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昭和時代に生まれ育ったあの頃を懐かしむ がき大将 です!みなさん、お早う御座います!一昨日、都内で仕事を終えての帰り道、いつもなら、そのまま大通りを通って交差点を左折する私ですが、その日は、時間に余裕があったのに関わらず、先の信号より手前に左斜めに進める道があり、乗用車が何台も入って行ったので、新規道路開拓と思い、付いて行き、大通り手前で5台目で信号待ちをしていたら、2台前の左横からポ○スさんが出て来て、『このトラック何トンでしょうか?』『○○トンですが・・・・?』『この道は、○○トン以上は、通行禁止になってるんですよ!』と言われ、青紙を切られ、減点2、罰金9千円を言い渡されました。普段、進入禁止と、大型車進入禁止には、気を付けていましたが、中途半端の重量制限の標識を見落としました。自動車にくっ付いて行き、標識を見落としたのが敗因でした。精神面とワレット(財布)に打撃を受けましたが・・・。 立ち直りの早いがき大将、 まあ、違反や罰金が無いのが一番ですが、これは、神様のお告げ、“最近、運転が慢性化してるんで、大きい事故を起こさぬ為の戒めです!”と言ってる様で、安全運転しようと改心した私です。神様、神様って私もフィリピン人化してます~ネ! こんな私がお告げします。 皆さんも、安全運転は、守り、減点、反則金は、避けましょう! さて、ここから「足」のお話です。最近、私の日記を読んで、鋭い突っ込みと書き込みをし、まるで傍で見ているかの様な方、 この方 と この方 が、背後で見てる様で最近怖くなってます。しかし、先を読まれてもめげずに書きます! 水虫の薬ですが、チャイナタウンで、4ケース購入しました。1ケース12個入れ そして、1箱の写真は、前日の日記に掲載っしましたので、ご覧ください。 こちら です。 そして、中身は、こんな感じ、説明書と液体薬説明書は、2面刷り、表が中国語、裏は、日本語と英語で書かれてました。そして、問題の薬の全貌です。内容量6cc入写真を見て、鋭い観察力のある方は、おわかりでしょうが、口元の栓は、熱で溶かされて密封してあるだけ。まるで、液体を定量まで入れたあとに、熱板を押し付けたようです。それでか、ボトルをケースから箱を開けずとも薬の匂いがしてます。使用にあたり、一度使用した後は、詰め替えしないと、蒸発するか、口元に結晶として残り、空っぽになります。効能ですが、普段私の水虫くんが現れた時は、入浴時に洗い場で思いっきり皮が剥がれるくらい掻いた後、幹部を良く乾かしてら、このくすりを付けます。1回目は、悲鳴を揚げて、飛び跳ねるくらいですが、2回3回と渇いてから塗り渇いてから塗りして完全に渇いてから、靴下を穿きます。そうすると、2・3日で、新皮が現れます。そうなると完璧。痒く無くなります。昨夜、実兄にこの薬1ケースあげたら、 くすりを 付けないうちに、悲鳴を揚げていました。 では、失礼! バイバイ!
2010年01月31日
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昭和時代に生まれ、当時を懐かしむ がき大将 です! 皆さん、お早う御座います!きょうは、昨日から続いて 「足」の話を致します。 足の部位は、先の方、です。 皆さんの中には、1年中いや、かれこれ人生の半分以上、 とうぜん、今の奥様とお知り合いになる以前ず~と前から・・・。こいつと付き合って来ていらっしゃる方が多いと思います。 そうです!「水虫~みずむし~」くんの話です。 今回の渡比で手に入れたい品にこの薬がありました。薬の名前と製造元は、後ほど紹介致します。 私は、水虫くんと知り合ったのは、かれこれ遠い昔30年以上前になります。市販のくすりもいろいろ試しましたがなかなか思うようには治りません。 そもそもこの薬を知ったのは、10年以上前に、私が市内の商工会青年部に入っていて、そこで知り合った友達に教えて貰いました。彼とは、青年部活動の後、反省会と称し、PP(フィリピンパブ)にも良く行く仲間でもありました。彼の家は、自営業で家業を継いで、その業種の“~業青年研究会”らしき会にも入っていて、そこで知り合った台湾の方からこの薬を紹介され、私に伝授された訳です。彼も、何度か渡比して、キアポのチャイナタウンへ行った時、この薬を買ったと言って何個か貰い、付けたところ、悲鳴を上げる程しみて、快感でした。私の実兄にあげたら、やはり大好評でした。その薬も2・3年前に切らしてしまい、渡比の際、買いたいと思いながらもサンプルの箱を忘れ、ず~と、買えずにいました。そこで今回は、きっと買ってやると思い、サンプルの箱を忘れずに昨年末から、サイドバックに忍ばせて置いたのです! さて、その薬の写真アップと詳細ですが、 明日のブログで紹介致します。 では、 明日 バイバイ! でも、1枚だけ~!これです!
2010年01月30日
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昭和時代を過ごした日々を懐かしむ がき大将 です! お早う御座います!きょうは、男の私には、ちょっと関係無いですが、横で見ていて気になって、写真を撮って来ました。 気になったのは、これです!少し分かりにくい写真で、何という商売かも分かりませんが、呼び名が分からないと面倒なので一時的名付けました。 “家庭訪問スタイル爪磨き屋さん”と。この方が、爪磨き道具を手提げ籠(100円ショップで売っていそうな)とお風呂で使うイス持参で我が家にやって来て、爪磨きを始めました。 一人あたり所要の時間は、2・30分ぐらいでしょうか。両足、60ペソ(120円)両手込みで120ペソ(240円)詰め切り、爪磨き、フェニキュアって言うんでしたっけ? あと何十分後には妻たちは、妻の友達の家に行くって言う日曜日の午後7時頃の事です。明日は、月曜日。訪問先には小学生が居るので、余り遅くならないように相手先に着くようにって妻は、言ってたけれど、この爪磨き、妻から始めて3人目。あと何人終わらせてから出発すんの?まあ、私と息子は、お留守番。関係無い、関係無いと思いつつつい時間が気になるA型の私でした。 つい気になったフィリピンの日曜夜の出来事の一コマでした。 では、失礼します! バイバイ!
2010年01月29日
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昭和時代を過ごした日々を懐かしく思う がき大将 です! こんばんは!今日は嬉しい事がありました。なのできょうは、2目の更新となります!うれしくて嬉しくて報告したくなりました。 先ほど、3時過ぎ兄と待ち合わせをして、母親の転院先候補の病院へ訪問に行って参りました。昨年10月末に、母親が倒れ、手術し入院して、あれから、早くも、昨日で3ケ月が経ちました。昨年、暮れから転院先をそろそろ決めて下さいとは言われていましたが、面会に通う距離や母親親族の面会の通院手段等を考えると簡単には、なかなか決められずにいました。兄は、私の渡比の間、他に1件訪問して来ましたが、希望に合わず、他をあたるつもりでいました。渡比前に、転院先リストの中で私の住む市内に1件あった事を兄に言い、先方に連絡を取った折、本日伺う事となったのです。 私と兄は、病室が空いているか病院の雰囲気はどうか入院患者さんの容体(病状レベル)とか最も重要な入院費用など入院患者への擁護範囲など挙げたら限がない質問がたくさんありましたが、ベットが空いている状態を説明されてからは、話がトントン拍子、来月来週5日金曜日に転院する運びとなり、院内の案内までされました。また、質問内容もすべて解消し、疑問もありませんでした。 毎日、面会に行っている病院よりもより近い病院に替わり、私としては非常に嬉しいです。1件前の候補された病院は、相模原市で車で2時間。面会時間に間に合わないか、行っても面会時間が2・30分程度。 良かったです!一安心しました。 自分の喜びを皆さんに伝えたい、がき大将でした。では、失礼致します!明日の早朝ブログ更新も楽しみにして下さい! バイ、バーイ!
