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2005年08月06日
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カテゴリ: 生活
今朝布団の中でふと思いついたことがある。何故そういうことを考えていたのかよくわかっていないが、保育ということについて思ったことがある。
保育ということは一つのことであるが、しかし実際のところ保と育ということは別なことであり相反することなのではって思った。「保」」ということは簡単に安全ということを意味するのだろう。そして「育」というのは育(そだ)てる、育(はぐく)むということであろう。何事もなく、安全に子どもが育ってほしい、成長していってほしいと願うことは親として当然のことなのだろう。なかなかそのことがうまくいかないということも事実な事ではないだろうか。安全にということを重点を置けば成長ということについては、特に心の成長ということについては少しゆっくりになってしまう。反対に成長させたいと思えば安全ということがおろそかになってしまうのではないだろうか。こんな事考えるの、思っているのは僕だけなのだろうか。
ある人から聞いたことなのだけど、人間は人と出会う度に成長するのだそうだ。いろんなタイプの人との出遇いによって人間は成長していくのだそうだ。人間は他の動物と比べればのうが大きいが、しかし生まれてくる時にはのうの中にはあまり書き込みがなされていないそうである。親兄弟との出会い、他なるものとの出会い、そういうことの繰り返しによって、その出会いの時の感覚、感情において悩に書き込みがなされて人間は成長していくのだそうだ。そのことから考えれば子どもを成長させるには旅をさせるしかないのではないだろうか。親が子離れすることが子どもの成長を促すことになるのではないだろうか。しかし旅をさせることによって親の目が届かなくなってしまう。当然そこで安全にということがおろそかになってしまう。
そんなことわかっているのだけれど難しい。自分もそうだけれど子離れできない。自分がいないとこいつはダメになってしまう、なんて思ってしまう。親ばかというか親の業なのだろう。だからついつい手を掛けてしまう。子に手を掛ければ掛けるほど、お膳立てをしてやればしてやるほど子どもはいつまで経っても独り立ちできない、親がいないと何もできないようになってしまう。成長させようと子離れできたふりをして何事にもどんな譏嫌がやってくるかわからない、いのちが奪われることもそのことによって生じてくる。

子どもとの出会いにおいて、関わりにおいて保と育のバランスということが大事なことなのだろう。
こんな事どれだけ頭の中で考えても実際の関わりの中では他いくかという極端な選びしか私の中にはないだろう。中道そんな理想的な有り様というものは全くないのだろう。





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最終更新日  2005年08月06日 05時38分05秒
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