出羽の国、エミシの国 ブログ

出羽の国、エミシの国 ブログ

PR

×
2016年05月20日
XML
虎尾の会 山岡鉄太郎 (鉄舟/1836年生)がいることは前にも書いた。歳は八郎より6歳下で、江戸生まれ、 飛騨高山 出身の旗本で、 八郎の盟友 として知られる。八郎も背が高かったと言われているが、鉄太郎も身長188cmの大男だったようだ。八郎は浪士組を作った時から暗殺で亡くなるまで、ほとんどの行動を鉄太郎と共にしている。そして、京都から帰った八郎は、鉄太郎の家を拠点として行動し、暗殺された日の朝にも鉄太郎の家に居た。お互い尊敬しあう、八郎の無二の親友ともいえるだろう。そして、八郎の謎を解くキーパーソンだ。
 鉄太郎が八郎について残したものをご紹介したい。

“「ああ、天、この奇傑を亡ぼす。」” 鉄太郎が“八郎が暗殺で倒れた時に言ったとされる”コメント。

 1886年、清川村から八郎の死をいたみ、功をたたえるための石碑に刻む文を依頼されて、書いたものがある。
“「奕奕(えきえき)たる神采(しんさい)昔(は)吾が友たり。慷慨国を憂え、身人手に死す。天その節を嘉し、雨露既に厚し。千秋万古 斯の人朽ちず」”。
(すぐれた風貌、いきいきと生気にあふれた顔の表情、昔は我が友だったその姿、顔が思い浮かばれる。
世の中の不義・不正を見聞きして、絶対許せないと怒り国の現状を憂えたが、暗殺されてしまった。世の中は八郎の行ったことを喜んだが、八郎やその同志の多くの試練を経た結果だった。多くの時間が過ぎても清河八郎たちの功績は朽ちることはない。)
 このように八郎を尊敬し、とても親密だった鉄太郎なのだが、八郎の死後“「 八郎を語ることは自らを語ることになる」と言って、口を閉ざした ”という。そのため、八郎のなぞは深まり、八郎の行動を知ろうとすると壁にぶち当たってしまう。おそらく、明治の革命後も、話せないことが多かったのだろう。私は昔からこのことをとても残念に思っていた。

某人傑と問答始末 」という短編を書いていた。書かれた時期は、1865年(12月頃)(元治元/12月)、八郎が暗殺されてからあまり日が経っていない(約1年半後)。「 某人傑 」とは意味ありげなのだが、八郎であることはわかっていて 書いた時期が 幕府の時世 だったため名前を伏せていたと考えられる。内容は八郎と鉄太郎が“ 水魚の交わり ” (盟友)となったエピソードのようだ。
 私は、今回八郎を調べていてこのことを知った(掘り出しもののように思った)。長くなるが、ぜひとも紹介したい。
(内容は、できる限り判りやすくすることに努めたが間違いもあると思うので、意訳していただきたい。“人物言行ログ”と、“山岡鉄舟研究会のブログ”とを参考にした)。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
某人傑と問答始末

 このごろ、人傑として名声の高まっていて、日本、中国、西洋(の学問)を学び、武士道にも心得があると言われる人物(八郎のこと)人がいた。
 その人が私(鉄太郎)に問いを持ちかけた(問答を仕掛けた)。

「あなたは、もとより潔白性(心や行いがきれいなこと)で、加えて昼夜となく日々心の修行を行っているので、極(きわみ)に達していると存じてはいるが、失礼を承知でお尋ねしたい。
わたしは、本当にあたなの心持ちが、君(天皇)のため、国のため、人のために身命を賭(と)する覚悟になっているかどうかとても疑わざるを得ない。
志操 (自分の主義や主張などを固く守って変えない心)を確かめたい」と言って、ひとことひとこと迫ってきた。

 私は、(馬鹿のように)頭が働かない状態ですぐに答えることができなかった。
そうするとさらに同じことを繰り返し 滔々 (とうとう/よどみなく話すさま)と私を責めようとするのだった。

 この時、私は大きな口を開けて「ハハハハ」と笑った。立場的には、その人は私より年長で加えて身分もなかなか簡単ではない人だった。これが原因だろうか、その人は顔いっぱいに怒りを表わし、その後すぐに大声で一喝、

「あなたは、木や石同様で、人倫(人の道)がどういうものか知らない 不届野郎
と言って、大いに私を叱り飛ばした。



これにより、私は(冷静になって)静かに答えて言った。
「私は、浅学無識で加えて身分が低く貧しいので、そのような難しいことは、初めて尋ねられることでもあり、答えることは簡単ではありません。しかし、 強(し)いて とのご質問でありますなら、遠慮なくお答え申し上げます。」

「扨(さ)て、あなたのおっしゃることによれば、 吾人済世 (自分自身で、社会の弊害を取り除き、人民の苦難を救うこと)の (かなめ・重要なこと)とは、君の為め、国の為め、或いは人の為めに盡(つく)すことで、これによってこの上ない 極の道 と(なると)お考えになられているようです。その言葉は、本当にそのようでありましょうか?」

氏(八郎)が、
固より (もとより/言うまでもなく)そのようなこと(あなたの言うとおり)なので、私は及ばずながら(十分にはいかないが)日夜苦慮し、 聊か (いささか/わずか)でも貢献しようと片時も忘れないだけでなく、現在(いま)も実行しているのです。」と言った。

私(鉄太郎)は
「世間には往々にしてそのような人が多いようですが、私はそのようには(存ぜぬ)思ってはいません。今、あなたのおっしゃるようなことは、すべてこれは 自負心 であって 自惚れ (うねぼれ)と云う以外にはありません。仮に、その 自負自慢 (じふじまん)の自惚れの気持ちを取り去って、 正味 (表面に現れない、隠された本当のところ)の所を拝聴いたしたい。」と言った。

すると、先生(八郎)は大いに怒り、
「あなたがいう、その自負、自慢、自惚れとは何だ(どういうことだ)!!」と言う。

(つづく)
(敬称略)

********
 ※このつづき、"清河八郎編"はこちらの本でまとめてご覧になれます。
👉 出羽庄内 幕末のジレンマ(1)(清河八郎 編) Kindle版
 ※"清川口戦争/戊辰戦争編"はこちらの本でまとめてご覧になれます。
👉 出羽庄内 幕末のジレンマ(2)(清川口戦争/戊辰戦争編) Kindle版





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2020年05月10日 13時55分05秒
[幕末の歴史 清河八郎と庄内藩] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: