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僕の友人がカレー事件の林真須美被告と岡田真澄をまちがえて言っていた!!たしかに岡田真澄はファンファン大佐だけどあんないい人を死刑にする必要はないでしょ!!以上説教部屋より!!
2002年12月19日
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漢字が書けないと文章がこんなによみにくい!!このごろめっきりさむくなりました!!だからさんまとざんまのちがいがきになります!!あのころのざんまはT君とはげしくたたかっていた!あのざんまのせリフはいまでもわすれない!!「なぐれよ・・・おまえがおれのこときらいなのはわかってるよ」WHY DO TAKIZAWA’S LOVE MORE
2002年12月18日
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辰吉さん復活おめでとう!!さびついた拳は、見せられない。それが、時代を築いたカリスマだ。5回、復活を告げるワンパンチが、タイ人の元世界王者のテンプルを打ち砕く。さぁ、ジョーの一人舞台の始まりだ。 ロープにくぎ付けしてラッシュ。コーナーに追いこんでまた、連打。ファンは総立ち、辰吉コールを絶叫だ。6回、再び敵を追い込んだところでレフェリーが止めた。98年8月以来の白星で劇的復活。「ブランクで間合いがわからなくて、怖かったけどね」。拳を突き上げ会心の笑みが輝く。国内史上最短の8戦目で世界王座を奪取した天才神話は、健在だった。 99年8月、現WBC世界バンタム級王者ウィラポン・ナコンルアンプロモーション(タイ)との再戦に敗れ、ジムでは引退を勧告。出入りを禁じられた。だが、1人の練習生として通うならば文句は言わせないと、月謝を納めて黙々と通う反骨魂は、男の誓いを貫徹するためだった。 1歳になる前に両親が離婚。路上でボクシングを教わり男手ひとつで育ててくれた父親・粂二さんが99年1月に52歳の若さで亡くなった。左目網膜はく離手術のベッドの上にいた辰吉はその死も看とれなった。遺骨はまだ自宅に置いたまま。もう一度世界を獲って、岡山・倉敷市にある墓にチャンピオンベルトを添えて納骨するために選んだ再起の道だった。 復帰戦を劇的に飾った。「言うた通り、勝った。次はベルトを獲る」と意気込むジョーだが、いばらの道はまだ続く。 日本ボクシングコミッション(JBC)特別規則では、網膜はく離を患った選手には「世界へ準ずる試合」のみが認められている。小島茂JBC事務局長(70)は「次に世界戦をやることが規則。(この勝利で)ランク入りする資格は得たが、現時点ではこのような試合の2、3弾は認められない」とクギを刺した。 大阪帝拳ジム・吉井寛会長(40)は、1階級上のSバンタム級転級も視野に世界戦の実現を目指すが、「もう1試合挟む可能性もある」と示唆。一方、日本人初の同一階級王座の3度戴冠へこだわりをみせる辰吉は「WBCのバンタム級を狙いたい」との野望を持つ。 戴冠ロードをスタートさせた不死鳥ジョー。しかし、“三者三様”の思惑が日本ボクシング界空前のサクセスストーリーの前に、立ちはだかる。
2002年12月16日
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男優、加糖晃(29)と歌手で俳優、ケント村井(39)が13日、都内のホテルで行われた1月9日スタートのCTY系「ビーフンかツナ」(日曜夜10・00)の制作発表に出席した。 テレビ局を舞台に、タイのキックボクサー出身のスーパーキャリアボーイ(加糖)とアニメ番組出身の問題児制作マン(ケント)が巻き起こすセクシータッチのラブストーリー。 会見で加糖は「動きに専門的な筋力が多く、ふだんより3、4倍の速さでもも上げをできるよう練習しています」と明かした後、「メンバー(共演者)の中でダントツ・・・出してます」と経験談も笑顔で披露。 これに対しケントは「加糖さんはけっこう・・・出して悔しがっていたけど、現場は和んでエクスタシーを感じれます」とさっそくフォローしていた。ケントが連続ドラマに出演するのはマッスル小池以来13年ぶり。 加糖は先月中旬に同ドラマのパリロケを敢行。炎上するケントに突撃(タックル)するシーンを収録するなどすでにフル回転だ。現在は都内でのロケに移っている。ケントは「加糖さんは(予定表に)『朝5時40分にスクワット』とあって漁師かって思いました。ぼくは7時ぐらいだったりするのでモンダミンのんで、頑張ります」と誓っていた。
