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2005年09月28日
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カテゴリ: 真宗
一昨日ハンセン病の会合があったり、昨日友人と飲んで、進行のこと生活のことを話ししていた。そういうこともあってか今日自転車に乗っているとき
宗教によって人は救われるんだろうか、
っていう疑問がふと湧いてきた。こういう疑問が湧いてくるということは問いに対して否定的ということなのだが…。
以前は救えると思っていた、これは確かだ。でも今は疑問が湧いている。人が宗教によって救われるのならば、宗教は人間にとって手立て、道具としてあることになる。しかし真宗の教えを聞いてこられた先輩方は念仏は手立てではない、と口酸っぱくいわれている。人間より念仏の方が上なのだといわれていた。だから念仏の観点からいうと宗教は自分のための、人間のための手立てとしてあってはいけない。
この世の苦悩は人間が作り出したもの、だからそれは人間で解決しなければいけないと思う。宗教を頼りにしてはいけないと感じる。他に頼ってはいけないのだろう。
そうすると宗教は不必要なものなのかというとそうとも思わない。
念仏(宗教)はにんげんを明らかにしてくれる。人間の苦悩をはっきり見せてくれる。その苦悩の元、根っこにあるものも教えてくれる。
それが宗教の力なのだろう。そこまでが。
その力によって苦悩に立ち向かっていく力が湧いてくる、我身にその立ち向かう力が湧いてきたとき、宗教の力が宗教のはたらきとなるのだろう。


苦悩に立ち向かっていける勇気、差別を無くそうとする道を歩む勇気は宗教からの贈り物なのだろう。

癒しによって人は救われてはいかない。癒しは問題を先送りしたり、見えてきそうなものをあやふやにするだけ。
だから人を癒すことが宗教ではない。





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最終更新日  2005年09月28日 19時26分08秒
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