2016.08.20
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こちらも2014年8月の投稿です☆☆
今朝の読売新聞は、左肩(2面に続く)の連載で、中東地域の現状についての米国専門家のレポートを掲載していました。しみじみと「呑気な日本人」であってはならないと思いました。かといって、戦争には反対し続けなければなりませんが。

「石油」は今も日本の存立の生命線ですが、先の大戦でもそうでした。「あの戦争と日本人」から再び転載します。
<対米英戦の最大の問題は石油でした。戦争がはじまった後は、線量した東南アジアの資源地帯より石油を運んでくることで、長期戦にも十分に耐えうると指導層は即断していました。石油補給の予定は一年目が85万キロリットル、二年目が260万キロリットル、三年目が530万キロリットル……前途洋々のはずで、そのうちナチス・ドイツがイギリスやソ連に勝って、アメリカは継戦意欲を失い、戦争は日独伊の勝利をもって終わると目論んでいたのです。
現実はどうであったか。一年目が85万キロリットル、二年目が250万キロリットルとここまではよかったんです。しかし昭和19年の三年目は、日本まで運んでくる船舶がつぎつぎと撃沈されて、わずか100万キロリットルに、四年目の昭和20年にいたってはほとんどゼロ」>
半藤さんは、日露戦争に踏み切る前から明治政府が「和平」工作を開始し「いつ終わらせるか」を冷静に見据えて開戦に踏み切った経緯に照らして、他人任せ、戦争はやってみなければわからないといった姿勢のまま奇襲戦法という作戦で開戦に踏み切った当時の政権を、丹念に集めた資料に基づいて痛烈に批判なさっています。


昭和19年にサイパン島をとられた段階で、本土空爆が不可避になっただけでなく、石油の補給も絶望的になった事実。にもかかわらず、一億総特攻といって、戦争を継続し、本土空襲、原爆投下によっておびただしい民間人の命が奪われ、神風・回天などの特攻、戦艦大和の特攻作戦を遂行したのが、日本政府です。





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最終更新日  2016.08.20 22:02:30
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