2016.08.17
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8.1付け埼玉新聞から。
 中小企業経営革新支援法の承認を受け、自身で勉強会も立ち上げた2002年頃から、日疋は会社の経営に一見関連しないような対外活動を積極的に行うようになる。

 工場や店舗を任された胡文(こぶん)は「現場は私に任せっきり。社長とよく衝突した」と不満も漏らすが、この時の日疋の行動が、後になって種をまくような意味のある行動だったと気付くことになる。

■新機軸打ち出す

 03年、川越や埼玉の世界ブランド化の可能性を模索する「川越style倶楽部」を発足。埼玉の魅力の世界発信とともに、価値や魅力の逆輸入で地元にその良さを再発見してもらいたいという考えもあった。

 07年に米ニューヨーク総領事公邸を貸し切ったイベントを開催し、大反響を呼んだ。初めは「売名行為」と批判的だった地元も、それ以降毎年続くようになった世界各地でのイベントを応援するようになった。

 日疋は、ニューヨークイベント以来のメンバーで、県内の大学で教壇に立つ矢澤則彦(52)の力を借りて、従来のトレーサビリティーを進化させた新システムの構築にも取り組み始める。

 二人は矢澤の研究室にこもって議論を重ねた。生産・流通過程の開示だけでなく、生産者の思いと消費者の反応を双方向で共有し合う「ハートマイレージ」を考案。この概念をシステム化したものを11年に特許として登録。食品企業が特許を持つのは異例で、食の安全安心に一石を投じた。

 矢澤は日疋の先を見通す目や感性に舌を巻く。「左手首に保険まで掛けて踏ん張ってきた根性が、普通の考え方や枠組みを超えさせ、彼の感性を支えている」



 日疋は05年、やきとりで地域おこしをする5市(現在7市)とやきとり業界初の全国組織「全国やきとり連絡協議会」(全や連)結成にも動き出した。

 頑固一徹で職人肌の一匹狼たちがそろう。皆「自分のやきとりが一番だ」と譲らない。代表世話人になった最年少の日疋は、仲間の店に足しげく通った。信頼を得るのに10年近くかかった。

 全や連は、地域ごとに特徴を持つやきとりの魅力を伝え、やきとり屋の地位向上に取り組む。福島県福島市の「鳥安」の店主安田雅樹(63)は「福島は戦後の闇市から始まった。串に刺すモツは非主流。全や連に入るまで肩身が狭かった」という。

 福岡県久留米市の「鉄砲」の店主木下敏光(65)は「この間、皇室の人が店に来て驚いた。やきとり屋はずっと下に見られてきたからね」。「でも、だからこそ強い」と北海道室蘭市の「やきとりの一平」店主の石塚和義(68)が声を張る。「やきとりは底辺の大衆を支えてきた食べ物。大衆の心から離れたら商売じゃない。俺たちはそれを人生かけてやってきた」

 日疋は今、各店が一堂に会す東京大手町の「全や連総本店TOKYO」で、それぞれの味とのれんを任されている。

■両親と箱根に

 日疋は、家族孝行な胡文の姿を見て、自分も一回ぐらい親孝行してみようかと思い立った。川越style倶楽部を発足した後、文爾(ぶんじ)と一枝を箱根旅行へ連れ出した。

 文爾も一枝も車いす。バス会社に車いす専用のタクシーを頼み、ケースワーカーが一人帯同した。「箱根は遠いと思ったけど、専門の宿もあるから大丈夫だと。でも、思うように進まなくて」。朝に出発し、箱根に着いた頃には真っ暗になっていた。

 倒れた01年から文爾も一枝も入院生活を余儀なくされた。せめて父と母は一緒にしてあげたいと、片っ端から探し歩いた末、一緒に暮らせる介護施設を見つけ、二人を入所させた。一つ肩の荷を下ろし、ようやく親孝行が果たせるはずだった。

 箱根への道中、ケースワーカーが山道でものを落としたり、転がりそうになった。文爾は自由の利かない車いすの身なのに、車中ずっとケースワーカーを気遣った。それが日疋が元気な文爾を見た最後になる。





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最終更新日  2016.08.17 00:18:15
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