現代徒然草

現代徒然草

PR

×

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

八木哲郎

八木哲郎

Calendar

Category

Comments

万魯建@ Re:小沢一郎の詭計(11/07) 小沢さんの考え方は本当に理解できなかっ…
つねさん@zukai @ 考えさせられました。 60年安保、70年安保は言葉として知っ…
古井戸@ 文学者は書を残す 小田実全仕事、をはじめとする膨大な小説…
inkyo@ 参院戦オオyぶれ 負けてもやめない
はたやん@ はじめまして はじめまして。 官位や席次を検索してい…
2005/05/28
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
さて、いよいよシンガポール攻略作戦です。まず山下奉文司令本部はシンガポール島が眼下に見える高台のジョホールのサルタンの屋敷に取りました。まるで東郷平八郎が旗艦三笠のブリッジに上がったようなものです。ここから上陸した部隊の行動が手に取るようにみえました。

 チャーチルが驚いたことには、シンガポール島はマレー側には何の防備設備も構築していなかった。シンガポールの防衛は海軍基地を防衛するためであって、正面の海からの脅威には要塞砲で絶対の自信があるが、背後からの脅威はまったく考えておらず、要塞砲も180度回転はできなかった。
戦争の危険が迫った後でも、気がついて注意した人が居ても、実行しなかった。まさかジャングルに覆われたマレー半島から敵がやってくるとは思っていなかったのですね。
 したがって急場の散兵壕しか掘っていなかった。もちろんそこから小銃大砲で撃ってきたが、探照灯で海面を照らすと、日本軍に所在を知られるので、つけなかったためめくら射ちになった。日本軍は陸路をひそかに運んできた特別の上陸用舟艇に40人を乗せ、もうひとつは簡単に組み立てられ、船外機をつけた折りたたみ式木製のボートに12人をのせて海面を覆うようにしてやってきた。舟にのれない兵は頭に銃と背嚢をのせて泳いで渡ってきた。堤道は爆破されていたが、不完全な爆破のため、壊れたところは引き潮で約2メートル程度の深さだったので歩いて渡れた。こうして3万に近い兵が上陸し、ブキテマ高地を目指して攻めてきた。パーシバル中将の下にはまだ8万5千の軍隊がいたはずですが、インド兵、豪州兵はまったく戦意を失い、各個撃破されて、シンガポール市内に逃げこみます。
市内は爆撃が絶え間なく、水道は止まる、逃げ出す避難民の雑踏、空を覆うばかりの石油タンクから立ち上る黒煙、敗残の英印兵による略奪暴行など阿鼻叫喚の状態をジェイムス・リーサーの筆は生々しく描写しています。
パーシバル中将は大変有能な実務能力のある参謀あがりの軍人だったようですが、将の器ではなく、混乱を収拾できず、降伏を決意します。
降伏調印はブキテマのフォードの工場で行われました。山下がこの工場を選んだのは、そこは東洋一の最新式工場で、現地人はその威容に圧倒されて、白人には到底敵わないと劣等感にうちのめされた場所だからで、ここで白人に降伏させて恥をかかせるならば、その演出効果は抜群だろうと思ったらしいのです。
降伏の調印式には世界から報道陣が詰め掛けました。勝者と敗者の明暗を分けた表情が日本中の映画館でニュース報道されました。そのときの言葉のやり取りは有名です。

パーシバル「明日の朝までお待ち願えないか」
山下「それは待てない。日本軍部隊は今晩総攻撃をかけることになっています」
パーシバル「東京時間で18時30分までお待ち願いたい」
山下「そういうわけなら総攻撃を開始します。それでもいいですか。イエスかノーか」
パーシバル 無言
山下「私は決定的な返事をうかがいたい。それもあくまで無条件です。ご返事は」
パーシバル「わかりました」
山下「それでよろしい。射ち方止めの命令は午後10時きっかりに出すこと。私はただちに市内の治安維持のために1千人の日本兵を派遣します。同意しますか」
パーシバル「イエス」
パーシバルは市内のイギリス人、オーストラリア人の生命の安全の保証について依頼し、山下は「それは安心してよろしい。私は明確に保証します」と答えています。
このとき、山下がしつこいばかりに即時無条件降伏を迫ったのは、日本軍も武器弾薬が種切れで、英豪軍の増援部隊の到着まで時間を稼がれることを恐れたこと、この降伏も時間稼ぎのゼスチャアではないかと疑っていたことなどがあとで語られています。いわばスレスレだったのですね。



山下中将はこの作戦の成功で一躍世界的英雄になり、日本で人気絶大になりますが、東条に嫉妬されて、満州に左遷されます。ふたたびフィリピンの激戦場に軍司令官として戻され今度は悲劇の将軍になります。そして刑場の露と消えます。一方、パーシバルは満州に捕虜として監禁され、終戦後さびしく帰国します。国王から第3級の勲章をもらって慰められ、イギリスの田舎で静かな老後を迎えます。この二人の役者立てがものすごくストーリー的なのですね。
マレー・シンガポール作戦は、英印豪軍の損失は13万、内捕虜10万、日本軍は戦死3507名、負傷6150名ですが、相当量の兵器、物資を獲得し、厖大なゴム、錫、石油資源を連合国から奪い取りました。

 シンガポールに続いて、ビルマのラングーン(ヤンゴン)も陥落し、コレヒドール要塞も陥血、マッカーサーはオーストラリアに撤退します。
とにかく昭和17年前半は日本は連戦連勝で、日本中が旗行列、提灯行列続きで、国民は興奮で酔っ払ったような気分。おそらく日本国民の赤ん坊から老人までこんなに団結して高揚した日々はなかったでしょうね。
このように書くと、私は戦争賛美者みたいですが、ありのままの歴史にせまろうと思っています。また明日書きます。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2005/05/28 10:38:06 PM


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: