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乳がんで全摘した乳房の再建手術は、術後の経過も順調で、おかげさまで先週後半に無事に退院することができました気にかけてくださった皆さまに、心からお礼申し上げますで、常連の皆さまのご想像通り()、退院の翌日から既に職場に復帰しております慢性的に人手不足の我が職場ですから、若先生の 「入院中は (休んでも) 仕方ないよね」 との言葉を受け、全身麻酔で手術した1週間後には制服着て仕事しているんですもの、私って結構 (相当) タフなのかもしれません透析していると言うと、病人扱いとでも言いましょうか、(まぁ、病人であることは事実なんですけどね)、すぐにフラフラして倒れそうなイメージを抱かれることが多いのですが、若先生は良い意味でも悪い意味でも、私のことを “普通の人” として扱ってくれているということなのかも、、、ということを、職場の1個上のHさんに話したら、「いや、もし仮に◇◇◇さん (私) が “普通の人” だったとしても、全麻でオペした1週間後に職場復帰させるのは、非常識でしょ」 と言われましたがまぁ、多少痛くても動けているんですから、頑張ってくれている私の身体に感謝ですさて、今回の入院中にいろいろと感じたことについて、何回かに分けて書いていきたいと思っています。先ずは、とにかく驚いたことなんですけど、大学病院では、ちょっとした経費は気にしないみたいなんです個人病院やクリニックの場合(当然、我が職場も)、トップ (院長先生や理事長さん) の考え方にもよりますが、一般的にはスタッフは節約を強いられることが多いと思います。例えば処置に使うガーゼも1枚ずつ丁寧に、必要な分だけ使用するのが当然の世界で生きて来た身としては、大学病院のドクターが10枚くらいガッと掴んで使用して、汚れていない7〜8枚も一緒に捨ててしまう姿は衝撃的でしたナースが使う手袋も、脈をとっただけで手袋を外して捨ててしまうのを見て、「捨てるの もったいない」 と心で叫んでいる私がいました。因みに我が職場の場合、採血や手術に使う手袋は感染の危険があるので毎回使い捨てですが、普通の検査の時には手袋をしたまま手を洗いアルコールで消毒し、捨てずに1日使い続けています。因みに、コロナ禍以前は手袋をしたくても、一部の患者さんから「手袋するなんて、失礼な俺たちは汚いってことか」 との理不尽なクレームがあり、仕方なく素手で検査していたので、毎回の手洗いとアルコール消毒で手荒れが酷かったんですでも、コロナ禍以降は手袋をしていても、患者さんから1度もクレームを言われたことが無いので、今は手荒れが減って本当に嬉しいんですけどね。ということで、利益を (あまり) 考えなくて良い公立病院、公的病院、大学病院などで働く皆さんは、物品の使い方が非常に大胆&贅沢だということがよくわかりました。とってもとっても羨ましいですにほんブログ村 いつもありがとうございます♪→ブログランキング 今後とも、ヨロシクお願いいたします★ →
2025.01.27
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ついに、あと1週間で11月も終わってしまいますね。時間の経つのが本当にあっという間で、、、ビックリですそして先週は、大忙しの1週間でした。月曜日は整形外科の受診。数年前、右手親指のばね指のオペをしたのですが、先月から急に、今度は左手親指に同じ症状が出てしまったため、前回お世話になった大学病院のドクターに紹介してもらいまして。右手の時と同様に、まずはステロイドの注射をしていただけると思っていたのですが、なんと使用予定の 『ケナ◇ルト』 が欠品中とのこと『ケ◇コルト』 は、実は我が職場でも使う薬なので、供給が難しい状況ということは承知していたのですが、まさか大学病院でも手に入らないとは思っていなかったので、「大袈裟じゃなく、本当にモノが無いんだ」 と実感しました。結局、暫くこのまま 「様子見」 ということになり、痛みを我慢して生活する毎日となっております翌日の火曜日は、母方の伯母の葬儀がありました。我が母は末っ子で、兄弟姉妹と年が離れていたので、大病もしていなかった伯母は90歳を越えており、所謂 “大往生” ということにはなりますが、それでも寂しいですね。最期は娘 (=我が従姉妹) 2人に看取られて、穏やかに息を引き取ったということなので、きっと幸せな気持ちで旅立てたのだと思います。仕事は半日だけお休みをもらうことができたので、時間の都合で火葬までは立ち会えませんでしたが、出棺までは見送ることができて良かったです。伯母は仲良し夫婦でしたから、今頃は久々に再会した伯父と笑顔でお喋りしていることでしょう。