時間がなかったので、詳しい話は後日、お聞きしますと言い残してお別れしたのですが、僕が「地獄の日本兵」の話をした時に、祖父がニューギニアに出征し本国へ帰還できたという女性議員から、帰国後も15年近く後遺症に苦しんだと教えてくださいました。
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先の大戦で日本は「人間を一個の戦備品、消耗品に貶めた」歴史がある。
ガダルカナルやニューギニアでは「敵と戦った」兵士よりも、「餓死した兵士」「マラリアで命を失った兵士」「郵送船に乗船し、撃沈された兵士」の数の方が圧倒的に多い。
ニューギニアへは約20万人が出征し、約18万人が「敵と戦わず」尊い命を失った。
インパール作戦も。こうした事実、を「英霊」という言葉は、覆い隠す。
「地獄の日本兵」(飯田 進著 新潮新書)から転載します。
最大多数の兵士は、飢えと披露と病で死んだ、というのが厳然たる事実です。そうした状況は太平洋戦域のいたるところで、戦いが始まって間もないころから戦後にいたるまで、繰り返し発生しました。
<略>
「あなた方の尊い犠牲の上に、今日の経済的繁栄があります。どうか安らかにお眠りください」
飢え死にした兵士たちのどこに、経済的繁栄を築く要因があったのでしょうか。怒り狂った使者たちの叫び声が聞こえて来るようです。そんな理由付けは、生き残った者を慰める役割を果たしても、反省にはつながりません。逆に正当化に資するだけです。実際、そうなってしまった。
なぜあれだけ夥しい兵士たちが、戦場へ上陸するやいなや補給を断たれ、飢え死にしなければならなかったのか。その事実こそが検証されなければ。<略>兵士たちは、無謀で拙劣きわまりない戦略、戦術を強いた大本営参謀をこそ、恨みに怨んで死んでいったのです。
この本には、・傷病兵を「処置」=自決させること=する命令の話
・「斃れていった同胞(兵士)が一夜もたたないうちに、太腿や内臓が切り取られている」
・死の行軍から生き残ったわずかな兵士は日本に帰されずに別の戦地に転戦させららた。日本に苦戦に戻せば、地獄の兵士のありさまをしゃべられるから
・ニューギニアに投入された20万の兵士のうち生きて本土に戻れたのは2万人にも満たず、18万人のほとんどは飢えと疲労と病で死んだ
--などの事実が、リアルな描写で記されています。
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