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2005年04月23日
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カテゴリ: 出来事
「過去を反省、おわび」と首相演説 村山談話を踏襲(asahi.com)

謝罪をいつまで続ければいいのだという声がマスコミからよく聞こえてくる。世論の多くもそうだろうと予想する。今の韓国中国ので反日運動があるからしかそうなっても仕方のないことなのだろう。
涅槃経というお釈迦さまのお説教が綴じられている書物には

二つの白法あり、よく衆生を救く。一つには慙、二つには愧なり。「慙」は自ら罪を作らず、「愧」は他を教えて作さしめず。「慙」は内に自ら羞恥す、「愧」は発露して人に向かう。「慙」は人に羞ず、「愧」は天に羞ず。これを「慙愧(ざんき)」と名づく。「無慙愧」は名づけて「人」とせず、名づけて「畜生」とす。慙愧あるがゆえに、すなわちよく父母・師長を恭敬す。慙愧あるがゆえに、父母・兄弟・姉妹あることを説く。  とある

懺愧という心があるかないかで人か畜生か決まるということである。人として生きていく中で大切なのは懺愧心であるとお釈迦さまはおっしゃっている。
はじる心によって人として生きていけるということなのだろう。
過去を反省し恥じ、その心に基づいて未来を築いていくことこれが人として生きる道であるとお釈迦さまはおっしゃっているのではないだろうか。
我が国は過去を何度も言葉として謝罪している。仕方がなく謝罪しているのであれば意味のないことではないか。この謝罪が国民ひとりひとりの気持ちとなり、そしてみんなでどんな国にしていきたいのか。どんな生き方をしていくべきなのかを考える歩みとなっていくこれが真の謝罪というべきではないだろうか
国だけではなく、私ひとりの生き方を振り返れば、仕方なく謝ることは結構あるが、心から謝罪することがほとんどなかったことに気付かされる。





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最終更新日  2005年04月23日 07時04分01秒
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