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2004年06月24日
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あらたふと----

日光の高野家に、本真蹟を彫り付けた句碑があります。
同家は、代々日光山輪王寺に仕えた旧家で、庭園内に芭蕉句碑が新旧二基あるうち、古いほうは、明治二年に亡くなった十一代目の高野道文(高野将監逵久)氏が、幕末ごろに建立したものといわれています。

日光山に詣  芭蕉桃青

あらたふと木の下闇も日の光

此真蹟大日堂の碑と異同ありて
しかも意味深長なりよつて今茲に
彫付て諸君の高評をまつ

(注)


「おくのほそ道」に記された「あらたうと青葉若葉の日の光」の句は、室の八嶋に立ち寄った折の「あなたふと木の下暗(やみ)も日の光」(「俳諧書留」)を初稿とし、後に真蹟懐紙中の「あらたふと木の下闇も日の光」に改案して得られた決定稿です。

絲遊に結つきたる煙哉     翁
あなたふと木の下暗も日の光  翁
入かゝる日も絲遊の名残哉(程々に春のくれ)
鐘つかぬ里は何をか春の暮
入逢の鐘もきこえず春の暮
(俳諧書留)


"祇園会"(ぎおんえ)
祇園御霊会の略称です。
江戸時代の初頭以降,祇園祭とも呼ばれます。

毎年7月朔日の吉符入から同17日の前の祭(神輿渡御や山鉾巡行),24日の後の祭(神輿還御),同29日の神事済奉告祭までの約1カ月間の祭礼の総称。
陰暦時代は前の祭が6月7日,後の祭が6月14日に催されていました。
『祇園社本縁録(ぎおんしゃほんえんろく)』によると,869年(貞観11)の悪疫流行のさい,日本66カ国の数にならって66本の鉾をつくって牛頭天王を祀り,神泉苑に送ったのが,その創始と伝えられています。
平安時代の京都およびその近郊では,悪疫退散を祈る多くの霊場がありましたが,祇園社の鎮座する八坂の地は,そうした霊場の一つであり,この869年の御霊会は,それに因むものと思われます。
ただし『二十二社註式』は970年(天禄1)より毎年6月14日に挙行されるようになったとされ,『本縁録』とのあいだに内容上の差異を生じていますが,970年の例は祇園会が官祭として挙行されるようになったことを示すものと考えられます。


なかでも御旅所への神輿渡御と本社への還幸は,人々の耳目を集め,神輿行列をみんものと,道筋に棧橋を設け見物した例が平安時代よりみられます。
そして行列の先頭をきる馬長は,その衣裳の豪華さと相まって人気を博しました。
平安時代の祇園会は官祭であったため,都人の祭礼への参加が,どのような形態でなされたのかは必ずしも明らかではありません。
11世紀後半からは田楽の流行とも相まって,「院の歩田楽」「文殿歩田楽」「侍の歩田楽」といった,いわば職場単位で組織された田楽集団が,この行列に供奉するようになります。
平安時代末期には,それまで公家が勤仕していた馬長を,洛中の富家があたるようになり,徐々に祭礼への参加が広められていきました。
したがって平安時代より鎌倉時代にかけての祇園会は,神輿渡御が中心となっていました。
鎌倉時代後期から南北朝時代にかけて,それまで脇役であった山鉾の大型化がすすめられ,それに伴って,山鉾の巡行が祇園会の中心的地位を占めるようになっていきました。

山鉾は,999年(長徳4)に京中の雑芸者旡骨が「大嘗会之標」のような柱をひいたのがその源流といわれます。
14世紀ごろからの京都における町共同体発達のなかで,氏子の町々や職業集団による作山が出されて神輿渡御に加わり,しだいに祭礼の中心を占めるようになっていきました。

室町時代になり,山鉾の大型化と意匠の豪華さがさらにすすめられ,また船鉾・鵲鉾など名をもつものも現れ,応仁の乱以前には58基もの山鉾が町々でつくられるようになります。

1467年(応仁1)の応仁の乱の勃発により,祇園会は中断のやむなきにいたり,再興されたのは30余年後の1500年(明応9)のことです。
このとき復興された山鉾は鉾1基,山25基であったから乱前の半分以下ということになります。
しかしこれ以後,祇園社の氏子を形成する町衆らの経済的進度とともに華麗さを増し,16世紀ごろのその姿は,当時描かれた『洛中洛外図屏風』にみることができます。

なお,山鉾巡行の順番を決定する鬮改めは,この再興時に定められたものです。
江戸時代,祇園会は幕府の統制下に置かれ,武具の携帯なども禁じられるとともに細かく規制されました。
18世紀半ばごろからは駒形提灯を飾って催す宵山が定着するようになります。
また時を同じくして氏子の家々では,屏風を中心とする累代の家の宝物を,宵山への参加者へ開陳するようになり,別名屏風祭と呼ばれるようになります。
これにより現行の祇園祭の形態がほぼ完成しました。
なお,1956年(昭和31)以降,山鉾の巡行経路が現行に変更され,また1966年(昭和41)には前後の祭を一本化するなどの方策がとられています。
ちなみに,室町時代以降の京文化拡散のなかで小京都が成立し,祇園社もそれに伴って勧請されました。
そして祇園会もそれに付随して各地に伝えられ,たとえば現山口県津和野町には,鷺舞などの祇園会風流の古型がみられます。


さいごに------
"We Shall Overcome"
Melody -

1. We shall overcome
We shall overcome
We shall overcome some day
Chorus:
Oh deep in my heart
I do believe
We shall overcome some day

2. We'll walk hand in hand
We'll walk hand in hand
We'll walk hand in hand some day
Chorus:

3. We shall all be free
We shall all be free
We shall all be free some day
Chorus:

4. We are not afraid
We are not afraid
We are not afraid today
Chorus:

5. We are not alone
We are not alone
We are not alone today
Chorus:

6. The whole wide world around
The whole wide world around
The whole wide world around some day
Chorus:

7. We shall overcome
We shall overcome
We shall overcome some day
Chorus:


I sall "OVER-COME"!!!!!





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最終更新日  2004年07月07日 05時11分03秒
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