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2006年02月14日
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二

月は、依然として照つて居た。山が高いので、光りにあたるものが少かつた。
山を照し、谷を輝かして、剩る光りは、又空に跳ね返つて、殘る隈々までも、鮮やかにうつし出した。
足もとには、澤山の峰があつた。
黒ずんで見える峰々が、入りくみ、絡みあつて、深々と畝つてゐる。
其が見えたり隱れたりするのは、この夜更けになつて、俄かに出て來た霞の所爲(せい)だ。
其が又、此冴えざえとした月夜を、ほつとりと、暖かく感じさせて居る。

廣い端山の群つた先は、白い砂の光る河原だ。
目の下遠く續いた、輝く大佩帶(おほおび)は、石川である。

其へ、山間を出たばかりの堅鹽(かたしほ)川―大和川―が落ちあつて居るのだ。
そこから、乾(いぬい)の方へ、光りを照り返す平面が、幾つも列つて見えるのは、日下江(くさかえ)・永瀬江(ながせえ)・難波江(なにはえ)などの水面であらう。
寂かな夜である。
やがて鷄鳴近い山の姿は、一樣に露に濡れたやうに、しつとりとして靜まつて居る。
谷にちら/\する雪のやうな輝きは、目の下の山田谷に多い、小櫻の遲れ咲きである。
一本の路が、眞直に通つてゐる。
二上山の男嶽(をのかみ)女嶽(めのかみ)の間から、急に降つて來るのである。
難波から飛鳥の都への古い間道なので、日によつては、晝は相應な人通りがある。
道は白々と廣く、夜目には、芝草の蔓(は)つて居るのすら見える。
當麻路(たぎまぢ)である。
一降りして又、大降りにかゝらうとする處が、中だるみに、やゝ坦(ひらた)くなつてゐた。

半世紀を經た位の木ぶりが、一樣に揃つて見える。
月の光りも薄い木陰全體が、勾配を背負つて造られた圓塚であつた。
月は、瞬きもせずに照し、山々は深く「目+匡」を閉ぢてゐる。

こう こう こう。

先刻から、聞えて居たのかも知れぬ。

だから、今珍しく響いて來た感じもないのだ。

こう こう こう――こう こう こう。

確かに人聲である。
鳥の夜聲とは、はつきりかはつた韻(いびき)を曳いて來る。
聲は、暫らく止んだ。
靜寂は以前に増し、冴え返つて張りきつてゐる。

この山の峰つゞきに見えるのは、南に幾重ともなく重つた、葛城の峰々である。
伏越(ふしごえ)櫛羅(をしら)小巨勢(こごせ)と段々高まつて、果ては空の中につき入りさうに、二上山と、この塚にのしかゝるほど、眞黒に立ちつゞいてゐる。
當麻路をこちらへ降つて來るらしい影が、見え出した。二つ三つ五つ……八つ九つ。
九人の姿である。
急な降りを一氣に、この河内路へ馳けおりて來る。
九人と言ふよりは、九柱の神であつた。白い著物・白い鬘《カツラ》、手は、足は、すべて旅の裝束である。
頭より上に出た杖をついて――。
この坦(たひら)に來て、森の前に立つた。

こう こう こう。

誰の口からともなく、一時に出た叫びである。
山々のこだまは、驚いて一樣に、忙しく聲を合せた。
だが山は、忽一時の騷擾から、元の緘默(しじま)に戻つてしまつた。

こう こう。
お出でなされ。藤原南家 郎女(いらつめ)の御魂(みたま)。
こんな奧山に、迷うて居るものではない。
早く、もとの身に戻れ。
こう こう。
お身さまの魂を、今、山たづね尋ねて、尋ねあてたおれたちぞよ。
こう こう こう。

九つの杖びとは、心から神になつて居る。
彼らは、杖を地に置き、鬘を解いた。
鬘は此時、唯眞白な布に過ぎなかつた。
其を、長さの限り振り捌いて、一樣に塚に向けて振つた。

こう こう こう。

かう言ふ動作をくり返して居る間に、自然な感情の欝屈と、休息を欲するからだの疲れとが、九體の神の心を、人間に返した。
彼らは見る間に、白い布を頭に捲きこんで鬘とし、杖を手にとつた旅人として、立つてゐた。

をい。
無言(しじま)の勤めも此までぢや。
をゝ。

八つの聲が答へて、彼等は訓練せられた所作のやうに、忽一度に、草の上に寛(くつろ)ぎ、再杖を横へた。

これで大和も、河内との境ぢやで、もう魂ごひの行(ぎやう)もすんだ。
今時分は、郎女さまのからだは、廬の中で魂をとり返して、ぴち/\しく居られようぞ。
こゝは、何處だいの。
知らぬかいよ。
大和にとつては大和の國、河内にとつては河内の國の大關(おほぜき)。
二上の當麻路(たぎまぢ)の關(せき)――。

別の長老(とね)めいた者が、説明を續(つ)いだ。

四五十年あとまでは、唯 關と言ふばかりで、何の標(しるし)もなかつた。其があの、近江の滋賀の宮に馴染み深かつた、其よ。
大和では、磯城(しき)の譯語田(をさだ)の御館に居られたお方。
池上の堤で命召されたあのお方の骸(むくろ)を、罪人に殯(もがり)するは、災の元と、天若日子(あめわかひこ)の昔語りに任せて、其まゝ此處にお搬びなされて、お埋(い)けになつたのが、此塚よ。

以前の聲が、まう一層皺がれた響きで、話をひきとつた。

其時の仰せには、罪人よ。
吾子(わこ)よ。
吾子の爲了せなんだ荒び心で、吾子よりももつと、わるい猛び心を持つた者の、大和に來向ふのを、待ち押へ、塞(さ)へ防いで居ろ、と仰せられた。
ほんに、あの頃は、まだおれたちも、壯盛(わかざか)りぢやつたに。
今ではもう、五十年昔になるげな。

今一人が、相談でもしかける樣な、口ぶりをんだ。


さいや。あの時も墓作りに雇はれた。
その後も、當麻路の修覆に召し出された。
此お墓の事は、よく知つて居る。ほんの苗木ぢやつた栢が、此ほどの森になつたものな。
畏(こは)かつたぞよ。
此墓のみ魂が、河内安宿部(あすかべ)から石擔(も)ちに來て居た男に、憑いた時はなう。

九人は、完全に現し世の庶民の心に、なり還つて居た。
山の上は、昔語りするには、あまり寂しいことを忘れて居たのである。
時の更け過ぎた事が、彼等の心には、現實にひし/\と、感じられ出したのだらう。

もう此でよい。
戻らうや。
よかろ よかろ。

皆は、鬘をほどき、杖を棄てた白衣の修道者、と言ふだけの姿(なり)になつた。

だがの。
皆も知つてようが、このお塚は、由緒(ゆいしょ) 深(ふか)い、氣のおける處ゆゑ、まう一度、魂ごひをしておくまいか。

長老(とね)の語と共に、修道者たちは、再 魂呼(たまよば)ひの行を初めたのである。

こう こう こう。

をゝ……。

異樣な聲を出すものだ、と初めは誰も、自分らの中の一人を疑ひ、其でも變に、おぢけづいた心を持ちかけてゐた。も一度、

こう こう こう。

其時、塚穴の深い奧から、冰りきつた、而も今息を吹き返したばかりの聲が、明らかに和したのである。

をゝう……。

九人の心は、ばら/″\の九人の心々であつた。
からだも亦ちり/″\に、山田谷へ、竹内谷へ、大阪越えへ、又當麻路へ、峰にちぎれた白い雲のやうに、消えてしまつた。
唯疊まつた山と、谷とに響いて、一つの聲ばかりがする。

をゝう……。

----
continue
(^死^)





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最終更新日  2006年02月14日 21時32分56秒
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