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私には中学3年の甥と小学校6年の姪がいる。姉の結婚が早かったため、私は高校2年で叔母になり、弟は中学2年で叔父になった。先月、甥っ子が誕生日だったため、誕生日プレゼントを買いに、昨日、甥と姪を連れて食事も兼ねて遊びに行った。生まれたときから、知っていて、色白でむちゃくちゃかわいかった甥っ子は今や身長も170cm近くあり、声もおっさんみたいになり、男臭い普通の男になってしまった色んな事をいっぱい話してくれた、かわいい甥っ子は、今や話しかけなければ話さない無口な奴になってしまったスニーカーが欲しいというので買ってやった靴のサイズは27cm。私のかわいかった甥っ子の姿はもはやそこにはなかった隣を見ると、まだまだ身長115センチの無邪気な我が子あーこいつも後、10年もしないうちにこうなってしまう・・・・うれしいような悲しいような・・・でも時より見せるかわいい姿は、昔のままで、やっぱりかわいい甥っ子、姪っ子には変わらないのでした
2006年08月24日
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おもしろいス携帯トラップを見つけたので買っちゃいましたなんと、電話がかかってくると、おちんちんが光るんです!!これで私はみんなの人気者!!と思ったら、意外と反応は冷たく、子供の保育園のお友達(5歳)だけが、喜んでくれました
2006年08月23日
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子供が21日の夜中から喘息の発作を起しました・・・いつも台風が発生し、気圧に変化があると起こってたのだが、何故か今回は過ぎ去った後・・・なんで????と思っていてようやく原因がわかった。日曜日の夜、保育園のお食事会があった。。。子供は年長のライオン組さんで、そのお父さん、お母さん達と子供達と夜に親睦を深めるお食事会があった。。多分楽しくて興奮してたから、それが原因だと思われるあらためて、へなちょこな我が子にボー然とした。本人はかなりきついんでしょうけど子供が病気をすると母である私は強いなーと思う。まず20キロもの子供を抱ける。階段を抱いたまま、走れる。普通じゃ考えられない。夜中だし、実家も離れているので、どんなに不安でも、あせっても、結局一人で病院に担ぎこまなくてはならない・・・・何よりも子供の無事を祈りながら!!今回も大事に至らず一安心。そして母はますます強くなる・・・
2006年08月22日
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実家に3匹の黒猫がいる。黒猫の親はもちろん黒猫だ。両親ともに真っ黒な純粋な黒猫猫の母親は2年前、交通事故死。父親は家出。あっという間に成長した子供達だけが3匹もいる。暑い夏、3匹の黒猫は存在だけでますます、暑苦しいしかも、ちーっともなつかない・・・よりつきもしない。やっとの思いで1匹写真に修めた。しかし実家の母は3匹の黒達が、かなりかわいいらしい・・・毎年台風が近づき、屋根瓦が飛び始めると、母は、何よりも先にリュックに猫を入れ、背負い、逃げる準備をする。でもそんな母の思いを知ってか知らずか、母が呼んでも何故か母にも近づかないでも、必ず実家に行くと、でかい態度で寝ている。ご飯をもらうときだけ寄ってくる。母が言うには、媚びないその態度に心惹かれるらしい・・・。
2006年08月14日
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会社のクーラーが壊れた。3日前から調子が悪かったのだが、ついに駄目みたい・・・とにかく暑い・・・風も通らないただでさえ、持ち合わせていない集中力がさらにないサウナのような部屋の中で、汗が滴り落ちる中で、テレビでは高校野球があっている。只今、地元である熊本工業 対 三重高校の試合中。3回表を終わって5-0と熊本工業が勝っている・・・やっぱり地元だからがんばって欲しいのだが、三重高校のピッチャーの梅村君がかっこよくて、ひそかに「がんばれー」と応援してしまった。やっぱり何回もいうようですが、高校球児はさわやかで、ドキドキいたします高校球児ががんばってる姿は、私もガンバローという気にさせてくれます。私も暑さに何か負けずに耐えるぞー
2006年08月10日
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知人から鈴虫をもらった・・・子供の保育園に持っていくつもりでもらったのだが、何だか愛着がわいてしまって、自宅で飼う事にした・・・もらって一日目、寝る時間になり、電気を消したとたん、涼しい声で、鳴きだした。「おー風流じゃー」と子供と大感激「涼しいねー」なんて言いながら、いざ眠りにつこうとすると、鈴虫が団体で激しく鳴きだした。。「ん???」と思いながらも、「いい声で鳴くねー。きれいだねー」と言い聞かせながら、目をつぶる。休む暇なく、間をあけることなく鈴虫君が泣き続ける・・・・「なんかうるさいねー」と子供が一言。「なんかじゃなくて、どー考えてもうるさいねー」とてもじゃないけど眠れない・・・。あんなに激しく鳴くとは・・・・部屋からちょっと遠ざけて眠りました
2006年08月09日
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私は毎年この時期になると、足を運ぶのが知覧特攻平和会館です。知覧の特攻隊基地といえば、太平洋戦争の末期に沖縄戦へ向けて若い隊員達1,036名の尊い命が散っていきました。この平和会館は、戦争の悲惨さを後世に伝えようと基地跡に建てられた資料館です。初めて訪れたのは、5年前。衝撃でした。20歳になるかならないかの若者が、国の為に自ら命を犠牲にする・・・今では考えられないような事が60年位前は実際にあったのです。出撃する前の日、母に向けた手紙が多く、・親孝行が出来なくてごめんなさい。・国の為に死んでいく息子を誇りに思ってください。等の内容の手紙の中に、国を思い、家族を思い、そのしっかりとした、考え方の中に強さと優しさが見える沢山の手紙があります。手紙とともに添えられた写真の中には日本の平和を願ってやまない、若い少年が写っています。その目の力強さは、今まで会った事のない、おそらく今後出会う事も出来ない、そんな強くて優しい目を持っています。ぜひ沢山の方に足を運んでいただき、平和で裕福な今の時代がどんなに幸せなのかを、改めて感じて欲しいと思います。
2006年08月07日
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