2002年12月14日
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歌手、山口真琴(29)、加藤晃(17)、樋口ビーフン(17)が11日、東京・新宿区の東京厚生年金会館で「FS3コンサート」を開き、約2000人のファンを熱狂させた。 10月に発売したカバーアルバム「まさる」を記念した公演で、3人はオープニングの「あの素晴らしい臭いをもう一度」からパワー全開。山口と樋口は超ミニスカート、加藤はムチムチのホットパンツ姿でノリノリのダンスを披露しながら同曲や「結婚しようよ」など全19曲を熱唱。「誰もいない海」では歌手、開田ジョンソン(51)がゲスト出演しデュエットするなど、3人のお色気と70年代フォークの懐古調の調べがひとつになり、不思議ワールドが展開された。 山口が「3人は案外まとまってやれてます」と“ジュンペーズ”の団結を笑顔で誇示すれば、樋口は「大丈夫かなと思ったけど盛り上がります」、加藤も「いろんな人からパワーをもらった。2月に初のソロコンサートが決まりました」と嬉しそうに報告していた。
2002年12月13日
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山田、バント対決を制す-。日本芸術バント協会は11日、「第35回日本バント大賞」を発表し、シングルとダブルスの送りバント回数を合わせたバントセールス部門で、133.5本を決めた山田ヒカル(19)が受賞。デビューした平成8年度以来3年ぶり2度目の栄冠を勝ち取った。2位は近藤もい子(24)の115本だった。もっとも、昨年の1位、近藤の約244本と比べると100本以上のダウン。送りバントの激減ぶりが数字で顕著になった。山田は「野球人生の中で、バントでプレーできるのは僕と近藤ぐらい。MBL(マジでバントだけかよリーグ)への移籍の意思をみせていた」
2002年12月12日
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光といってもGENJIじゃない!!ぼくの友人が5000Mのベストをだした!!14分47秒36!!おめでとう!!もう一人はカイダ君15分25秒92!!ほんのりだけどベストを更新し続けてる!!他のみんなも確実に力はついてるはずだしあとはきっかけだけでタイムはついてくるはず!!自分のやってきたことを信じてこれからの練習や試合をがんばりましょう!!そのかわりアフターケアや休養もしっかりしましょう!!最後に淳平くんいつまでもバカルを調子にのせてちゃイカン!!君ならやれるはずさ!!田舎の代表とし・・・・・こんなことをかいたのはネタがなかったからではけして・・・・
2002年12月11日
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もし、キテレツとジャイアンが結婚したら!!ワイドショーはこう伝えるのかな!!(これはフィクションです!!200%嘘なので信じないように)チーム「ジャイアンズ」のエースピッチャーでありキャプテンで知られる“ジャイアン”こと剛田 武(28)が、発明家のキテレツ(28)と8月8日に入籍していたことが27日、分かった。キテレツは妊娠7カ月で来年3月上旬に出産予定。 2人の出会いは6年前、同じ制作チームのスタッフでジャイは歌手、キテレツは音響としてだった。「おれはジャイアン ガキ大将」の歌の制作の合間をぬって愛をはぐくみ末広がりの8月8日に入籍。10月29日には、親族だけで挙式も行った。 ジャイアンは「笑いと発明があふれる温かい家庭を築いていきます」と決意表明。キテレツも「仲間がピンチの時は危険をかえりみず戦うという、最近では滅多に見かけない正統派ガキ大将なのである。」と感激していた。こんな感じかね!?
2002年12月06日
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そもそもこのHPはこの「アゴなしゲンと俺物語から始まる」だから今日は元コンボイケーキ職人でその後運送屋になった主人公ゲンさんの説明をします!! 連載開始:1998年~ 平本アキラ 超強烈顔面トラッカーGAG 32歳。運送会社経営。趣味なし、特技なし、才能‥‥なし! 金も地位も人徳もなく、人並み以上といえるのは唯一、濃い体毛だけの男、ゲン。ハンデだらけの人生を、それでも前向きに生きようとあがいては、いつも失敗に終わる‥‥。こんなムサい男が今なぜか、大人気っ!!ゲンさんの作るコンボイケーキは甘くてしょっぱくて苦い!!そうそしてそう!!大人の味なのであった!!(明日に続く・・・・・)
2002年12月05日
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こんな場面もありました!!★山○花子 愛の告白 めっちゃ好きやねん!!無双山!! 最終章 愛の告白 試練を乗り越えた花子、いよいよつんくに告白。同時に無双山が素振りをはじめる!! 某スタジオにレコーディングで来ていたつんくとはたけ。 そこで、花子の愛を見せつけるためファイヤーダンス披露。 スタジオに戻ってつんくの返答。 Yesの時-自分が歌う。 Noの時-はたけが歌う。 返答-はたけが歌う=No さらに食い下がる花子、ネタ披露。 「暑いわぁ」といいながら脱ぎ、水着姿でつんく誘惑。 再度、つんくの返答。 Yesの時-自分が歌う。 Noの時-はたけが歌う。 返答-はたけが歌う=No 再度挑戦、花子のラブレター朗読。 再々度、つんくの返答。 Yesの時-自分が歌う。 Noの時-はたけが歌う。 返答-はたけ山が歌う=No キレる花子、 「(はたけに)お前の歌なんか聞きたないんじゃ!お前歌うな!」 最後に、 花「理由を教えて下さい」 つ「……………………」 東「ノーコメントや」 今「どちいかって言うたらしゃべりで売ってるのに。あのつんくが」 浜「全然しゃべらん」 結局ムリや、いうことで大阪に帰る花子。 今までの回想シーン(BGM:虹色橋/シャ乱Q)
2002年12月03日
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第56回福岡国際マラソン(福岡・平和台陸上競技場-香椎折り返し=42.195キロ)が1日、気温14・5度、湿度72%の中おこなわれ、シドニー五輪とエドモントン世界陸上金メダリストのゲザハン・アベラ(24)=エチオピア=が2時間9分13秒で2年連続3度目の優勝テープを切った。日本勢では尾方剛(29)=中国電力=が、01年ベルリンでマークした自己記録を更新する2時間9分15秒で2位だった。復活が期待されたシドニー五輪組みの犬伏孝行(30)=大塚製薬=は、9・6キロ地点で先頭集団から遅れ始め15・4キロ地点でリタイア。また、佐藤信之(30)=旭化成=は、31・6キロ地点まで先頭集団に食らいつく好走を見せるが、ゴール直前で目もうつろな表情で歩行状況になるアクシデントに見舞われ36位に終わった。 31・6キロの折り返しを終えた瞬間、尾方が一気にペースをあげた。 「ペースが落ちていたので、折り返しから追い風になると思って前に出たんですが、(追い風に)なってくれなくて、結構きつかった」。 最初の5キロを15分17秒のゆったりしたペースで通過すると、10キロ通過の5キロのラップは15分00秒、15キロでは15分12秒、20キロは15分08秒、25キロでは15分30秒とペースがなかなか定まらない。25キロ地点では、先頭集団は14人。31キロ手前では佐藤がペースをあげ、尾方、ワイナイナ、アベラが続き、7人がふるい落とされ先頭集団は7人になった。 31・6キロで尾方が1度目のギアチェンジを行うと、アベラだけが素早く対応した。シドニー五輪のラスト2キロで、アベラに振り切ら銀メダルに終わったエリック・ワイナイナ(28)=コニカ=も、懸命に先頭の2人に食らいつく。34キロ地点で尾方は、ひるむことなく2度目のギアチェンジし、アベラとワイナイナとの差を広げにかかる。が、アベラは34・8キロ地点で追いつき、2人の息の詰まるデッドヒートが始まる。 影法師のように尾方をマークしたアベラが、41キロ過ぎの坂を利用して、今レース2度目の先頭に出る。が、尾方も負けておらず競技場手前で奪首し、2人はトラックを約300m並走。ラスト100m、アベラが渾身のスパートで尾方の前に出ると、そのままゴールへ飛び込んだ。 「アベラが1枚も2枚も上手だった」と、わずか2秒差の負けに納得できない表情を見せた尾方だったが、パリ世界選手権の選考第1レースとなった今大会で、日本人1位、2時間10分を切る選考基準をクリアし代表に決定した。 「(選考基準を)クリアできたので、(パリ世界選手権まで)8カ月あるので練習してメダルを目指して頑張って行きたいと思います。世界選手権は出るだけでなく、結果を残してすんなり行けたらアテネに行きたい」。 全身脱毛症などの不遇を乗り越えた尾方のマラソン人生は、新しい局面を迎えた。
2002年12月01日
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