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2009.07.25
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世界でも珍しい特異な政治体制にようやく転機が訪れようとしている。

日本に議会政治が始まったのは今から119年前の明治23年である。
議会開設を求める自由民権運動が薩長藩閥の官僚政治を押し切って実現させた。
当時の世界で議会制度を採用していた国は数えるほどしかない。
「東洋の島国がこれほど早くから議会制度を採用したのは奇跡」とも言われる。
その奇跡を起こさせたのは坂本龍馬の思想である。

ところが明治政府を樹立した薩長藩閥政府は、明治4年から行なわれた海外視察で
アメリカ、イギリス、フランスらの先進国よりも、

ビスマルクは大の議会嫌いであり、皇帝と官僚を中心とする国家体制を
大久保利通や伊藤博文に進言する。そのため官僚政治が先行して議会開設には
維新後23年を要した。

議会開設が現実になってからもビスマルクの影響は官僚政府に残っていた。
議会開設の前年に黒田清隆総理は「超然主義」を宣言し、政府は議会が何を決めようとも
「超然」としてそれには従わない考えを表明した。

こうして議会制度の先進国でありながら日本の議会政治は不幸なスタートを切る事になった。

アメリカに占領され、民主化政策によって「デモクラシー」が根付いたかに見える
戦後の日本だが、経済構造は戦前と変わることはなかった。
官僚が計画した経済政策を民間企業が戦時体制そのままに一糸乱れず遂行する。

官僚主導を担保するために政権交代はあってはならず、

従って国民がどのような投票を行なおうとも政権が代わる事はなく、
万年与党体制が続いてきたのである。

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最終更新日  2009.07.26 18:37:07
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