2010年01月28日
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昭和時代のふるきを懐かしむ がき大将 です! お早う御座います! さて、それでは「闘争戦士 ただ今、見参!」 (最終章)をお送りいたします。 ☆☆☆☆☆ハードボイルド描写・スリルとサスペンスのスト-リー☆☆☆☆☆前回 ← ここをクリック と同様書き込み描写を変えております。闘争戦士ただ今、見参! (最終章)【 闘 鶏 】とは、鶏と鶏の戦う競技。チキンファイトと言い、フィリピン語ではサボン(Sabong)と言われている。鶏と鶏の戦う競技は東南アジアにおいて古くから行われていた。当初、鶏は主にタイの軍鶏がよく使われていた。現在では、より強い戦士作りに色々な鶏の品種を掛け合わせる。闘鶏の種類HATCH 勇気、スピード、蹴りの強さを加えるためにほとんどの鶏と交配される。SWEATERフィリピンで大人気の血統でYellow Legs Hatch の交配種が今ではSweater に別の血統を交配され、トップの大会で多く見られる。KELSO 闘鶏種の作出に欠かせない能力を持つ血統でスピード蹴りの速さを備えSweaterのライバル。 GREY 色合いからGREYとされているが、最初の蹴りあいの時の飛びが強く、見た目の美しさからも 一つの血統とされている。 WHITE その色からWHITEと呼ばれ、数少ないフィリピン作出の闘鶏で80年代に大活躍をした。現在、この闘鶏は各地に広まり、アメリカは、足にナイフを付けて戦わせる。ここフィリピンでもアメリカ様式のルールを採用している。以上参考資料 wikipedia 他 闘鶏資料から抜粋 いよいよ義弟の友人ロットの育てた鶏の登場だ。両者の鶏は、共に茶系等。始めは、区別がついて分かっていた。動きが増し、もつれ合っているうち、俺には区別がつかなくなった。闘鶏場(上の写真はイメージであり、“れんたさん写真共有”より) 闘技場は、相変わらずの掛け声『Meronメロン』『Walaワラ』の渦の中、とうとう決着がついた。1羽の鶏が宙を舞い、後ろ爪についた鋭く尖ったナイフが相手の首から右羽根にかけて抉りぬかれた。と同時に赤く糸を引いた鮮血が茶色の土壌を赤く染めた。赤く染まった土は、鮮血を吸い、見る見るうちに赤から黒へと色を変えた。ロットの右手が勝利のガッツポーズをしたと同時に会場のあっちこっちからぐちゃぐちゃに握り潰された紙幣が飛び交う。血へどを吐き、左羽をばたつかせ瀕死の鶏は、すでにロットが受け取り、土壌を降りた。すぐさま、次の試合の呼び出しが始まり怒涛が鳴り響く。 『Meron メロン』 共に写真提供はれんたさん 『Wala ワラ』 ロットの試合が終わった何試合後だろう。ついに義弟の鶏の登場となった。試合直前のメロン・ワラの声は、相変わらず途切れることなく続き、試合開始の合図から、ピタッとやむ。賭ける相手とのやり取りが終わる合図でもあった。義弟の鶏は、試合解説をする間もなく、敗れて相手の夕食のおかずとなった。あと2羽エントリーしていたが、それぞれもやはり夕食になってしまった。義弟の家の近くの鳥餌屋さん (この写真だけはありました)年月を掛け、餌をやって、育てる。勝てば官軍 、負ければ賊軍試合で負けて5分の命。それがギャンブル、されどギャンブル、だからギャンバル! 勝っても負けても怪我をするのは、互いの鶏と賭けに負けた博徒の財布の紐って事でしょうか?では、闘争戦士 ただ今見参! (最終章)これにて、終了。バイバイ!
2010年01月28日
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昭和時代が大好きで懐かしんでる がき大将 です! お早う御座います!やっぱ早朝は、寒いです~! 去年の7月から近所の泌尿器科に通い、毎月1か月分の糖を抑える薬、要するに糖尿病のお薬ですが頂いて、毎朝1粒だけ飲んでいるがき大将です。1か月に1回通院してもう、半年以上も経ちますので、糖の数値も右下がりで経過は良好に進んでます。2月の通院時の血液摂取の結果が楽しみです。毎日飲んでるコーヒーも朝の一杯のみ砂糖とミルク入り。仕事時に持って行く小柄な水筒には、ブラックコーヒー。日々、気を付けておりました。 が、 先日、もちろん渡比の際にもしっかり宿泊日数分の薬をカバンに入れて、持って行きました。数日前の日記にこちら義弟の家に4日間滞在してしまい、当日は、サイドバックに有った1粒を飲んだんですが、後の3日間は飲めませんでした。ブラカンからケソンシティーの実家に戻ったその日は、昼頃でしたが1粒飲んで、空白となった3粒を如何に消化しようか考えた挙句、3日おきに朝、夜と9日かけて消費しました。賞味期限の迫った食品のように・・・・。大丈夫?大丈夫大丈夫。と自分自身に言い聞かせ、昨日、無事3つ目を摂取致しました。こんなんで良いんでしょうか? ~悪いクスリの飲み方~がき大将編 です。 さて、ここからタイトル「ついに登場期待の星!」の闘鶏編始まりです。 何か引っ張って引っ張って最後の最後腰砕けに成りそうで怖い私。 みなさんの、期待を裏切る訳には行きませんのでもう1日猶予を下さい。(弱気、汗)お願いします。 じっくり 簡潔に 迫力あり危機迫った写真のアップを せずに 終えたいと 切に思っております! あまり期待しないでね。 では、明日バイバイ!
2010年01月27日
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昭和時代のあの頃を懐かしむ がき大将 です! お早う御座います!今朝は、とっても寒さが厳しい朝を迎えました。ここで、お詫びを申し上げます!もう1日『Sabong 闘鶏』の話を休ませて頂きます。昨夜、体の疲れがたまり早く床について、下書きせずに寝ちゃいました。また、特に闘鶏の書き込みは、緊迫感ある描写ゆえ、短時間では、書き終わりませんのでご了承お願いします。だからと言って今日の日記は手抜きかと思われそうですが手を抜かずように気を張り詰めて書きます。 さて、今日のタイトル「実家の水の話」ですが、断っておきますがあくまで、妻の実家での話ですので、フィリピン全部そうなんだ!と思わないで頂きたい。当時、私が感じた事、妻や家族が教えてくれた事が基本となっていますので、解釈の違いや教えられた事が事実では無かった事も歪めませんが当時の状況や現在を書き比べたいと思いました。 話は、10年余り前に遡りますが、私が初めて妻の実家へご挨拶に伺った当時の話です。フィリピン国への訪問は、この時が初めてでは無く、セブ島のマクタン島へは、キューバーダイビングで4回程来ました。そこで妻と知り合ったってな事ではありませんが・・・。マクタン島での滞在は、もちろんホテル宿泊で、民家滞在はこの妻の家が初めてでした。妻の実家は、ケソンシティーで近くに大学があります。当時、家の前の通りは、車が2台すれ違うのにやっとでしたが、5年ほど前道路が区画整理され、道に面する家(片側のみ)は、4.50センチのセットバックをさせられ、いくらか広くなった感じ。我が家もさせられ側でして、『削られた分、国が買い取ってくれるのか?』と聞いたら『買い取らない』と妻が言ってました。本当かどうかも定かでは無いが、事実サリサリの間口の出方が狭くなったようだった。当時の話に戻りますが、宿泊初日の夜、家族の歓迎を受け鱈腹飲んだビールが効いて何度かトイレに行った時の話です。トイレとシャワーが一緒のパターン(ユニットバス?バスタブ無)シャワーと言ってもバケツにお風呂の片手柄杓があってその水を浴びてシャワーとするようでした。その上、便器はびしょ濡れ、便座は無いときてる。トイレットペーパーはホルダーはあっても紙が無い。聞いたら妻(当時はまだ未婚)がペーパーを買ってきてくれましたが。『みんなどうしてんの?』って聞いたら、『水と手』だそうで宿泊2・3日は、買ってきたペーペーが終わるまで使い、後日は「郷に居れば郷に従え!」精神で現地の習慣に一歩近づいた気分でした。それからの渡比では、一切トイレットペーパーは買った試しがありません。また、土曜のよるから日曜日にかけて水の出が悪い事が気になりました。なので土曜の夜に蛇口を開けっぱなしにして寝ます。深夜、誰かトイレに行った者が蛇口を閉めるけどまたバケツの水を使っちゃうから蛇口がまたOPENの繰り返しです。聞くと『日曜日は、各家が洗濯するので水少ない』と言ってました。私が解釈するには、『水道管が基本的に細く、その管から各家に分配してるので末端の家ではかなり水が来にくく、なっているんだなあ』と思ってましたが、違いました。新築した今の家4階の蛇口から勢い良く水が出てます。古い家の時の水の配管が古くて錆つき狭くなっていたんじゃないかと今にして思う次第です。まだまだ、水の問題はありそうですが、(どなたか、教えて下さ~い!)っと へへへ。今、浮かんだ話は、これまでです。あっ!そう、また便器の話に戻りますが、う○ちをした後、水が少なくて流れなくて四苦八苦した事がありましたねえ。 ごめんなさい、朝の爽快な気分をぶち壊しちゃいました。 では、水に流してください。ばいばい!
2010年01月26日
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昭和時代のあの頃を懐かしむ がき大将 です! お早う御座います!きのうは、1日中ゆっくり休めました。それで、TV見ながらのPCかじりつき、もうご満悦。 さて、今日はサボン(闘鶏)の話を一休みしまして、フィリピンのふしぎをお話したいと思います。 比国に在住されている方々は、何を今更とお思いでしょうが、たまにしか渡比しない私にはどうして?って思う事があります。 それは、下の写真です。何も変ではありません。ブロックを積んで家を建てているだけです。この家は、先々何階建てを目標としているのでしょうか?私は、専門家ではありませんが、1階の間取り、柱の太さから想像して、3・4階を計画?しているのでは、と想像しました。左奥は、もちろん部屋になり手前は少し広いので車庫かサリサリ(日用雑貨)屋もしくは、ただ単に物干しスペース?家の前の道路は、車2台がやっとスライド出来る道幅なので車庫と思いましたが、ゆくゆく車は道の端に駐車するでしょうねえ。1階の柱は太く鉄筋太めの9本横張り仕立て、って事で将来?は、じゃなく3・4階建てかなと想像した訳です。 察しの良い方は、これから先はご想像付いたかと思います。 我が家でも、4年前家を新築致しましたが6ケ月以上かかったでしょうか?もちろん、建築業者は、義兄の親戚にお願いし、材料及び人区(人材)その他の決定は、義父や義兄も参加し、人区の一員として、義父と義弟も手伝ったようです。1階部分の柱の鉄筋は最大の太さ仕様で9本にし、次の繋ぎから1本減らして太さ中、4階の天井部分先は6本8mmの鉄筋が見えて私も、渡比時に確認をしました。 で、疑問があるんです! 建築途中と言えばいえないことはないんですが、この家は、10年以上前から始めてまだ終わらないの?って、建築途中の家が多いんです。えっ?どうして途中かって分かるの?ですか。 だって、柱の先が鉄筋むき出しで、まだまだ上に伸びますよ~。って、柱さんが教えてくれたんです。どの家もそう、書く言わん私の家も4階の天井には、屋根が付いてるものの、横のバルコニー(単に物干しスペース)の壁伝いの柱は、さも、鉄筋しっかり入ってますよ~!って言わんとするようにしっかりむき出してます。 日本人は、家を建てる時完成までのお金を用意するか、住宅ローンを使って25年払いとかの計画をしてから着工しますが、フィリピンの民家は、違うんですねえ。今、これだけのお金があるから、有るだけのお金で出来る所までの工事をやってね!あとは、またお金が溜まったらお願いね!ってな感じですね。 そんなんじゃあ、建て増しする前に1階部分がもう朽ち果てちゃうじゃん! って、思った次第でした。 そう、これぞフィリピン!これぞフィリピンスピリッツ!バハラナなお国 私の大好きな フィリピン なのです! わっははははは!では、失礼!
2010年01月25日
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昭和時代をこよなく愛する がき大将 です! おはようございます!きのうの続きを書き始めます。 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆劇画アクション風シリーズ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(書き込み形態を劇画風に替えてありますのでご了承ください) 生か! 死か! 獲るか! 獲られるか! ~~ 生か!死か!獲るか!獲られるか!~~栄光の輝きを受けられるのは?~手塩にかけて育てた戦士『明日の希望を荷う闘鶏たち』~ いざ、出陣! ※今回の物語は、筆者が単独で突撃ルポした記録です。生身のからだで体験し、すべての五感をありったけ使い、掴んだ記録です。どうぞ最後まで貴方の感性のゆるす限りお付き合いください。 なお、途中下車、途中イヒ(小便)、途中タエ(大便)等は、貴方のご判断におまかせ致します。 当筆者、がき大将は、貴方の健康状態並びに精神状態等の異常に対し一切保障致しません。 ご気分がすぐれない方は、即、PCの電源をお切りになってお休みください。 第3章 キラリひかる いつも思う事だが、闘鶏の始まりは分かるが最終試合(つまり終了ラウンド)がいつになるのかは皆目予想がつかない。日本では、俺の懐具合との相談から始まる。そしてその日のメインレースを中心に券を購い、そして全試合を楽しみたいと言うのが俺の流儀だ。しかし、このフィリピン国の闘鶏なるものは、何羽のエントリーがあって、何試合行われるのかが俺には把握できなかった。なぜなら後からの参加者を募り、試合数を増やす。また、エントリーを認めるのは、元締め側で、参戦参加費をせしめる為のものだろうか?俺は、始まりの2.3試合は、ただ茫然と戦いの流れを見守った。この間、闘鶏で戦意を無くし、その後、命を落とした鶏は何羽いただろう?どうしてそこまで戦いをするのか? 断っておくが、あくまでこの分析は、がき大将本人の見解であって、間違いがあれば、ご指摘を乞いたい。1、闘鶏の鶏は、あくまで牡であり、牡の鶏冠は若いうちに切り取ってしまう。闘鶏時、鶏冠があるとそこを狙われ、また、そこは急所であり弱点でもある。2、どの野生動物もそうであろうが、縄張りというものがあって、特に鶏は、本来同じ縄張り内の牡が2羽いるとなると相手を追い払おういとする。3、そこで、鶏は、武器である足の後ろ爪を使い、飛び上がり相手の頭や首を狙い掻き切るか、くちばしで相手の目玉を狙いつっつく。4、最終的に、相手が死亡するか、勝者の鶏が弱った弱者の鶏の目玉を突っついた所で勝敗がきまるようである。そこで、唯一の写真の登場。闘鶏の必需品、鶏の後ろ爪にひもで括りつけ、戦わせ“キラリひかる”タレを紹介しよう。写真は大きさの違う3本のタレ。刃渡りのそり具合も違い、鶏の大きさによってタレを変える。刃は、上向きで、刃のL字部分の所に後ろ爪にひっかけ固定します。足は2本ありますが利き足側に装着します。 この、やいばを付けて放すと何と怖い事か!相手に近寄ったかと思うと1瞬宙に飛び上がり、その刃を相手の頭や首、羽へと突き刺さします。四角いジャングルの周りに、2メートル程のガラス張りをしてありますが、そのガラスにも血しぶきが飛び散ったり、土壌も前の試合から残した血だまりが残ったまま、真新しい血だまりが追加され、土が赤く染まっていく。 さあ、そろそろ友達ロットの戦士(鶏)か義弟の戦士(鶏)の登場か? この続きは、また明日に乞うご期待!
2010年01月24日
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昭和の時代をこよなく愛する がき大将 です! みなさん、お元気でしょうか?風邪、ひいてませんか?がき大将、先日渡比2日前に鼻っ風邪をひきましたが当日、ケロッと治りました。不思議ですねえ。“病は気から”を身を持って実感しました。 さて、 闘鶏場内の模様ですが、今回、戦っている写真アップは控えさせて頂きます。余りの悲惨さならびに某団体からのファンレターを避けたく断念いたしました。 しかし現在、比国の闘鶏は国民的スポーツとされております。事実は事実として、せめてアリーナ内の風景を描写致します。 ~~~~~これより、少し劇画系アクション小説風にて書かせて頂きます~~~~~ 1.プロローグ ところは、ブラカン。 国道から横道に逸れた先に駐車場があった。もちろん、駐車場はアスファルト舗装などされては居ない、デコボコした土には、ところどころ石が飛び出し、躓いて転びそうになる。 凹んだ土には泥水がたまり、そこを薄汚れて使い古したゴム草履ばきの小学生らしき少年が無造作にその泥水を蹴散らして飛んできた。 何か言葉を投げかけてきたが、俺には、はっきりと聞き取れないし分からなかった。その後の彼の素性から、物乞いと理解出来た。 ロット(仮名)と義弟は、彼の車から鶏かごを各自1個づつ取り出した。一つの籠に中には、彼のエントリーする鶏2匹ともう一つの籠には、ちゃっかり自分の鶏もエントリーさせたい義弟の鶏2匹がそれぞれ入っていた。 正面の入口を入ると俺の入場券を義弟が払ってくれた。と思う。ロットと義弟は、闘鶏エントリー側なので、入場券はいらないと俺は、理解したがその所載は定かでない。チキンファイトにエントリーするにあたり、1羽に対し幾らかのペソが必要との事で義弟の分は、俺が支払った。 中のアリーナは、四角い土が盛られた戦いのジャングル。高さ2メートルぐらいの透明ガラスの壁が四方貼りめぐらされてあった。 ロットと義弟とが中の係員(主催者や審判員、レフリー等)に俺を紹介し、何か、競輪から言わせるとバック席のような所を陣取らせた。天井から吊るされたライトの明かりが四角い土壌を眩しくも、きらびやかに映し出していた。ライトの横には、緑下地の黒文字で『Meron メロン』の文字ライトその横に赤下地の黒文字で『Wala ワラ』の文字ライトがそれぞれ吊るされてあった。まるで、ボクシングで言うところの青コーナー赤コーナーの様だ。 2.ルール説明ここで、闘鶏のルールを説明しよう。あくまでも私の知る限りです。 Sabong サボン 1.1対1の戦い2.Meron側、Wala側のコーナー式3.勝敗はあくまでもレフリーの判定ですが観客側もファイトを促し、戦意をなくした鶏が敗者となる。4.勝者は、負けて負傷または、息絶えた鶏を貰え、今夜の家族の食卓の彩の一品となるか、祝杯の酒のつまみとなる。5.掛け金のはり方は、懸ける 相手が居れば、場内反対側に座っていようがお構いなし、上限も無しです。上限と言っても持ち金は、たがが知れてますから。対戦相手が土壌に上がると、何処となく『メロン、ワラ』の声が響き渡り、まるで、市場の競り落としの様です。6.勝敗決定後は、近くならば紙幣を丸めて相手に投げます。場内反対でも投げて、土壌に落ちたときは、作業員が拾って勝者に投げ渡します。※お金を粗末にする人たちです。 今日は、1.プロローグから2.ルールまでで終わります。ばいばい!
2010年01月23日
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昭和時代をこよなく愛する がき大将 です! おはようございます!渡比から帰国3日目の がき大将 です。昨夜、突然ネタという虫が採集籠から逃げ出しとっ捕まえるのに四苦八苦で今朝になっちゃいました。 さて、 ただ今より、渡比2日目のエピソードをお話します。 日本には、公営ギャンブルがいくつあるのでしょうか?競馬競輪競艇オートレースの4種でしょうか。良く分かりませんが・・・・。 そうです。今回は、フィリピンの国民的スポーツ(?)と言われ、 フィリピンで盛んに行われている闘鶏(サボンsabong) のお話です。 私は、フィリピン2日目の早朝、義弟に叩き起こされ、手荷物も煙草とお金のみで、義弟の住むブラカンに半強制的に連れて行かれました。『ブラカンにある義弟の家』 そうですねえ。義弟の家は、妻の実家ケソンシティーから有料高速道路を使って、車で1時間ぐらいの所にあります。そこで、車を降りるとすぐ近所の友達の家に向かいました。 いつもの近隣の友○○は、あげたマイルドセブンを吹かしながら、鶏を前に抱ながら、片手で撫で、自慢話を散々しました。闘鶏用鶏と飼い主 闘鶏用鶏舎 その挙句、 この家は、以前にも何度か来ましたが、そのたび、行く場所は決まって闘鶏場。 ここから、さほど遠くない所に闘鶏場はあります。 さて、この後闘鶏場の中を案内致しますが、 その続きは、明日と言う事で! 失礼!
