フリーページ

2006年09月04日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
zzki

そのうち二人は坂の上へ出た。
坂井はそこを右へ曲る、宗助はそこを下へ下りなければならなかった。
宗助はもう少しいっしょに歩いて、屏風(びょうぶ)の事を聞きたかったが、わざわざ回(まわ)り路(みち)をするのも変だと心づいて、それなり分れた。
分れる時、
「近い中(うち)御邪魔に出てもようございますか」と聞くと、坂井は、
「どうぞ」と快よく答えた。

その日は風もなくひとしきり日も照ったが、家(うち)にいると底冷(そこびえ)のする寒さに襲(おそ)われるとか云って、御米はわざわざ置炬燵(おきごたつ)に宗助の着物を掛けて、それを座敷の真中に据(す)えて、夫の帰りを待ち受けていた。

この冬になって、昼のうち炬燵(こたつ)を拵(こし)らえたのは、その日が始めてであった。
夜は疾(と)うから用いていたが、いつも六畳に置くだけであった。
「座敷の真中にそんなものを据えて、今日はどうしたんだい」
「でも、御客も何もないからいいでしょう。だって六畳の方は小六(ころく)さんがいて、塞(ふさ)がっているんですもの」

宗助は始めて自分の家に小六のいる事に気がついた。
襯衣(シャツ)の上から暖かい紡績織(ぼうせきおり)を掛けて貰って、帯をぐるぐる巻きつけたが、
「ここは寒帯だから炬燵でも置かなくっちゃ凌(しの)げない」と云った。
小六の部屋になった六畳は、畳こそ奇麗(きれい)でないが、南と東が開(あ)いていて、家中(うちじゅう)で一番暖かい部屋なのである。

宗助は御米の汲(く)んで来た熱い茶を湯呑(ゆのみ)から二口ほど飲んで、

小六は固(もと)よりいたはずである。
けれども六畳はひっそりして人のいるようにも思われなかった。
御米が呼びに立とうとするのを、用はないからいいと留めたまま、宗助は炬燵蒲団(ぶとん)の中へ潜(もぐ)り込んで、すぐ横になった。
一方口(いっぽうぐち)に崖を控えている座敷には、もう暮方の色が萌(きざ)していた。
宗助は手枕をして、何を考えるともなく、ただこの暗く狭い景色(けしき)を眺(なが)めていた。

そのうち、障子だけがただ薄白く宗助の眼に映るように、部屋の中が暮れて来た。
彼はそれでもじっとして動かずにいた。
声を出して洋灯(ランプ)の催促もしなかった。

彼が暗い所から出て、晩食(ばんめし)の膳(ぜん)に着いた時は、小六も六畳から出て来て、兄の向うに坐(すわ)った。
御米は忙しいので、つい忘れたと云って、座敷の戸を締(し)めに立った。
宗助は弟に夕方になったら、ちと洋灯(ランプ)を点(つ)けるとか、戸を閉(た)てるとかして、忙(せわ)しい姉の手伝でもしたら好かろうと注意したかったが、昨今引き移ったばかりのものに、気まずい事を云うのも悪かろうと思ってやめた。

御米が座敷から帰って来るのを待って、兄弟は始めて茶碗に手を着けた。
その時宗助はようやく今日役所の帰りがけに、道具屋の前で坂井に逢った事と、坂井があの大きな眼鏡(めがね)を掛けている道具屋から、抱一(ほういつ)の屏風(びょうぶ)を買ったと云う話をした。御米は、
「まあ」と云ったなり、しばらく宗助の顔を見ていた。
「じゃきっとあれよ。きっとあれに違ないわね」

小六は始めのうち何にも口を出さなかったが、だんだん兄夫婦の話を聞いているうちに、ほぼ関係が明暸(めいりょう)になったので、
「全体いくらで売ったのです」と聞いた。御米は返事をする前にちょっと夫の顔を見た。

食事が終ると、小六はじきに六畳へ這入(はい)った。
宗助はまた炬燵(こたつ)へ帰った。しばらくして御米も足を温(ぬく)めに来た。
そうして次の土曜か日曜には坂井へ行って、一つ屏風を見て来たらいいだろうと云うような事を話し合った。

次の日曜になると、宗助は例の通り一週に一返(いっぺん)の楽寝(らくね)を貪ぼったため、午前(ひるまえ)半日をとうとう空(くう)に潰(つぶ)してしまった。
御米はまた頭が重いとか云って、火鉢(ひばち)の縁(ふち)に倚(よ)りかかって、何をするのも懶(ものう)そうに見えた。
こんな時に六畳が空(あ)いていれば、朝からでも引込む場所があるのにと思うと、宗助は小六に六畳をあてがった事が、間接に御米の避難場を取り上げたと同じ結果に陥(おちい)るので、ことに済まないような気がした。

心持が悪ければ、座敷へ床を敷いて寝たら好かろうと注意しても、御米は遠慮して容易に応じなかった。
それではまた炬燵でも拵(こしら)えたらどうだ、自分も当るからと云って、とうとう櫓(やぐら)と掛蒲団(かけぶとん)を"清"(きよ)に云いつけて、座敷へ運ばした。

