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.いつも応援 有難うございます先日、少し体調を崩しブログの更新ままなりません、申し訳ありませんが暫く休養させて頂きます今回「相国寺」の予定でしたが、説明が伴わず取り止めさせて頂きました。入院等重篤な事はありませんので、回復これ努め復帰致したく思っています、その節にはまた宜しくお願い申し上げます。 山科・大乗寺の「酔芙蓉」ですあさ白く花ひらき、日の昇るにつれ頬を染め、日中には優しいピンクに化粧します、そして日暮れ夜中には赤く染まって花を閉じます 咲いた花一つ一つすべて異なる表情を見せてくれます (写真の中赤く閉じているのは昨日咲いた花です) 写真はすべて拡大して見て頂けます大乗寺 「市営地下鉄 御陵(みささぎ)駅」下車 西南へ徒歩15分------------------------被災地に届けよう!------------------------ お尋ねなどありましたら、下記メッセージにお願いします[メッセージはこちらから]
2012.10.03
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. 御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ、ごこうぐうとも呼ばれる) 初めは"御諸神社(みもろじんじゃ)"と称され神功皇后(じんぐうこうごう)を主祭神として六柱の神を祭り、安産守護の神様として広く崇められています、また鬼門除けの神としても信仰を集め京都・伏見九郷の鎮守社として知られています 豊臣秀吉は伏見城築城に際し、鬼門除けの社として城中に社を移し三百石を献じ祭る、その後秀吉亡きあと徳川家康は1605年に元のこの地に本殿を造営する 今の御香宮の再建です 表門 1622年に水戸・徳川頼房公(水戸黄門様の父)が伏見城大手門を拝領して寄進されたもので、正面は中国二十四孝が彫られた桃山時代の建築装飾を代表するものと謂われ国の重要文化財に指定されています 表門より真っ直ぐに続く参道 正面は拝殿です (右)その拝殿 1625年本殿より20年後に紀州・徳川家初代の徳川頼宣公の寄進による入母屋造、本瓦葺の割拝殿で桁行七間・梁行三間の華麗な建物です 拝殿の軒唐破風(のきからはふ)には中国の登龍門の故事に基づいた極彩色の彫刻で埋められています (右)拝殿から見て正面が本殿 五間社流造(ながれづくり)桧皮葺(ひわだぶき)の建物で桃山時代の豪華な社殿の特色を顕しているとされています(国指定重要文化財・正面にて参拝、なかには入れません) 東側より見る本殿 全て極彩色で飾られ多くの彫刻が施された豪華な社殿です 手前に見える大きい蘇鉄の植え込みも北限とも思われ当神社自慢の一つです (右)御香宮の名の由来となった清泉「石井(いわい)の御香水」、石井とは当地の地名で伏見七名水の一つとされていて、水戸・紀州・尾張の徳川御三家の初代頼房・頼宣・義直各公はこのご香水で産湯を使われたと伝えられています また伏見の名水として名水百選にも認定されていて、他の名水は酒どころ伏見から湧き出る清泉です (左)東照宮 (右)豊国社 本殿西と東の奥に合い対して祭られている両社殿、徳川家と豊臣家 不幸にして天下を分け敵対せざるを得なかった双方、秘かに和解を願いどちらにも受けた恩顧を頑なに守ってきた神社、両社を一緒に祀る社は他に見ることはできません 「遠州ゆかりの石庭」 小堀遠州が伏見奉行に任ぜられた折に、三代将軍家光公を迎えるにあたり奉行所内に造り、一躍大名に列する糸口ともなった庭園の石を移したものだそうです 冒頭に記しています祭神・神功皇后の御神徳、安産守護の碑と像 ここには安産を願うお参りが年を通して絶えることありません (右)は伏見城築城の際に全国より集められた城跡の巨残石と秋の大祭「伏見祭」の為境内に育てられた菊の盆栽 (レイアウトは画像修正しています) ........................................................................近鉄電車・京都線 「桃山御陵前」下車 東へ徒歩3分御香宮神社HP URL---http://www.kyoto.zaq.ne.jp/gokounomiya/------------------------------------------------------------------------被災地に届けよう! 京都 夢み屋(京の飾り物)和雑貨&インテリア 0-STYLE.cravat京都ネクタイ・西陣織他オリジナル多数 ささ漬けうまし國倶楽部若狭・津田孫兵衛 京漬物土井志ば漬本舗 京都のおつけもの・お土産・贈り物に 京都の特産品とご当地グルメの地元情報をGET!