2010年01月22日
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申し訳ないです!今朝のブログ更新また、下書きで21日に公開してしまいました!さかのぼって見て下さい。後で移動します!失礼
2010年01月22日
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昭和時代をこよなく愛する がき大将 です! おはようございます!渡比から帰国3日目の がき大将 です。昨夜、突然ネタという虫が採集籠から逃げ出しとっ捕まえるのに四苦八苦で今朝になっちゃいました。 さて、 ただ今より、渡比2日目のエピソードをお話します。 日本には、公営ギャンブルがいくつあるのでしょうか?競馬競輪競艇オートレースの4種でしょうか。良く分かりませんが・・・・。 そうです。今回は、フィリピンの国民的スポーツ(?)と言われ、 フィリピンで盛んに行われている闘鶏(サボンsabong) のお話です。 私は、フィリピン2日目の早朝、義弟に叩き起こされ、手荷物も煙草とお金のみで、義弟の住むブラカンに半強制的に連れて行かれました。『ブラカンにある義弟の家』 そうですねえ。義弟の家は、妻の実家ケソンシティーから有料高速道路を使って、車で1時間ぐらいの所にあります。そこで、車を降りるとすぐ近所の友達の家に向かいました。 いつもの近隣の友○○は、あげたマイルドセブンを吹かしながら、鶏を前に抱ながら、片手で撫で、自慢話を散々しました。闘鶏用鶏と飼い主 闘鶏用鶏舎 その挙句、 この家は、以前にも何度か来ましたが、そのたび、行く場所は決まって闘鶏場。 ここから、さほど遠くない所に闘鶏場はあります。 さて、この後闘鶏場の中を案内致しますが、 その続きは、明日と言う事で! 失礼!
2010年01月21日
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昭和の時代を愛する がき大将 です! すみません、約束した渡比2日目ですが、 採集籠からネタが逃げ出し、 ただ今、追いかけて 捕える作業を行っております。 恐れ入りますが、明日の早朝ブログ更新に 乞う、ご期待あれ! ごめんなさい!
2010年01月21日
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昭和の時代をこよなく愛する がき大将 です! 皆さん、おはようございます!そしてご無沙汰いたしました!がき大将、無事フィリピンより帰国いたしました。現地では、家内の家族、そして突然の訪問サウナFUJIさん、RYOさん、エロ爺さんありがとうございました! では、さっそく渡比1日めのエピソードからと書きたかったのですが、 1日目は、義弟と義母からの出迎えを受け、その後、家内が友達等から預かった荷物(現金)を手渡すため、帰りがけのCITYへ立ち寄り数時間かけて完了しました。帰国の話をするとあっちこっちから頼まれるのもいつものお決まり仕事です。 そのあと、食事をしてから(立ち寄ったフィリピンレストラン) アナク(息子)が6時で学校が終わると言うので、学校へ迎えに!息子は、家内と私が今日来る事を知ったいたので、門を出て来るなり、しばしの抱擁(?)をしました。(息子が通う学校です) そしたら、隣の建物は、かつて息子が1歳時にブレスをした教会でした。(教会の名前は忘れました) それから、家路に向かって10分足らず、やっと家内の実家に到着!その夜は、実家で和やかな一夜を過ごしました。でこれと言ったエピソードは、ありませんでした。(普通)です。 が・・・・・・。 翌日は、思いもよらぬ展開が待っていたのです。(少し大げさですね) これから先は、本日仕事終了後、夜再び って事で では、失礼! 行ってきます!バイバイ!
2010年01月21日
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遠い昔を懐かしむ がき大将 です! ひとまず、比国から先ほど帰りました。その様子は、明日のブログにてgood-night.
2010年01月20日
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昭和の良き少年時代を懐かしむ がき大将 です! 長いタイトルになりましたがお許し下さい。本当に、今日でNZの紀行は、終了となります。そこで、文字を小さく・・・・・。その後の旅彼女と別れたヤロー3人は、南の島への渡し船、フェリーに乗って潮風にゆられておりました。北島オークランドからウエリントンまではスムーズに機嫌の良かったオーちゃん(赤くかわいいミニクーパーのオースチン)は、フェリーを降りてしばらくすると大きな唸り声をあげて、パ~ンと音を出して止まってしまいました。多分、フェリーの潮風にやられて、マフラーのさびが悪化した様です。こんなお国だからか、ガレージ(修理工場)はあちらこちらにありまして、直ぐ見てくれ、修理代もさほどでなかったような気がします。オーちゃんの傷はこれ一回と言う訳ではなく、そこいらじゅう傷をつくり、ガレージへ何回足を運んだ事でしょう。たとえば、ヘッドライトの上下の切り替えが、壊れた時には、ブレーキペダルとクラッチの間に踏み込みボタンをつくって代用したり、ワイパーが片方(助手席側)動かなくなった時は、助手席に座ったものが片手に布をもって雨を拭く、手動ワイパー係をしたり、室内のルームミラーが割れて使えなかったときは、自前の手鏡を代用しましたが、ルームミラーと違って後ろが大きく見えずに苦労しました。そんなんで、オーちゃんの機嫌を取るのに休憩時間が頻繁になってかなりの時間ロスもありましたがいま思うとのんびり出来た旅でした。この旅で驚かされた事が1つありました。オーちゃんを残して3人で山登りをしていた時の事です。確か山の名前は、MT.エグモントと言って(21年前なのに覚えていますねえ)片道3時間ぐらいだったでしょうか?山頂から先の谷に綺麗な滝があると聞いて向かったのですが長い長いみちのり。途中何回も休憩して山頂を目指しました。11月の半ば。日本では秋から冬の時期ですが、NZは夏にむかっていたので大汗かきかき進みました。そこでやっとの思いで山頂から下りかけた所の林の向こうに見えました。中の小位の滝が・・・・。私たち3人は、登って来た疲れを忘れさせるがごとく、大声で叫びました。『滝だ!滝だ!』ってね。とその時、横の林から人が現れました。『えっ!おぼっちゃま?』そっそうなんです!私たち3人が知っている日本人おぼっちゃまでした。彼は、私たちが通っていた学校の元生徒だったんです。はじめて見た時彼は、身長は高いがひよわそうで声も小さく、控え目に見えたのでおぼっちゃまと名付けました。そんなおぼっちゃまがなぜここに・・・?簡単に説明すると、彼は学校を終了後、やりたかった事がファームステイとの事、北島からこちらの南島に来てその牧場をやめてヒッチハイクをしながらこの山を登って来たそうです。たぶんその時旅を一緒にしようと誘ったと思うけど彼は、ヒッチハイクしながらキューイ(NZの人をこう呼びます)と触れ合いたいとかっこいい事言ってました。彼は、ファームステイの甲斐あって、逞しくなっていました。彼と分かれて、我々は町には必ずと言っていいほどある博物館や教会により写真を撮って観光客ごっこを楽しみました。もちろん、南島名物のマウントクックにもフォックスグラシアの氷河やクライストチャーチにも寄りました。そして、12月10日頃オークランドに着いて、一番初めにお世話になったホストファミリーの所に2・3日泊めて貰いましたが、私の次のホームステイ人がいたので早々においとましました。後の20日間は、オークランドの町を歩いて散策したり、学校に通っている生徒と仲良くして過ごしました。今、私が思っている事と当時の私とで考え方は全くかわりません。私が過ごした6ケ月のニュージーランド滞在は、良い経験ではありましたが、日本に帰国した後なんとも言えない脱力感と無気力さが長年続きましたねえ。ギャップなんでしょうか?簡単に言えば半年遊んできたんですからねえ。すぐに働けって言っても体と頭が就いていきませんわって感じでした。また、もう一つ感じた事は、NZに語学研修として勉強に行っている当時の学生たちですが、私が29歳だった事もあり、彼らとの年の差があり卑屈になっていたかも知れないですが、ほとんどの生徒みんな何だかプライドばっかり高くて何かに着け侯爵言って言う事と行動が伴なわ無い連中ばっかりだった気がしたねえ。だから、学校へも1/3は休んでどっか一人で行動してるし、何か偏屈なのかなあ。この私。 こんな私が現在 “ 時代おくれの が き 大 将 ” って ブログ 書いてます! 今後とも何卒宜しくお願い致します。 追伸:明日12日(火)から20日(水)まで、ネタの収集に網と昆虫採集箱を持って出かけて参ります。次回の予定 ~がき大将昆虫日記~ と題し、話題豊富(?)な現地写真とがき大将が繰り広げるであろうエピソード?を書こうと思っております。21日以降の更新をお楽しみに!ばいばい!
2010年01月11日
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昭和の時代を懐かしむ がき大将 です! みなさん、お早う御座います!今日も元気で早起きのがき大将です!起きるのは、早かったんですが、ちょっと立ち寄りが御座いまして、日記への書き込みが遅くなりました。 さて、 あれから残り2ケ月弱を如何に過ごすかって事でニュージーランド1周の旅に出た私たちです。その前に一言お詫びを申し上げます!先の日記には、私を含め3人で旅に出たと言ってましたが、実は、4人だったんです!その1人は、女性です。学校のクラスメイトだったんですが、私とは、歯切れの悪い関係でしたが、彼ら2人にすれば人畜無害、1人旅連れが増えればシェアー(割り勘)が安くなると言う現代っ子。まあ、一先ずいっかあ。って事で4人で南島を目指しました。分かっているとこまでですが、1日目はロトルアっていうマオリ民族の部落へ行って一挙にウェリントン(首都)まで行きました。そこで、一泊した、翌朝(もちろん女の子と部屋は別)、彼女の方から『今、バイト先の彼氏が追いかけてここに来るんだって!どうしたらいい?』って聞いてきた。どっちを選ぶかは自分で考えて、と我らは言いました。そしたら、彼女は彼氏を選びました。私たちは、余分なお金もなかったので、道端のはなを束にしてあげ、今後の成り行きを南島への旅の空から見守った次第です。それから、後の話で彼女は一旦帰国して再度ニュージーへ行き、彼と結婚した事を風のたよりで聞きました。 盛り上がってきた所で、最終章2に続く事になってしまいました。本日、必ず完結します。では失礼!
2010年01月11日
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昭和の少年時代を懐かしむ がき大将 です! こんばんは!本日2回目の更新です。 今朝の続きです。 ニュージーランドへ向かう当日は、兄と母に成田空港まで送って貰いました。チェックインまでは、何とか無事済ませました。機内では、シンガポールまで隣席したスリランカの方とウイスキーを傾けながら、映画黒沢の話で盛り上がり(?)シンガポールでストップオーバーで1泊。翌日、ニュージーランド南島のクライストチャーチに着き、それから、最終目的地のオークランドに着きました。空港には、ホストファザーが迎えに来ていると言うので、荷物を受け取った後、出口に行くとすぐ分かりました。ホストファミリーは、4人家族で夫妻に男の子2人。長男が10歳、二男が8歳でやんちゃな子供でした。翌日、語学学校を見に行って、次の月曜日からスタートでした。入学当日軽い試験が行われ、クラス分けをしました。問題は、単語と文章の書き込みで、なんとなくこんな答えだろうと書いたものがものの見事、的中!何とかBクラスに入りましたが、その後が大変。授業に付いて行けないわ、学校はサボるわで予定していた8週間の授業も2/3しか出席しませんでした。授業をサボって何をしていたかは、仕事(アルバイト)を探しておりました。学校で知り合いになった男友達に、ワーキングホリデー2国征服者がいて、ここニュージーランドが最終との事。英語も非常に堪能でした。彼と彼の友達二人して、マウントクックエアーラインの旅行添乗員の面接に行く予定が急遽、彼の友達の方が面接に尻込みして、キャンセル。英語トーク堪能な彼が日本英語堪能な私を指名し、面接に行きましたが、たまたま面接官が面白い方で、彼の語学力1.5倍と私の語学力0.5倍(ジェスチャーは満点)を足して二人で2の能力って事で合格しました。その後、1週間のトレーニングを積んで、独り立ちしました。ここで、少しニュ-ジーランドを私なりの紹介をします。行く前から感じていた羊の多い国・・・・・そのとおりです。キューイフルーツの産出国・・・・・そうですね。日本とは反対の南半球なので、排水の渦が逆回りする。 現地に行って知った事は、鳥のキューイ・・・丸くなって寝ている姿がキューイフルーツに似てました。現地民族マオリ民族がいる。その上パシフィックアイランダーが多い。温泉地・・・・ロトルア。まだ挙げたらきりはありませんが・・・・。自然がとっても綺麗でした。アッ それから氷河もありましたね。そんなとこですかねえ。その後は、新婚旅行に来た新婚さん専門に空港のピックアップからホテルへのチェックインや ご要望に応じオプショナルツアーをしたりとか3ケ月ほど添乗員を体験しました。そもそも、半年間のオープンチケットで来たもので、多少飽きが来たころでもあり、残りの2ケ月を自動車を使って旅行しようって事になり、いくらも在籍しなかった学校での友達2人と私でオースチン(ミニクーパ)を中古で買った友をはやし立て、旅に出ました。 つづきはまた明日、早朝に!
