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----9日からの続きです-----3月11日 姉から電話で報告がありました。「お母ちゃんまた部屋が変わった。ヘンな部屋に入れられてんねん。詰所の奥の物置。ベッド二つだけで、隣は男の人。カーテンでちょっと仕切ってるだけで、の持つ置く台も無いねんで。ベッドの足元にべたべたと置いてるだけ。『なんでこんな部屋なんですか?』いうて訊いたら、『重体やからナースの目の届くとこに居て貰ってます』言うてはるねんけど、重体というのがおかしいわ」「お母ちゃんは、どういうてるのん」「なんやこの部屋は。窓が全然ない...いうてる。『おなかすいた』も言うてる。』えらいとこへ来たなあ』も、言うてる」「窓もない!? 」「そうや、物置き。隅っこのカ-テンちょっとめくって見たら、マットレスがいっぱい積んだあるねん」「早よつれて帰らなあかんなあ」「あかん」
2012.03.31
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3月10日。この夜中、右足の脹脛にこむら返りがきて、飛び起きました。「あ、いたたたた」と揉んでいると、左の足も攣りました。ベッドの横へ降りて引き攣っている足に体重をかけて立つとじわーっと良くなります。ベッドに乗って横になるとまたギュー......。10分ほどかかって治まり、少し眠ると右足の小指がこむら返り。揉んでやっとこおさまると、左足のフクラハギに。 結局夜通し左右の足のあちこちにこむら返りが出て、大変でした。タクシー代が高くても、絶対に歩いてはいけないゾと心に決めました。 10日は、母の病院へは行きませんでした。 夜、姉が電話で、「お母ちゃんは11階の三人部屋へ移った」と言いました。「また絶食。お腹空いた言うてるけど、焼いたスルメしがんでるわ。カンゴフさんは、喉に詰めるからあかんて言うけど、ほんなことないやんねえ」「うちは昨日の夕方、どら焼きあげたら半分食べてた。どら焼きとドーナツと、残り置いて帰ったけど」そんなん無かったわ。みんなほかしはったん違う?」「へええ。お母ちゃん食べへんでも、うちら食べるのに……。病院は、点滴、絶食、採血、それしかないもんなあ」「『別の病院探して来て』言うてる。先生は、『ちょっとましになったら紹介状書きます』いうてはるけど、絶食点滴でましになるかなあ」「胃、悪いわけやなし」「預かってくれそうな病院、検索して探しといて」「うん」「明日、行ってくれるのやろ?」「お昼ごろな」「マミの車、駐車場から出すのん3000円も取られてんよ。『おばあちゃんが救急で入院したから』いうても、情状酌量なし」「ふうん」 叔父が入院していた関西医大付属病院は1時間600円、30分ごとに300円加算で、見舞いに行くのは嫌いでした。昨夜、両足のあちこちがこむら返りして大変やったと話すと、姉は言いました。「うちもやわ」
2012.03.27
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薄暗くて寂しい部屋です。 「隣のベッド、いてはる?」嫌いな点滴をセットされた母が訊きました。「隣はベッドがない」「下の方は?」「二人、いてはる」 どういう状態の、幾歳ぐらいの人と同室になったのか、いつも母は知りたがります。 廊下へ出て、ちょっと歩いてみました。いくつかの部屋は、ベッドの一つか二つに人がいるだけで、空きの方が多いようでした。 私と姉とマミは、9時までいました。マミが車で、地下鉄の西中島まで送ってくれるくれると言うので、階下へ降りました。駐車場の前まで行って、マミが「うそー!」と言いました。駐車場の金網シャッターが下りていて、「お預かりは8時半までです」と書いた立札が立ててありました。「看護婦さん、ひとこと言うてくれたら外へ出しとくンやったのに」「明日、電車で車取りに来んならんね」 姉とマミは歩きだしました。二人について少し歩いてから、「中津は反対と違う?」と私は言いました。「梅田へ行くねん」「えーっ。足痛いのに」「もうそこやン」 梅田へ着いても、大阪駅の地下へおりて地下鉄御堂筋線に乗るまで、かなり歩かなければなりません。マミは反対方向へ、私と姉は同じ電車に乗りました。橋本駅に着いたのは10時50分でした。ショータンはもう寝ている時間です。タクシーで帰りました。この時間はもう割増なのか、いつもより240円高い料金でした。 家へ着くと急にお腹が空いて、お茶漬けを2杯も食べました。ショータン外へ食べに行ったらしく、晩ご飯を食べた形跡がありませんでした。
