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2004年06月14日
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"仕事の歌"(ДУЪИНУШКА DUBINUSHKA)

♪
かなしい歌 うれしい歌
たくさん聞いた中で
忘れられぬ一つの歌 それは仕事の歌
忘れられぬ一つの歌 それは仕事の歌
※ヘイ! この若者よ
 ヘイ!前へと進め

♪
イギリス人は利巧(りこう)だから
水や火などを使う
ロシア人は歌をうたい 自らなぐさめる
ロシア人は歌をうたい 自らなぐさめる
※(くりかえし)
♪
死んだ親が後にのこす
宝物は何ぞ
力づよく男らしい それは仕事の歌
力づよく男らしい それは仕事の歌



※原曲名をドゥビヌシカといいます。
"棍棒"(こんぼう)の意味で、曳網などを巻き取るためのろくろを回すときに使う軸木につかう樫の棒がこの歌の対象です。
1865年から70年にかけて作られたこの曲は、苦しい仕事に耐えながら歌う労働歌でしたが、10月革命の1905年頃には、革命歌の色彩を帯びてきます。



作詞:谷川俊太郎 作曲:武満徹


死んだおとこの 残したものは
一人の妻と 一人の子供 
A7  Dm  G7  C E7 Am  Dm  E7  Am 
他には何も 残さなかった 墓石ひとつ 残さなかった

死んだおんなの 残したものは
しおれた花と 一人の子供
他には何も 残さなかった 着物一枚 残さなかった

死んだこどもの 残したものは
ねじれた足と かわいた涙
他には何も 残さなかった 思い出ひとつ 残さなかった

死んだ兵士の 残したものは
こわれた銃と ゆがんだ地球
他には何も 残せなかった 平和ひとつ 残せなかった

死んだ彼らの 残したものは
生きてる私 生きてるあなた
他には誰も 残っていない 他には誰も 残っていない




「ゲゲゲの鬼太郎」
水木しげる作詞・いずみたく作曲


♪
ゲ ゲ ゲゲゲのゲー
朝は寝床(ねどこ)で グーグーグー
楽しいな 楽しいな
おばけにゃ 学校も
試験(しけん)もなんにも ない
ゲ ゲ ゲゲゲのゲー
みんなで歌おう ゲゲゲのゲー
♪
ゲ ゲ ゲゲゲのゲー
昼はのんびり お散歩(さんぽ)だ
楽しいな 楽しいな
おばけにゃ 会社も
仕事(しごと)もなんにも ない
ゲ ゲ ゲゲゲのゲー
みんなで歌おう ゲゲゲのゲー
♪
ゲ ゲ ゲゲゲのゲー
夜は墓場(はかば)で 運動会(うんどうかい)
楽しいな 楽しいな
おばけは 死なない
病気(びょうき)もなんにも ない
ゲ ゲ ゲゲゲのゲー
みんなで歌おう ゲゲゲのゲー
みんなで歌おう ゲゲゲのゲー
みんなで歌おう ゲゲゲのゲー

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪


-----謎に包まれた陰陽師"安倍晴明"----


希代の陰陽師"安倍晴明"。
彼は、鬼神を自在に操り、占術をもって闇を見抜き、呪術をもって闇を制御したと言われています。


延喜二十一年(九二一)に生まれ、寛弘二年(一〇〇五)に亡くなりました。
右大臣安倍御主人から九代目の大膳大夫益材の子と言われ、享年八十五でした。

天徳四年 (九六〇)、天文得業生として節刀の形状を朝廷で諸事の先例や典故、日時や吉兆等を調べて上申したのを皮切りにして、以後、天文博士・穀倉院別当等の官を歴任、長保三年(一〇〇一)従四位下に宣下され、同四年(一〇〇二)大膳大夫、寛弘元年(一〇〇四)左京権大夫となります。

『土御門家記録』には、寛弘弐年(一〇〇五)九月二十六日に他界したとあり、この日は「安倍晴明」神社の例祭日となっています。

彼は、陰陽師・土御門家の祖とし て、陰陽五行説の壮大な宇宙論を展開し、「式神」と呼ばれる十二の鬼神を操り、魔を除き、天変地異を予測して国家の安泰を司っていました。

式神の「青龍」「白虎」「朱雀」「玄武」の四神はそれぞれ東西南北の方位を守護し、現在も「風水」の基本として生活に根差しています。


『今昔物語集』に若い頃の晴明の様子が伝えられています。


ある夜、忠行の供をして歩いていると、晴明が鬼が歩いてくる事に気付き、そのお陰で忠行の一行は難を逃れました。
この事があってからと言うもの、忠行は晴明を手放しがたく思い、陰陽道の全てを彼に教えました。

「此道ヲ教フル事瓶ノ 水ヲウツスガ如シ」
瓶の水を、そっくり他の容器に移すように教えたというのです。

彼は、賀茂忠行と、その子の保憲に天文道を学びました。
保憲は、天文道を授け、子供の光栄には暦道を授けました。以後、それまで賀茂氏が独占していた陰陽道は、安倍家(土御門家と称する)が天文道、賀茂家が暦道と、二流に分かれて受け継がれる事となります。

安倍家は闇の世界を統率した謎と神秘に彩られた伝説的大陰陽師"安倍晴明"を、賀茂家は他人の見る夢の中まで侵入したという超人"吉備真備"をそれぞれ開祖としています。

江戸時代、土御門家は陰陽師の実権を握り「土御門神道」を成立させます。
この土御門神道の思想は、各神道の成立に大きな影響を与えるまでに至ります。
ちなみに源流である賀茂家は、室町後期から次第に衰退の一途を辿り、江戸時代になると、土御門家に「暦」の発行権を奪われ、それ以後、土御門家の天下が続くこととなります。

しかし、土御門家も、明治維新以後、陰陽道を廃止しようという世の動きより、明治政府に暦の発行権を奪われ、結局力を失い、陰陽道は歴史から姿を消すことになりました。

明治以降、働く場所を失った陰陽師は、それまで、最高国家機密として処されていたものを、各地で、暦・吉祥占い・方位学等を教えたのが民間陰陽道として広がり、現在に至っています。
現在の九星占い・四柱推命等は、陰陽道の遺産と言えるものだと言えます。




今年は偉大な哲学者
"イマヌエル・カント"(Immanuel Kant) 1724年 - 1804年
生誕200年の記念すべき年にあたります。


ドイツの哲学者である"Kant"は近代において影響力の大きな哲学者のひとりです。


東プロイセンの都市ケーニヒスベルク(現ロシア領カリーニングラード)の出身で、その町から生涯、外に出たのは数回のみであったと言われています。

一般に"Kant"の思想はその三つの批判の書にちなんで批判哲学と呼ばれています。

"Kant"によれば批判は哲学のための準備・予備学であり、批判の上に真の形而上学としての哲学が築かれるべきなのです。
ドイツ観念論は"Kant"のこの要求に応えようとした試みですが、"Kant"はこれをあまり好意的には評価していません。
またドイツ観念論の側でも"Kant"を高く評価しながら、物自体と経験を分離したことについて"Kant"を不徹底とも評価しています。

"Kant"の思想は以下の三つの時期に区分されます。


前批判期 『純粋理性批判』刊行前、初期の自然哲学論考から就職論文『可感界と知性界について』まで


批判期  『純粋理性批判』以降の三批判書を含む諸著作。これ以降、後批判期を含めて批判哲学と呼んでいます


後批判期 第三批判『判断力批判』以後に刊行された著作および遺稿


「批判哲学」------
従来人間外部の事象、物体について分析を加えるものであった哲学を、人間それ自身の探求のために再定義した「コペルニクス的転回」は"超"有名です。
彼は人間のもつ純粋理性、実践理性、判断力とくに反省的判断力の性質とその限界を考察し、『純粋理性批判』以下の三冊の批判書にまとめました。

"Kant"によれば、人間の認識能力には、感性に純粋直観である空間および時間、悟性に因果性など "12 種"の純粋悟性概念(別名をカテゴリー)の二種の認識形式が"アプリオリ"に備わっており、人間理性は、その二種の形式に従ってのみ物事を認識するとされています。
この"認識"が物の経験です。

※"アプリオリ"
経験の支えなしに知ることができる知識

他方、この形式に適合しない"理性・理念"は原理的に人間には認識できない概念とされます。
神あるいは超越者がその代表例であり、これを"Kant"は物自体(Ding an sich)と呼んでいます。(「純粋理性批判」)

超越者が"アプリオリ"な認識能力にとって、単に思惟の対象であることを指摘した、"Kant"は、理性が超越者とかかわる別の方法、すなわち実践理性による超越者の要請(Anspruch)を「実践理性批判」において考察しています。
この書はカント道徳論の基礎であり物自体はここで定言命法

「自らなされたくないことを他者になすなかれ(sollen)」

として格率として定式化されます。

すなわち理論理性に対して物自体である神は、実践理性にとっては人間理性の自由であり、その根拠として神・不死などの観念が要請されるのです。


最後にカントは狭義の理性ではないが、人間の認識能力のひとつ判断力について考察を加え、その一種である反省的判断力を
「現実をあるカテゴリーの下に包摂する能力」
と定式化し、これを美的(直感的)判断力と目的論的判断力の二種に分けて考察を加えました。
これが『判断力批判』です。
この書は、その後展開される実践論、美学などの基礎として評価されています。
また"ハンナ・アレント"以降、判断力批判を政治哲学として読む読み方が提示され、現代哲学においてカントの占める位置は極めて重要であるといえます。




※"ハンナ・アレント"(Hannah Arendt, 1906年 - 1975年)ドイツ出身のアメリカ合衆国の政治思想家・哲学者。


ユダヤ人の家庭に生まれ、ハイデルベルク大学ではヤスパースに、マールブルク大学でマルティン・ハイデッガーの下で哲学を学びました。
ハイデッガーとは一時愛人関係にあり、2人の往復書簡は公刊されているます。
ナチスの政権獲得によるユダヤ人迫害を逃れるため1933年にフランスに亡命、第二次世界大戦が始まり1941年にフランスがドイツに降伏すると、アレントはアメリカ合衆国に亡命しました。
そして1951年に彼女は『全体主義の起源』(The Origins of Totalitarianism)を表し、全体主義について分析しました。
その後も、みずから経験した全体主義およびそれを生み出すにいたった西欧の政治思想を考察しました。




批判期以降の、"Kant"は、ふたたび宗教・倫理学への関心を増し、とくにフランス革命にカントは重大な衝撃を受け、関心をもってその推移を見守っていました。
後期著作の道徳論や人間論にはその知見が投影されています。


"エピソード"-----
彼は時間に厳格で、毎日同じ時間に散歩をしていました。
散歩の通り道にある家では、"Kant"が歩いてくるたびに時計の狂いを直していたといいます。


"完"---------------------------------------









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最終更新日  2004年06月14日 05時24分49秒
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