2010年01月10日
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昭和という少年時代を愛する がき大将 です! みなさん、お早う御座います! 先日8日のブログで、元号が平成に変わった話をさせて頂きましたが、その中でニュージーランドからの帰国にふれました。 詳しくは こちら から で、きょうはそのニュージーランド旅行記以前と題し話を致します。 当時の私は、某製造会社に勤めておりました。私の部門は、公館庁施設、会社向けの製品担当で、資材発注、部品加工から部品配送組み立て、製品梱包、納品までをすべて管理する部門にいました。要するに製造工場でありがちな全体を管理しながら人員の不足場所を補助する役職でした。夜間部品加工するアルバイトの確保から昼間のパートさんの管理。人員不足の折には、深夜1時過ぎまでの残業の日々が続き、補充人員の要求を上司に相談しても一向に埒があかず、退職申請して、1ヶ月後辞めました。いま思えば、若かったんですねえ。時期は6月末日。もう少し我慢すれば夏のボーナスが貰えたのですが意地で退職しました。ほんと、ボーナス貰ってから、やめりゃ良かった(本音)それから、1週間、何もやる気が起きず、せめて、少年時代に好きだった魚釣りを近くの川へ毎日行きました。しかし、そんな毎日はずっと続きません。次の仕事を・・・・。と考え、自分が今何をしたいのか?どんな仕事が自分に合っているのか?その仕事は、天職として続けていけそうなのか?などじっくり考える時間ができたんですね。兄にも相談しました。漠然と全国を旅して仕事を見つけたいとも言いましたが、漠然としすぎ。そこで、兄の提案で“青年海外協力隊”と言うのがあってボランティアという。しかし・・・。考え直しやめて、次に候補に挙がったのが、1年間の猶予で海外で仕事が経験出来る、ワーキングホリデイというビザ。当時加盟国は、カナダオーストラリアニュージーランドの3ケ国でした。カナダ・オーストラリアの渡航年齢制限は、25歳となり、必然に、ニュージーランドに決まりました。当時の私は、国外はもとより国内線の飛行機さえ乗った事がない田舎者でしたが、どうなんでしょう。根っからの我武者羅根性。なんとかなるさ!で語学勉強の学校探しとチケット購入を10日間で準備し、ニュージーランドへと旅立ちました。1988年7月19日の事です。 つづく
2010年01月10日
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楽しかった少年時代を懐かしむ がき大将 です! みなさん、お早う御座います! 外に出て、まだ、明けきらない夜空の星を眺めつつ、一杯のコーヒーを片手にたばこをふかす、がき大将です。 今日から3連休の方も多いのではないでしょうか?私は、明日の日曜日のみ休みで、今日と月曜日は普段通りの仕事です。 でも、12日(火)からは、待ちに待った渡比です。昨年、暮れに7歳の誕生日を迎えた一人息子のパーティーに行く予定だった家内は、年末行きをとりやめ、この1月に二人して行く事にしました。その方が、一人分の旅費より年明け(4日以降)二人分の旅費の方が安いんです! 需要が多い時期に価格をつりあげる日本ピークシーズンとオフシーズンの価格の差は何なんでしょう?お客様への過剰サービス上乗せですか?かえって忙しい時期の方がサービス行き届かずで悪くないですか?それとも、経営者と従業員へのサービス料ですか? っていう、 疑問も まあ。一先ず安く行けるんだから、まっ。いいか。 と 軽くスルーする私は、軽薄ものですね。 楽しみに旅行準備をしているがき大将でした。
2010年01月09日
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少年時代のあの頃を懐かしむ がき大将 です! みなさん、こんばんは! きょうは、ずっと昔の1月8日をふり返ってみました。 今年は、平成22年のスタートの年ですねえ。 21年前の1月8日に、かの小渕恵三さんが色紙をかかげ、 『 平 成 』 と元号が変わった日なのです。 昭和天皇が124代天皇に譲位され、約62年つづいた昭和が1989年1月7日の死去で幕を閉じ、現平成天皇が次の天皇として即位され、21年が過ぎた訳ですね。あれから、21年があっという間の気がしてなりません。 昭和から平成にバトンが渡ったその年 1989年1月11日、 私は、半年間の新西蘭の滞在を終え、 成田空港に着いた日でした。 あの若かかりし頃を再度ふりかえり、 感慨にふける今日一日でした! ニュージーランドで半年間何をして来たかって? それは、またの機会に! では、おやすみなさい!
2010年01月08日
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少年時代のあの頃を懐かしむ がき大将 です! こんばんは! 今日、2回目のブログ更新となります! ブロブを初めて2カ月。毎日のブログの書き込みが楽しくてなりません。たとえ、ご覧になる方が少なくても、日々のありのままの自分をここに書き込む。なんか、日記帳と違って書き込みやすい。素直な自分を表現できるって言うか、はまってしまいました! 特にこれって書く事なかったけどこれだけが書きたかった、がき大将です。明日のブログにネタになればと思い、今日、仕事の帰りがけ撮ったMt.富士です。場所と撮影場所のみ違います。車中、新湘南バイパスから寒川町と厚木市を結ぶ戸田橋から富士を望む 今日は天気が良くすごく綺麗でした。遠く、小さいけど・・・。では、おやすみなさい!
2010年01月07日
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少年時代のお正月を懐かしむ がき大将 です! お早う御座います! 3日前から睡眠が十分でないがき大将です。 なので、昨夜は9時に床につきました。でも、起きた時間は5時50分でした。いくら早く寝ても、早起きが出来ませんでした。 さて、本日1月7日は、みなさん御存じのように、『七草がゆ』 の日なんですね。詳しい事は こちら を見てね! そうです。 正月に苦戦を強いられた私たちの大事な『 胃 』 をいたわる為、この季節に採れる葉っぱをおかゆに入れて食する日。春の七草、秋の七草なんで七種類何でしょうね?ウィキペディアに書いてあったでしょうか?しっかり見落としました。まあ、長年朝食抜きの生活者がき大将は、今日も抜きです!みなさんは、しっかり七草がゆ、食べてってね。では、失礼!
2010年01月07日
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少年時代のあの頃を懐かしむ がき大将 です!お早う御座います!今朝は非常に冷え込んでますが、みなさんのお家は如何ですか? さて、きのうのブログで書いたはがきのあて名書き、郵便番号の所からつまづき、旨く出来ないので、諦め、他の無料宛名書きソフトをダウンロードしまして、寒中見舞いは、先ほど、切手を貼って無事終了しました。PC青葉マークのがき大将、つまづきながら、ハードルをクリアしたいと思ってます!さて、郵便関係の話になりますが、みなさんは、未使用の昨年・今年の年賀状や仕損じした年賀状は、どうされていますか?仕損じしたものや一昨年の年賀状は、1枚につき5円を払って切手やはがきに替えられるんですんえ。また、未使用のはがきは、応募はがきとしてお使いですか?眠っているはがきがあれば、交換したほうが良いですよ~!先日、切手を買う時に2009年の年賀状10枚替えて来ました。もちろん切手と交換しました。去年、2009年の残ってしまった年賀状 では、失礼!行ってきま~す!
2010年01月06日
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少年時代のあの頃を懐かしむ がき大将 です! Good-morning!お早う御座います!スペルあってますか?今朝は、気分を変えまして英語でご挨拶致しました。 何で、ですか? 私にも分かりません! 私、がき大将は、昨夜と言うか深夜2時に寝て先ほど4時30分に起きました。たぶん気になっている事があるからでしょう。 皆さんには、どうでもいい事ですけど・・・。ちょっと、聞いてください。 今年の年賀状は、母親の入院と母方親戚の喪中で書きませんでした。そこで年賀状を頂いた方々(主に友達ですが)へ「寒中お見舞い」なるものをだそうと元旦から考えていたんで切手を貼る無地はがきは、以前もってるのを使うとして切手は、仕事帰り買ってきました。家についてブログチェックを終え、いざ、はがき書きを始めようとしたら家内が起きて来て、『イツモ、パソコン、バッカリ!ドウスル!ヨウフク、ダイジョーブカ、フィリピン、イク、チカイヨ!』って、お叱りの一報が入ってきました!そこですかさず、押し入れから、がき大将の夏物を引っ張り出し、並べました。それから、PCは電源カットとなり、近くのスーパーへカップラーメン2ケースを買い、初めて入ったラーメン屋で味噌ラーメンを食べ、それから、家内を仕事場に近いオフィース(実はマクドナルドなんですが、仕事前にたむろし、雑談する、安くて長く居られるので、オフィースだとさ!)まで送って、母の入院先の病院に行って帰って来てからが、本日のタイトル『も~、やんなっちゃった!』に続くのですが要するに簡単に言うと今のPCでやった事ない事をやると夜8時からやり始めた裏書と宛名書きが深夜1時までかかって、裏書しか出来ず、宛名書きがスムーズに出来ずやんなっちゃた状態なのです。 本日帰ったらチャレンジで~す! ブログを書くのにも時間がかかっちゃいました。 また、出来たらその報告を後ほど~!