2011.11.05
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暫く勝手しました、方向がコロッと変わります 幕末の志士・坂本龍馬京都にも多くの足跡が残っています、(1)として寺田屋・酢屋・元近江屋跡、(2)で霊山護国神社・霊山歴史館を訪ねた記録をご紹介します ↓円山公園内に置かれている坂本龍馬と中岡慎太郎の像です 史跡 寺田屋 幕末志士でよく賑わった京都・伏見の旅籠(はたご)です 伏見は京ー大阪をつなぐ淀川水運の終着点で京の南の玄関口として栄えました、多くの船宿が立ち並び活況を呈し幕末には諸国から集まった志士たちが多数逗留していました、なかで特に有名な幕末名所が寺田屋です 坂本龍馬はすでにご存知の通り江戸時代末期の志士、土佐藩士でしたが藩内での活動に思いを満たせず脱藩、勝海舟にも師事し貿易を兼ねた政治組織「亀山社中」のちの「海援隊」を結成、同志と共に幕末政治に踏み込み、1866年には「薩長同盟」に尽力し倒幕への道筋を付け、翌年に大政奉還への足懸りとなる「船中八策」を策定するなど幕末政治を大きく動かした人物の一人です ↓寺田屋周辺、京都南部伏見の地図です 右下が宇治川、淀川へ下ります 歴史上「寺田屋事件」と呼ばれる出来事は二度発生しています、一度目は1862年に薩摩藩主島津久光が自藩の急進尊皇藩士を粛清し有馬新七はじめ九名の藩士が命を落とした事件、と二度目は四年後に起こった坂本龍馬暗殺未遂事件です ↓寺田屋前に立つ石塔 横には薩摩九烈士を悼む文字が彫られています ↓「寺田屋」正面です 吊られている大きい提灯の文字と玄関灯りとり「旅籠」は昔のままで寺田屋当時の風情を残しています ↓東側から見た寺田屋です ↓建物横にある庭、元々の寺田屋はこちらに建っていたと言う説もあります、鳥羽伏見の戦いの兵火で焼失し隣地に再建されたというものですが、如何なものでしょうか ↓庭一番奥に建てられている先程の薩摩九烈士の顕彰碑です、九烈士はここから近く大黒寺というお寺に葬られ、西郷隆盛直筆の墓碑銘に見守られ眠っています その前に立つのは坂本龍馬像です、この像は龍馬の故郷土佐・桂が浜に建つ銅像と同じポーズだと云われています ↓建物の中、志士たちが語り合った部屋です ↓部屋の中に展示されている像と襖絵、各部屋には沢山の写真や文章・絵が掛けられています ↓建物二階へ上がったところ ↓龍馬がよく滞在してたとされる二階の部屋です 龍馬の働きで薩長同盟が実を結んだ直後、幕府方の龍馬暗殺の命を請け伏見奉行所の捕り方30人ほどに囲まれ襲われた龍馬はケガを負いつつも間一髪、裏木戸より材木屋に逃れあと薩摩藩邸に保護され一命を取り留めました、これが第二の寺田屋事件です ↑部屋入り口の柱に残された刀傷 ↑同じく拳銃の弾痕騒擾の跡が残されていました ↑建物奥にある二階への裏階段 ↑当時の浴室、風呂桶のみ残ります 龍馬が襲撃された時、入浴していた妻のお龍さんが着るものつけずこの裏階段を二階へ駆け上がり危急を知らせたと謂われる場所です ↓寺田屋の南を流れる宇治川派水、北へ市内の木屋町横高瀬川へ上ります、十石船が行き交います 酢屋 坂本龍馬寓居地と海援隊京都屯所 ↓紹介します酢屋と近江屋跡近辺の地図です 現在は京都一の繁華街となります 「酢屋」は江戸時代から290年今も引き継がれている材木商で、幕末6代目酢屋嘉兵衛は幕府や倒幕急進派から命を狙われていた坂本龍馬を匿い起居する場所して提供、龍馬が中心となり結成した海援隊の京都の屯所にもなっています 酢屋嘉兵衛は又高瀬川開墾に尽力、前述伏見より続く河川で物資の運搬にも携わっています ↑龍馬寓居之址の石塔 ↑現在の酢屋 材木商と共に木工芸品店内 ↓「酢屋」正面です 建て替えはされていますが外観は昔のままだそうです ↓ 店前です 前の道は”龍馬通り”と名付けられ、現10代目の酢屋嘉兵衛により毎年この時期この場所で龍馬の追善供養が行なわれています ↑龍馬が起居していたはこの二階です ↑龍馬命日11月15日の追善供養↓昔の酢屋の写真が残されていました、材木が船で運ばれ店前に積まれています 当時の高瀬川ここ酢屋の直ぐ横まで川が引かれ、"五の舟入"として材木を始め舟で運ばれて来た品々が陸揚げされていた様です 元近江屋跡 坂本龍馬と中岡慎太郎遭難の地です それまで拠点にしていた酢屋から、土佐藩の御用達・醤油商のここ近江屋井口新助邸に移った一月後、慶応3年11月15日坂本龍馬と中岡慎太郎、龍馬の従僕の3人が刺客に襲われ暗殺されました 実行犯は諸説ありますが、江戸幕府京都見廻組によるものとされています ↓近江屋の傍にあった「土佐藩邸跡」木屋町通りに面し、高瀬川が流れます ↓近江屋は現在の広い河原町通り上にあったようです ↓このあたり近江屋跡です それらしい建物は今残っていません ↓跡地に建てられている坂本龍馬と中岡慎太郎の遭難の地石碑です 次回は、(2)霊山護国神社・霊山歴史館ご紹介します ***************** 京都ええとこ一覧下 京都市の地図をクリック拡大して、各所に付されたNoをお控えのうえ下記 3区分の中のNoの説明をクリックして頂ければ記事にリンクしますのでご覧下さいただ、最近の2018年以降の各所記事については図の中に表示出来ていません、区分3.よりお入りください 「京都ええとこ記事一覧」 1.(No. 1~ 48はこちらから) 2.(No.49~ 96はこちらから) 3.(No.97~143はこちらから) ←2018年以降の記事はこちらからです京都各所について何かお尋ねになりたい事などありましたらコメント欄にお入れ下さい、こちらの判る範囲でご返事差し上げます そしてもう一つ拘っていた「京都ええもん」少しだけですが画像クリックして下さい 京都ええもん
2019.11.08
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記事の内容がコロッと替わります 京都美味しいもののご紹介ですすぐき ご存知でしょうか? また召し上がられた事おありでしょうか? 京都上賀茂地区限定の野菜でつくられているため、京都以外の方にはあまり馴染みのないものかも知れませんが、乳酸菌による発酵作用で味わい深い酸味が特徴の漬物です すぐき漬け 京都冬の三大漬物の一つです 千枚漬けとしば漬けはよく知られていますがもう一つが「すぐき漬け」です、すぐきは桃山時代に始まる300年の伝統を持つ京都を代表する漬物です、原料であるすぐき菜は上賀茂地区に伝承するかぶの一種で、平安時代には他地区への持ち出しが禁止されここだけの特産品となり希少価値の高いものとなりました、漬物となった時特有の風味のある酸味(乳酸発酵)から「すぐき(酸茎)」と名付けられています、伝統の技と塩だけで添加物は一切使用せず漬け込み仕上げる自然食品そのものですもう一つの京都上賀茂夏の名産品「賀茂茄子」と入れ替わり栽培されつくられます ↓「すぐき漬け」仕上り品です おゆずり頂き撮影した写真です ↓「京の上賀茂すぐき倶楽部」というすぐき生産農家の集まりです、会員にお知り合いの農家さんが居られ以下はそちらの説明資料・写真でご紹介します ↓例年すぐき菜の収穫に合わせ行われる「上賀茂すぐき奉納奉告祭」上賀茂神社で行なわれ神主さんの先導で上賀茂地区一円を練り歩きます ↓上賀茂すぐき倶楽部会員さんが祭りを盛り上げます ↓収穫された「すぐき菜」です、すぐきは、8月~9月初旬にかけて種まきが行われ、収穫時期は11月終りから12月で特有の味で他の料理には不向きで使われません、もっぱら漬物用の野菜です ↓すぐき菜の栽培されている上賀茂の畑です 収穫はまだ暫く先の様ですがよく伸びています 収穫されたすぐき菜は、包丁で一つずつ皮を削ぎとり丁寧に皮をむいて洗い、水を張った直径2mもの樽にたっぷりの塩をふり重石を乗せ一昼夜漬け込まれます、 ↓「荒漬け」の工程です 荒漬けを終えたすぐき菜を四斗樽の底から一段ずつたっぷりの塩をかけて渦巻き状に積み上げられる「本漬け」の作業に入ります ↓「本漬け」 塩加減や重し加減は熟練の技となります ↓「天秤押し」 本漬けの樽を3~4mの丸太棒の先に重しを括りつけテコの原理で相当な圧力をかけて漬け込まれます ↓「室(ムロ)」で熟成 本漬けが終わった樽を40℃に熱しられた室の中へ重しを乗せて八日間発酵させます、この室や樽には乳酸菌が長年住み着いていて熱による発酵と合わせコクのある特有の味に仕上がります この工程を経て仕上がったすぐきには豊富な乳酸菌を含み腸の働きを助ける健康食品となります、また植物性乳酸菌「ラブレ菌」は、このすぐき漬けから最初に発見されました、ラブレ菌は、ガンやウィルスから身体を防御する因子インターフェロンの生産能力が高まり、安全で副作用のない免疫能力助長剤としての可能性があることが研究で明らかになっています ↓すぐき漬け、良い色で漬け上がりました 室で熱を加えて仕上げる工程は大正時代に入ってから考案されたものです、それまでは自然発酵で熟成され仕上がりは5月初旬で口に入る時期は初夏となり夏に戴くものでした、従って冬の三大漬物となったのはこれ以降大正・昭和と経て定着したものです↓再度、購入した丸蕪です 大きいすぐきこれで430g、最初の写真ので一つ500gあります、ここからは自前写真です ↓蕪はタテ半分に切り山型や櫛型に切り、葉は切り刻んで一緒に盛り付けします ↓「刻みすぐき」これは家で刻んだものですが、刻んだものがそれぞれの漬物店で味付けされ袋詰めされて販売もされています このすぐき、ほのかな甘酸っぱい香りにコクのある酸味を感じ、また良い塩加減と噛みしめるうちに甘味も広がりまたほろ苦さも感じ、加えて適度な歯切れの良さで、熱いご飯に相性よく酒の肴にもピッタリ合いお酒すすみます
2020.01.19
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. 臨済宗大本山・大徳寺塔頭 龍源院(りょうげんいん) 1502年大徳寺72世・東渓宗牧(とうけいそうぼく)禅師を開創として、能登・畠山義元、豊後・大友義長ら領主により「霊山一枝軒(りょうぜんいっしけん)」と名付けられ創建された、大徳寺山内では最も古く歴史ある寺院です その後大徳寺の山号龍寶山から"龍"と、臨済宗の祖と謂われる中国松源派の"源"の両字から「龍源院」と称されることとなります 「表門」(重文) 開創当時の建立で四脚門切妻造、桧皮葺きの重厚な門です 門内の緑があざやかに目に飛び込んで来ます 「庫裡」 今こちらが玄関となります (右)石畳の参道奥が木々で覆われていますが「唐門」(重文)桧皮葺の正面玄関です、今は閉ざされて左の庫裡から入ります 「開祖堂」 開祖・東渓禅師の塔所(たっしょ・祀所)で唐様木造建築の代表作とされています (右)「本堂(方丈)」(重文) 1502年に建立され唐門も合わせ、禅宗方丈建築の様式を残した唯一最古の遺構とされています、一重入母屋造り、桧皮葺きの建物です 「木造釈迦如来坐像」(国宝) 鎌倉時代の傑作と謂われ1250年僧・行心造の墨書があり、京都八釈迦の一体とされています 「龍と波の図」襖絵 方丈室中の全面十六枚に豪胆に描かれた襖絵で、筆者は不明ですが桃山時代の作と謂われています 「竜吟庭(りょうぎんてい」 方丈の北側に面する苔で覆われた北庭、室町時代特有の三尊石組からなる須弥山(しゅみせん)形式の枯山水庭園で絵師・相阿弥(そあみ)の作と謂われています 杉苔で洋々たる大海を表し、28個の石と石組で島と陸地をかたち造り仏教の教えを説くとされています 中央が須弥山(シュミセン *サンスクリットSumeru、スメール山 インド仏教で一番高い聖山を指します)で左右を合わせた石組は三尊石を顕し、その前の板石は「遙拝石(ようはいせき)」三尊石を仰ぎ拝する信心の心の表れとされます 「開祖堂前庭園」 杉苔がいっぱいに広がっています (右)同庭園に置かれている「桃山型石燈籠」で元大宮御所から移されたものです 方丈前庭(南庭)の「一枝坦(いっしだん)」 冒頭に記した寺名霊山一枝軒からとって命名されています、白砂と7つの石で簡潔に抽象的な蓬莱山の世界観を表現した庭で、掃き整えられた直線と曲線、石や石組と苔地に配置の妙が感じられる枯山水庭園です 手前丸くかたどった苔の中に岩が立つ亀島が非常に印象深く飛び込んで来ます白砂で大海原をあらわし、左手の石組みが仙人が住むと伝えられる不老長寿の吉祥の島"蓬莱山"を模り、右手の石組みは鶴島を現している典型的な禅宗庭園です 「滹沱底(こだてい)」 書院南側の阿吽(あうん)の石庭です 宗祖臨済禅師の住い中国河北省の滹沱河(こだがわ)よりの銘で、白砂に豊臣秀吉が建立した聚楽第の基礎石(凹凸石)が東西に配されている庭です 阿吽の石庭 西側の穴の開いた石「阿の石」(凹石) (右)東側は「吽の石」(凸石)です 「東滴壺(とうてきこ)」 方丈東側の日本最小の壺庭で、白砂に三石と二石の2群の五個の石のみで表現されている庭です UP上は奥の二石、下は手前三石です 豊臣秀吉と徳川家康が対局した折使われたという四方蒔絵の碁盤と碁筒(後方鏡に映っています) (右)当院に伝わる1583年の在銘のある日本最古と謂われる種子島銃 今日の一枚再度「竜吟庭」 碧々した杉苔と石組みが見事に調和して、静かに眺めていると時の経つのを忘れます (龍源院、方丈内仏像・襖絵も含め写真の制限なしです、比べ本山・大徳寺は寺内は勿論庭園も写真一切不可、疑問大) (TOPページ今京都・五山の送り火です ホームで見て下さい)........................................................................京都市バス 「大徳寺前}下車 すぐ龍源院関連HP URL---http://everkyoto.web.fc2.com/report626.html (龍源院HPはありません)------------------------------------------------------------------------被災地に届けよう!【京野菜】京都祇園・かね松 賀茂茄子 京都 夢み屋(京の飾り物)和雑貨&インテリア 【京都】老舗や名店がひしめく古都。お土産や名産品をお取り寄せ!ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー[メッセージはこちらから]
2012.08.24
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さくら100119さんの「ビーチヒル」です 初めにお断りさせて頂きます、こちらのガーデンは京都ではなく、山口県光市にある個人のご自宅に続くガーデンです、日頃京都には愛着をもたれているブロガーでブログで発信される丹精込めたお庭を観せて頂いて来ました、きれいな薔薇の庭ええとこのご紹介です ↑一番直近のガーデン一部です 写真はすべてブログで載せられた写真からの転載です お含み下さい 十年ほど前にご主人とお二人で、裏山にも通じる庭を一から整備し薔薇づくりを始められ名付けられた薔薇園「ピーチヒル」、四季を通して日々ガーデニングに励まれこの時期鮮やかな花の咲き乱れるバラ園に仕上げられました、又一年を通してそのお世話と育成ぶりをブログでも発信され、多くのロザリアンとブロガーの支持と共感を得られてきました 去る18日と19日は地元冠山総合公園と地域にお住いのビーチヒルを含むロザリアン6人の参加による光オープン・ガーデンが催されました、あいにく雨の中の公開となりましたが多くの人が彩り豊かな薔薇を鑑賞する為来園されていますまた、数日前には今年も山口・朝日放送の取材があり近日中に放映される予定で、地元ではよく知られたガーデンとなっていますただ、2018年7月の西日本豪雨災害の直撃で近くの川が氾濫し、車は水没ご自宅は床上75センチまでの浸水で一階の家具什器はすべて壊滅との状態で、勿論庭は低いところの花木は冠水する被害を受けられ、その復旧には大変なご苦労をされて来ました ↑ガーデン一部に造られた「和庭」の中の池です、ご主人の思い入れ深い模様鮮やかな立派な錦鯉がたくさん泳いでいます ご主人平日はお仕事でお休みの日や模様替えなどの折はお手伝いされていますが、普段このピーチヒルは奥さんのさくらさんがお一人でガーデニングされています 個人で一から造り上げられたマイガーデン「ビーチヒル」今年も鮮やかな花を咲かせています ↑19日雨が少しあがったオープンガーデンの模様です *オープンガーデン中の間の悪い雨にうたれ少し傷つき痛んだようですが、まだまだ開花するバラの花待機している様ですブログの方へ案内します さくら100119さん 「ピーチヒルの薔薇日記」です続けて「ピーチヒルの薔薇日記」ご覧頂きますよう.......
2019.05.22
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