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今回は2024年から2025年にかけて日本で何が起こるのかについて書きたいと思います【保存版】 いよいよ始まりますまず7月3日に渋沢栄一の新札が発行となります タンス預金の何十%かが銀行を通過するでしょう そして10月からレプリコンワクチンがスタートします自己増殖型と言われる次世代ワクチンです 世界で日本だけ承認されて世界初スタートします mRNAが体内で自己増殖していくのですが増殖を制御する機構が無いことが世界的に指摘されています 事実だけ申し上げます 我が国は2021年に最多死者数を記録し2022年に最多死者数を塗り替えました そして昨年2023年に更に記録更新したのです 要するに三年連続で死者数の日本記録を更新しました2021年は前年よりも67000人多く亡くなり 2022年は更に13万人多く亡くなりました要するに2020年と比較すると一年で20万人多く亡くなっているのです 単純計算で3年間で48万人の日本人の死が増えましたもちろん2021年から始まった事と言えば mRNAワクチンの接種ですが 当然に政府は因果関係は判らないと言います 当たり前です広島原爆と長崎原爆と東京大空襲の死者数を全て合わせても30万人です 50万人亡くなってるなどと公表出来るはずがありませんそして病院で原因不明と診察されたり 不治の病を発症した体調不良者が600万人を超えると言われます この恐ろしい現実を伝えるテレビ局はありません今月6月2日にNHK体操のお兄さんの佐藤弘道さんが 急に体調不良を訴えて半身不随となって動けなくなりました佐藤弘道さんは2022年2月に3回目のファイザーワクチンを接種したことをTwitterで報告されていました 人食いバクテリアは昨年過去最高を記録して今年は昨年を上回り感染した人の30%が亡くなりました 梅毒はコロナワクチンが始まる前の2020年の2.5倍です 日本人の免疫に何かが起きてます先週6日UFO議連設立に参加した小泉進次郎議員と原口一博議員の会話を 記者のマイクが音声を拾って漏れる珍事がありました会が始まる前の雑談をマイクが拾ってしまったのです 小泉「全快ですか?」 原口「二回が死のロットでした」原口「アメリカに細胞を送って、、調べまして、、」 小泉「そうなんすか」 原口「先生は何回お打ちに?」 小泉「ぼく三回です」原口「昨日アメリカ議会の公聴会でバレて、、ファウチさんの、、」 原口「やっぱり安倍(晋三)さんが言ってた通り生物兵器だった」小泉「て言うことを言ってたんですか?」 原口「ええ」 原口「先生は英語がお出来になるからご覧になって、、」 「UFO議連 小泉 原口会話」と検索すれば 一分くらいの動画が見れます FC2にもアップされてます 周りに記者がたくさん居たでしょうに誰も取り上げませんイーロンマスクも「ファウチを訴追せよ」とツイートしていました アンソニーファウチがアメリカ議会で「大量殺人罪で裁かれるべきだ」と糾弾されてYahoo!ニュースになってます アンソニーファウチとはアメリカにおいてコロナワクチンを推奨した中心人物です 「ファウチ 大量殺人罪」で検索してみて下さい ヨーロッパも含めて世界ではコロナワクチンを仕掛けた人物は「大量殺人罪で告訴せよ」との動きがあるのに 日本は体内でmRNAを自己増殖して 汗から他人に伝播するレプリコンワクチン接種スタートです人類が初めて遭遇する未知の人体実験と言われたmRNAを 体内で際限なく自己増殖するレプリコンワクチンが 世界で初めて日本だけ今秋スタートしますそしてアメリカの米国疾病予防管理センター(CDC)が 来年2025年4月1日から日本でオープンします 厚生労働省もあるし保健所もある日本においてレプリコン接種が始まる半年後なぜアメリカの機関が日本でオープンするのでしょうか? もしも恐ろしい感染爆発が日本で起きた場合CDCはCDCの名で世界に発信するでしょう そうなると他国から入国を拒否されて 日本人は日本から出れなくなります 逆鎖国状態ですご存知の方も多いと思いますがスーパーの野菜はF1種という種です 人間で言うと無精子状態の種で来年また種を買わなくてはいけませんこのF1種はバイオメジャーと呼ばれる企業に牛耳られており バイエル ダウデュポン シンジェンタの3社で 80%近いF1種を支配すると言われていますなので種を止められたら私達は野菜は食べる事が出来ません 日本政府は種子法という法律で昭和27年から 米と大豆と小麦の種を守ってきましたが2018年4月11日に種子法を廃止しました 米と大豆と小麦も守ることを止めたのです そして種苗法(しゅびょうほう)も改正となり2022年4月1日から「自家採取禁止」「自家増殖禁止」となりました 自分の畑で採れた種を選別して蒔いたり果物の木を接ぎ木したり挿し木して増殖すると罪として罰せられます 個人の農家だと最大で懲役10年の刑罰となります要するに誰かから種を買わなくてはいけないし 逆に言えば種を売って貰えないと翌年から食べる物が無くて困る状況です米農家の作付世帯数は10年間で60000世帯が37000世帯に減りました 米卸業者の買取り価格は60kgあたり14000円ですが10ヘクタール未満の米農家が60kg生産するのに12000円必要です 制度も仕組みもおかしくて実は95%の米農家が赤字です私達にとって一番大切な食糧を政府は守らない政策ばかり行ってきました 国内で感染爆発が起きて入国拒否されて国外へ出れなくなり意図的に種を止められたら私達の住む日本列島は兵糧攻めされたと同じです お分かりですか? 新札を発行して現金(タンス預金)を洗ってから何かイベントをするイベントの中身は感染症なのか地震なのかミサイル攻撃なのかは分かりません ただ100%感染症は絡めてくるでしょう「取り付け騒ぎを阻止する」名目でATMで現金を下ろせなくする そして日本銀行のデジタル通貨CBDCに強制誘導する まずは金を完全管理します次に人々の行動に制限をかけます 国会では「地方自治法」の改正案が提出され 日本弁護士連合会(日弁連)が反対しています災害基本法やコロナ特措法など個別事案に対する法律が既にあるのに 「国民の安全に重大な影響を及ぼす事態が発生し又は発生する恐れがある場合」「国は県や市町村に対して指示権を行使する」とあります 何かを特定しないボヤっとした言い回しで 国が県や市町村に指示命令出来るのですピンとこない人の為に別の言い方をすると 例えば感染の蔓延を防ぐ為に越県禁止など 人々の行動制限を国がかけれるようになるのです 県外へ出れない 自宅待機食糧配給制 食糧配給の列に並ぶ為にはワクチンを打て等 言うことをきかせる為に緊急事態条項を憲法に書き込みたかった政府ですが今の支持率では憲法改正は出来ないので 地方自治法を改正して行動制限をかけれるようにしたいのです仮に100万人の情報弱者がレプリコンワクチンを打ったとして 目先の金で動く頭の悪いインフルエンサーが「レプリコンワクチンは素晴らしい」と推奨したとして 高知大学の研究で明らかなように 自己増殖するmRNAが汗や唾から人に伝播すれば死のワクチンを打ってない人まで ゾンビ映画のように感染していくことになります 満員電車で感染しサウナで感染し循環式銭湯で感染するでしょう日本は原子爆弾の実験場とされ今度は新型バイオ兵器の実験ですか? 特別会計から毎年30兆円をアメリカに上納することで日本はアメリカの保護の下バランスと平和を保ってきました しかし残留農薬の基準を最大で40000%上げられたり国民の安心と安全を売り渡す事だけは言語道断です 情けない日本政府は自己増殖型mRNA(死のワクチン)を 世界で初めて10月からスタートするのです日本のテレビ局が一斉に一つのことを仕掛けたなら疑った方が良いのですが 例えばサウナです 人は42℃でタンパク質が変性し45℃で凝固し細胞死に至るのになぜか急に全てのテレビ局がサウナが健康に良いと取り上げ始めました サウナは血管内脱水により血栓の原因となりますが言わずと知れたコロナはスパイクタンパクにより血栓が出来る病気です mRNAワクチンは打てば体内でスパイクタンパクを産生しますそして高知大学の研究によりmRNAワクチンを接種した人は スパイクタンパクが汗を出す汗腺に詰まっていることが分かりました毒であるスパイクタンパクを汗で体外に出そうとするのです 日本のテレビ局はある時期から一斉にサウナを仕掛けましたそして「整う」などの言い回しと共に流行させて現在があります 日本のテレビ局が何か一つのことを一斉に仕掛ける時は必ず意図がありますレプリコンワクチンを仕掛けられた10月以降に サウナに行って「整う」など自殺行為ですスパイクタンパクが汗腺から体外に放出されることは事実として分かっています 10月以降は放出されるのはスパイクタンパクではありません自己増殖するmRNAが汗腺から体外に放出されるのです 打ってない人間まで何度も何度もコロナワクチンを打ったのと同じになります世界一承認が遅い日本の厚労省が世界最速でレプリコンワクチンを承認しました そして世界中で日本だけ今秋からスタートするのです100万人の情報弱者がレプリコンワクチンを打ったとして どれくらいの速度で何人に伝播するのか高みの見物でしょうか? まるで実験農場ですなぜ影響力のある人間が声を上げないのでしょう このレプリコンワクチンだけは絶対に接種してはいけません 国が終わってしまいます陸上競技100mの覇者ウサインボルトが 中国メディアから「日本は中国のように発展すると思うか?」と尋ねられてすかさず「日本は既に中国よりも発展している」と答えて メッシやネイマールからコメントが寄せられた一件がありましたまた2019年に「トップガンマーヴェリック」が公開された時 トムクルーズの着るジャケットに印刷された台湾の旗が中国の予告編では削除されていたことにトムクルーズは抗議しました トムクルーズは日本で行われた「ラストサムライ」の撮影を引き合いに出して「日本の武士道精神や礼儀正しさ」 「他国への尊重に感銘を受けた」 「日本の文化や人々への尊敬の念が私の心を動かした」と日本を引き合いに出して公式にコメントしてくれました 日本のインフルエンサーは自国が無くなるかも知れない事態に 何か発言をするのでしょうか?「おかしい」ことを「おかしい」と伝えてくれるのでしょうか? 誇りを胸に「日本を守りたい」と発信してくれるのでしょうか?それとも自分だけ国外脱出でしょうか? 国が無くなったら元も子もないのに いつまで視聴率や再生数や映える映えないを気にするのでしょう?コロナワクチンが始まった2021年から我が国の死者数が 三年連続で日本記録を更新したのは事実です今年10月からのシェディングは「喉が痛い」どころでは済みません 実験農場とされる日本 循環式大浴場もサウナも満員電車も危険です不織布マスクでは防げません 私ごときの一般人がメイウェザーに花束を落としたりして 無理やり知名度を得て懸命になることでしょうか?私は選挙に一回出馬しただけのただの一般人です 専門家や学者が声を上げてるだけでは多くの人に届きません世界一素晴らしいとされる日本が無くなるかもしれないのに インフルエンサーが皆で力を合わせて声をあげなければいけないのはやられる前の今ではないのですか? やられた後では遅いです 「そんなはずはない」と信じたくない気持ちは分かりますが数字だけ見ると三年間で50万人が死にました これは異常事態です レプリコンワクチンを仕掛けられたら歯止めが効かない可能性がありますあなたの勇気はいつ使う為の勇気なのですか? 初めて言いますが今回だけは拡散して頂きたいです 奥野卓志
2024.07.29
https://youtu.be/Lnpti2TdBg8?si=Jvi5lRMexgdOPl-n
2024.04.03
以下は友人の京都宇治市大熊良樹さんから今日きたメールです。いい内容でした。以下転載です。よいお話の紹介です。「鳶職の父」公用でM高校へ出かけたある日のことだった。校長先生が、私達を呼び止められて、「時間がありましたら、お見せしたいものがありますので、校長室までお越しください」と言われ、校長室に案内された。「実はある生徒の作文ですが・・」とA少年の経歴を話しながら、作文を朗読された。「僕の父親の職業は鳶職である・・・」という書き出しから始まり、内容はおよそ次の様なことが書かれている。父親の休日は定まっていなかった。雨の日以外は日曜日も祭日もなく、お定まりの作業服に汚れた古いオンボロ車を運転して仕事に出かける。仕事が終わると頭から足の先まで、泥や埃で真っ黒くなって帰り、庭先で衣服を脱ぎ捨てて、褌ひとつになって風呂に飛び込むのが日課である。僕の友達がいても平気で、そんな父の姿が恥ずかしく、嫌いだった。小学校の頃、近所の友達は日曜日になると決まって両親に連れられて買い物や、食事に出かけて行き、僕は羨ましく思いながら見送ったものだ。(みんな立派な父さんがいていいなぁ)と涙が流れたこともあった。たまの休みは、朝から焼酎を飲みながらテレビの前に座っていた。母は『掃除の邪魔だからどいてよ』と掃除機で追っ払う。『そんな邪魔にすんなよ』父は逆らうでもなく焼酎瓶片手にウロウロしている。『濡れ落ち葉という言葉は、あんたにピッタリね・・この粗大ゴミ!』『なるほど俺にそっくりかハハハ・・うまいことをいうなハハハ・・』と、父は受け流して怒ろうともせずゲラゲラ笑っている。小学校の頃から、小遣いをくれるのも母だったし、買い物も母が連れて行ってくれた。運動会も発表会も父が来たことなど一度もない。こんな父親などいてもいなくってもかまわないと思ったりした。ある日、名古屋へ遊びに出かけた。ふと気づくと高層ビルの建築現場に『○○建設会社』と父親の会社の文字が目に入った。僕は足を止めてしばらく眺めるともなく見ていて驚いた。8階の最高層に近いあたりに、命綱を体に縛り、懸命に働いている父親の姿を発見したのです。僕は金縛りにあったようにその場に立ちすくんでしまった。(あの飲み助の親父が、あんな危険なところで仕事をしている。一つ違えば下は地獄だ。女房や子供に粗大ゴミとか、濡れ落ち葉と馬鹿にされながらも、怒りもせず、ヘラヘラ笑って返すあの父が・・・)僕は体が震えてきた。8階で働いている米粒ほどにしか見えない父親の姿が、仁王さんのような巨像に見えてきた」校長は少し涙声で読み続けた。「僕はなんという不潔な心で自分の父を見ていたのか。母は父の仕事振りを見たことがあるのだろうか。一度でも見ていれば、濡れ落ち葉なんて言えるはずがない。僕は不覚にも涙がポロポロ頬を伝わった。体を張って、命をかけて僕らを育ててくれる。何一つ文句らしいことも言わず、焼酎だけをたのしみに黙々働く父の偉大さ。どこの誰よりも男らしい父の子供であったことを誇りに思う」そして彼は最後にこう書き結んでいる。「一生懸命勉強して、一流の学校に入学し、一流の企業に就職して、日曜祭日には女房子供を連れて、一流レストランで食事をするのが夢だったが、今日限りこんな夢は捨てる。これからは、親父のように、汗と泥にまみれて、自分の腕で、自分の体でぶつかって行ける、そして黙して語らぬ父親の生き様こそ本当の男の生き方であり、僕も親父の跡を継ぐんだ」と。読み終わった校長は、「この学校にこんな素晴らしい生徒がいたことをとても嬉しく思います。こういう考え方を自分で判断することが教育の根本だと思います。そして子の親としてつくづく考えさせられました」としみじみ言った。差し出されたお茶はとっくに冷えていたが、とっても温かくおいしかった。
2022.10.14
<W寄稿>日本の江戸が樹立した世界記録のいくつか=韓国には余りにも知られていない歴史資料308<https://approach.yahoo.co.jp/r/OMLQSP?src=https%3A%2F%2Fheadlines.yahoo.co.jp%2Fcm%2Fmain%3Fd%3D2xxx-xxx-xxxxx329-wow-kr%26topic_id%3D2xxx-xxx-xxxxx329-wow> - [image: この記事についてツイート] <https://twitter.com/intent/tweet?text=%EF%BC%9CW%E5%AF%84%E7%A8%BF%EF%BC%9E%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%B1%9F%E6%88%B8%E3%81%8C%E6%A8%B9%E7%AB%8B%E3%81%97%E3%81%9F%E4%B8%96%E7%95%8C%E8%A8%98%E9%8C%B2%E3%81%AE%E3%81%84%E3%81%8F%E3%81%A4%E3%81%8B%EF%BC%9D%E9%9F%93%E5%9B%BD%E3%81%AB%E3%81%AF%E4%BD%99%E3%82%8A%E3%81%AB%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%84%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E8%B3%87%E6%96%99(WoW!Korea)%0A%23Yahoo%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9%0Ahttps%3A%2F%2Fnews.yahoo.co.jp%2Farticles%2Faedbde32cb4d297812a8e9f356xxx-xxx-xxxxxce9c> - [image: この記事についてFacebookでシェア] <https://www.facebook.com/sharer?u=https://news.yahoo.co.jp/articles/aedbde32cb4d297812a8e9f356xxx-xxx-xxxxxce9c> - [image: この記事についてLINEで送る] 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<W寄稿>日本の江戸が樹立した世界記録のいくつか=韓国には余りにも知られていない歴史資料]<https://news.yahoo.co.jp/articles/aedbde32cb4d297812a8e9f356xxx-xxx-xxxxxce9c/images/000>朝鮮時代の水車(画像提供:wowkorea)https://news.yahoo.co.jp/articles/aedbde32cb4d297812a8e9f356xxx-xxx-xxxxxce9c※大勢の韓国人は、日本の開化が偶然にも朝鮮より数十年ほど早かっただけで、その後の日韓歴史の運命が決まったと思い込んでいる。しかし、江戸時代の日本は既に「世界一」の記録をいくつかも樹立していた。また、その前の1400年代にも農業技術や商業発達や衛生文化は朝鮮の使臣を驚かせていた。【関連写真】この記事の写真をもっと見る<https://www.wowkorea.jp/news/newsread_image.asp?y=1&imd=316329>260年間以上、大きな戦争も無く、天下泰平を享受したのは世界史上、江戸時代(1603〜1867)の日本が唯一だ。江戸は現在の東京だ。 ●世界一の識字率日本の識字率は数百年にわたり世界一だ。江戸時代(1603~1867)を見ると、武士はほぼ100%、字の読み書きが可能だった。庶民層の場合でも、男性の49~54%は読み書きが可能だった。江戸時代、英国の下層の庶民層の場合、ロンドン地域でも読み書きが出来る子どもは10%にもならなかった。江戸時代の日本は庶民の就学率が識字率とともに世界最高だった。1850年頃の江戸の就学率は70〜86%で、下町に住む子供でも、勉強しない子供は男女ともに珍しかった。日本橋、赤坂、本郷などの地域では、勉強する人数が男子より女子の方がより多かったという記録がある。当時の「寺子屋(江戸庶民の子どもが通う私設の教育機関)」は義務教育ではなかった。「寺子屋」制度は庶民たち自らの熱意によって自発的に発生したもので、世界的にも珍しいケースだ。当時の日本は「重要なことは国家(官庁)が解決してくれなければならない」という発想のようなものをせず、自分自身にとって重要なことであれば、自分たちが自治的に運営するのが当然だという思考をしていた。これに対して、1837年頃の英国の大工業都市の就学率はわずか20~25%だった。19世紀中頃の英国の最全盛期のビクトリア時代でさえ、ロンドン下層階級の識字率は10%程度にとどまっていたと知られている。フランスは1794年に初等教育の授業料が無料となったが、10〜16歳の就学率はわずか1.4%に過ぎなかった。多くの外国人が日本の識字率が高いことに驚き、これに関する記録を残した。米国から黒船を率いて1853年に日本を訪れた「ペリー」提督は、自身の日記(日本遠征記)に「日本は文章の読み書きが普遍化し、見聞を得ることに熱心だ」と書いた。ペリーは当時の日本の田舎にまで本屋(書店)が存在していたことと、日本人らが読書を好むことに驚いた。1860年に通商条約を結ぶために日本を訪問したプロイセン海軍の「ラインホルト・ヴェルナー」(エルベ号艦長)は航海記にこのように記した。子供の修学年齢は7歳または8歳に見えるが、子供たちは早くから学習している。民衆の学校教育は中国よりも広く普及していた。中国では民衆の内の大抵男子のみが就学するのとは異なり、日本の場合は中国同様、私立学校しか無いのにも拘わらず、女子も勉強している。日本では雑用をする低い階層の女子同士もお互いに文を書いて手紙をやり取りし、下層の肉体労働者でも読み書きが可能で、私たちを驚かせた。日本の民衆教育に関して、私たちが観察した所によると、文章を全く読み書きできない文盲は1%に過ぎない。この世のどの国がこんなこと(文盲率1%)を主張できるだろうか?1861年に函館のロシア領事館所属の主任司祭として日本に赴任したロシア正教会の宣教師「ニコライ<https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&rkf=1&slfr=1&p=%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%82%A4&fr=link_kw_nws_direct>」は8年間、日本に滞在した。彼は帰国後、ロシアの雑誌「ロシア報告」に日本についてこう書いた。全階層に渡り、地域を問わず、ほぼ同一レベルの教育が実施されている。日本は「孔子<https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&rkf=1&slfr=1&p=%E5%AD%94%E5%AD%90&fr=link_kw_nws_direct>(儒教・儒学)」が学習知識の相当部分を占めているのだが、学問を修めた日本人は一言一句まで暗記しており、身分が最も低い庶民でさえ、その内容をかなり知っている。どの下町や山間部へ行ったとしても、頼朝、義経、楠木正成<https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&rkf=1&slfr=1&p=%E6%A5%A0%E6%9C%A8%E6%AD%A3%E6%88%90&fr=link_kw_nws_direct>などの歴史的人物を知らないケースはなかった。読み書きができ、読書が出来る人の数で見積もると、日本は西ヨーロッパ諸国のどこにもひけを取らない。日本人は文字を習うのに本当に熱心だ。トロイ遺跡の発掘で有名なドイツの考古学者「シュリーマン<https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&rkf=1&slfr=1&p=%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3&fr=link_kw_nws_direct>」は1865年に日本を訪問した時に受けた印象を自分の著書にこう書いた。教育はヨーロッパの文明国家の水準以上で実施されている。中国を含む他のアジアの国々の場合、女子が無知のど真ん中に放置されているのに反して、日本では女子と男子がみな「仮名(日本文字)」と漢字で読み書きできる。