい。関越から、上信越に入るとすぐに渋滞。それでもロスは30分ちょっとだと思う。12時半ごろ、佐久パーキングに寄る。ここから、少し遠くに自分が住んでいた7階建てが見えて懐かしさがこみ上げる。 つづく
2011年08月16日
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この前の八幡平で撮ったやつ。連休なので出かけようと思って、いろいろ検討しているうち面倒になってきた。疲れるだけな気もする。行ってよかったかどうかは、行ってみなければわからないけど・・・・・。ちなみにこの前の八幡平はよかった。
2011年08月13日
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この前の日曜日の八幡平の続き。霧ヶ峰とかのようにスケール感はないけど、池のそばに咲いていたりする。
2011年08月11日
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今日、もう昨日になったけど、八幡平に行った。ニッコウキスゲが咲いているらしいから・・・・・。長野にいたとき、霧ヶ峰以来だからこの花を見るのは8年ぶりくらいかもしれない。朝起きたとき時間が遅めだったし、スケールも霧ヶ峰ほどじゃなさそうなので行こうか迷ったけど、今日行かなければ当分見ることはできないと思って行ってみることにした。6時半過ぎに出発して山頂近くの駐車場に到着したのは8時過ぎだったから、90分くらいで行けたことになる。車で登るにつれて、空気がが爽快になって来てよかったと思った。今回も百枚くらい写真を撮った。そういえば、このカメラで撮った写真は10000枚を超えたのは、前回のコマクサの時だった。今回で、日記も1000になった。
2011年08月07日
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あれからもう半月。山頂は冷たい風の影になる日向で休んだ。下の駐車場についたのは13時すぎていたと思う。そうとう暑かったのを覚えている。そこから車で下り、インターの近くの道の駅に行ってみる。車はほとんど満車だけど、並んでいるほどではなかったのですぐに止められた。車から降りて建物の方に行くと3才か4才位の女の子が親か祖父か覚えていないけど、大人の横で木でできた手押し車を逆にしたようなものを引いて、道路を渡ってくるのにすれ違った。すぐ先では、椅子とかいろいろな木工製品が売っていた。買ってもらって、早速引いて見たかったのだろう。その様子を見て、なぜか、切ない気分になった。そういえば、ここは10年以上前に一度来たことがある。14年くらいかもしれない。実家の親と兄弟でこっちの方に旅行に来たとき、ここの食堂で食べたのを覚えている。今回は産直をみて、食堂で食べようかと思ったけど、結局やめてそのまま高速に乗ることにした。高速を降り、最初に駅のそばのラーメン屋さんに行った。有名な店だけど、暑さと時間が半端なので、お客さんは自分も含めて4人だけだった。おばあさんが一人だけでやっているようで、セルフサービスの水だけど持ってきてくれたり親切だった。帰り、1000円出しておつりをもらうとすると4枚のはずの百円に5百円が混ざっていた。気の毒なので当然教えた。味の方は、満足感のあるしっかりした感じだった。そのあと、携帯電話の店で新しいやつを受け取って帰ったら、、まだ17時過ぎ。
2011年08月01日
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こんな感じのやつが一番コマクサらしくていい。山頂近くは、風も強く寒いくらいで植物はほとんどない荒涼としたところ。そんな中で咲いている。こんなコマクサを見たかった。下ると途中、中腹くらいのヤツをまた見たけど、ただの雑草にしか見えなかった。
2011年07月30日
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避難小屋みたいなのを過ぎ、頂上に近づくと雲の中に入ったりして寒くなってきた。明け方はかなり蒸し暑かったのに・・・・・。風もある。もうコマクサはないと思っていたけど、またあった。花は下のやつよりも傷んでなくよかったし、水滴と逆光で輝いていた!日の出の中での花はダメだったけど、この瞬間にあえてよかった。
2011年07月28日
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今回、岩手山に来たのもこのルートを選んだのもこの花のためだったので、途中で下ることも考えたけど、ここまで来たからと頂上まで行ってみることにした。前回、コマクサは日向が似合わないと書いたけど、日陰も似合わない。ほかの植物の影になるのは絵にならない。株が大きくなって反映しているけど、危険である。ほかの植物も大きくなっているので、滅びるのはそう遠くない。繁栄のしすぎは滅びの前兆なのかもしれない。つづく かもしれない。
2011年07月27日
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コマクサに日向は似合わない!