2010年01月05日
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少年時代のあの頃を懐かしむ がき大将 です! お早う御座います! がき大将は、本日1月4日(月)が 仕事初めです! 最近思うのですが、若かりし頃、欲しかった休みが年をとって(がき大将だけ?)休みが長いと仕事初めが楽しみになりました。私の年間休みの基本は、日曜日と年末年始の4日間です。お盆休みは、ありません。 祝祭日も、当然出勤になります。今日は、久々の出勤です!こういう風に書いてるとバリバリ仕事マン見たいですがボロボロ仕事マンです。気もちだけは、バリバリです! では、行ってきま~す!まだ少し時間がありますが・・・・・。
2010年01月04日
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少年時代のあの頃を懐かしむ がき大将 です! 本日2回目の更新です! がき大将は、箱根駅伝も終わらないうちに、母親の入院先に面会に行って昼食を食べるのを手伝い、家にUターンしてから、起きがけの家内と一緒に近くのスーパーへ買い物に行きました。品物は、渡比する日が近くなってますので、子供たちへのお土産(チョコレート)です。体裁よく近くのスーパーって書きましたけど、実は、100円ショップで~す!今の時代、食材も100円ショップで揃ってしまいます。なので買わない手はありません。なんと、その店で5,000円超の買い物をしてしまいました。明日、カップラーメンを買いにまた別のお店に行きます。買うアイテムによってスーパーを変える、がき大将でした。 その後、二人して再び母親の入院先の病院へ行ってきました。(がき本日2回目)家への帰り途中、あの全国的有名になった『シロコロホルモン』を食べてきました。写真は、あまりの煙とお腹の空き具合には勝てず、完食してしまい、アップ出来ませんでした。ごめんなさい!シロコロホルモン発祥地と住まいは近いので写真は次回と言う事で・・・・。 おっと 今回のタイトルは、箱根駅伝でしたね。 では、結果を・・・・・。 えっ? もう知ってる って お呼びでない! じゃあ、TVニュースか明日の新聞で見てね! スポーツの真剣勝負(特に学生)は、気もちの良いものです!
2010年01月03日
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少年時代のあの頃を懐かしむ がき大将 です! ♪ ♪ 迎 春 ♪ ♪明けましておめでとうございます!今年もよろしくお願い致します。 今年も始まりました。 毎年1月2・3日に行われる 第86回~ 東京箱根間大学駅伝競走 ~ 昨日、初日の往路の結果 往路優勝 東洋大学2位 山梨学院大学3位 日体大以下省略 すごい、やりますねえ。特に東洋大柏原君箱根の上り、何人抜きしたんでしょうか?このあたり見逃してしまって。 今日二日目は、復路。山梨学院大学とは、3分以上の差このままいって、“ 東 洋 大 学 ”2年連続2連覇総合優勝成るか?いやいや他校も意地があるはず!まだまだ、これからのTV見逃せません!結果を含め、夕方のブログでお会いしましょう!
2010年01月03日
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少年時代のあの頃を懐かしむがき大将です!新 春 ♪あけましておめでとうございます!正月3日間のご挨拶はこのスタイルでいかせて頂きます。 きょうは、『 夢 』についてです。私、がき大将がこの時期 “ 夢 ” と言われ思う事は、やはり、 初 夢 。夢の中に出てくると縁起の良いもの1.日本一高い“富士”2.武将の遊び鷹狩の“鷹”3.夏から秋が収穫時期の“なすび”この3つ。どうしてこの3つなんでしょう?調べてみました。初夢は正月の特別な生活状態や食生活を反映する事が多く、新年の抱負や希望を日頃の夢より強く影響しているそこで登場する3品ですが、一つには、徳川家康の好きな物を並べただけという。富士山を見て、鷹狩をして、なすを食べるのが家康の幸せだった。(なんか単純ですねえ!)二つには、 富士→無事 、鷹→高く 、 なすび→事を成す(語呂合わせ!ですねえ)いつ見る夢が初夢になるのかはやはりいろいろな説があるらしく、 1.昔の事なので、仕事始めが1月2日なことから、この日に見た夢を初夢とするのが最もポピュラー。2.大晦日に見る夢も、元旦の朝最初の夢だから、初夢と言えるし、3.元旦の夜の夢も年が明けて最初の夢なのでそうと言えるでしょう。以上の事から1月1日~3日に見た夢を初夢とします。って出ていました。み~んな、曖昧です。いいんですね。正月だから・・・・。深く考えないようにしましょう!この写真は、2008年2月11日に仕事帰り、車内から撮った「富士山と江の島」です。えっ!富士山が見えないって!うっすら右上に~~~! いいんです! 正月だから!
2010年01月02日
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今年も“少年時代のあの頃”を懐かしむがき大将です! ♪~ 迎 春 ~ ♪ 謹 賀 新 年あけましておめでとうございます!今年も宜しくお願いします!今年初めての、がき大将の日記にお起し下さいまして誠にありがとうございます!今年も引き続き、身近な話題を書き連ねていきたいと思います!さて、今日の話題は、昨夜大みそかに見た『格闘技史上最大の祭典ダイナマイト!!~勇気のチカラ2009~』です! なんか、タイトルが大げさの割に、全体的に試合が面白く無かったのは、私だけでしょうか?オープニングは、桜庭で始まり、二大メインイベント摩裟斗VSアンディ・サワー吉田 秀彦 vs 石井 慧の試合を心待ちにするまでの間。K-1甲子園だけは、かなり興奮する試合だったと思います。引退する魔裟斗の前でぶざまな試合をしたくないHIROYAVS文武両道を掲げられ、勉学優先の母をもつ野杁 正明 一昨年、3位だったような事言ってましたが今年こそ優勝を狙う嶋田 翔太VS敬称は、忘れましたがかなりの強さでした。石田 勝希この高校生4人の試合『この場でしかない!』と言う気迫のこもった試合は、真の格闘技を感じました。K-1甲子園の部は、詳しく書きましたが、 その他の試合については、以下の方言われた言葉どおりです。書き込むに当たらずっと言った具合、 『あれ??KIDは?桜井マッハは??あれ???なんか微妙な放送で、カットされてて?見逃した??って人も多く、試合結果だいぶ気になるよねー。なんか全体的に消化不良。』って書いてありました。全く、同感!もうちょっと詳しくは、 こちら を・・・・。 スポーツ新聞や他のコメント表記が楽しみです。では、失礼します。今年は、元旦でも初詣にいけないがき大将でした。
2010年01月01日
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