●世界一の都市人口 -フランス パリ(1802年頃)人口:62万人 -英国 ロンドン(1801年頃)人口:86万人 -日本江戸(1725年頃)人口:112万人 →当時の江戸は世界一の都市 ●世界一の就学率 -英国の就学率(1837年頃):20〜25%-フランスの就学率(1793年頃):2% -日本の江戸時代の就学率(1850年頃):85% ●世界一の衛生(清潔)-1800年代、英国のテムズ川などの欧州の河川は、様々な排泄物などでひどく汚染されて不潔だったため、伝染病などの原因となった。-これに対して、当時の日本の江戸の河川はきれいだった。理由は排泄物が「窒素」と「燐(リン)」を含んでいる優れた有機肥料だという点で、当時の日本では排泄物が高い価格で取引されたためである。排泄物の価格が急騰し、後に幕府が介入して排泄物の価格を引き下げるよう強制する法令まで制定し公布した。→江戸時代の当時の日本を訪れたドイツの考古学者「ハインリヒ・シュリーマン<https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&rkf=1&slfr=1&p=%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3&fr=link_kw_nws_direct>」は「日本人が世界で最も清潔な国民だということに疑いの余地はない」と言及した。●世界一の水道-井戸は通常、地下水を汲み上げる。しかし江戸では少し違った。江戸は埋立地として形成された所であるために、地下水を飲料水として使用するのが困難であった。こうした背景の為に整備されたのが河川から水を引いてくる「上水施設」であった。所々に木製の水道管(木桶、木通)が設置されており、このような水道管を通じて引き込んだ水は貯蔵所などに貯蔵されて使用された。-当時の江戸市内の水道管の総延長は150キロメートルに達した。ただし、江戸時代の水道は無料ではなかった。身分に従って、水道料金が策定された。武家の場合は石高(米の収穫高)に従って、水道料金が差別的に策定された。その他の商人など普通の身分の場合は、各自が居住する住宅の大きさに従って、水道料金が策定された(当時の居住地の住宅の大きさ一間当たりの水道料金は11文)。-現在の基準で見ると、中間サイズの集合住宅の場合、現在の金額の価値で大体約400円程度の料金が策定された。ところがこの料金は月間単位ではなく、年間単位だった。一年に一度だけ納付すれば終わりだった。江戸の普通の日本人は一年に400円程度だけ支払って、便利な上水道を思う存分に使用できた。-当時の英国ロンドンの水道は週に3日、1日に7時間だけ給水され、日本の江戸では1日24時間、年中給水されていた。●15世紀に日本に派遣されて帰国した朝鮮人の報告書1428年12月に使臣として日本に派遣され、1429年12月に帰国した「朴瑞生(正三品大司成の職位)」という人物が世宗大王(※ハングル文字を作らせた韓国1万ウォン紙幣の人物)に上げた「日本に関する報告書」の内の一部内容。1.水車を使用する事例が朝鮮には無く、一行に原理を把握させようとした所、日本の水車は水の落ちる力を活用して、水車が自然に回転させることで水を汲み上げ、田畑へ水を供給しているといいます。我が国の河川は流れが弱いですが、日本がするように水車を作り、足で踏んで水を汲み上げれば釣瓶を使用するより、人力を大幅に減らせるでしょう。日本の水車の姿を描いてきたので、そのまま作って使えば良いだろうと思います。2.私たちが綿布や穀物などを主に物々交換するのとは異なり、日本は硬貨を一般的に使うため、遠くへ旅行に行く人でも食料を持参せずに銅銭だけを腰にぶら下げて旅に出ます。また、道沿いには旅行者らが食事をして寝泊まりできる施設(旅館)が設けられており、旅行者を客として迎え入れます。旅館の主人は旅人から受け取った硬貨に相当する価値に従って、客に便宜を提供します。川辺に住む住民は船を互いに連結して橋を作り、橋を渡る人々からお金を貰い、生活費として使い、橋を補修する費用としても使っています。日本は土地税から通行料にいたるまで、全て硬貨を使用するのが習慣化され、定着し、重い荷物を持参して、遠くに旅に出る手間のようなものをかける必要ありません。3.家々ごとに浴室があり、町ごとに大衆浴場(銭湯)もあり、住民らは大衆浴場を利用しようとする際にお金を払って便利に利用しています。我が国も済生院、恵民局など、医療機関や多くの人が通っている廣通橋と地方の診療所に浴室を設置し、人々の体も清潔にして、お金を使用する方法も学習できるようにしたら良いでしょう。4.日本の商店街は商人たちそれぞれが自分の商店に看板をかけておき、陳列台を作ってその上に商品を陳列し、客は商品を確認して便利に選んで買うことが出来ました。陳列された商品は、客の身分の貴賎に関わらず、誰でも自由に買えました。我ら朝鮮の市場は、乾いた物と濡れた物を区別して陳列しもせず、魚や肉類、野菜などは全て地面にそのまま置いて売っており、通行人が商品の上に腰掛けたり踏んで通り過ぎたりすることもあります。今後は鍾路から廣橋までにある商店に陳列台を設置して商品名をつけさせることによって、どの陳列台にどの商品があるかが簡単に見分けられるように表示させ、客が便利に商品を目で見て選んで買えるようにすべきです。(世宗 46巻、11年 (1429年/宣徳4年)12月3日 乙亥)※この記事は韓国の保守論客ファンドビルダーさんの寄稿文を日本語に翻訳したものです。韓国メディアには既に韓国語版が公開されています。翻訳の正確さに対する責任は当社にあります。
2021.09.26
致知出版社の人間力メルマガ 2021.8.19より月刊『致知』の読者の皆様から私たちは多くの感動のお手紙をいただきます。そこには『致知』を人生や仕事にどのように役立ててくださっているかなど様々な思いが綴られています。福島県で町議会議長をされている渡辺真一郎さんもお手紙を寄せてくださったお一人です。76年前の昭和20年8月18日に戦死された叔父様の人生に思いを馳せつつ綴られた文章を本日はご紹介します。───────────────────毎年終戦の日が近づくと、戦死した叔父のことが頭に浮かびます。昭和20年8月18日、叔父は千島列島北端占守島で戦死しました。子供の頃より、なぜポツダム宣言を受諾した後に戦って亡くならなければならなかったのか、戦いをしなければ生きて帰れたのに、と深い疑問を持ち続けました。しかし、『致知』2020年5月号「樋口季一郎の生き方が教えるもの」を読ませていただき、ようやく理解できました。ソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄して千島列島へ侵入してきたことに対し、北部軍司令官の樋口中将は断固反撃し、ソ連軍を撃滅せよと命じます。スターリンの狙いは北海道の占領にあったといわれます。占守島守備隊は激戦の後ソ連軍を撃退し、その間に米軍が北海道に進駐しソ連は北海道の占領を諦めました。戦いの前、占守島戦車隊率いる池田大佐は部下に語りかけたそうです。赤穂浪士となって、恥は忍んでも将来仇を報ずるのか。白虎隊となり玉砕をもって民族の防波堤になるのかと。この問いかけに全員が白虎隊を選んだそうです。叔父は会津人で白虎隊の末裔、真っ先に問いかけに応じたと思います。池田大佐は上半身裸、左手に軍刀、右手に日の丸を持って先頭に立ち、ソ連軍に突入し砲弾で砕けて亡くなったそうです。毎年8月18日には靖国神社で戦車隊の永代神楽祭が奉奏されており、出席させていただいた際は、亡き池田大佐のご子息にお目にかかることができ、感激しました。私の叔父は軍人ではありませんでしたが、日本を救うため懸命に戦って亡くなったのです。このような尊い犠牲によりソ連に北海道を占領させなかったおかげで、ドイツや朝鮮半島のような分断国家にならずにすんだことを『致知』を通じて学ぶことができました。戦後、平和な日々が訪れましたが、礎となった人々の存在を忘れないでいただきたい。『致知』で知った8月18日の戦いの功績を、これからは誇りをもって後世に伝えていくつもりです。
2021.08.18
http://www.n-shingo.com/jiji/?page=1195より天皇さまが泣いてござった平成28年5月1日(日)昨日の時事通信で、「昭和天皇実録」のなかで、天皇が「落涙」されたと記されている箇所は、天皇の十一歳の頃、崩御された明治天皇の御後を追って大正元年九月十三日に乃木希典大将が割腹して殉死したことを翌日十四日に知らされた時だけであると記した。しかし、「昭和天皇実録」ではないが、天皇が落涙された記録がある。それは、しらべ かんが著、「天皇さまが泣いてござった」(教育社)である。昭和天皇は、昭和二十一年から敗戦で疲弊した各地の国民を励ますために、全国巡幸を開始された。昭和二十二年三月、天皇が九州に巡幸され、佐賀県での第一番の行幸予定地が「因通寺洗心寮」と発表された。「因通寺洗心寮」とは、戦争被災児救護教養所で、その時、満州からの引き上げ孤児四十余名が収容されていた。五月二十四日朝八時五十分、天皇の御料車が因通寺のある基山町に入られ予定地に停車した。早朝から待機していた基山町のほとんど全人口と思われる人々から、自然に「天皇陛下万歳」の声が湧き上がった。天皇は因通寺の山門から参道の坂を登られ、さらに二十三段の石段を登られて境内に入られた。そして、待機していた県知事の挨拶を受けられ、激戦地から生還してきた若い住職の説明を受けられた。その時、天皇は、住職に歩み寄られ「親を失った子ども達は大変可哀想である。人の心の優しさが子ども達を救うことができると思う。預かっている沢山の子ども達が、立派な人になるように心から希望します。」と申された。緊張して身動きもせず聞いていた住職が、「これら天皇陛下の子供らを・・・」と申し上げると、天皇は、「仏の子ども達」と申された。住職は、竦むように立ち続けていた。それから天皇陛下は、引き上げ孤児のいる洗心第一寮と洗心第二寮に歩を進められた。各寮では、子ども達がそれぞれの部屋で陛下をお迎えすべくお待ち申し上げていた。陛下は、各部屋の前に立たれて子ども達に御会釈をなされ、そして、わが子に対するように、一人一人の子どもにお言葉をかけられた。「どこから」「満州から帰りました」、「北朝鮮から帰りました」「あ、そう」「おいくつ」「七つです」、「五つです」「立派にね。元気でね」陛下が次の部屋にお移りになられるとき、子ども達の口から「さようなら。さようなら」と自然に言葉が出た。すると陛下は、「さようならね。さようならね」と親しみを一杯に湛えたお顔で、挨拶をなさった。ところが、このように部屋の前で、陛下の方から子どもに話しかけられていたのに、ある部屋の前で、陛下は、直立不動といってよい姿勢で立ち止まられ一点を見つめて身動(みじろ)ぎもなさらなかった。陛下の後に続いて廊下にいた侍従長、宮内庁長官、県知事そして警察本部長達は、何事があったのかと足を止めて陛下を見つめた。その時陛下は、部屋の中の三人の女の子の真ん中の子が胸に抱きしめていた二つの位牌をじっと見つめられていたのだったそして、女の子に、静かな声でお尋ねになった。「お父さん。お母さん」「はい、これは父と母の位牌です」「どこで」「はい。父はソ満国境で名誉の戦死をしました。母は引き上げの途中病のため亡くなりました」「お一人で」「いいえ、奉天からコロ島までは日本のおじさん、おばさんと一緒でした。船に乗ったら船のおじさん達が親切にしてくださいました」「お淋しい」「いいえ、淋しいことはありません。私は仏の子です。仏の子は亡くなったお父さんとも、亡くなったお母さんともお浄土にまいったら、きっともういちど会うことができるのです。お父さんに会いたいと思うとき、お母さんに会いたいとおもうとき、私はみ仏さまの前に座ります。そして、そっとお父さんの名を呼びます。そっとお母さんの名を呼びます。すると、お父さんもお母さんも、私のそばにやってきて私をそっと抱いてくれるのです。私は淋しいことはありません。私は仏の子どもです」その時、陛下のお顔が変わったように随行の者は思えた。すると、陛下は、部屋の中に入られた。そして、右手に持たれていた帽子を左の手に持ちかえられ、右手をすっと伸ばされて位牌を抱えている女の子の頭をお撫でになった。何回も、何回も。そして、おっしゃった。「仏の子どもはお幸せね。これからも立派に育っておくれよ」そのとき、天皇陛下のお目からはハタハタと数滴の涙がお眼鏡を通して畳のうえに落ちていった。因通寺の参道から県道までの道には沢山の人々が道の両側に座って陛下をお見送りしていた。陛下は、「戦死者遺族の席」と啓示してある前で足を止められ、遺族に対して、「戦争のために大変悲しいできごとが起こり、そのためにみんな悲しんでいるが、自分も皆さんを同じように悲しい」そして、一番前に座っている老婆に声をかけられた。「どなたが戦死されたのか」「息子でございます。たった一人の息子でございます」「うん、うん」「どこで戦死をされたのか」「ビルマでございます。烈しい戦いだったそうですが、息子は最後に天皇陛下万歳と言って戦死をしたそうです。でも息子の遺骨はまだ帰って来ません。天皇陛下様、息子は今頃どこにおるのでしょうか。天皇陛下様、息子の命はあなた様に差し上げております。息子の命のためにも、天皇陛下様、長生きしてください。ワーン・・・・」この老婆の言葉をお聞きになっている天皇陛下の両方の眼鏡から涙が頬につたわっていた。
2021.07.15
https://youtu.be/5jribFOthfI
2021.04.29
本日は、4月29日。昭和の日であります。昭和天皇のお誕生日です。昭和時代の『天皇誕生日』です。本日は珍しく全国的に雨天ですね。「天皇晴れ」という言葉もありますが、大変に珍しきことであります。雨の力で、疫病退散の浄化をしてくださっているのかもしれません。雨の影響にて外出も減ることでありましょう。本日は昭和天皇の御遺徳を偲び、昭和天皇に関する動画でも見られてはどうでしょうか?ご参考http://www.seisaku-center.net/node/122昭和天皇のマッカーサー会談 『私はどうなってもよいから』 https://youtu.be/r9_CPCQlKr4雨の日は国旗日の丸が雨に濡れないように軒下に掲揚いたしましょう。
2021.04.29
http://www.seisaku-center.net/node/122*昭和天皇・マッカーサー会談の「事実」**敵将を心服させた昭和天皇の御聖徳*------------------------------戦後六十回目の八月十五日が近づくにつれて、自ずと想起されるのは、終戦前後に示された昭和天皇の御聖徳である。昭和生まれの日本人として、記者は「終戦のご聖断」「マッカーサーとのご会見」「終戦後のご巡幸」はしっかりわが子らに伝えたいと常々願っている。言うまでもなく、これらのご行動に脈打つ「捨て身」のご精神により、戦後の日本と日本人は救われたと思うからだ。ところが、である。来年から使用される中学校の歴史教科書で、昭和天皇のご事績を記しているのは扶桑社のみである。他の大部分の教科書には、「昭和天皇」のお名前自体が出てこない。お名前は出てきても、悪意が感じられるものもある。とりわけ唖然とさせられたのは、東京書籍である。「占領と日本の民主化」という項目に「マッカーサーと昭和天皇」と解説した写真が新たに載っている。腰に手をやって構える開襟シャツにノーネクタイのマッカーサーの隣にモーニング姿で直立不動の昭和天皇が並んでいる、お馴染みの写真である。昭和二十年九月二十七日、天皇が初めてマッカーサーを訪問された際に写されたものだ。この写真が当時、全国民に大きなショックを与えたことはよく知られている。これを見た歌人の斎藤茂吉は日記に、「ウヌ!マッカーサーノ野郎」と記し、また内務省は不敬に当たるとして、各新聞に発表を控えさせた(GHQの指令で九月二十九日公表された)。東京書籍の教科書は、肝腎のご会見の中身には何も触れないで、GHQの宣伝臭の強い問題写真だけを掲載したのである。一方、扶桑社の教科書は、ご会見の中身をこう記している。「終戦直後、天皇と初めて会見したマッカーサーは、天皇が命乞いをするためにやって来たと思った。ところが、天皇の口から語られた言葉は、『私は、国民が戦争遂行にあたって行ったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためお訪ねした』というものだった」と。さらに、「私は大きい感動にゆすぶられた。(中略)この勇気に満ちた態度は、私の骨のズイまでもゆり動かした」という『マッカーサー回想記』の有名な一文も載せている。かかる重大な史実を扶桑社以外の教科書が記述しない真意は測りかねるが、『マッカーサー回想記』が伝える戦争の「全責任を負う」との天皇のご発言については、その信憑性を疑う向きもあるのは事実である。その主な原因は、昭和五十年に児島襄氏が公表した「御会見録」である。九月二十七日の会見に同席した通訳官が記したというこの「御会見録」には、マッカーサーが伝えたような天皇のご発言がなかった。もともと児島氏は天皇の戦争責任を否定する立場から、ご発言の信憑性に疑問を発していたのだが、これで児島氏の疑念はいよいよ深まった。さらに三年前、それとほぼ同一の「公式記録」を外務省が公開するに至り、マッカーサー発言を「作り話」と否定したり、「天皇はむしろ国民に責任を転嫁しようとした」という声さえ上がる始末となったのだ。結論からいえば、天皇が戦争の「全責任を負う」と述べられたのは事実であり、この「捨て身」のご精神によって、戦後の日本と日本人は救われたことは間違いない。以下、この歴史的会見における昭和天皇のご発言について、様々な証言を整理・再検証してみたい。*◆十年後に明かされた「歴史的事実」*昭和二十年八月三十日、連合国軍最高司令官ダグラズ・マッカーサー元帥は神奈川県の厚木飛行場に到着した。九月二日、横須賀沖に停泊する米戦艦ミズリー号上で降伏文書の調印が済むと、マッカーサーはGHQ総司令部を横浜から皇居の真向かいに位置する第一生命ビルに移し、占領政策に本格的に着手した。昭和天皇が米国大使館の大使公邸にマッカーサーを初めて訪問されたのは九月二十七日のことである。この会見がもたれるに至った経緯については種々の推測があるが、「天皇御自身の発意であり、マッカーサーの側ではそれを待っていたとばかりに歓迎したというのが実相だった」(小堀桂一郎『昭和天皇』)といってよさそうだ。天皇にお供したのは、石渡荘太郎宮内大臣、藤田尚徳侍従長、筧素彦行幸主務官、通訳の奥村勝蔵外務省参事官など六名。が、会見に同席したのは奥村参事官のみだった。会見後、奥村は会見の内容についてのメモを作成した。それは、外務省から藤田侍従長のもとへ届けられ、侍従長から天皇へ手渡された。通常であれば、その種の文書は侍従長の元に戻されるが、そのメモは戻されなかった。会見の内容は公表しないというマッカーサーとの約束を守るための措置だったと思われる。日本人が会見の内容を初めて知り、深い感動に包まれるのは、それから十年後のことだ。すなわち、「天皇陛下を賛えるマ元帥――新日本産みの親、御自身の運命問題とせず」という読売新聞(昭和三十年九月十四日)に載った寄稿が最初の機会となる。執筆者は、訪米から帰国したばかりの重光葵外務大臣であった。重光外相は、安保条約改定に向けてダレス国務長官と会談するために訪米したのであるが、この時マッカーサーを訪ね、約一時間会談した。先の外相の寄稿は、その際のマッカーサーの発言を紹介したものだ。次に、その寄稿の一部を紹介したい。重光によれば、マッカーサーは、「私は陛下にお出会いして以来、戦後の日本の幸福に最も貢献した人は天皇陛下なりと断言するに憚らないのである」と述べた後、陛下との初の会見に言及。「どんな態度で、陛下が私に会われるかと好奇心をもってお出会いしました。しかるに実に驚きました。陛下は、まず戦争責任の問題を自ら持ち出され、つぎのようにおっしゃいました。これには実にびっくりさせられました」として、次のような天皇のご発言を紹介したというのである。「私は、日本の戦争遂行に伴ういかなることにも、また事件にも全責任をとります。また私は日本の名においてなされたすべての軍事指揮官、軍人および政治家の行為に対しても直接に責任を負います。自分自身の運命について貴下の判断が如何様のものであろうとも、それは自分には問題ではない。構わずに総ての事を進めていただきたい。私は全責任を負います」そしてマッカーサーは、このご発言に関する感想をこう述べたという。「私は、これを聞いて、興奮の余り、陛下にキスしようとした位です。もし国の罪をあがのうことが出来れば進んで絞首台に上がることを申し出るという、この日本の元首に対する占領軍の司令官としての私の尊敬の念は、その後ますます高まるばかりでした」 この天皇のご発言を知らされた重光外相は、次の感想を記している。「この歴史的事実は陛下御自身はもちろん宮中からも今日まで少しももらされたことはなかった。それがちょうど十年経った今日当時の敵将占領軍司令官自身の口から語られたのである。私は何というすばらしいことであるかと思った」扶桑社の歴史教科書が引用している『マッカーサー回想記』が出版されたのは、それから九年後の昭和三十九年のことである。*◆GHQ側の「証言」*ところで、会見のお供の一人の筧氏は、重光外相の寄稿を読んだ感想を、「十年来の疑問が一瞬に氷解した」と記している。氏の「疑問」とは、会見の前後でのマッカーサーの態度の急激な変化である。会見の時間はわずか三十七分であった。が、「先刻までは傲然とふん反りかえっているように見えた元帥が、まるで侍従長のような、鞠躬如として、とでも申したいように敬虔な態度で、陛下のやや斜めうしろと覚しき位置で現れた」という。会見前後の場の雰囲気を知る当事者として、筧氏は「あの陛下の御言葉を抜きにしては、当初傲然とふんぞり返っていたマッカーサー元帥が、僅か三十数分のあと、あれ程柔和に、敬虔な態度になったことの説明がつかない」(『今上陛下と母宮貞明皇后』)と証言している。これは、マッカーサーが伝えた天皇のご発言を裏付けるいわば状況証拠といえよう。とはいえ、むろんこれはマッカーサーの発言を裏付ける決め手とはなり得ない。会見の内容についてGHQ側に記録はない。とすれば、重光外相との面会までに十年の月日が流れており、マッカーサーの記憶を信頼できるのか、やはり疑問なしとしない。また『マッカーサー回想記』については、回想記全体が自己宣伝調で、その信頼性を疑う向きが一部にあるのも事実であろう。しかし、幸いにもというべきか、あの会見の直後、マッカーサーはその内容を断片的に複数の側近などに漏らしている。そこには創作が入り込む余地は考えにくい。しかもそれらは大筋で、その後のマッカーサーの発言を裏付けているといってよい。例えば会見の時に大使公邸にいたマッカーサーの幕僚の証言だ。軍事秘書のボナ・フェラーズ准将は、会見が行われた九月二十七日に自分の家族に宛てた私信で、天皇が帰られた直後にマッカーサーから聞いた話として、こう伝えているという。「マッカーサーは感激しつつこういった。『……天皇は、困惑した様子だったが、言葉を選んでしっかりと話をした』。『天皇は処刑を恐れているのですよ』と私がいうと、マッカーサーは答えた。『そうだな。彼は覚悟ができている。首が飛んでも仕方がないと考えているようだ』」(升味準之助『昭和天皇とその時代』)また、会見から一カ月後の十月二十七日、ジョージ・アチソン政治顧問代理は国務省宛てに、マッカーサーから聞いた天皇のご発言について次のように打電した。「天皇は握手が終ると、開戦通告の前に真珠湾を攻撃したのは、まったく自分の意図ではなく、東条のトリックにかけられたからである。しかし、それがゆえに責任を回避しようとするつもりはない。天皇は、日本国民の指導者として、臣民のとったあらゆる行動に責任を持つつもりだと述べた」この文書を最初にアメリカ国立公文書館で発見した秦郁彦氏は、「決め手と言ってよい文書」「天皇が全戦争責任を負うつもりであったのは明らかである」と指摘する。また氏は、次のような根拠も挙げている。「このことは、八月二十九日天皇が木戸内大臣に、『戦争責任者を連合国に引渡すは真に苦痛にして忍び難きところなるが、自分が一人引受けて、退位でもして納める訳には行かないだろうか』(木戸日記)と語ったところや、九月十二日東久邇宮首相が、連合国の追及に先立って、戦争犯罪人を日本側で自主的に処罰する方針を奏上すると、即座に反対して撤回させた事実と首尾一貫してくる」(『裕仁天皇五つの決断』)なお、「東条のトリック云々」のご発言にひっかかる向きがあるかもしれないが、秦氏はこう解釈する。「天皇がこだわったのもむりはない。東郷外相ですら無通告攻撃に傾いていたのを『事前通告は必ずやるように』と厳命したにもかかわらず、奥村在米大使館書記官のタイプミスで結果的に通告がおくれてしまったのだから、痛恨の思いは誰よりも深かったであろう。しかも、この時点では天皇は真相を知らされていなかったので、東条に欺かれたと信じこんでいたのが、言い訳めいた言動になったと思われる」(『文藝春秋』平成16年1月号)*◆日本側の二つの「証言」*次に、ご会見についての日本側の情報を整理してみたい。むろん、最も重要なのは、通訳の奥村氏が会見当日に作成したメモである。これについては冒頭で触れたように、まず昭和五十年、「『マッカーサー』元帥トノ御会見録」(以下、会見録と略)なるものが、『文藝春秋』(昭和50年11月号)で児島襄氏によって公表された。そこで児島氏は、資料の入手先を明らかにしないまま、「奥村勝蔵が手記した会見記録は次のとおりである」と記している。また平成十四年十月、外務省は第一回天皇・マッカーサー会見の「公式記録」を公開した。先にも記したように、その内容は児島氏が公表した会見録とほぼ同一の内容だった。会見録によると、マッカーサーが約二十分、「相当力強き語調」で雄弁をふるった後、陛下が、「この戦争については、自分としては極力これを避けたい考でありましたが、戦争となるの結果を見ましたことは、自分の最も遺憾とする所であります」と述べている。が、マッカーサーが伝えた戦争の「全責任を負う」とのご発言は出てこない。つまり日本側の公的記録によっては、マッカーサーの発言は裏付けられない結果となったのだ。しかし一方、日本側にもマッカーサーの発言を裏付ける重要な情報がある。奥村氏のメモを天皇に届けた藤田侍従長が記した回想録である。職掌上、そのメモに目を通した同侍従長は、昭和三十六年十月、当時の記憶に基づき、陛下のご発言の内容を公表した。問題のメモについて、同侍従長は「宮内省の用箋に五枚ほどあったと思う」と述べ、陛下は次の意味のことをマ元帥に伝えたと記している。「敗戦に至った戦争の、いろいろの責任が追及されているが、責任はすべて私にある。文武百官は、私の任命する所だから、彼等には責任はない。私の一身は、どうなろうと構わない。私はあなたにお委せする。この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい」この天皇のご発言に続けて、同侍従長は、「一身を捨てて国民に殉ずるお覚悟を披瀝になると、この天真の流露はマ元帥を強く感動させたようだ」と述べ、次のようなマッカーサーの発言を記している。「かつて、戦い敗れた国の元首で、このような言葉を述べられたことは、世界の歴史にも前例のないことと思う。私は陛下に感謝申したい。占領軍の進駐が事なく終ったのも、日本軍の復員が順調に進行しているのも、これ総て陛下のお力添えである。これからの占領政策の遂行にも、陛下のお力を乞わねばならぬことは多い。どうか、よろしくお願い致したい」(『侍従長の回想』)先に見たマッカーサーの発言では、天皇が日本国民のために「連合国の援助」をお願いしたことについては触れていない。しかし高田万亀子氏によれば、天皇が「自分はどうなってもいいが、国民を食わせてやってくれ」という発言をなされたという事実を、マッカーサーも雑談の中で語っているという(「昭和天皇についての二つの新証言」)。このように、藤田侍従長の回想とマッカーサー側の発言とは、肝腎の部分でほぼ一致するのである。*◆「重大さを顧慮し削除した」*以上の事実が示唆しているのは、奥村氏の手になる会見録は二種類あるということであろう。事実、昭和天皇の元に届けられたものと、外務省が保管したものと二種類の会見録があるのではないかとの推測が専門家の間でもささやかれてきた。例えば升味氏は、「奥村は、それ(「全責任を負う」とのご発言)を御会見録に記した。吉田外相は、それを二九日侍従長に送った。それから奥村は、自分の手控えから肝腎の部分を削除した。……削られたのは、外務省の保存記録かもしれない」(前掲書)との推測を記している。そして、その後、平成十四年八月五日付朝日新聞は、この推測を傍証する重大な文書を紹介した。それは、奥村氏の後任通訳を務めた元外交官の松井明氏が記した「天皇の通訳」と題する文書である。その文書で松井氏は、こう記している。「天皇が一切の戦争責任を一身に負われる旨の発言は、通訳に当られた奥村氏に依れば余りの重大さを顧慮し記録から削除したが、マ元帥が滔々と戦争哲学を語った直後に述べられたとのことである」この松井証言については、「松井がいつどの時点でどういう形で彼から聞いたのかが不明確であるし、機密保持を前提としていた『記録』から、なぜあえて『削除』する必要があったのか疑問とせざるをえない」(豊下楢彦氏)との指摘もある。しかし、こうした疑問に対して秦氏は、「東京裁判を控えて『天皇有罪の証拠』とされかねないこのくだりを、奥村があえて削除したのは当然と私は考える」と述べている。以上、マッカーサー側と日本側の情報を検討してきたが、昭和天皇の「全責任発言」はまぎれもない事実と結論付けてよいのではなかろうか。*◆国家国民を救った捨て身の御精神*ところで、この歴史的会見の意義を、例えば高橋紘氏は、「『知日派』の総帥は、いまやマッカーサーであった」との象徴的な言葉で評している。どういうことかといえば、当時のマッカーサーには軍事秘書として、日本文化に造詣が深かったボナ・フェラーズ准将、副官には歌舞伎役者の口真似までできる日本通のフォービアン・バワーズなどの知日派軍人が仕えていた。だが九月二十七日を機に、マッカーサーが突如として知日派米国人の最たる存在になったということだ。そして、このことは、その後の占領政策にきわめて重要な影響を及ぼすことになるのである。当時、天皇制をめぐって米国務省内では議論が続いており、昭和二十年十月二十二日のSWNCC(国務・陸・海軍三省調整委員会)の会議では、マッカーサーに対し、天皇に戦争責任があるかどうか証拠を収集せよ、との電報を打つことが承認された。これに対してマッカーサーは翌二十一年一月二十五日、アイゼンハワー陸軍参謀総長に対し、次のような回答の手紙を送ったという。「過去一〇年間、天皇は日本の政治決断に大きく関与した明白な証拠となるものはなかった。天皇は日本国民を統合する象徴である。天皇制を破壊すれば日本も崩壊する。……(もし天皇を裁けば)行政は停止し、ゲリラ戦が各地で起こり共産主義の組織的活動が生まれる。これには一〇〇万人の軍隊と数十万人の行政官と戦時補給体制が必要である」(高橋紘『象徴天皇』)この手紙を高橋氏は、「天皇の終戦直後の働き」の「結実」とみなしている。つまり、天皇との会見などを通してマッカーサーが抱くに至った天皇へのプラスの認識が、先のマッカーサーの判断をもたらしたというのである。これによって天皇は戦争犯罪人としての不当な訴追を免れ、戦後も天皇制が――象徴という不本意な形にしろ――維持されることになったといえる。そのことが戦後の日本の復興と安定に寄与した意義は計り知れず大きい。むろん、こうしたマッカーサーの対応の背景には、占領政策を成功させるために天皇の力を政略的に利用しようとする意図があったともいえよう。しかしマッカーサー回想記などのその後の発言を踏まえれば、マッカーサーが「心から天皇に心服し」、「九月二十七日の会見を以て、彼の対天皇関係は、初めに敬愛ありき、とでも言うべき鋳型が出来てしまった」(小堀氏・前掲書)ことも、また否定できない事実というべきなのである。そして、マッカーサーと昭和天皇との間に「初めに敬愛ありき」とでもいうべき鋳型が出来たことにより、実は戦後の多数の日本人の命が救われたともいえるのである。その点については、当時の農林大臣であった松村謙三氏の『三代回顧録』に詳しく書き留められている。ここではその要点のみを記しておく。終戦直後の日本は食糧事情の悪化に直面しており、昭和二十年十二月頃、天皇は松村氏に対して、「多数の餓死者を出すようなことはどうしても自分にはたえがたい」と述べられ、皇室の御物の目録を氏に渡され、「これを代償としてアメリカに渡し、食糧にかえて国民の飢餓を一日でもしのぐようにしたい」と伝えられた。そこで当時の幣原首相がマッカーサーを訪ね、御物の目録を差し出すと、非常に感動したマッカーサーは、「自分が現在の任務についている以上は、断じて日本の国民の中に餓死者を出すようなことはさせぬ。かならず食糧を本国から移入する方法を講ずる」と請け合ったという。松村氏は記している。「これまで責任者の私はもちろん、総理大臣、外務大臣がお百度を踏んで、文字どおり一生懸命に懇請したが、けっして承諾の色を見せなかったのに、陛下の国民を思うお心持ち打たれて、即刻、絶対に餓死者を出さぬから、陛下も御安心されるように……というのだ。……それからはどんどんアメリカ本国からの食糧が移入され、日本の食糧危機はようやく解除されたのであった」と。これは、やはり「捨て身」のご精神によって敵将を心服せしめた昭和天皇の御聖徳の賜物というしかない。(日本政策研究センター研究員 小坂実)〈『明日への選択』平成17年7月号〉<http://store.seisaku-center.net/products/detail.php?product_id=4>
2021.04.29
ノンフィクション作家桜林美佐さんJBPressより 「自分が行きます!」 全ての隊員が口を揃えた。福島第一原発に放水をするため、陸上自衛隊のへリコプター「CH-47」が出動することになった時のことだ。 「任せろ、これくらい大したことはないさ」「今、無理しなくてどうする」 被曝覚悟の作戦にもかかわらず、そんな声があちこちから聞こえてくる。 同原発では、3月14日に3号機で放水作業中に水素爆発が起き、4名のけが人も出た。その中には、中央特殊武器防護隊長もいた。事故に遭った隊員は後送されるのが通常だが、隊長は下がることを強く拒んだという。 「あの、温和なアイツがそんなことを… 」 同期の幹部自衛官が絶句した。とても、そんな無理をするタイプに見えなかったが、何が彼にそう言わせたのだろうか。 車座になって涙を流す隊員たち 原発への放水作業だけではない、被災現場での救援でも厳しい状況は同様だ。氷点下の気温の中で作業を続けるが、燃料を使うわけにはいかないと、暖をとることもない。持っていた隊員用の携帯糧食を、迷うことなく被災者に渡す隊員ばかりだという。 空腹の中で作業を終え、ド口ド口になった戦闘服を脱ぎ、翌日、またその同じ服を着て出ていく。それは「昨日の記憶を背負いながら行く」ことでもある。 目を瞑ると、目の当たりにした遺体の残像が浮かんでくる。それは阪神・淡路大震災の時も同じだった。 当時、若かった隊員が、現在は曹長などリーダーになっており、その経験からか、誰が命令したわけでもなく、夜は5~6人の作業部隊が車座になるのだという。 つらかった光景、ひどく悲しかったことなど、黙々 と作業をし続けたその日の全てのことを出して吐き出し、そして泣く。やがて、明日も任務を精一杯やろうと誓い合って、一日を終えである。 東北の隊員は、全国から派遣されている部隊を気遣い、申し訳ないという気持ちと、自分は、一層頑張らねばならないという思いがある。しかし、彼らは被災者でもある。家族や肉親を失っていたり、今なお、愛する人が行方不明となっている隊員も多い。 遺体を発見した時に「自分の家族では」という思いが頭をよぎっても、任務に私情は挟めない 「今、行かなければ一生、後悔する。」 救援活動の中心となる隊員は、19歳から25歳くらいの若者ばかりである。中には地元で知られる「ワル」だったり、不良グループのリーダーをしていたような隊員もいる。それを40~50代の、いわば「オヤジ」たちベテランが支えている。 「人生経験も未熟で感受性豊かな世代が、人の生き死にを目の前にして、まして肉親の所在も分からないままなのに、感情を抑え続けて、心が折れないはずがありません。彼らは制服を脱げば普通の若者です。気持ちを打ち明ける時間をつくることは、大事なんです」 収容した全ての遺体に手を合わせ、遺体安置所まで運ぶことが自衛隊の任務だ。彼らは安置所に入り、自分の家族を探すことはできない。入口で、運び込んだ遺体の冥福を祈り、また現場に戻っていく。 また、多くの隊員が妻や子を残して出動している。残された家族はさぞかいし心細いだろうが、「この国難に弱音は吐けない」と、気丈に家を守っている。 自衛官の死亡・行方不明者は計3名。空自・松島基地の隊員1名が死亡し、陸自・多賀城駐屯地(第22普通科連隊)所属の陸曹の死亡が確認された。 行方不明の隊員もいる。最後まで避難誘導し、津波に飲み込まれるのを住民が見ている 仲間や家族の死に直面しても、今日も活動は続いている。すでに生存可能な時期を過ぎ遺体を安置所に運ぶことが続くが、担架なども不足しているため、おぶって運んでいるという。 予備自衛官も投入されることになった。「今、行かなければ一生、後悔する」と言う息子に親は「家のことは私たちがなんとかするから」と言って送り出したという話も聞いた。 阪神・淡路大震災を経験した自衛官は言う。「日頃、いろいろと問題を起こすヤツもいますが、国難にあたってはすさまじい使命感でやっています。かつて、この国を守るために特攻隊で散華したのも若者たちでしたが、今、被災地で活動している彼らに重なります。彼らと同じ制服を着ていることを誇りに思います」 初めて敬語でメールを送ってきた娘 地震発生以来、東京・市ケ谷の防衛省では、陸海空の自衛官が戦闘服姿になり、臨戦態それぞれの任務に当たっている。多くが一度も帰宅していない。 労をねぎらうと「現場はもっと大変ですから」と言い、すぐにでも現場に行き、共に活動したいと口を揃える。 19階建ての庁舎では、節電のために皆さんが階段を上り下りする姿が目立つ。慌しくすれ違った叩き上げのべテラン自衛官が、ふと立ち止まり、振り返って言った。 「そういえば、娘から初めて敬語でメールが来ましたよ」とちょっと恥ずかしそうに言った。 その内容は、「日本に生まれ、自衛官の娘に生まれて良かったです。お父さんを誇りに思す」とのことであった。 「明日から、現場に行ってきますよ」。そう言って、すぐに階段を駆け上がっていった。 復興に向けて、自衛隊の戦いはまだまだ続く。 (出典:JBPress)