2012.03.25
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マミが来てからも、救急室の外の、ガラスの風除けがあるだけの廊下の端の長椅子で一時間あまり待ちました。控室は暖房が利き過ぎていて、廊下の方が快適でした。正面の大きなドアを、人が出たり入ったりしました。母のことはちっとも心配ではなく、マミが持って来ていた編み物の本を見て、毛糸の話などしていました。廊下をぶらぶら歩きもしました。傘を持って外から入って来た人に、「雨、降ってるんですか」と訊きました。「さあ。前で車から下りて入って来ましたから、わかりません」 救急車で来た身内の人の容体が心配で、雨が降っていたかどうかは気がつかなかったのでしょう。廊下の曲がり角で、ナースが二人、長いことお喋りしていました。 部屋の中から大きな叫び声が聞こえました。マミが耳を澄ましていましたが、声は1度きりでした。 ナースが、「先生が説明します」と呼びに来ました。救急処置室へ入ると、ポケットに聴診器を入れていない若いドクターが立ったままで説明してくれました。「MRIでは、脳の一部にちょっと変わったところが見えます。認知症が、少しあるようです。レントゲンで見ると、左の胸に異常な影があります。水が溜まっていると思います。肺がんの疑いがあります」 まさか!「肺がんは、自覚症状はないのですか?」「あまり、ないです」「いつごろから…ですか?」「わかりません。老齢の方は、進行が遅いですしねえ」 とにかく、判らないのです。多分、違うでしょう。「検査も治療も要りません。本人が苦しくないようにして頂けたら結構です」「そうですか。お歳ですから、検査はやめましょう。水は、抜きます。それから、水の中にばい菌がいるかいないか、調べてみます。ばい菌がいたら、抗生物質の点滴をします」 ばい菌は調べなくてもいいし、抗生物質の点滴も不要とは思いましたが、病院だからなにもしないわけにはいかないのでしょう。「お一人暮らしということなので、当分こちらにお預かりします。いま救急の部屋しかありませんが、普通の部屋のベッドが空いたら移動します」 いつもと同じパターンです。あとは点滴、採血、絶食、でしょう。一番近いベッドに母が寝ていて、ベッドの横上に肺のレントゲン写真が掲げてありました。それで、2、3日もすれば体力がぐんと落ちて、「ダメ」ということになるのです。 とにかく、「よろしくお願します」とドクターに頭を下げて、部屋を出ました。同じ場所で待ちながら、マミが言いました。「さっき、タスケテェいうてたんは、やっぱりおばあちゃんやってんわ。水抜かれるとき、痛かったんや」「いまから水抜くように言うてはったけど...」「もう抜いたんと違う?」 「レントゲン写真、横にあったけど、誰の写真か判れへん」「あとでまた、『帰る、帰る』言うわ」「そやから、救急車に乗せたらあかんねんやン」「宇治元先生が、手配しはってんもん」「あの先生は、面倒くさかったら救急車呼びはる」 暫くして、母のベッドが出て来ました。エレベ-ターで、7階へ行きました。4人部屋でベッドが三つ。先客が二人いました。テレビが乗ってない整理箱が一つあるだけです。母は、「さっき、殺されるかと思た」と言いました。「病院やから、来たばっかりでは殺せへん」「なんか痛かったよ。暗いとこにも長いこと入れられたし」 頭のMRIを撮られたのは初めてなのです。マ「認知症なんかないのになあ」私「補聴器なしで聞こえへんから、とんちんかんな返事したんやろ。ガンも、うそやと思うわ」 6時前に、姉が来ました。修学旅行の帰りで、リュックを背負って大きな荷物を持っています。ビニール袋から、おネギが覗いていました。道の駅で買ってきたのでしょう。「顔色、良うなってるわ」「水、抜きはったからかなあ」「ミズ溜まってたん?」「肺がんの疑いがあります、て」「うそやァ」
2012.03.23
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3月9日の朝10時過ぎ。 姉から電話が掛かって来ました。「昨夜、お母ちゃんが『しんどい』言うから先生に来てもうてんけど、『どこも悪いことありません。入院するほどのことはない』言うて帰りはったから、ヘルパーさんによう頼んで帰ってん。それに今、ヘルパーさんから電話あって、先生にまた来て貰うねんと。午後1時や言うから、あんた行ってくれへん? マミにも電話しとくけど......」 「お姉ちゃんは?」「うちは今、修学旅行で岡山に来てるねん」「なんの修学旅行?」「高齢者大学」 またヘンな学校へ行っていたようです。 母の家まで2時間かかるので、支度もそこそこに家を出ました。 大阪駅からいつもは阪急電車に乗るのですが、タクシーにしました。1時30分、住宅の前でタクシーを降りて玄関へ行くとドアが開いています。ヘルパーさんが出て来て、「いま、救急車に乗らはったとこですわ。まだそこにいるのと違いますか?」と走り出て横の道にいる救急車を、「待ってください」と呼び止めてくれました。 救急車のベッドに、母は白い顔をして寝ていました。「和歌山から来ました」「娘さんですか。いま、孫さんが、自分の車で先に病院へ行かれました」「何処の病院ですか?」「済生会です」 あ。母の嫌いなサイセイカイ。でも救急で入れるのはそこしかありません。昨年の春は西淀川病院で、絶食と拘束衣で半月辛抱して我慢の緒を切り、「病人でないのに病気にするんでっか。検査も治療も要りません」と文句言って、「2度と来ないでくれ」と追い出されたのでした。サイセイカイも4年前に救急車で運ばれ、やっぱり治療拒否でむりやり退院しました。義父が亡くなった病院なので母は、「死に病院や」と嫌っていました。 荒ムシロが敷いてあるだけのハワイの救急車と大違いで、日本のは至れり尽くせりの装備があります。隊員は、忙しく働いている血圧計器を睨んでいます。しかし道路は混んでいてまっすぐ行けないので、所要時間はバスで行くのとそう変わりません。 病院の駐車場に、マミがいました。愛犬ハッチを抱いていて、「ママから10時に電話があってすぐにおばあちゃんとこへ行ったけど、入院するほど悪いと思えへんかった。あたし、2時に約束があるねん。あとでまた来るから」と、すぐに何処かへ行ってしまいました。 救急室で看護師が、「患者さんとの続柄」を訊きました。「私は次女です。住いは和歌山です。母の保護者は長女で、住吉区に住んでいます。81歳です」「長女さんの配偶者は?」「あります」「子供さんは?」「二人。男。女。この女の子が、あとで来ます」「次女さんの配偶者は?」「あります」「子供さんは?」私の母とこの子供はなんの関係もないし、東京とハワイに住んでいるので、「ありません」と言っておきました。 ケアセンターの名称と電話番号と、オーナーの名前を訊かれました。「いつも来てくれはるヘルパーさんの電話番号がありますから、ここへ訊いてください」と携帯の電話帳を見せましたが、「あとで孫さんに訊きます。控室の方でお待ちください」と言いました。 母が診察と処置を受ける間、控室で待ちました。お茶を買って、持っていたカステラを昼ご飯の代わりに食べました。 3時ごろ、またナースが来て、「ケアセンターの名称とオーナーの名前」を訊きました。「この人に訊いてもらったら、みんなわかります」 ヘルパーさんの電話番号を教えました。暫くすると別のナースが来ました。「お孫さんは何時に来られますか」「つい今、メールで『もうすぐ行く』ということでした」 と言っているところへマミが現れました。ナースが言いました。「ケアセンターの名称と、電話番号と、オーナーの名前を教えてください」マ「あ。知りません」私「さっき、ヘルパーさんの電話言ったでしょう。ヘルパーさんに電話したら解りますやン」 ダイジョーブなんだろうか? この病院......
2012.03.22
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