フリーページ

2004年05月04日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
"甘い煙"

光を集め虹を見るんだ
甘い"匂いの君"を嗅いで

記憶を融かして 
"甘い煙"で包んで

そのままでいて遠くに行かないで
耳を澄まして 瞳を閉じて
ゆっくり降りて 
見つからないように


答えを急いで時は逃げる

理性を飛ばして 
明日をうまくやり過ごすために

甘い"匂いの君"を抱いて眠ろう
甘い"煙の君"を抱いて眠ろう

※フリーボの"石垣窓"がプロデュースした「ロックバンド」の"ブラン"の歌詞より引用。

私は演歌歌手"香西かおり"のファンです----
※本名「香西 香」 1963年8月28日生まれ、出身地 大阪府、
 血液型 B型、
 ライセンス 茶道(裏千家免状) 華道(未生流) 日舞(藤房流名取り)
 簿記3級 珠算初段 情報処理検定2級 商業検定2級



古代人は、現代人よりは遥かに"香り"に敏感でした。
例えば、樹木の"香り"、草花の"香り"、落ち葉の"香り"とかを尊んでいました。

香木は中国に伝わり、仏教とともにわが国に伝わります。
※西の方に、伝わった香は香水となっています。

香木の原産地はインド、ベトナム、スマトラ、マレーシア等のジャングルで、伽羅(キャラ)、羅国(ラコク)、真南蛮(マナバン)、真那伽(マナカ)、佐曽羅(サソラ)、寸聞多羅(スモタラ)の六種で六国(リッコク)といいます。



香木は長い世紀、土中に埋木して、朽木化した樹の樹脂で、
よい香は"沈香"といって水に沈みます。

西洋でも東洋でも、最初は儀式に用いられました。

"香"は大脳に作用をして、覚醒とか悟りを開くとかに有効であることが判り、僧たちが修業のために用いました。

やがて、それは帝(ミカド)、皇后、皇太子、王女、貴族など、生活にまた、芸道として根づいていきました。

香木が伝わる前の古代日本では、植物の匂いが好まれ、春は梅、夏は橘、秋は菊、しきみの匂いなどが尊ばれました。

枕に菊枕(網篭のなかに菊の花を詰める。心が落ち着く)などが用いられました。

これは歳時記にも秋の季語として残っています。
草花の匂いのほか、山の匂い、海の匂いなど、生活の中の匂いを大切にしました。

飛鳥時代---
六世紀、香木は仏教伝来とともに、わが国に伝わりました。仏教だけではなく、陶磁器、文字、製紙技術、とともに香木なども同時に伝わりました。

奈良時代---
753年、 鑑真和上(がんじんわじょう)が来日しました。
仏教儀式の一つとして「薫物(タキモノ)の工法を僧たちに伝授しています。

鑑真和上は"香"に様々な薬を混ぜて"合わせ香"の技術を残しました。
鑑真が来日して3年後に聖武天皇が没します。
光明皇后が帝を悼み、都合、三度の法要を東大寺でいとなみ、帝の遺品を正倉院に納めました。

平安時代---
十一世紀頃になると、貴族の間では、次第に"香"の楽しみ方が盛んになっていきました。
源氏物語などは、全編に"香"が匂うがごとく恋物語が繰り広げられます。
光源氏の行動は闇の中においても、女房たちにそれと知られるのは、すべて、この"香"のためです。

このころ、仏前への「供香(キョウゴウ)」の他、「空薫物(ソラダキモノ)」「翫香(ガンコウ)」「掛け香」「置香(オキコウ)」「匂い袋」などが拡まりました。

源氏物語「梅が枝」の巻では、「大殿のあたりいい知れぬ匂い満ちて、人の御ここちいと艶なり」とあります。
大殿とは光源氏の君。
艶とは 上品に心地よき様。

この頃は、香木をたくのではなく、何種類もの香木を砕いて粉にし、蜂蜜(あますらや)、麝香(ジャコウ)など動物性の"香"を混ぜて、三日から一ヶ月ぐらい樹木の根元に埋めるなどして、自ら独特の練香(ネリコウ)を作りました。

「練香」は秘法で、調合の内容は誰にも明かしません。

しかし、六種(むぐさ)の薫物(たきもの)」はこの時代の代表的な薫香です。

例えば春なら・・梅花。
夏なら・・荷葉(カヨウ。蓮のこと)。
秋は・・菊。侍従。
冬は・・・黒方(クロボウ)、落葉。
という風に季節感を演出しながら自分の匂いの特色を工夫しました。

この「薫物合せ」の中から、"香"の種類を聞き分けるという芸が上流社会に流行し、これが"香道"の原型となります。

「聞く」というのは"嗅ぐ"の意味で、聞香(モンコウ)とは"香り"を聞くことです。

十二世紀、鎌倉時代になって武士の力が台頭し、公卿社会が衰微してくると、"香"の聞き方も変わってきます。
"香"は遊びではなく、「武」の精神統一を図るために用いられるようになります。

"香"も「練香」よりも、香木そのものの"香り"を珍重しました。
源頼朝も香木を集めて精神修養に使ったと云われています。

室町時代---
1338年、足利尊氏、京都幕府を開きます。

三代将軍義満は明との貿易を盛んにし、香木の他に様々の美術品を輸入し、北山文花を確立しました。

佐々木道誉などの婆裟羅(ばさら)大名達によって、香合わせ、歌合せ、貝合わせなどの合せ物が盛んに行われ、彼等は社交の花形となりました。

婆裟羅とは室町時代の言葉で伊達とか派手という意味です。

八代将軍義政は、1489年、銀閣寺を建立します。
義満は能阿弥、相阿弥、芸阿弥、とともに東山文化を大成します。
"香"、花、茶の体系化と発展に理解を示す文化人でした。

三條西実隆に命じ、門弟の志野宗信とともに「日本香道」の基礎を造らせます。

安土桃山から江戸時代にかけては、茶道と香道は武家の教養として、欠かせない存在となるほど、盛んになりました。
この時代の主流となったのは、「組香」です。

合せ香は"香"の調合から独自性を演出するものですが、組香は和歌、漢詩などと組み合わせて、詩歌の心を表現するものです。

この頃から"香"は下部へ遊女達にまで拡まっていきました。

信長、秀吉、家康などの武家大名社会に"香"が浸透します。
特に、江戸時代には、茶人、香人でない大名はいないくらいに盛んになりました。

利休、織部、幽斎、光悦などの文化人は、また"香人"でもあったのです。

香木の輸入も盛んに行われました。
「一木四銘」といって一本の伽羅の名木を巡って葛藤があった末、宮中では・・・藤袴(後水尾天皇の勅銘香)、
前田家では・・・初音、
細川家では・・・白菊、
伊達家では・・・柴舟と銘名されて、
今日まで大切に保存されています。

しかし、明治維新になり、仏教とともに香道も衰退の道をたどりました。

太平洋戦争中は、あらゆる芸道が凋落しましたが、香道もその例に洩れず衰微しました。

しかし、戦争終結後、世の中が落ち着くともに、日本独自の文化が再認識されるなかで、香道も三條西家二十一代目の宗家尭山と、その息尭雲による復興を果たし、今当代を迎え次第に隆盛に向います。

"香"は、小さな香木から匂い立つ薫りが、様々な幻想の世界をイメージし、心安らぎ、自分の美の世界を創り出すのもですが、古くから伝えられる「香の十徳」を紹介しましょう。

感格鬼神 清浄心身 (感性を研ぎすまし 心身を清浄にす)

能除汚穢 能覚睡眠 (よく汚れを除き よく眠りを覚ます)

静中成友 塵裏偸閉(静けさの中に友を作り忙中閑を偸しむ)

多而不厭 寡而為足(多くとも厭わず少なくとも十分に足る)

久蔵不朽 常用無障 (保存して朽ちず 常用して障りなし)


この意味は、"香"は大脳に作用し、自律神経やホルモン分泌に働きかけ、健康に良い、心を鎮め 気持ちの安定感を得て、完成を豊かにするということです。

ここから、いよいよ組香「菖蒲香(あやめこう)」の実技に入ります。

三つの"香"を聞き分けたら、「匂いの君」という下附(したづけ)がつけられるとか・・・・・。

"香り"の巻----
これで"一巻の終わり"でござります。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2004年05月04日 08時55分41秒
コメント(2) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

さんとうか7722

さんとうか7722

お気に入りブログ

一日一冊:読書日記… 本のソムリエさん
30歳で結婚したOL… 美恵子12385さん
ザ・支離滅裂 山下 洋之輔さん
Margin tempogiustoさん
遙かなる悠久の古典… 美歩鈴さん

コメント新着

乗らない騎手@ ちょっとは木馬隠せw あのー、三 角 木 馬が家にあるってどん…
開放感@ 最近の大学生は凄いんですね。。 竿も玉もア○ルも全部隅々まで見られてガ…
まさーしー@ なんぞコレなんぞぉ!! ぬオォォーーー!! w(゜д゜;w(゜д゜)w…
バーサーカー@ ヌォォオオ!!!!!! http://bite.bnpnstore.com/m9n4wb0/ お…
ニキビ侍@ ありがとう!!!!!!! 顔見てるだけでもギンギンでミルク発射し…

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: