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2005年06月17日
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カテゴリ: 真宗
私の所属している真宗大谷派高岡教区では昨年度教区教化テーマなるものがさだめられた。
あなたがかがやく わたしもかがやく
ー朋(とも)なるいのちの僧伽(つどい)を求めてー
こういうやつです。
これを作成するにあたって多くの人々がかかわり、おおくのじかんを必要とした。だからこのことについて私は以為悪いとは言いたくない。ご苦労を知っているから。
だからこそこのテーマをふまえて私なりのテーマを作成した。
それは

あなたが耀いている 私も耀きたい

こんな具合にしたい。

自分の中の思いでいえば自分、人間の耀く気ではなく如来の耀きということだと感じている。如来の耀きは女に依って耀いているが、その如はまぶしすぎてみえないそうだ。まるで太陽のようだ。その光は私の所にまで運ばれている。そして我が身我が世を照らしてくださる。私たちの非如性を非真実性を押しててくださるのだ。その光があなたに発見するのだ。隣にいる人に如来の耀きを発見するのだ。このあいだ広瀬惺(しずか)先生に「如来の光というのは仰ぎ見るというイメージがあるけどそれは違うんではないだろうか、上ではないと思う」っておっしゃっておられた。jここから旗しかではないが、もっと身近であったのではないかっていわれていたような気がする。私が想像するに、宗祖は師法然に如来の光を感じていたのではないだろうか。人間の生き様に如来の光を感じ取っておられたのではないだろうか。
だから「あなたがかがやく」とはあなたなるものに如来の姿、香りを感じたということではなだろうか。それは元々あったものをいままで気付かずにいま発見するのだ。あなたなる存在に如来に向かう姿を発見し、そしてその姿から如来の面影を伺うのだ。発見するのだから元々あったものとして。
だから私はあなたが耀いていた、としたい。そしてあなたのような耀きを私も持ちたいという目標が私の中に何故か湧いてくる。だから私も耀きたいとしたのだ。
耀くということは個性ということにも当てはまるのであろうが、それを超えて人間共通の大いなる願いということになるのではないだろうか。

ちょっと学者っぽく、論説家っぽく語ってしまいました。





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最終更新日  2005年06月17日 06時35分28秒
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