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2006年02月21日
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十八

當麻の邑は、此頃、一本の草、一塊《ヒトクレ》の石すら、光りを持つほど、賑ひ充ちて居る。
當麻眞人家《タギマノマヒトケ》の氏神|當麻彦《タギマヒコ》の社へ、祭り時に外れた昨今、急に、氏(ノ)上の拜禮があつた。
故上總守 老《オユ》(ノ)眞人以來、暫らく絶えて居たことである。
其上、まう二三日に迫つた八月《ハツキ》の朔日《ツイタチ》には、奈良の宮から、勅使が來向はれる筈になつて居た。
當麻氏から出られた大夫人《ダイフジン》のお生み申された宮の御代に、あらたまることになつたからである。
廬堂の中は、前よりは更に狹くなつて居た。

機織りに長けた女も、一人や二人は、若人の中に居た。
此女らの動かして見せる筬《ヲサ》や梭《ヒ》の扱ひ方を、姫はすぐに會得《ヱトク》した。
機に上つて日ねもす、時には終夜《ヨモスガラ》、織つて見るけれど、蓮の絲は、すぐに圓《ツブ》になつたり、斷《キ》れたりした。其でも、倦まずにさへ織つて居れば、何時か織りあがるもの、と信じてゐる樣に、脇目からは見えた。
乳母は、人に見せた事のない憂はしげな顏を、此頃よくしてゐる。

何しろ、唐土《モロコシ》でも、天竺から渡つた物より手に入らぬ、といふ藕絲織《ハスイトオ》りを遊ばさう、と言ふのぢやものなう。

話相手にもしなかつた若い者たちに、時々うつかりと、こんな事を、言ふ樣になつた。

かう絲が無駄になつては。
今の間にどし/″\績《ウ》んで置かいでは―。

乳母《チオモ》の語に、若人たちは又、廣々とした野や田の面におり立つことを思うて、心がさわだつた。
さうして、女たちの刈りとつた蓮積み車が、廬に戻つて來ると、何よりも先に、田居への降り道に見た、當麻の邑の騷ぎの噂である。

郎女樣のお從兄《イトコ》惠美の若子《ワクゴ》さまのお母《ハラ》樣も、當麻[#(ノ)]眞人のお出《デ》ぢやげな――。

兄御を、帥の殿に落しておいて、御自身はのり越して、内相の、大師《タイシ》の、とおなりのぼりの御心持ちは、どうあらうなう――。

あて人に仕へて居ても、女はうつかりすると、人の評判に時を移した。

やめい やめい。
お耳ざはりぞ。

しまひには、乳母が叱りに出た。

さうして、そんなことにかまけることなく、何の訣やら知れぬが、一心に絲を績《ウ》み、機を織つて居る育ての姫が、いとほしくてたまらぬのであつた。
晝の中多く出た虻は、潜んでしまつたが、蚊は仲秋になると、益々あばれ出して來る。
日中の興奮で、皆は正體もなく寢た。
身狹までが、姫の起き明す燈の明りを避けて、隅の物陰に、深い鼾を立てはじめた。
郎女は、斷《キ》れては織り、織つては斷れ、手がだるくなつてもまだ梭《ヒ》を放さうともせぬ。
だが、此頃の姫の心は、滿ち足らうて居た。あれほど、夜々《ヨルヽヽ》見て居た俤人《オモカゲビト》の姿も見ずに、安らかな氣持ちが續いてゐるのである。
「此機を織りあげて、はやうあの素肌のお身を、掩うてあげたい。」
其ばかり考へて居る。
世の中になし遂げられぬものゝあると言ふことを、あて人は知らぬのであつた。

ちよう ちよう はた はた。
はた はた ちよう……。

筬を流れるやうに、手もとにくり寄せられる絲が、動かなくなつた。
引いても扱《コ》いても通らぬ。筬の齒が幾枚も毀《コボ》れて、絲筋の上にかゝつて居るのが見える。
郎女は、溜め息をついた。乳母に問うても、知るまい。女たちを起して聞いた所で、滑らかに動かすことはえすまい。

どうしたら、よいのだらう。

姫ははじめて、顏へ偏《カタヨ》つてかゝつて來る髮のうるさゝを感じた。筬の櫛目を覗いて見た。
梭もはたいて見た。

あゝ、何時になつたら、したてた衣《コロモ》をお肌へふくよかにお貸し申すことが出來よう。

もう外の叢で鳴き出した、蟋蟀の聲を、瞬間思ひ浮べて居た。

どれ、およこし遊ばされ。かう直せば、動かぬこともおざるまい――。

どうやら聞いた氣のする聲が、機の外にした。
あて人の姫は、何處から來た人とも疑はなかつた。
唯、さうした好意ある人を、豫想して居た時なので、

見てたもれ。

機をおりた。
女は、尼であつた。
髮を切つて尼そぎにした女は、其も二三度は見かけたことはあつたが、剃髮した尼には會うたことのない姫であつた。

はた はた ちよう ちよう。

元の通りの音が、整つて出て來た。

蓮の絲は、かう言ふ風では、織れるものではおざりませぬ。
もつと寄つて御覽じ――。
これかう――おわかりかえ。

當麻語部(ノ)姥の聲である。
だが、そんなことは、郎女の心には、問題でもなかつた。

おわかりなさるかえ。これかう――。

姫の心は、こだまの如く聰《サト》くなつて居た。
此 才伎《テワザ》の經緯《ユキタテ》は、すぐ呑み込まれた。

織つてごらうじませ。

姫が、高機に代つて入ると、尼は機陰に身を倚せて立つ。

はた はた ゆら ゆら。

音までが、變つて澄み上つた。

女鳥《メトリ》の わがおほきみの織《オロ》す機。
誰《タ》が爲《タ》ねろかも――、御存じ及びでおざりませうなう。
昔、かう、機殿《ハタドノ》の(「片+總のつくり」)からのぞきこうで、問はれたお方樣がおざりましたつけ。
――その時、その貴い女性《ニヨシヤウ》がの、
たか行くや 隼別《ハヤブサワケ》の御被服料《ミオスヒガネ》――さうお答へなされたとなう。
この中《ヂユウ》申し上げた滋賀津彦《シガツヒコ》は、やはり隼別でもおざりました。天若日子《アメワカヒコ》でもおざりました。天《テン》の日《ヒ》に矢を射かける――。
併し、極みなく美しいお人でおざりましたがよ。
截《キ》りはたり ちようちよう。
それ―、早く織らねば、やがて、岩牀の凍る冷い冬がまゐりますがよ――。

郎女は、ふつと覺めた。あぐね果てゝ、機の上にとろ/\とした間の夢だつたのである。
だが、梭をとり直して見ると、

はた はた ゆら ゆら。
ゆら はたゝ。
美しい織物が、筬の目から迸る。

はた はた ゆら ゆら。

思ひつめてまどろんでゐる中に、郎女の智慧が、一つの閾を越えたのである。
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(^死^)





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最終更新日  2006年02月21日 10時47分15秒
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