2019.11.21
http://blogs.yahoo.co.jp/tachiyan50/32553023.html
2015.04.01
朗人さんの日記から。ありがとうございます。皆さんの本質は霊であり、その霊は永遠です2014年12月24日09:32山村幸夫さん「神からのギフト −スピリチュアルヒーラーへの道」より・・・山村幸夫「神からのギフト」出版会http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1934706628&owner_id=5089039皆さんは、肉体を持って、地球上で生活をしています。皆さんの本質は霊であり、その霊は永遠です。いま、人間としての修行をしているだけであり、地上の生活を終えて霊界に還ると、次は霊界での生活が始まります。そして、時期がきたら、また、この地上に戻ってきます。いわゆる輪廻転生です。霊は、進化の階段を、一歩、一歩、上昇していくので、皆さんは、もう動物の段階に戻ることはなく、人間は人間として生まれ変わり、そして、地上段階の卒業を目指します。霊的な存在、神と呼ばれる存在、それが皆さんの本質です。あなたは神ですあなたは神です。すべての人が神です。本当に信仰すべきものは、唯一『内なる神』です。誰にも必ず内在している『分霊』という神です。万象万物、すべての存在の中に、神の心は顕れています。死後持っていけるもの「死」を迎えて霊界に還る時に、地位、財産、名誉は持っては還れません。しかし、どうしても持って還らなければならないものがあります。それは「想念」です。信じていたもの、執着していたもの、恨み、妬み、嫉み、あるいは優しさ、想いやり、これらはそっくりそのまま、全部持って還らなければいけません。そして、皆さんが還る世界というのは、「波動の法則」により、皆さんと同じ心の持ち主が集まっている世界です。優しさや想いやりにあふれ、人のために尽くされた人は、調和された光の世界に還ります。カルマとはカルマ(業)とは、サンスクリット語で「行為」の意味です。物事にはすべて原因(因)があり、そして結果(果)が起こるということです。結果がいつ表れるのかは、あなたの魂の成長にとって最適の時期です。それがまさにグッドタイミングで表れる。それがカルマだと理解してください。カルマの法則は簡単です。「自分で蒔いた種の実りを自分で刈り取る」、それだけのことです。カルマは、懲罰だけの法則ではありません。自分の過去の過ちばかりを心配して、罪の意識に落ち込むこともありません。なぜなら、カルマは皆さんに成長してほしい『愛の法則』だからです。魂がつぶれてしまうほどの仕打ちは絶対にありません。カルマを生まない秘訣カルマを生まない秘訣は、『私』をなくすことです。すなわち「無私」「滅私」「無心」であることです。自我我欲とは、私心があることです。この『私』がカルマを生む原因です。自分勝手の私心を捨ててしまえば、過ちのカルマは生まれません。善行をしても、カルマが生まれることがあります。名誉欲・自己顕示欲・来世願望欲などの我欲に翻弄された行為は、真の善行ではないのです。本物の善行と言えるのは、まったく見返りを求めない心境での想い、言動、行いです。何にも考えないで、無心で善いことをする行為こそ、最高の善行なのです。苦難は成長のチャンス生まれた家や環境、才能など、不公平なことが散らばっていますが、これは決して偶然や神の気まぐれで生まれたものではありません。皆さんの過去の行為から生じてきているのです。苦しいことや辛いことには、それなりの道徳的な原因があります。また、教育的な目的も秘められているのです。そしてまた、人間は、苦しみ悩むなかで、学びながら智慧をつけていくものです。苦難は、いつでも霊魂にとっての成長のチャンスなのです。霊能力のパワーアップには霊的な力をパワーアップさせるためには、一日に数時間でも構わないので、自分自身への見返りを求めない行為を続けることです。奉仕をさせて頂く時間を作ることです。させて頂いたことに対して、「ありがとう」の言葉を求めてはいけません。笑顔さえ求めてはいけません。させて頂いた自分自身に感謝できるような、そんな実践をやってみてください。皆さんの霊性は自然と広がっていきます。魂の貯金箱あなたが努力した時間は決して無駄にはなりません。あなたの魂の貯金箱の中に、知識として、才能として、叡知として貯まります。そして来世も、あるいはその次の人生もと、連続して努力を重ねることによって、いつかは真の心霊治療家へと至ります。人々のためにと、自己犠牲の生活を送ることは、神へと近づく道です。徳とも言うべき神性を具現する行いは、大事に鞘の中にしまい込まれて、次の人生へと持ち込まれます。次の人生はこの人生の続きです。更なる向上の道が待っています。この一人生で結論を焦らないでください。霊的な進化の旅は、無窮の彼方まで続いているのです。何を努力したか霊界の判断の基準というのは、「何を為したか」ではなくて、「何を努力したか」なのです。何も残さなくてもいいのです。しかし、「何を努力しましたか」ということを霊界は問うのです。今回の人生での経験を通して得られた智慧と、一生懸命に努力した結果得られた才能は、あなたの内なる魂の通帳に蓄えられて、次の人生へと持ち越されます。そして、努力を続ける限り、いつかは必ず花開くのです。音楽やスポーツで天才的な才能を発揮する人たちは、偶然で、生まれつき才能に恵まれていたのではないのです。魂の通帳に貯めこんだ中から、いまそれを引き出して活用しているだけなのです。元の種が大きいから、すぐに思い出すのです。過去生に於いて積み重ねた努力の結果です。感謝の祈り植物、鉱物、動物、ありとあらゆる存在のうちに神は宿っています。皆さんが頂く野菜にしても、果物にしても、それらにはかんぺきな霊が宿り、進化を重ねています。彼らは、私たち人間が生きていくために、喜んで自分の生命を捧げてくれます。それだけの尊い生命を頂かないと生きていけないのが私たち人間なのです。だからこそ、食卓に並んだ食べ物を頂く前には、「ありがとうございます」どうぞ、私の身体の中で、血となり肉となり骨となって、第二の人生を歩んでください。「いただきます」この祈りの言葉を、毎日の食事の前に唱えることを薦めます。感謝の祈りを実践すると、不思議と体調が良くなり、肉体的・精神的な病気でも、治っていくのです。最高の祈りの言葉この地上に産まれる前から霊界に還るまで、いつも一生懸命に皆さんのことを護ってくれる守護霊という存在があります。守護霊に協力して、皆さんの人生修行を一生懸命指導してくれる指導霊という存在があります。その守護霊、指導霊、そして守護霊、指導霊を遣わしてくれた大いなる存在『大霊』『神』に心を向けて、感謝の言葉を述べましょう。私が指導霊から教わった最高の祈りの言葉があります。守護霊さま ありがとうございます指導霊さま ありがとうございます。守護霊さま・指導霊さまを遣わしてくださった神よありがとうございます私自身が神と約束して来た人生を、正しく全うできますように、どうぞお導きくださいこれは、最高の祈りの言葉です。自分のためには祈らない祈るときは、自我我欲でのお願いの言葉は、まったく必要がありません。霊界の側から見たら、いま、この人が何をやるべきか、何が必要なのか、何を与えるべきなのか、それらを全部把握しているので、皆さんのほうから欲望、希望を言う必要は、まったくないのです。あれをしてください、これをしてください。そういう祈りは、まったく必要がありません。生きる目的人間の生きる目的の一つは、『内なる神の具現化』です。皆さん一人ひとりのなかには、本当の『神』と言える存在が内在しております。皆さんは、この物質世界を生きるにあたり、色々な仕事をし、色々な体験もされています。諸々の環境と体験のなかで、少しでも皆さんの霊性、皆さまの神をしての神性を表現していく、具現化していくことが一つの大きな目的です。さらに、もう一つの生きる目的として、『カルマの解消』という大きな命題もあります。カルマを解消し切った時に、皆さんは輪廻転生を卒業します。肉体を持つ必要がなくなるまでに進化します。そうしたら、また次の次元が見えてきます。『内なる神の具現化』と『カルマの解消』この二つの目的に添った人生を送ることで、自然と、大目的であるところの「霊的な進化」を遂げることとなります。人生は人のためにあるあなたの神性を、あなたの生活のなかで発揮してください。あなたの周りに集う人たちに対して、一生懸命、無私の奉仕をさせてもらってください。世界中の預言者たちが言っています。自分の人生というのは、他人のためにあるのだよこれが真理です。山村幸夫(やまむら ゆきお)スピリチュアルヒーラー。宮崎県生まれ。東海大学卒業後、1987年渡米。1990年より、スピリチュアルヒーリングを中心とした霊的活動を始める。アメリカ・ロスアンゼルスを拠点にして、他州や外国、日本等での奉仕活動を精力的に行い人々に霊的な真理《スピリチュアリズム》を広める。この地上での役目を終え、2002年5月に光となって帰還。-
2015.01.10
◆致知出版社の「人間力メルマガ」-----2015年1月10日 ◆「アサヒスーパードライ」の育ての親として知られ、月刊『致知』の連載「巻頭の言葉」をご執筆していただくなど、弊社とも大変ご縁の深かったアサヒビール名誉顧問・中條高徳先生が昨年12月24日に亡くなりました。そこで本日は、生前のご厚情に感謝申し上げ、心からご冥福をお祈り申し上げるともに、ご執筆していただいた「巻頭の言葉」から、選りすぐりの記事をご紹介します。┌──────今日の注目の人────────┐ 「おやじの弁当」 中條高徳(アサヒビール名誉顧問) ※『致知』2009年1月号 連載「巻頭の言葉」より└─────────────────────┘その昔、我が国はいまの若者たちが考え及ばないほど貧乏な国であった。しかし、その頃の家庭にはぬくもりがあり、総じて明るかった。親子の情は濃く、長幼の序は厳しく、そして礼儀正しかった。母親は総じて寡黙でつつしみ深く、人前、とりわけ子供の前では父親を立てた。来日した著名な外国人たちが、口を揃えて「礼節の国」「道義ニッポン」と讃えてくれた国でもあった。60数年前、世界の大国と戦い、そして敗れた。戦後は食べる食なく、着るに衣のないどん底の生活を体験しながらも、我が民族は汗と涙で経済大国日本を築いてきた。民族の底力と誇っていい。しかし、富(豊かさ)の構築とほぼ比例するように、表現を変えれば、築き上げた富と引き換えるように民族の美点、長所を失ってきた。悲しいまでの現実の日々である。著者にとって大事なお得意先であり、長い知り合いの経営する「三笠会館」という有名なレストランが銀座にある。創業者の谷さんは奈良のご出身であり、在家仏教で名を成した方でもあった。その三笠会館より以前発行された『るんびにい』241号で故・樋口清之教授(国学院大学)の随筆が戦前の家庭の姿、親子の生き様を語って余すところがない。樋口さんの友人で、よく貧乏に耐えて勉学にひたむきに努める人がいた。その友人が勉学に励んだ動機は、「おやじの弁当」だという。彼はある日、母が作る父の弁当を間違えて持って行ってしまった。彼曰く、「おやじの弁当は軽く、俺の弁当は重かった。 おやじの弁当箱はご飯が半分で、 自分のにはいっぱい入っており、 おやじの弁当のおかずは 味噌がご飯の上に載せてあっただけなのに、 自分のにはメザシが入っていたことを、 間違えて始めて知った。 父子の弁当の内容を一番よく 知っている両親は黙して語らず。 肉体労働をしている親が 子供の分量の半分でおかずのない弁当を持ってゆく。 これを知った瞬間、 『子を思う親の真(愛)情』が分かり、 胸つまり、涙あふれ、その弁当すら食べられなかった。 その感動の涙が勉学の決意になり、 涙しながら両親の期待を裏切るまいと 心に誓った」という。それに引き替え、戦後の私権の主張のみに急な世相の中では、「お父さんの弁当の中身は少ないが、 お前のはちゃんとした弁当だから頑張れ」などと発言しがちであるが、それでは「恩、愛の押し売りはごめんだ」と生意気な子供の言葉がはね返ってくるのがオチであろう。この「おやじの弁当」の心こそ、仏道で説く「陰徳」の妙法であり、「慎独」の実践なのである。 * *中條先生には、一昨年の『致知』創刊35周年記念式典に際して、次のようなメッセージを賜りました。「『致知』が唱えている人間学の不足が いまのだらしない日本に繋がっているんですよ。 ですから、私は人間学を一心不乱に説いている 『致知』に最も期待して、感謝している。 そして、ここをよく聞いて! 国家がこのままでは乱れんとする、廃れんとする、 それを救うのはこの人間学の道しかないと私は信じている。 その道を一所懸命にやってくれているから、 心臓の大きな手術をしてでも、 もうやむにやまれないできょう駆けつけたんです」このありがたいお言葉を肝に銘じて、さらなる充実した誌面づくりに邁進してまいります。ご逝去を悼み、心よりご冥福をお祈り申し上げます。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆人間学を一心不乱に説く月刊誌
2015.01.10
http://royal.must-reading.info/main/showa2.html皇居勤労奉仕をご存知ですか? 宮城から万難を排して駆けつけた青年みなさんは皇居勤労奉仕をご存じでしょうか。いわば皇居内でのボランティアなわけですが、皇居と赤坂御用地で除草、清掃、庭園作業などを行うものです。15歳から75歳までの健康な男女で、15人以上60人以下のグループで申し込めば参加できます。奉仕希望月の6か月前から予約申請できますが、これが結構な人気を誇っており、数か月先まで予約で一杯だったりすることも多々あります。ところでこの「皇居勤労奉仕」、なぜこれほどまでに人気があるのでしょう?それはやはり皇室に対する国民の気持ちの表れではないかと思われます。それに普段なかなか立ち入ることのない皇居に足を踏み入れ、広大な庭園を宮内庁職員に案内していただきがてら奉仕活動をし、さらには今上、皇后両陛下や皇太子殿下が直接お声掛けしてねぎらう御会釈の機会に恵まれるかもしれないとあれば、その人気も納得なのです。下世話な話ですが、皇居内売店で菊のご紋入りの和菓子などを購入したりもできるのも、これまたポイント高いですよね。この「皇居勤労奉仕」ですが、そのはじまりは終戦直後の昭和20年(1945年)11月にまで話が遡ります。皇居坂下門に突如二人の青年が現れます。二人の名は鈴木徳一、長谷川峻(はせがわたかし、のちの衆議院議員)といいました。宮城県栗原郡の青年団のメンバーである二人が言うには戦火で荒れてしまった皇居外苑の草むしりをしたいとのこと。連絡を受けた宮内省総務課長は熱心な二人の話を聞いて、即OKを出しました。あまりにトントン拍子に話が進むので二人はびっくりしたのだそうです。そして12月8日、60余名の奉仕隊が宮城から皇居へ集まりました。とはいえ当時はGHQがアレコレと目を光らせている時代です。皇室のために奉仕をするとなるともしやGHQが逮捕しに来るかもしれない…ふるさと宮城を出発するときには別れの水盃を親族と交わしてきた者までいました。さらに一度に全員逮捕されるよりは、と奉仕隊を2隊に分けて先発隊をまずは派遣するという念の入れようです。彼らにとっては決死の覚悟だったのでしょう。話を聞いた昭和天皇はひとこと話をしたいと、焼け落ちた宮殿の焼け跡の整理をしていた奉仕隊のもとへ向かわれました。まさか陛下にお目通りできるとはつゆにも思っていなかった一同。緊張に感激も加わり、身震いしてしまいます。陛下は彼らに宮城の状況や列車の混雑のようす、米作の作柄などをお尋ねになられ、御会釈は半時間ほど続きました。御会釈が終わり、陛下は踵を返して歩かれます。そのお姿を見送る一同でしたが、感極まったのでしょう、誰からともなく君が代を唄いはじめ、大合唱となります。陛下は思わず歩みを止めて立ち止まり、その歌声をじっと聞かれておられました。歌声は涙声となり嗚咽も混じりましたが、それでも最後まで唄いあげたのです。これまで天皇陛下が国民と触れ合うなどということはまずありませんでした。この奉仕隊との交歓こそが、今現在も続く皇室と国民の間のふれあいの最初の例。翌年からスタートする歴史に名高い陛下の地方巡幸でも、やはりこのようなふれあいが全国各地で行われていくことになります。
2015.01.09
http://royal.must-reading.info/main/showa2.html皇居勤労奉仕をご存知ですか? 宮城から万難を排して駆けつけた青年みなさんは皇居勤労奉仕をご存じでしょうか。いわば皇居内でのボランティアなわけですが、皇居と赤坂御用地で除草、清掃、庭園作業などを行うものです。15歳から75歳までの健康な男女で、15人以上60人以下のグループで申し込めば参加できます。奉仕希望月の6か月前から予約申請できますが、これが結構な人気を誇っており、数か月先まで予約で一杯だったりすることも多々あります。ところでこの「皇居勤労奉仕」、なぜこれほどまでに人気があるのでしょう?それはやはり皇室に対する国民の気持ちの表れではないかと思われます。それに普段なかなか立ち入ることのない皇居に足を踏み入れ、広大な庭園を宮内庁職員に案内していただきがてら奉仕活動をし、さらには今上、皇后両陛下や皇太子殿下が直接お声掛けしてねぎらう御会釈の機会に恵まれるかもしれないとあれば、その人気も納得なのです。下世話な話ですが、皇居内売店で菊のご紋入りの和菓子などを購入したりもできるのも、これまたポイント高いですよね。この「皇居勤労奉仕」ですが、そのはじまりは終戦直後の昭和20年(1945年)11月にまで話が遡ります。皇居坂下門に突如二人の青年が現れます。二人の名は鈴木徳一、長谷川峻(はせがわたかし、のちの衆議院議員)といいました。宮城県栗原郡の青年団のメンバーである二人が言うには戦火で荒れてしまった皇居外苑の草むしりをしたいとのこと。連絡を受けた宮内省総務課長は熱心な二人の話を聞いて、即OKを出しました。あまりにトントン拍子に話が進むので二人はびっくりしたのだそうです。そして12月8日、60余名の奉仕隊が宮城から皇居へ集まりました。とはいえ当時はGHQがアレコレと目を光らせている時代です。皇室のために奉仕をするとなるともしやGHQが逮捕しに来るかもしれない…ふるさと宮城を出発するときには別れの水盃を親族と交わしてきた者までいました。さらに一度に全員逮捕されるよりは、と奉仕隊を2隊に分けて先発隊をまずは派遣するという念の入れようです。彼らにとっては決死の覚悟だったのでしょう。話を聞いた昭和天皇はひとこと話をしたいと、焼け落ちた宮殿の焼け跡の整理をしていた奉仕隊のもとへ向かわれました。まさか陛下にお目通りできるとはつゆにも思っていなかった一同。緊張に感激も加わり、身震いしてしまいます。陛下は彼らに宮城の状況や列車の混雑のようす、米作の作柄などをお尋ねになられ、御会釈は半時間ほど続きました。御会釈が終わり、陛下は踵を返して歩かれます。そのお姿を見送る一同でしたが、感極まったのでしょう、誰からともなく君が代を唄いはじめ、大合唱となります。陛下は思わず歩みを止めて立ち止まり、その歌声をじっと聞かれておられました。歌声は涙声となり嗚咽も混じりましたが、それでも最後まで唄いあげたのです。これまで天皇陛下が国民と触れ合うなどということはまずありませんでした。この奉仕隊との交歓こそが、今現在も続く皇室と国民の間のふれあいの最初の例。翌年からスタートする歴史に名高い陛下の地方巡幸でも、やはりこのようなふれあいが全国各地で行われていくことになります。
2015.01.09
マイケル・ヨン氏の記事の日本語訳(二カ国語)http://s.ameblo.jp/workingkent/entry-11958461771.htmlよりhttp://en.wikipedia.org/wiki/Michael_Yonhttp://www.michaelyon-online.com/著名な米国人ジャーナリストであるマイケル・ヨン氏と連絡を取り、彼が昨日発表した記事を、日本語に翻訳して皆さんに紹介する許可をもらいました。Japan-Korea: Were Korean Men Cowards during World War II? 日韓問題: 第二次世界大戦中、韓国人男性が臆病者だったとでも言うつもりか?A vexing questionなかなか晴れない疑問There are growing, unsubstantiated questions about whether the Japanese Imperial Army kidnapped 200,000 sex-slaves (Comfort Women) in World War II. Mostly from Korea. 第二次世界大戦中、大日本帝国陸軍が20万人もの韓国人女性を強制連行して、性奴隷(慰安婦)にしたという疑惑について、裏付けの取れない主張が現在も拡大し続けている。それらは主に韓国からの主張である。A $30 million US Government Study specifically searched for evidence on Comfort Women allegations. 慰安婦たちの主張を裏付ける証拠を求めて、米政府は3000万ドル(30億円超)の費用を掛けて調査を行った。After nearly seven years with many dozens of staff pouring through US archives -- and 30 million dollars down the drain -- we found a grand total of nothing. 約7年の歳月を掛けて、大勢の米政府職員や歴史学者が過去の公文書を徹底的に調査した結果、有力な証拠は何一つ見つからなかった。結局3000万ドルが無駄に費やされた。The final IWG report to Congress was issued in 2007. (Linked below.) IWGの最終報告書は2007年に米国議会に提出され、発表された(文末のリンク参照)。Nobody should be writing about Comfort Women issues without reading this report cover to cover.誰も、この報告書を最初から最後まで読むことなく、慰安婦問題について書いたり語ったりする資格を持っていない。Many of the unsubstantiated claims are coming from Korea. Korean allegations have led to unexpected twists. 数多くの裏付けを取れない主張が韓国から次々と出されている。