日々の祈り -アッシジのフランチェスコの道

日々の祈り -アッシジのフランチェスコの道

PR

Calendar

Archives

2025.11
2025.10
2025.09
2025.08
2025.07
2008.06.25
XML
カテゴリ: カトリック
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/newpope/bene_message243.htm

皆さんもよくご存知だと思いますが、非常に重要な自発教令(motu proprio)だと考えられますので、「教皇ベネディクト十六世の全世界の司教への手紙 1970年の改革以前のローマ典礼の使用に関する『自発教令』の発表にあたって 」と合わせて、何回かに分けて考察していこうと思います。

現在の日本の各教区で行われている、いわゆるNovus Ordoですが、現状はこんな感じでしょうか。
moses.jpg
駄目だよ!第二ヴァチカン公会議で決まったんだから。 人間の尊厳 を損なおうったって!金の牛の(偶)像を拝むのを邪魔しないでおくれ!

コンプレックスを持つ人間は敏感である、とも言います。ラテン語コンプレックスがあるのかどうか、いずれにしても現代国語でしかミサをやったことのない現代日本の神父達が、この自発教令に大いなる脅威を感じておられるのは、現場における彼らの行動(嘘を付いてみたり、無視してみたり、拒否してみたり)の端々から感じられます。しかし、実はそれは杞憂に過ぎない、という事を聖職者である彼らにこそ理解して欲しいと私は思います。それは、落ち着いてこの自発教令を読む事によって、容易に理解できる事ですから。寧ろ彼らはとても大事にされ、愛されているのです。これだけ自分の組織のメンバーを大事にする組織は、まず他には見当たらないのですが…。


まず最初のフレーズから。

現代に至るまで、教皇の変わることのない関心は、「神の名の賛美と栄光のため」、また「神の聖なる全教会の善益のために」、キリストの教会が御稜威(みいつ)の神に対してふさわしい典礼をささげることを保証することであった。
  はるか昔から、また将来においても、次の原則を守らなければならない。「各部分教会が普遍教会と一致していなければならないのは、信仰の原則と秘跡のしるしに関することに限られない。誤りを避けるためだけでなく、信仰がことごとく伝えられるために、使徒から継続した伝統によって認められた普遍的な慣習に関することについても、普遍教会と一致していなければならない。それは、教会の祈りの法は信仰の法にかなうものだからである」(1)。『ローマ・ミサ典礼書の総則(第3版、2002年)』397。


まず教皇、パパ様のご関心が何処にあるか、ということを示しています。即ち、キリストの教会が、神の名を賛美し、栄光を称え、その教会全ての善益を図る、ということ、そしてそれに適った典礼をささげられるよう、保証することである、と極めて明快に述べています。

トップとしての断固たる意思がそこにある、とみていいでしょう。素晴らしいことですね。

次に「ローマ・ミサ典礼書の総則」397からの引用をしています。そこでは普遍教会と部分教会の一致の原則を述べています。即ち、小教区の教会はダイレクトに普遍教会と一致することが原則である、と述べています。それは信仰がすべて伝えられるためであり、「教会の祈り」の法は信仰の法にかなうものだから、としています。








お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2008.06.27 22:54:00
コメント(0) | コメントを書く
[カトリック] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: