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私はマラーホフの絶頂期をしっかりと見ていない。だが、今のマラーホフがすでに絶頂期でないことはわかる。絶頂期ではないが、その柔らかい身のこなしを見ていると、この人の絶頂期を頭の中で想像せずにはいられない。「チャイコフスキー」はボリス・エイフマンの振り付けによるチャイコフスキーの苦悩、とりわけ同性愛にまつわる苦悩を舞踊化した作品である。チャイコフスキーの音楽を使っているので、耳なじみはいいけれど、最初から最後まで、チリチリと心が焦げるような痛みが走る。ゲイの人の悩みは本当に深いのだな、と思わずにはいられない。女の人に言い寄られたときの嫌悪感とか、嫌悪しながらも世間体のために女の人と一緒になる自分に対する嫌悪感とか、男の人に言い寄られたとき、自分がそれに応じてはいけないという戒めとか、でもその男がほかのイケメンに引き寄せられたときの嫉妬とか、そのイケメンが女性に惚れてるとわかったときの絶望とか、そんな心のグチャグチャを癒やしてくれるのが、めくるめく性愛で、結局「わかってくれる」人なら誰でも、的な投げやり感とか。こんなオレ、生きてていいですか?的な。だから刹那的に生きていいでしょ?的な。でも瞳の奥はいつも寂しくて、哀しくて。見ていてすごく辛かった。ここまで「自分」をさらけ出した作品ってないんじゃないかと思った。胸をえぐりとられるような痛さ。すごい作品だ。AMPの「SWAN LAKE」も同じような題材を扱っているけれど、あれはかなり客観視してカリカチュアされ、深部をえぐる部分と笑いの部分がうまくmixされているから一息つけるところがたくさんある。また、親子の関係にも言及しているから、その分ストレートの私にもわかるところがたくさんある。この「チャイコフスキー」は、どこまでも「恋」。最初から最後まで、魂の悲鳴の連続でした。美術は美しかった。あと、出てくる男性、すべて長身のイケメン。イケメン、という言葉が恥ずかしくなるような、ハンサム。ハンサム、という言葉が陳腐になるほど、きれい。でした。
2011.01.24
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CNN「Revealed」の和訳のラストは、熊川哲也に対するQ&Aです。日本人には、まま結果オーライのところがあって、今の関係がよければ「いろいろあったけど、ま、いいじゃないか昔のことは」みたいな、忘れたフリができるのか、本当にわすれちゃうのか、過去のことをあれこれネチネチとり上げて糾弾することってあまりしません。でも、本当は「やったことはやったこと」として、今、どんな地位にあったとしても、その責任はとらなくちゃいけない。「Revealed」の記事を読んでいると、今や熊川哲也が日本のバレエ界になくてはならぬオトナになったからこそ、インタビュアーは彼の「過去」について、はっきりさせようとしているということを、感じずにはいられません。そして、熊川は、逃げずに、当時を振り返ってきちんと答えています。インタビューの冒頭は、熊川の幼い頃のエピソードや、バレエを始めたきっかけ、ロイヤルに行くに至った経緯などに関してです。このあたりはいろいろなところで言われていることなので、省略します。どんなやりとりかは、原文を見てください。(今月中は見られると思います)ちょっと面白かったのが「ロンドンの第一印象は?」という問いに対しての答え。「想像と、100%違ってましたね。 だって、日本人って、アメリカ映画で育ってるんですよ。 日本の外っていったら、即、アメリカっていうのが僕のイメージ。 だから、想像していたものは、大きなハンバーガーとか、広ーい道路とか、大きな外車とか。 ところが、ヒースロー空港に着いた途端、何か違う。 気候も暗いし、雨だし、道路は狭いし、おまけに日本と同じ右ハンドル! イギリスはアメリカと違うんだって気がつきました。 正直言って、ちょっとがっかりしましたね。でも、最初の一週間だけ。 その後は、本当に楽しいところでした」また、ロイヤルの仲間が熊川哲也のことを「Teddy」の愛称で呼んでいたのは、有名な話。「哲也」が「T」で始まり、「kuma」の意味が「熊」だから、テディベアの「テディ」。命名したのがクラスメイトだった、というところまでは知っていましたが、その友だちっていうのがルーク・ヘイドンだったなんて!Kバレエの「ドン・キホーテ」でその人をやっている、あのお方です!Kバレエというのは、本当に熊川とロイヤルとの友情で支えられているんだな、と改めて思いました。(でも、熊川の著書『メイド・イン・ロンドン』には、ちゃんとルークの名前が書いてある。 この時は“ルーク・ヘイドンというクラスメイト”と言われても、読み飛ばしちゃったんですね)さて、本題に入りましょう。―ロイヤルでの10年間、あなたは素晴らしいキャリアを積んできたわけだけれど、 そこで不満がたまった、ということですね。もっとも大きかったのは何ですか?「別に不満はないですよ。いい時を過ごさせてもらったし、いい仕事をした。 アンソニーからもらった役はすべていい役、大役で、僕にピッタリだった。 僕に合わないような役、彼は一度も回したことないですよ。 だから、彼の部屋に行って 『僕にはこっちの役が合ってるんだ、どうしてこの役をくれないんですか?』なんて、 文句を言ったり注文つけたりしたことはありません。 だから“不満があった”とはいわない。 でも、“飽きていた”とはいえるかもしれない。 だって、ずっと同じ役の繰り返しでしょ。 それに、僕は舞台芸術に関心があったんです。例えば照明とか、衣装とか、舞台装置とか。 そこらへんが、僕がロイヤルを離れた理由かな」―その「離れ方」が、かなり混乱を招きましたよね。覚えておいでですか?「若かったってことです。辛抱が足りなかった。一刻も待てなかった。 出ようと考え出したら、もうすぐにでも出なくちゃ、…と思ってしまったんです。 でも、もっとちゃんとしたやり方がありましたね。 だから、あのやり方は、自分でも誇れたものではないと思っています。 また、あの決断はもちろん、僕だけで決めたわけじゃない。他に5人いましたからね。 みんな一緒になって、まあ、うきうき興奮したというか、 子どもがちょっとイケナイ計画練って、楽しい、みたいなところがありました。 思うに、時期が悪かった。 もう次のシーズンのリーフレットに僕の名前が載っていたし、 そのことを僕は拒否もしていなかった。 『もう戻りません』のFAX一枚ですからね、最悪です。 カンカンだったと思いますよ、みんな」―どうしてKバレエを日本で立ち上げようとしたんですか?「答えは簡単。僕の生まれたところだから。 僕はどの国でも行けた。アメリカとか、ね。 でも日本が一番やりがいがあったんだ。舞台の仕事、ことにバレエの仕事をするには。 ロンドンやニューヨークに比べたら、そうとう遅れてますよ。 まず環境が整っていない。 舞踊というものが、正当な扱いを受けていないし、観客はバレエを知らない。 もちろん、英国ロイヤルバレエもパリのオペラ座も来るし、お客はつく。 でも、それは日本のバレエ団のお客にはならないんだ。―そこで、Kバレエによって築こうとしたものは?「プロフェッショナルな舞台。一切妥協のない舞台。壮大かつ、きっちり出来て隙のない舞台」―現在のあなたの生活は、いかがです? ロンドンと比べて変わりましたか?「ロンドンにいた時は、ただのダンサーだった。 常に誰かにあれやれこれやれと言われて、そのルールの下でしか生きられなかった。 カンパニーに支配されてた。 でも、僕はもっと自由になりたかったんだ。 だから、自分で自分のことを決められてよかったし、そういう事態を自分で起こせてよかった。 この喜びは後から後から出てくる。ただのダンサーであることずっと大きい」自由。自分で自分を決めること。これが、彼のキーワードかもしれません。3回で終わろうと思ったんですが、あと1回、続きを書こうと思います。
2007.12.23
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私が蜷川幸雄の演劇を初めて見たのは、「ハムレット」でした(1995のものをNHKの衛星放送で)。主演・真田広之、オフィーリアは松たか子。戯曲を読んだのは中学生の時でしたが、よくわからなかった。演劇を見たことないのに「戯曲」を読んでしまったから、戯曲の向こう側に広がる空間を想像することができなかったのです。 私は、真田ハムレットを見て、初めて二つのことを理解しました。 1.ハムレットのセリフは「狂人のふりをしている」時のものと、 本心を独白もしくは傍白している時のものが混在している。 2.戯曲を読むと、そのセリフを言っている人のことしか頭に浮かばないけど、 セリフを言わなくても存在する人物が同じ舞台に立っている。 この時蜷川が作った舞台は二階建てになっていて、隣の部屋で盗み聞きする人物とか、全体がよくわかったのです。 そうしたセリフを言わない人たちのリアクションが、実は劇を動かしている。だから、ひとつもセリフを変えなくても、まったく違う物語にできるということを、実感しました。真田ハムレットの見どころは、父を殺したクローディアスへの復讐心の強さでしょう。クローディアスが独りで祈っているところに、ハムレットがでくわし、千載一遇のチャンス! と後ろから刺そうとするんだけど、「祈っているところを殺したら、天国に送ることになる。それじゃ復讐にならない」といって剣をおさめます。 ここは、キリスト教徒でない私には、わかりにくいところでしたが、けっこう大事な伏線があります。 ハムレットの父親は、武人としてたくさんの人を殺しているので、死ぬ前に懺悔をしたかったのに、急に殺されちゃって懺悔できなかった、だから地獄に落ちて亡霊になって成仏できない、という背景があるのです。 とはいえ、殺人を先延ばしにする「言い訳」にも思えます。そう見えないところが、真田ハムレットの激情。ほんとに、ほんとに、復讐したい気持ちが表れていました。 むき出しの憎悪。心の傷から流れ出る血にまみれ、もがき苦しむ姿が、切ない。真田ハムレットは、本当にお父さんを尊敬し、愛していたんだと思います。この劇は98年に再演されています。(母妃ガートルードは三田和代から加賀まり子に替わりました)ロンドンでも上演されました。 *2006年5月24日のMixi日記をもとに、加筆しました。
2007.01.17
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私が今までで最高傑作だと思っている刑事ドラマは鎌田敏夫脚本の「眠れない夜を数えて」です。(1995)一話完結ではなく、1クールで一つの事件を追っていく。それが斬新だった。また、一つの警察署は一度にいろいろな事件を扱っていて、同時進行の大小さまざまな事件が同居する中で、ちょっとずつ伏線が織り込まれていくその緻密な脚本がすばらしかった。そして、刑事たちの動向が、みんなナゾ。鶴瓶、段田安則、春田純一、そして三田村邦彦…。三田村邦彦、ほんとにカッコよかった~。笑わないんだよね。1クール中、一度も笑わなかった。目がコワいの。田中美佐子とのラブシーンが、これまた痛いほど切なくて…。当時は視聴率が低く、ビデオ化されていないと知り、びっくり。再放送をビデオに録っておいてよかったー(ほ)。低視聴率なんて関係ねぇ!私は毎週毎週、息を詰めるようにしてコトの成り行きを見守っていました。同じように、このドラマにはまった人たちのおしゃべりを読んで、ちょっと溜飲が下がりました。崖の上、海の音、そんなタネ明かしのシーンは一つもございません。最後の最後まで、ナゾを残して終る、見事なドラマでありました。
2008.05.19
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この前、CNNのドキュメンタリー番組「Revealed」で、熊川哲也が特集されたことをお伝えしました。Webサイトでは、放送されなかった部分も含めてインタビューの全容が、「Q&A」という形で載っています。とっても内容が濃いので、ご紹介したいと思います。(英語の得意な方は、サイトを見てくださいね)熊川哲也、アンソニー・ダウエル、モニカ・メイスンの3人について、それぞれインタビューが行われていますが、インタビュアーがもっとも力を入れて質問しているのは「熊川哲也の英国ロイヤルバレエ団退団事件」についてです。(以下、アンソニーの言葉はweb上の英語を私流に訳しました。地の文は私の言葉です)あえて「事件」と書くのは、これは日本人が考えるよりずっと、大変なことだったから。当時イギリスの新聞「デイリー・テレグラフ」は、第一報を一面トップで報じたくらいです。当時の芸術監督アンソニーはいいます。「地獄に突き落とされたかっていう気分だったね。だって、シーズンの途中だったし、その上彼は数人のダンサーを一緒に連れて行ってしまったから。あの時の傷は、まだ完全には癒えていないよ」とアンソニー。よっぽどショックだったんでしょう。でも、彼はオトナ。こう続けます。「もちろん、私とテディの間では、すべて許してるけどね。彼が自国でカンパニーを立ち上げることがどんなに重大なステップアップだったかは理解している。しかし私に言わせれば、メジャーなカンパニーと契約中で、もう踊るスケジュールが決まっている時にやる決断じゃない」そうでしょう、そうでしょう。彼のファンである私だって、その年10月から「Mr.Worldly Wise」に出演すると決まっているのを蹴って直前に退団するって、どういうこと?…と思ったくらいですから。「Mr.Worldly Wise」は、トワイラ・サープが熊川のために振付けた、というくらい、彼なしでは成り立たない演目なのです。「ここが自分に合わないと思ったら、出るのは自由だ。それは私もわかる。 でも、やり方っていうものがあるでしょう」たしかに「まだ傷は癒えてない」感じ。でも、そんなアンソニー、どうして今、Kバレエの名誉総裁をやったりして熊川と仲がいいんでしょう??「最初彼が立ち上げたKバレエと今とでは、実際かなり形が変わっています。 現在のKバレエ団は、正直賞賛に値するし、私は彼が成し遂げたものが誇らしい。 彼は今、(ダンサーだけでなく芸術監督として)逆の側からもバレエ団を見ています。 そして、かつて私が芸術監督として経験した「問題」も、経験しているでしょうから、 (自分がやらかしたことの重大さにも)気がついているでしょう。アンソニーは、名誉総裁を引き受けた経緯を、こんなふうに説明しています。「彼が私に名誉総裁になってくれと頼んできた時、 私はKバレエにとって、マーガレット王女のような立場なんだ、と思いました。 ロイヤルバレエはずっと王女を名誉総裁に戴いていましたし、 テディはそういうものがほしかった。 私はとてもうれしかった。「出奔騒動」のあんな怒りの後で、こんな光栄なことが起こるなんて。 アドバイザーとして関わってくれ、という頼みだったけど、 今じゃ舞台に上がることもあって、これがまたとっても楽しいんだ」インタビュアーは、熊川のケガについて、次のような質問しています。「ケガしたダンサーが戻ってきたとき、パフォーマンスに影響がありますか?」「これは彼にとってはじめての大きなケガです。 彼のバレエキャリアにおいて、ものすごく遅くに訪れた。 大きなケガの後、どんなふうにカムバックするか。そこに、たくさんの「調整」があります。 どうやって戻るか。たくさんのことが頭をよぎるでしょう。 きっと彼はうまくやりますよ。私は、「禍転じて福となす」と考える方なんでね。 これはバレエ団にとっていかに観客が大切かを知るチャンスなんだ。 いつか熊川も主役を踊れなくなる。 Kバレエはとてもいいプロダクションをもっているのだから、 (ダンサーとしての)熊川がいなくても、このカンパニーのクォリティが観客を魅了し、 それがずっと続くことを願っています」 他にも、アンソニーが彼を見初めた時の話などが載っています。詳しくは、Webまで。明日は、自身も高名なダンサーであり、アンソニーが芸術監督時代、その片腕として熊川を指導したモニカ・メイスンのインタビューの概要をお届けします。アンソニーよりずっと身近で熊川を見てきたモニカの意見には「なるほど~」と思うこと多々あり。また、アンソニーとともに組織の苦悩にもつきあっていたので、「電撃退団」の裏側がもっとあらわに「Revealed」です!
2007.12.19
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今日は、モニカ・メイスンへのインタビューから、熊川哲也の英国ロイヤルバレエ電撃退団の真相に迫っていきたいと思います。……なんて、まるで私が斬りこんだ、みたいですが、これはひとえにCNNの番組「Revealed」のインタビュアーの力です。英語が苦手でない方は、原文にあたってください。モニカは、熊川が15歳でロイヤルバレエスクールに入った頃から知っています。「その頃は、英語もほとんどできなかったから大変だったでしょう。 なのに気が強くて、何を言われてるか自分がわかってない時も、 それがバレて面目を失うのがいやだったのよ。 でもね、 彼は素晴らしかったし、みんなから愛されたし、それは今も変わらない。 そうね、彼は本当に特別な素質に恵まれていて、それは一番最初からはっきりしていたと思うわ」「彼がどんなにヤンチャだったかってことは、当時の顔を見ればわかるでしょ。 今はちょっと違うわね、芸術監督としての責任を負って。 もちろん、年齢的なこともあるけど、オトナになった。 あの頃は、とにかくキラキラしててただ可愛くって、憎めない悪ガキよ。 何をしようが、あの子をへこませることなんかできなかった。 とっても気がつくし、はしこくてね。 そして早いうちから、 どうやったら自分をアピールできるか、どうやったらスターになれるかを知っていて、 実際、スターになったのよ」英語という言語的文化的なネックがあったにも拘わらず、彼が成功できた理由について、多くの留学生を見てきたモニカはこう結論づけます。「家とは全然違うから、みな寂しい思いをする。食べ物も違うし。 気候はまあ、日本とは共通点も多々あるけど。 彼はロンドンになじんでいったし、自分一人の力で生き、人々の要求に応えていった。 これはとても難しいことなの。 15歳で遠い海外まで来て、学校に居場所を作る。それだけでもたくさんの勇気やガッツが必要よ。 彼はものすごいチャレンジをしたわ」モニカは熊川を「テクニック」だけで評価しません。「テディは頭がいいのよ。彼は何事にもしくじらないの。誰だってそうあるべきだけどね。 ダンサー人生ってそう長いものじゃない、だから舞い込んだチャンスを最大限に生かさないと。 彼は、常にそれをやってきたというわけ」その「チャンス」の一つ、退団についての言。「彼が日本に帰るっていうことは、聞いていたわ。 ただのダンサーから飛び立とうという志があることも知ってた。 あの子、カンパニーが動かしてる芸術的な面に、とっても興味を持っていたの。 そこに、アンソニー・ダウエルっていう素晴らしい人生モデルがいたわけね。 アンソニーは、芸術監督をしながら、まだ現役で踊っていた。 「テディはアンソニーのビデオをよく見ていたわ。見ることで、ずい分学んでいた。 耳をすまし、学ぶことをやめない人だった。 彼はアンソニーのやり方が好きで好きで、だからもし彼がアンソニーのようなダンサーになれたら、 今度はアンソニーのような芸術監督ってどんなだろうと思ったって不思議じゃないでしょ。 あの子は世界中のバレエを見る努力をした。 彼はものすごい量のビデオコレクションを持っているの。 他のダンサーのパフォーマンスもよく見た。そして確信したのね、自分ならできるって。 彼は、正しかった」そこまで、アンソニーを尊敬していたとは、知らなかったー。でもそのアンソニーを怒らせて、退団したわけですよね?「あのことは、芸術監督としてのアンソニーにとって、もっとも大きな打撃だったでしょうね。 ま、後から考えれば、それでなくてもロイヤルは、あの時難しい時代だった。 (オペラハウスの改修があって)踊る演目も、ダンサーもカットしなくてはならなかったから。 改修後に、以前と同じ力を得ることは、とても困難なことなのよ。 たった4人でも、彼らと同じレベルのダンサーは一度失ったらまた得られるかどうか… …つまり、これがテディが出てった時に起こったこと(一緒に退団)なんだけど。 今、アンソニーとテディが友情を築けるのは、 一にも二にも、 アンソニーのバレエという職業に対する高い誠実さと、寛大すぎるほどのやさしさのおかげ。 そして、テディがアンソニーをものすごく尊敬していることもね。 アンソニーを傷つけようとしてやったことじゃないから。 でも、あれは痛かった」インタビュアーは、熊川が4人の現役看板ダンサーを引き連れて退団したことについて「彼は一味のリーダーだったのか?」という聞き方をしています。「う~ん、テディはカンパニーを立ち上げたかったんだと思う。 それに対して彼と一緒に出たダンサーたちは、 オペラハウスが閉まる期間自分たちはどうなるかってことが、不安だったんでしょう。 だって、二年も(常小屋を持たず)放浪するわけだから。 (舞台装置などのこともあって)レパートリーだって狭められる。 だから、若者たちは、冒険に出ようと思ったのね。 そりゃあテディは自信満々だし。 何かを最初から立ち上げるって言えば、誰だってワクワクするわ。 マイケル・ナンとビリー・トレヴィットは自分たちで何かやりたかったんだと思う。 事実、しばらくして、テディから離れてる。 (*熊川が全幕古典をめざすようになった時点で、Kバレエを退団)。 だから、きっと、あのタイミングで退団してなくても、少しロイヤルにとどまった後、 結局は自分たちのめざすところのために、ロイヤルを退団したんじゃないかしら。 ゲイリー・エイヴィスは、ロイヤルに戻ってきた。 マシュー・ディボルはアメリカでいろいろなダンスで成功してる。 スチュアート・キャシディは、今もテディのもとにいる。 彼は今、ニュージーランドで教える方もやっているのよ」上の訳はあくまで抄訳。全文ではありません。熊川が愛したアンソニー以外のダンサーの話、熊川の「身長」がネックになったことはないのか?彼がもっとも輝いた、とモニカが思うパリでのコンクールの話、熊川に一番マッチしていると思うレパートリーとは?などなど、本音トークで押しまくるモニカの話は、読んでいると情熱が伝わってきます。愛してくれていたんだね、熊川のこと。モニカの話を聞いていると、「熊川はKバレエを、日本のロイヤルバレエにしたいんじゃないか?」と思っている私の考えは、ものすごく正しかった、とナットク。それとともに、若い頃、熊川のヤンチャぶりに手を焼いただろうモニカ・メイスンが彼の若さゆえのいきすぎや、傍若無人ぶりなどに振り回されず、彼の才能と、才能を生かそうとする彼の努力と、バレエやその先人に対する敬意をよくぞ見逃さないで指導してくれたな、と改めてお礼をいいたい。ありがとうございます!明日は、リビングBOOK大賞のノミネート作品を紹介予定のため、熊川のインタビューの和訳(日本人だけどー)は、その後、ということで。明日は「くるみ割り人形」も観てくるので、またいろいろ思うことも増えるかもしれません。
2007.12.20
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【DVD】嫌われ松子の一生邦画中谷美紀の「女優」を捨てた女優魂炸裂で、最優秀主演女優賞を涙で受賞したのも記憶に新しいですね。原作は小説で、後にテレビドラマにもなりましたが、私はこの映画がいちばん好きかも。CM製作出身の中島監督の、「語りすぎてかえってリアリティをなくす」間違いに陥らない匙加減と、このあまりに悲惨な話にはちょうどいいくらいのメルヘンタッチが本当にいたらウザイだろう主人公をものすごく魅力的にしていると思う。そしていちばん感じちゃうところは、これが「キャッツ」のグリザベラの話だ、という点。「キャッツ」を知ってる人は、みんなそう思うみたい。だって、まずは晩年の松子(中谷)の着ているものが、グリザベラだから。その上、荒川べりには満天の星。今にもただ一匹のジェリクルキャッツを迎えに、光の輪が降りてきそう!と思ったら、やっぱり階段を昇って昇天していくのでした。…って、私、揶揄してるんじゃありません。すごく素敵なストーリーです。父親(柄本明)に振り向かれたい一心の松子の作り顔と、笑顔一つ惜しむように接しながらも日記の一文「松子からの連絡なし」に現れる不器用すぎる父親の愛の行き違いにも切なくなるけれど、それより私が最も衝撃を受けたのは、せっかく松子と深く愛し合いながら「愛される」ことに慣れない洋一(伊勢谷友介)が、刑務所の中で「出所しても松子のもとには戻るまい」と決意してからの物語。すさんだ生活で再び獄につながれた洋一は、聖書と出会います。しかし、洋一に神は見えない。そこで牧師は彼に言う。「あなたは、いちばん嫌いな人を許すことができますか?」洋一は答える。「できません」「それでいいのです」と牧師は言います。「人間に、それはできない。しかし神はできるのです」そのとき、洋一の脳裏に松子の姿が浮かんだのでした。騙しても、裏切っても、殴っても、他の男にあてがっても、それでも松子は必ず洋一を笑顔で迎える。「松子こそ、オレの神だったんだ!」…ここのところ、とっても好きです。私はクリスチャンではないので、聖書とかキリスト教とかは、歴史や哲学の一部としてみることが多いです。この世界にゴマンとある宗教のなかでも、厳密なる「一神教」はユダヤ教とキリスト教、イスラム教くらいなものだそうです。宗教の勉強をちょっとしたときに教わりました。「多神教と一神教を同じ宗教という枠でくくってはならない」と。それくらい違うものなのだそうです。日本人の多くは無宗教と思われがちだけど、そして自分を無宗教と思いがちだけど、無意識のうちに多神教っていう感じがする。八百万の神、ていうか、人は死んだら神になる、鏡も神、刀も神、生きてるものも無機物も、なんにだって神が宿り、神になれる土壌をもっている。だからクリスマスも七五三もチャペルの結婚式も破魔矢も除夜の鐘も、座敷わらしも妖怪も、なーんでもござれ。そんな日本人にとって、キリスト教の教えは非常にストリクトに感じられることがある。私なんざ、「人間は神の道具」って言われたその途端、もうダメなの。私、「Instrument」なわけ?って。自分じゃ考えちゃいけないの? 自分で考えたつもりでも全部神のご意志なの?ゴーマンこのかたないけど、どうしてもすんなり受け入れられない。でも、洋一は、アタマじゃなくてハートで感じたんだよね。人間は、自分の内なる体験と照らし合わせることでしか、物事を真に受け入れられないところがあります。だから、まさに「右の頬を打てば左の頬を出す」松子の愛に、洋一は「神」を見たのでした。そして、それが洋一の救いになったのですね。よかったよかった。もちろん、この牧師さんのひと言がいいよね。「許せなくて当然です。人間だから」不完全な自分を卑下していた洋一にとって、まずはその不完全さを受け入れさせてくれた、素敵なコトバです。この出会いが、もっと早ければ、もっとよかったのに、と思えてなりません。このエピソードによって、ああ、だからグリザベラはたくさんのキャッツの中から選ばれたのね~って、今さらながら「キャッツ」について、深~く納得してしまう私なのでした。
2010.07.27
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