仕事休みの水曜日は、約2年ぶりに消化器内科で上部下部内視鏡の検査があり、大量の腸管洗浄液を飲む “拷問” が待っていました本当は、下部内視鏡の検査は夏に受けたかったんです。夏なら暑いので、多少は腸管洗浄液を飲みやすいかと思って、、、。ところが、腫瘍マーカーが桁違いに上昇してしまったため、ドクターから 「早めに検査しましょう」 と言われてしまい、この時期の検査になってしまいました前回の反省を活かして腸管洗浄液を飲み始める時間を1時間早めたため、時間に余裕ができたのは良かったのですが、今回も鎮静剤を使っていただいたにもかかわらず、下部消化管の内視鏡の途中で痛みで目が覚めてしまったので、相当痛かったんだと思いますね結果的に腫瘍の類は見つからず、ありがたいことに 「ひとまず安心です」 ということになりましたそして昨日は高校の同窓会がありました卒業して◇十年以上経つので、女子は何となくわかるのですが、男子は誰が誰やら、、、そして先生方は、当時と変わらずお若くお元気でビックリやっぱり、いろいろな方面に興味を持って、若い人たちと接する機会が多いと、若さって保たれるのかしら同窓生も、みんな元気に自分の道を進んでいて、自分のことだけでなく “親” として頑張っている人も大勢いて、本当に凄いなぁと思いました。そして、久しぶりに会った人でも、話を始めると一気に当時の気持ちに戻れるのは楽しいです昔話をしていると、すっかり忘れて忘れていたことを走馬灯のように思い出す瞬間もあり、「あ、そんなことあった、あった」「そうだ、確かに言ってたよ」「あの時、裏でそんなこと起きてたなんて、初めて知った」なんて言葉があちこちで飛び交っていました。我が学年は、医学部に進学した人数が極端に多い学年で、同窓生の多くが開業しているのですが、全員 「今、医療業界は厳しい」 と嘆いていたのは印象的でしたね。学生時代は話したこともなかった人と、同窓会で話をして想像以上に盛り上がったりもして、本当に楽しい時間を過ごすことができました実は、今週も予定がいっぱい入っていて大忙しなのですが、みんなも頑張っているのだと思うと、私も前向きに頑張ろうという気持ちになりますねにほんブログ村 いつもありがとうございます♪→ブログランキング 今後とも、ヨロシクお願いいたします★ →
2025.11.24
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最低気温が 1℃ を下回る “冬日” 寸前の季節になり、透析から帰る時間になると車のフロントガラスが凍っていることもあって、本格的な冬がやって来たのを実感しています。さて、実は先週の夜、献腎移植のレシピエント候補になったという連絡が、お世話になっている大学病院のドクターからありまして。ただ、私の順位は1位2位では無かったため、あくまでも上位のレシピエントが移植を 「受けない」 または 「できない」 場合の予備の候補ということで “待機” という状況でした。結果的に、上位の2人がオペを受けることに決まり、私の “待機” も解除となった訳ですが、正直なところ、移植ができなくて残念という気持ちよりも、「あ、私って今でもレシピエント候補なんだ忘れられている訳では無かったんだ」 という安堵の気持ちのほうが大きかったんです。前回の献腎移植 の連絡からもうすぐ9年になりますが、驚くことに、この間1度も連絡が来なかったので、最初は 「私、オペしたことになっちゃってる」と思ってみたり。2年前には 乳がんの全摘手術 を受けて、その後は 『分子標的治療薬』 による化学療法 も受けていたため、一時的にはレシピエント候補からも外されていました。昨年末に大学病院のドクターからは、「今は 『分子標的治療薬』 も終了していますし、外科のドクターからも 「再発のリスク無し」 と診断が出ているので、たぶん レシピエント候補に戻っているとは思いますが、移植の情報は ブラックボックス なので、今◇◇◇さん (私) が本当にレシピエント候補になっているかは正直なところ自分たちでもわからないんです」と言われていたため、モヤモヤした気持ちを抱えていたんですよ。でも、今回連絡をいただけたことで、私もレシピエント候補の1人になっていることが証明されたので、今までずっと抱えていた不安や疑問も晴れて安心しました。あとはいつか “その日” が来ることを心穏やかに待とうと思います。最後になりましたが、臓器提供という尊い決断をしてくださったドナーの方のご冥福をお祈りすると共に、その遺志を尊重してくださったご遺族の方に、心からの感謝と敬意を捧げます。にほんブログ村 いつもありがとうございます♪→ブログランキング 今後とも、ヨロシクお願いいたします★ →
2025.11.17
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