ただいま~
社員旅行で山口県は萩へ行ってきました。
萩・津和野の街を散策。
そして秋芳洞を見てきました。
雨の中での歴史探訪となりましたが、
バスガイドさんが、それはそれは達者で、
年も達者だが日本史に本当に詳しい方で、
ガイドも上手でした。
特に今まで全く興味の無かった
幕末の勇者・快男児に対して
とっても興味が湧いてきました。
旅先での歴史クイズの話ですが・・・
昼夜問わずアルコールを注入していたせいか?
彼の生い立ち、立志、冒険、愛についての
エピソードを聞くと
もう涙無くしては聞けませぬでござったのであ~る。
歴史にお詳しい ひめ金魚さんと
スーさん(出どころ風太さん)は大正解です!
ただスーさんの ~しんなめ~~が理解不能です。
森鴎外のように
生体医学が詳しい訳ではありませんので・・・
・・・っで答えは・・・
実は手紙の主の名前は「寅二郎」と書かれてます。
フーテンではありません。
萩の下級武士、杉百合之助の次男として生まれた彼は
叔父の吉田賢良(たかよし)の養子にもらわれます。
当時五歳でした。
山鹿流の兵学の師範の家柄だった為、
後継ぎとされた彼は殴られながらも
猛勉強を強いられたそうです。
寅二郎の名は 生みの親元「杉」家の俗称で、
吉田家になってからの後の名を松陰となります。
吉田松陰(しょういん)と聞くと、
単に軍学塾を開いたおじさんって
イメージがあったのだけど、
11歳で毛利藩主に直々に講義を開き、
目を掛けてもらい、やがて
明治維新のルーツとも呼ばれる
松下村塾(しょうかそんじゅく)を実家の杉家で
幽閉生活にもかかわらず起こしていたとは・・・。
今日、歴史上の彼と出会ったことを喜びました。
そして彼が唱えた「尊皇攘夷」(そんのうじょうい)は、
単に鎖国を正当化するものではなかったと理解します。
もっと広義での自由を唱え
下級武士たちと「日本全土が一丸」となり
外敵に対処しなければならない!!
っと感じていたように思えてなりません。
苦しくもおいらの彦根藩の井伊直弼により
29歳の若さで処刑されてしまいます。
彼の生みの母は
彼が実家に帰るときはどんな夜中であろうと
お風呂を沸かして彼を迎えたといいます。
背中も流したといいます。
処刑が決まった何週間か前にも
実家で母に背中を流してもらい、
彼はその温もりと、
萩の街の景色と、
塾生たちの志を、、、
死んでも忘れない と心に強く刻み
江戸へのカゴに乗ったそうです。
処刑の一週間前に送った手紙が
前回の歴史クイズの内容です。
そして手紙の名は「松陰」でなく
もちろん「寅二郎」なのです。
この旅行を機に
なぜか歴史に興味が出てきました。
海外への夢を育みながらも、
「単にアメリカさんの言いなりになってはダメ」
と言っているようにも捉えられる彼の思想は、
今の時代であっても
どこかで生かされていなければならない。
彼もそう望んでいるように思えてなりません。
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DJロマネスクさんComments