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■サマセット・モーム『月と六ペンス』(光文社古典新訳文庫・土屋政雄訳)
◎ゴーギャンがモデル
モームが『月と六ペンス』を発表したのは1919年。日本では大正8年にあたります。同年に日本では、有島武郎『ある女』(新潮文庫)、武者小路実篤『友情』(新潮文庫)などが発表されています。モームは『月と六ペンス』で、人間の不可解さに迫りました。日本で自然主義派が衰退し、人間賛歌を描いた「白樺派」が台頭してきたのと、歩調を合わせるように。
『月と六ペンス』は、フランスの画家・ポール・ゴーギャンがモデルだといわれています。たしかに足どりは似ていますし、絵に打ちこむ狂気的な姿勢もうなずけます。でも私はモデルはだれでもかまいません。モームが安定した眼差しで、主人公・チャールズ・ストリックランドを描く姿勢に共感したからです。
『月と六ペンス』という意味は、日本の「月とスッポン」と同じです。表題だけを見ると、夏目漱石『明暗』(新潮文庫)に近いのですが、『明暗』は夏目漱石の死によって未完に終わっています。『月と六ペンス』を読みながら、私は『明暗』と重なるものを感じました。
『月と六ペンス』は人間関係を拒絶するストリックランドに迫っていますが、『明暗』は反対の世界にフォーカスをあてています。ただし「人間の不可解さ」に迫ろうとしている点では同じだと思います。
◎狂気と寛容
ざっとストーリーを追ってみましょう。「ぼく」は20歳代の駆け出しの小説家。あるパーティでミセス・ストリックランドを紹介されます。「ぼく」の小説のファンだということでした。その後「ぼく」は、彼女の夫・ストリックランドに会います。職業は株式仲買人で、40歳くらいでした。大柄ですが実直そうな男でした。
ある日「ぼく」はミセス・ストリックランドから、夫を連れ戻してほしいと頼まれます。夫が家出をしたとのことでした。「ぼく」はパリへ行き、ストリックランドに会います。
奥さんを愛していないのですか。おこさんはかわいくないのですか。「ぼく」の畳みかけるような質問に、ストリックランドはそっけなく是認の言葉を並べます。17年間育んだ家庭を、絵を描くために棄てる決心は揺るぎません。
5年後「ぼく」は、パリで友人のストルーヴという画家に会います。ストリックランドは天才的な画家ですが、絵は売れていないとストルーヴはいいます。「ぼく」は、ストリックランドを訪ねます。やせこけた彼は、屋根裏部屋に住んでいました。鬼気迫る容姿に、「ぼく」はストリックランドの意思の強さを感じとります。
人の良過ぎるストルーヴは、死にかけているストリックランドを哀れに思います。妻の反対を押し切り、ストリックランドを自宅に連れてきます。やがてストリックランドは、健康を取り戻します。感謝の言葉もなく、彼はストルーヴ宅を出ていきます。ストリックランドを忌み嫌っていた、ミセス・ストルーヴは「(彼と)いっしょに行く」と夫に告げます。
夫は2人に家を譲り、自らが出ていきます。その後の展開は、実際に読んだあなた自身に、感じていただきたいと思います。私は歯がみをしながら、ストルーヴの人のよさ、おろかさ加減をなじりました。そして、ストリックランドの冷酷さをののしりました。
ストリックランドは、タヒチへと渡ります。ここもゴーギャンが絵を描いた舞台です。ストリックランドは、島の小さな家で死を迎えます。彼の家の内部はみごとな壁画で、色どられていました。死んだら家を燃やしてほしい。それがストリックランドの遺言でした。
◎読書は楽しいもの
モームには、『世界十大小説』(上下巻、岩波文庫)と『世界文学読書案内』(岩波文庫。「標茶六三の文庫で読む400+α」推薦作)という著作があります。私はこの本を重宝しています。世界の名作を読み、モームの著作で読後感にふくらみをもたせています。
なにしろ取りあげられている10作品が豪華です。上巻では、『トム・ジョーンズ』『高慢と偏見』『ゴリオ爺さん』『デイヴィット・コバーフィールド』『赤と黒』が紹介されています。下巻では、『ボヴァリー夫人』『モウビー・ディック』『嵐が丘』『カラマーゾフの兄弟』『戦争と平和』が取りあげられています。
モームは作家であり、すばらしい読書ナビゲータでもあったのです。10作品だけを選ぶことに対する苦しみ(あるいは楽しみかもしれない)について、モームはつぎのように記しています。
――第一にその書物に求めた条件は、楽しくよめるものということであった。(『世界文学読書案内』より引用)
大学教授や評論家的な読み方ではない、「楽しい読書」のあり方をモームは提案しています。小説を読まない人にたいしては、つぎのように厳しくいいはなっています。
――自分のことだけに心をうばわれていて、自分以外の者の身におこることには、ぜんぜん興味がもてないためであるか、あるいは、想像力が不足していて、小説にあらわれた思想を理解することも、作中人物の喜びや悲しみに共感することもできないためであるか、そのいずれかである。(『世界文学読書案内』より引用)
上記に掲載した10作品のどれかを読んだことがあれば、ぜひモームの読書とくらべてみていただきたい。くりかえしますがモームは、「小説家は読者に楽しんでもらうことが最重要だ」と書いています。
(標茶六三:2012.10.14初稿、2014.05.22改稿)
141108:アマゾンに辻真先『仮題・中学殺人事件』(創元推理文庫)を注文したつもりでした。届いたのは『盗作・高校殺人事件』(創元推理文庫)でした。こちらは読み終わった本です。私の注文ミスでした。2つのうちのどちらかを「標茶六三の文庫で読む400+α」で紹介しようと思っています。再注文しました
マンスフィールド「園遊会」(マンスフィ… 2017年07月17日
マキアヴエツリ『君主論』(岩波文庫、河島… 2016年05月11日
ジュディ・マーサー『喪失』(講談社文庫… 2015年12月23日