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織田信長が殺される前後
のこと
調べるには歴史書を読むに限るのだけど・・・・
歴史とは勝者にとって都合良く書かれた物
だから、徳川家康のことは良く書かれている
豊臣秀吉も華麗な経歴で書かれてる
それじゃあ、織田信長の歴史はどうなってる?
これを調べるには 「太田牛一の信長公記
」が良いという
あるいは太田牛一の日記
※太田牛一は信長の家来であり、秀吉の家来でもある
武将から文章書きに変わった珍しい経歴
はて、こうなると明智光秀はどうなのだ?
そこで明智光秀関連の本を読んだ
これが本は少ないのだ
おおざっぱに言うと
信長は天才、光秀は秀才で有り能使、秀吉はゴマすり
秀吉は単なるゴマすりではない、処世術を持って人の使い方が凄い
光秀も人の使い方は上手いが、能使だから自分で動く
信長は天才だから軍師もいないで自分だけで判断
これが殺された理由でもあるけど
まあ、良いわ・・・
問題は、何故にあの配置になったのか
豊臣秀吉は四国で毛利方に対して戦いに行ってる
徳川家康は、信長に請われて京都・大阪にわずかな人数で逗留
前田利家は、日本海側で上杉側と闘ってる
そうなると 畿内の警護には明智光秀しかいない
明智光秀は本来は能使で本当の武士じゃない
確かに、上司に対しては絶対服従だけど
でも、それ以外にも土着の武士はどうなのか?
部下を全員出払って、自分は馬揃えやお茶会
あの戦国時代に??
そんなに安全だと思ってたのか??
そして、判らないのが秀吉の行動
なぜ四国攻めでは川をせき止めて兵糧攻めにしたのか?
相手は確かに飢えるだろう
でも、秀吉の家来も四万~五万いる
かれらの食費や滞在費が大変なのに
更に、信長が暗殺されて二~三日でUターンしてる
これだけ早く移動できたのにはは訳がある
織田信長に、助太刀をお願いすると言ってる
そして、 織田信長が来るために道路を全部整理
してる
だから、早く帰ってこられたのだけど
こんな神業はあり得ない
それに、まるで予測するかのように 道路整理と和睦
素早く終結して京都に戻る
あまりにも早すぎる
ここは歴史書でもはっきりしてない
ただ単に秀吉の行動力を賞賛してる
これが歴史上のターニングポイントだったのは誰もが認める
これは推測なんだけど、なんであそこまで早く京都に帰れたのか
おそらく、 秀吉は光秀が反逆すると判っていたのじゃ無いか?
そうなれば、毛利方に対して兵糧攻めも判る
自分の兵力を維持できるし、そんなに長く逗留もしない
そして大義名分もある
全てが推測しかない
秀吉の行動自体が、あまりにも不可解だった
歴史に書かれた以外のこともあるのだろうなあ
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