小六は宗助が起きる少し前に、どこかへ出て行って、今朝(けさ)は顔さえ見せなかった。
宗助は御米に向って別段その行先を聞き糺(ただ)しもしなかった。
この頃では小六に関係した事を云い出して、御米にその返事をさせるのが、気の毒になって来た。御米の方から、進んで弟の讒訴(ざんそ)でもするようだと、叱るにしろ、慰さめるにしろ、かえって始末が好いと考える時もあった。

午(ひる)になっても御米は炬燵から出なかった。
宗助はいっそ静かに寝かしておく方が身体(からだ)のためによかろうと思ったので、そっと台所へ出て、清にちょっと上の坂井まで行ってくるからと告げて、不断着の上へ、袂(たもと)の出る短いインヴァネスを纏(まと)って表へ出た。
=======

What's a インヴァネス

"インバネス"(inverness)
〔スコットランド北西部の地名から〕ケープをつけた袖のない男子用コート。
明治中期から、着物用のコートとして用いられた。
とんび。二重回し。

======= 

今まで陰気な室(へや)にいた所為(せい)か、通(とおり)へ来ると急にからりと気が晴れた。肌の筋肉が寒い風に抵抗して、一時に緊縮するような冬の心持の鋭どく出るうちに、ある快感を覚えたので、宗助は御米もああ家(うち)にばかり置いては善(よ)くない、気候が好くなったら、ちと戸外の空気を呼吸させるようにしてやらなくては毒だと思いながら歩いた。

坂井の家の門を入ったら、玄関と勝手口の仕切になっている生垣(いけがき)の目に、冬に似合わないぱっとした赤いものが見えた。
傍(そば)へ寄ってわざわざ検(しら)べると、それは人形に掛ける小さい夜具であった。
細い竹を袖(そで)に通して、落ちないように、扇骨木(かなめ)の枝に寄せ掛けた手際(てぎわ)が、いかにも女の子の所作(しょさ)らしく殊勝(しゅしょう)に思われた。
こう云う悪戯(いたずら)をする年頃の娘は固(もと)よりの事、子供と云う子供を育て上げた経験のない宗助は、この小さい赤い夜具の尋常に日に干してある有様をしばらく立って眺(なが)めていた。
そうして二十年も昔に父母が、死んだ妹(いもと)のために飾った、赤い雛段(ひなだん)と五人囃(ごにんばやし)と、模様の美くしい干菓子と、それから甘いようで辛(から)い白酒を思い出した。

坂井の主人は在宅ではあったけれども、食事中だと云うので、しばらく待たせられた。
宗助は座に着くや否や、隣の室(へや)で小さい夜具を干した人達の騒ぐ声を耳にした。
下女が茶を運ぶために襖(ふすま)を開けると、襖の影から大きな眼が四つほどすでに宗助を覗(のぞ)いていた。火鉢を持って出ると、その後(あと)からまた違った顔が見えた。
始めてのせいか、襖の開閉(あけたて)のたびに出る顔がことごとく違っていて、子供の数が何人あるか分らないように思われた。
ようやく下女が退(さ)がりきりに退がると、今度は誰だか唐紙(からかみ)を一寸ほど細目に開けて、黒い光る眼だけをその間から出した。
宗助も面白くなって、黙って手招ぎをして見た。
すると唐紙をぴたりと閉(た)てて、向う側で三四人が声を合して笑い出した。

やがて一人の女の子が、
「よう、御姉様またいつものように叔母さんごっこしましょうよ」と云い出した。
すると姉らしいのが、
「ええ、今日は西洋の叔母さんごっこよ。東作さんは御父さまだからパパで、雪子さんは御母さまだからママって云うのよ。よくって」と説明した。
その時また別の声で、
「おかしいわね。ママだって」と云って嬉(うれ)しそうに笑ったものがあった。
「私(わたし)それでもいつも御祖母(おばば)さまなのよ。御祖母さまの西洋の名がなくっちゃいけないわねえ。御祖母さまは何て云うの」と聞いたものもあった。
「御祖母さまはやっぱりババでいいでしょう」と姉がまた説明した。

それから当分の間は、御免下さいましだの、どちらからいらっしゃいましたのと盛(さかん)に挨拶(あいさつ)の言葉が交換されていた。
その間にはちりんちりんと云う電話の仮色(こわいろ)も交った。
すべてが宗助には陽気で珍らしく聞えた。

============== 
まだまだ





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2006年09月04日 20時43分34秒
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

さんとうか7722

さんとうか7722

お気に入りブログ

一日一冊:読書日記… 本のソムリエさん
30歳で結婚したOL… 美恵子12385さん
ザ・支離滅裂 山下 洋之輔さん
Margin tempogiustoさん
遙かなる悠久の古典… 美歩鈴さん

コメント新着

乗らない騎手@ ちょっとは木馬隠せw あのー、三 角 木 馬が家にあるってどん…
開放感@ 最近の大学生は凄いんですね。。 竿も玉もア○ルも全部隅々まで見られてガ…
まさーしー@ なんぞコレなんぞぉ!! ぬオォォーーー!! w(゜д゜;w(゜д゜)w…
バーサーカー@ ヌォォオオ!!!!!! http://bite.bnpnstore.com/m9n4wb0/ お…
ニキビ侍@ ありがとう!!!!!!! 顔見てるだけでもギンギンでミルク発射し…

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: