http://www.newsweekjapan.jp/hosoya/2016/02/post-3.php
外交的手段、軍事的手段を組み合わせたときに最も効果的に交渉が成立するという主張は、私が十年前に『外交による平和』を書いたとき以来の主張です。これまで何度も、色々な場所で同じような内容を主張してきたのですが、それが全く浸透していかないことへの徒労感を感じています。
大学院の頃からずっと、平和の条件や、軍事介入の正統性など、どのように考えればよいのか考え続け、悩み続けてきたのですが、イラク戦争の際にはよりいっそうその疑問が深まりました。私自身は、イラク戦争には強い嫌悪感と、批判的な姿勢を持っていたのですが、尊敬する先生方がおおよそイラク戦争支持でしたし、そのロジックもある程度共感できるものでした。ですので、果たして何が正しいのか分からずに自分なりの答えを探した結果として、2005年に二冊目の専門書となる『外交による平和 -アンソニー・イーデンと二十世紀の国際政治』(有斐閣)を刊行しました。
それによって、私自身の国際政治を考える際の根幹となる哲学のようなものが確立したと思っています。それは今でも全く変わっていません。上記の『外交による平和』では次のように書いております。
「軍事力と外交とは、二律背反ではない。十分な軍事力に支えられてはじめて外交は効果を発揮し、また外交をどのように進めるかによって軍事戦略も大きく左右される。軍事力を背後に持たない外交は、容易に脆弱な平和主義や「宥和政策」と化してしまい、弱さから妥協を繰り返すことにもなりかねない。他方で、十分な外交的考慮抜きにした軍事力行使は、不必要な人命の剥奪や人道的災厄をもたらすことになりかねない。戦後日本では、軍事力と外交を二律背反的にとらえることが多かった。すなわち、軍事力を廃棄して外交に力を入れるべきだという言説や、平和主義的な価値規範から一切の軍事力行使を否定する言説に、それは象徴されている。反対に戦前の日本では、軍事力の意味を過剰に高く見るあまり、外交の持つ潜在的な効用を十分に評価せずに、外交を軟弱な証拠だとみなすことが多々あった。言うならば、戦前でも戦後でも、日本では軍事力と外交を組み合わせて考えるという発想が弱かったといえる。」(細谷『外交による平和』6頁)
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