2011年07月24日
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コマクサの写真はたくさん撮った!沢山花が付いているやつが多いけど、コマクサらしくない。そういえば、6年前、五能線を見に行った。あの日も7月23日で土曜日で、能代で花火があった。6年前の今頃はフカヒレの姿煮を食べていた。今、フカヒレを買ったところは津波で流され、あの時、イカを買ったところにはまだ、わさおはいなかった。
2011年07月23日
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登山口の駐車場についたのは、3時20分頃ですぐに登り始めた。空が少し明るくなり始めて足元はあまり見えない。晴れているから日の出は見えると思っていたけど、なかなか樹林帯から抜け出せなかった。結局、展望が開けてコマクサが現れたのは完全に明るくなってからでがっかりした。つづく
2011年07月21日
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昨日の朝、日付が変わった頃に目が覚めて、シャワーを浴びたり準備して2時過ぎに家をでた。衛星の画像を見ても晴れていたので、山で日の出を見たいから無理をした。夜から昼に変わっていく時間は格が違う。行った山は標高2000メートルちょっとの岩手山。あまり高くはないけど、岩手では高いほうだろう・・・・・。行ったり理由はコマクサという花。初めて見たのは、高校の頃自転車で行った北海道の大雪山。ほかの植物が生きていけないような過酷な場所で咲いていた。強い花。でも、弱い花。ほかの植物に負けてしまう。だから、ほかの植物が生きていけないような過酷な場所で生きていく。弱いから、強くなければ生きていけない。強ければ、弱くても生きていける。そんなことどうでもいいけど、荒涼としている中で咲いているそんな姿に惹かれた。その後、その花をいろいろなところで何度か見た。一番よかったのは、八ヶ岳の横岳から赤岳の稜線で見たやつ。14年くらい前で風が強めで雲の中にいるようで寒くて過酷で、ほとんどの人は顰めっ面だった。そんな時、一人のおばあさんが話しかけてきた。その人だけ笑顔で、コマクサがとても綺麗だと言う。たしかに、今まで見た中であの時のが一番綺麗だった。その時の写真。それはない。その時は写真を撮る習慣はなかったから・・・・・・。なければ、検索して見てみたい。でも、出てくるやつに魅力的なのは見つからない。それで、仕方がなく自分で撮ることにした。一番手っ取り早く行けるのが、岩手山だと思った。高速道路を使えば花のあるところまで、最短で2時間ちょっとでたどり着く。天気予報も衛星写真も生憎の晴れ。いい時間は日の出位しかないと思って早く出た。東北道に乗るのは何年ぶりだろう・・・・・。やっぱり、無料の影響で夜中の割には車は多かった。不思議なことに、走っている最中、1台の車にも抜かれなかった。ゆっくり走っていたのに・・・・・。でも、一瞬だけスピードが出たとき、悲劇は起こった。フロントガラスに虫がぶつかって潰れた。昔だったら、汚れたことが気になってがっかりしたけど今は・・・・・・。最近、虫は健気で一生懸命なのに心を打たれているから・・・・・。一時間もしないうちにインターを出た。証明書と通行券と免許を出す。今までのようにお金を取られるかわりに、証明書とかを挟めるようにと透明な奴をくれた。親切だった。それもそうかもしれない。無料だからって奴らは損をしていないと思う。民間がいしゃだから、その分は国が出すのだろう・・・・・。つまり税金。バラマキ政策。あと、この会社にお金を流したい訳があるのだろう。被災地支援は建前だと思う。それから、登山口の駐車場を目指した。つづくつづかないかもしれない・・・・・。
2011年07月18日
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2003年7月13日ここが生まれた日あれから8年それから半年後、長野からこっちに来た。ついこの間のような気がする。
2011年07月12日
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被災証明書をもらってきたので、高速道路が無料になる。昔だったら相当助かっただろうけど、最近はそれほど使うこともない。最後に使ったのは、5年以上前の春だと思う。日帰りでも行ける範囲が増えたので、この日記を始めたころにいた長野に行ってみようかという気にもなる。4年前にも行ったけどかなり変わっていた。あれから、また同じくらい経ったからまた変わっているのだろう・・・・・。
2011年06月29日
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さると間違われて撃たれて死んだヒトがいるらしい・・・・。撃って捕まった人もいるらしい・・・・・。業務上過失致死とかなんとかで・・・・・・。こんなことを考える。どこから人間なのだろう・・・・・・・。親の親、またその親ずっと遡っていけば、原人、猿人、原始的な哺乳類、原始的な脊椎動物・・・・・・、ずっといけば単細胞生物になる。どこの時点で過失致死などの罪を問われる人間になるか?もしかしたら、原人からかもしれないけど、進化は緩やかで、突然単細胞生物から原人にはならない。そうするとどこからかという堺がわからなくなる。仮にここからと決めたとしても、子供を殺したら殺人で、ほんの少ししか違わないその親を殺したらただの動物を殺しただけになってしまう。
2011年06月27日
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節電を呼びかけるより、税金をかけたほうが効果は大きいし合理的だと思う。どうせ増税をしなければならないのなら、貴重な電力をより使うところに沢山払ってもらうのがいいかもしれない。例えば、税率200%とかかければ、節電しようという意識は高まる。それでも使いたければ、税金を沢山払わせればいいだけで・・・・・・。この方が公平だという気がする。呼びかけても協力する人や自分の快適のために全く無視する人やいろいろいるはずだから・・・・・。
2011年06月26日
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そういうこともあるだろうけど、ばかばかしい。禍が福につながることもあるだろうけど、禍が禍を呼ぶこともある。そのことの方が確立的に多い。もしそうでなければ、努力とかは全て無意味。例えば、仕事のために努力をして朝早く起きない場合。クビになったりするから、起きる。塞翁が馬の考えだと、クビになっったことでいいことが起きる可能性と悪いことが起こる可能性の明らかな違いを知っているから、起きたくなくても起きる。なんでもそう・・・・・・・。勉強して試験に受かろうとすることも・・・・・・。試験に成功して、わることが起こるかもしれない確率は0でもないかもしれないけど、成功することがいいことにつながる可能性の方が大きいから、努力をする。塞翁が馬なら・・・・・、放射能も怖がることはない。癌や白血病などになっても、そのおかげでいいことになるのなら・・・・・・。津波だって、のみこまれたほうがいいことになるのなら、無理して逃げる必要もない。
2011年06月26日
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昨日の夜、NHKでタコを見た!タコはすごい!閉じ込められたタコは出口を足で探って大きさを確認する。出られる大きさなら出るけど、両目の幅以下なら試そうともしないで完全に諦めてしまう。人間なら、完全にダメだとわかっていても何ども試してしまうことがよくある。捜し物をしているときなど、何回も確認したところをまた確認したり・・・・・・。タコは認識能力と判断は平均的な人間より優れていると思う。記憶力や学習能力もすごい。そんなタコもこの前ジャスコで茹でられて味が付いたやつが一匹100円ちょっとで売られていた。
2011年06月26日
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自分のところの自治体も震災や余震の日に停電になったので、その日に住民票があればだれでも証明書がもらえるらしい・・・・・・。二日くらい基準が決まらなかったけど、盛岡とかがそうしていたからそうしたのだろう・・・・・・。どうせ国の負担なら、それで住民が喜ぶのならそうなるのは当たり前。役所の人間は細かい基準で仕事の負担を増やしたくないだろうし・・・・・。役所の人間はいかに楽していい給料や待遇を得るかが世の中で一番重要なことだから、こうなるのだろう・・・・・・。政府とかの人間はこんな基準の甘さには心外らしいけど、自治体に責任をまるなげしておいて勝手に決めさせたから、今更文句を言うのはおかしい、というよりバカすぎる。考えてみれば、すごい特典だ。無料区間で乗りか降りるかすれば、九州まで行っても無料になる。ただし、ねくすこの管轄外の首都高とかを通ったり、無料区間外で一旦降りたりしなければだけど・・・・・。よく使う人なら、年間数十万円浮くだろう・・・・・。その負担は、最終的に全国民が消費税増税とか気がつきにくいところで払わされることになる。考えてみれば、千円高速だって、不公平な制度だったから驚くことではないか。
2011年06月24日
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今月のはじめはまだ早いと思っていたし、先週は気が乗らなかった!車で30分かからないくらいだからいつでも行けると思っていた。だけど、季節を逃したら咲いていないからいつでも見れない。どこかに出かけなければ気が済まないし、行くところもなく夕方近く行ってみることにした。行ってみて驚いた。ほとんど花がない。少し遅かったみたいだ。一番咲いているところでもこのくらいだった。夕方になっても東屋あたりは誰もいない。
2011年06月19日
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頭ではこうしたほうがいいと分かっていてもなんとなく出来ないことがある。朝、少しだけ早めに出れば、焦る気持ちはなくなるし途中で咲いている花に気がついたりもする。だけど、ぎりぎりまでテレビを見ていたりしたくなってしまう。自分にとって大して重要なことではないと分かっていても・・・・・・。無意識でそうしないと不安なのかもしれない。まわりをみまわしてみると、そんなことは誰にでもあるのだろう。
2011年06月15日
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今日は休日だったけど玄関から2度だけ数歩でただけだった。朝、資源回収の協力のため玄関前にビールのびんやケースなどを玄関先に出したのと、3週間くらい前の会合を欠席したときの景品を届けてくれた人が来た時だけ。本当は種山ヶ原か阿原高原にレンゲツツジを見に行こうかと思っていた。普段平日、仕事とか用事があるからいけないから休みの日には行こうかと思っていた。赤毛のアンの中やいろいろな話の中でもあるように、手の届かないときはすごく魅力を感じていても、いざ手に入れるとそれほどうれしくないのとおなじように、いざ行くチャンスを手に入れるとそれほど行きたくもなくなってしまう。すごく気に入った音楽でもCDとかを手に入れると魅力が薄れるのと同じだ。それでいて、結局行かなければ行くチャンスを逃し、後悔に似た気分にもなる。でも、行かなくてよかたことも考えられる。夕方、わざわざ届けてくれたのに無駄足をさせないで済んだし、出かけていたら事故とか悪いことが起こったかもしれない。いいことが起こったかもしれないから、それはわからないけど・・・・・・。ちなみに、レンゲツツジが好きになった理由は、まだ運転免許が取れない年の頃、あまり見たことがなかった燃えるようなオレンジ色のツツジが遠くの山に咲いているのをテレビとか本で知って、憧れた。そう簡単に見ることができないから・・・・・。高嶺の花だから憧れた!今は、その気になれば、車で30分も走れば見れるから魅力も殆どない。したのやつは、去年の阿原でのレンゲツツジだから・・・・・・。
2011年06月12日
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牧師のアランが説教とか上達したので、ほかの土地に行ってしまうかもしれない。という話が持ち上がったときに、アンがいなくなってしまうかもしれないが、いまいること自体を喜べばいい。というようなことを言っていた。先にも今も嫌なことが予想されたとしても、そのことを悲しんで今自体を苦しんでも結果がいい方に変わるとは限らない。だったら、そう今の瞬間の良いことを喜べばいいのかもしれない。今が悪ければ、過去の良かった瞬間を想像したり、少しでも可能性があれば素晴らしい未来を想像すれば、なにか見えてくるのかもしれない。
2011年06月12日
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今日はというより、今回も日曜日なのにどこにも出かけなかった。夕方、昔聴いたCDにあるショパンのノクターン変ホ長調と別れの曲のエチュードを聴きたくなったので、二階に行って聴いいた。聴いていて、ずっと昔に実家の窓から見た日暮れ近くの風景と気分を思い出した。あの部屋は東向きだったから、夕日とかは関係なく暗くなるだけだった。今日聴きながら見た窓の外の夕焼けは鮮やかさとかはなかったけど、グラデーションがなんとなく好きになったので撮ってみた。
2011年06月05日
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はっきりいって何もかもつまらない。今に始まったことではないけど・・・・。音楽を聞いても意味の無い音のつながりにしか感じない。多分、親孝行になるようなことをすれば、いろいろなことが生き生きとしてくるのだろう・・・・・。昔からそうだったから・・・・・・。考えてみれば、自分の人生に対してかなりひどい仕打ちをして来たのも事実だけど、いい思い出も数え切れないくらいある。だから、親孝行をすると生きがいを感じたりするのだと思う。小学生の頃、なんども海に釣りに行ったりした。江ノ島に行った帰りに、風が冷たく寒かったとき、今もある歩行者専用の橋で風よけになって歩いてくれた。車の免許を取ってからも車で一人で旅に行こうとしたり、釣りに行こうとしたとき付いてきたりした。高遠のさくらや白骨温泉なども行った。伊豆・箱根・富士五湖・諏訪・安曇野・八ヶ岳なども・・・・・。それから、自分は実家を離れて長野に行くことにした。決まってから、たしか2ヶ月弱くらいで実家を離れた。その日が近づくと、だんだん寂しくなってきたのを覚えている。窓の外に生まれてからずっと見てきた家の前の風景を見ながら、ショパンの別れの曲を聞いたときは悲しくなった。当日の夜、自分に向かって玄関で悲しそうに「元気でね」といった時の雰囲気は今でも覚えている。それから数ヶ月の間、つまらないというのが口癖だったらしい・・・・・。自分は大事な存在だったことも確かなことだと思う。仕事関係などのようにうわべだけではなく本物だと思う。だけど、粗末にもされ、いろいろな可能性も壊そうとしてきたのも確か。実際になんども壊れてきた。考えると憎しみみたいなものもあるけど、姿や声を思い出すと大事にしてあげたいという感情も大きい。奴らが死んだら、仕方がないと思えるのだろうか・・・・・。後悔で潰れてしまうのだろうか・・・・・。そんなに遠い未来ではないのだろうけど、実感がわかない。そもそも自分のほうが早く死なないとも限らないし・・・・・。
2011年06月05日
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マスコミは震災にしても原発にしてもエンターテイメントにして金儲けにしているだけに見える。ドラマチックにしたり感動的に演出して視聴率を上げようとしている。だから、こんなことも起きる。被災者が「自粛しないで被災地に遊びにきてくれれば、お金を使えば、それが復興支援になるからぜひ来てくれ。自分らは人を妬んだりするほど卑屈ではない。」というようなことをやっていたと記憶している。たしかに、そういう人もいるのも事実だろう・・・・・。だけど、「こんな時に、人がひどい目にあって苦しんでいるときに、よくあそびになんかこれるものだ。」と憤慨している人間もいる。世の中にはいろいろな考え・感情の人間はいるのは当たり前。人から聞いた話だけど、被災地に行って車を壊されたということも聞いた。ちなみにNHKなんか、カメラワークとか見ているとドキュメントというよりエンターテイメント的だった。
2011年06月04日
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考えてみれば、自分が心配することではないのだろう・・・・・。勝手になんとかするだろう・・・・。長女が頼りにならなければそれまで。苦しもうが死のうが、感知する問題じゃない。心配すること自体、自意識過剰なのだろう。奴らにしてみれば、自分はどうでもいい存在で、頼るのも筋違い。そういえば5年くらい前に、ある人に自意識過剰だと言われたことがあった。お前はどうでもいい、と言われているに等しい言葉だと思う。。存在を否定されたに等しい。忘れてもいいのかもしれない。
2011年06月04日
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先月の中頃きたけど、自分の両親は今後どうするのだろう。だんだん弱ってきて近い将来困ることになると思う。どちらが具合悪くなってもどうしようもなくなるのは目に見えている。本来なら、子供の自分がなんとかしなければならないだろうけど、本来ではない。人の人生わざと悪いようになるように仕向けて、妨害して、助けてくれとは言えないと思う。例えば、いっしょうけんめいやった畑で、いい収穫が見えている畑を荒らされて、収穫が激減したとする。収穫を分けてあげようと思っていたのに、わざと荒らしたのが分かったのなら、分けてやりたくなくなる。面倒を見る道義は、えらいと思い込んでいて大切にしてきて今もそうしている長女や次男にある。長女に関しては周りの人間は全て、都合よく利用するだけ利用して捨てるというやつだから、どうだか疑問だけど・・・・・。
2011年06月02日
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