しかし韓国人の主張は、裏目に出てしまうことがある。At the time, Korea was actually part of Japan -- roughly in the way that Puerto Rico is part of the USA. その当時の韓国(朝鮮半島)は実際のところ日本の一部だった。プエルトリコが米国の一部であるようなものだ。Many Koreans were members of the Japanese military. So any allegations that the Japanese military kidnapped 200,000 women implies that Koreans were involved in kidnapping Koreans. This is an uncomfortable reality. It gets even more uncomfortable.日本軍には韓国人の兵士がたくさんいた。だから日本軍が20万人の女性を強制連行したのであれば、韓国人兵士が韓国人女性の強制連行に加担していたことになる。これはやっかいな現実である。しかし、もっとややこしくなる。So today, South Korean President Park Geun-hye constantly accuses Japan of kidnapping these shiploads of women.現在、韓国の大統領である朴槿惠は、日本が大勢の韓国人女性を強制連行したと何度もしつこく責め立てている。Imagine how this boomerangs back. President Park is saying that Japan -- and her daddy was an officer in the Japanese Army at the time -- kidnapped uncounted tens of thousands of women from Korea as sex-slaves. Yet there is no evidence that Korean men fought back.この主張がブーメランのように戻ってくる様子を想像してみよう。朴大統領は日本が数十万人の韓国女性を、性奴隷にするために強制連行したと言うが、彼女の父親はその当時、日本軍の陸軍将校だったのだ。しかも韓国人男性が日本軍の行為に反抗して戦ったという証拠は何も残っていない。During the war, Korea had a population of about 23 million. Today, Texas has a population of about 26 million. 戦争中、韓国の人口は約2,300万人だった。そして現在、テキサス州の人口は約2,600万人である。Imagine trying to kidnap 200,000 Texas women. There would be a bloodbath. The Army would lose thousands of soldiers, and thousands of civilians no doubt would have been slaughtered in return. テキサス州の女性を20万人強制連行しようとしたら何が起きるだろうか。きっと辺りは血の海に染まるだろう。その目的に動員された軍隊は何千人もの兵士を失うし、その報復として何千人もの市民が軍隊に虐殺されることは間違いない。Evidence would be everywhere. Photos. Films. Battle sites. Texans would never allow 200,000 women to be stolen and raped without making a river of blood. So President Park is essentially saying Korean men during World War II were a bunch of cowards.その場所には証拠がいくらでも残るだろう。写真、動画、戦闘の痕跡など。テキサスで20万人の女性を奪ってレイプしようとしたら、辺りは間違いなく血の海になる(しかし韓国にはそのような痕跡が無い)。つまり朴大統領の話は必然的に、第二次世界大戦中の韓国人男性は、臆病者の集団だったと言っていることになってしまうのだ。Also imagine this from the perspective of a Japanese military General or Admiral. He is at war with the USA, Australia, Britain, China, and more. His hands are full. The USA in particular is on the march with our Navy and Marines, and we are smashing Japan anywhere we can find Japanese.この件について日本軍の将軍や提督の立場からも考えてみよう。日本は米国、オーストラリア、イギリス、中国、さらに連合国とも戦争している最中である。どう考えても手いっぱいのはずだ。特に米国は海軍と海兵隊が進軍し、日本兵を見つけ次第どこであろうと攻撃していたのである。All generals always want more troops and supplies. That is a fact of life. Just ask any General. Ask any business leader what he or she needs to expand or defend against competition: They always want more resources.軍隊の全ての指揮官は、常により多くの兵力と補給を求めるものだ。それが世の中の常である。誰か将軍に聞いてみるといい。もしくは企業の経営者に聞いてみるといい。競争相手に勝ちたい時、あるいは防御したい時には何が必要かと。彼らは常により多くの経営資源(=人、物、金)を欲しがるはずである。What kind of fool General would dedicate the resources to kidnap, guard, transport, and feed 200,000 women, knowing that he is creating yet another war to fight? 20万人の女性を強制連行して、彼女たちを監視し、移動させ、食べさせる目的に経営資源を費やす将軍がいるとすれば、どんな種類の馬鹿なんだろうか。わざわざもう一つの戦争を作っているようなものだと気付くはずだと思うが?The Japanese were highly advanced military thinkers. They made their own submarines, airplanes, and aircraft carriers. These were serious people, and super smart. 日本人は軍事戦略を立てることに長けていた。日本人は独自に潜水艦や航空機、空母まで製造していたのだ。真面目かつ非常に賢明な民族でなければ出来ないことだ。There is no way that Generals would dedicate those resources to kidnapping women when the US military and allies were marching down their throats. They had a war to fight -- this was not Spring Break. 米軍と連合軍の攻撃がのど元まで迫ってきているのに、日本軍の将軍たちが貴重な資源を女性の強制連行に費やすはずが無い。彼らは戦争の真っ最中だった。春休み中だったわけではない。Any serious military or business person can see the folly in common sense of kidnapping 200,000 women. It does not make sense, and would have created a new war in Korea -- which was a base for Japanese recruitment. Koreans were fighting Americans. Koreans were our enemy.真面目な軍人やビジネスマンであれば、20万人の女性を強制連行することの愚かさが常識として分かるだろう。全く馬鹿げているし、そんなことをしたら朝鮮半島内で新しい戦争を生み出してしまう。朝鮮半島(韓国)は日本の陣地である。そして韓国人は米国人を相手に戦争をしていたのだ。韓国人は我々(米国人)の敵だったのである。And back to Korean men. It would be horrific to see the US Army try to kidnap 200,000 Texas women -- especially so considering that many US military members are Texans, just as many Koreans were Japanese Soldiers. 韓国人男性の話に戻ろう。米陸軍が20万人のテキサス女性を強制連行しようとすれば、惨劇になるだろう。特に、軍人の中に多くのテキサス男が含まれていたとしたらどうなるだろうか。多くの韓国人男性が日本兵に含まれていたのと同じように。Texas would rise up and start smashing the Army. Bridges would blow up. Soldiers would be shot every day. Bases would burn. The Army would fight back and there would be total war.テキサス男は立ち上がり、米陸軍を攻撃するだろう。橋は爆破される。兵士たちは毎日射殺される。基地は燃やされる。陸軍側も報復して全面戦争になるはずだ。So are we to believe that Korean men are such cowards that nobody lifted a hand to defend their women? Because if they allowed these many women to be kidnapped, they are cowards, and their sons today had cowards for fathers. ということは、韓国人男性は韓国人女性を守ろうとこぶしを振り上げる人間が一人もいないほど臆病者なのだと我々は信じればいいのか? 数多くの女性が強制連行されるのを黙って許したのであれば、確かに韓国人男性は臆病者であり、その息子である現代の韓国人男性は、臆病者の父親を持っていることになる。The reality is that we know that Koreans are no cowards. Koreans are a courageous people. So what really happened? It is clear from source documents, and the common sense that every water buffalo possesses, that there was no mass kidnapping.現実は私たちも良く知っているように、韓国人は臆病者などではない。韓国人はとても勇敢な民族だ。そうすると、実際には何が起きたのか? 資料を見ても、サルでも分かる常識で考えても、大規模な強制連行が行われた事実は無かったということだ。It's all a lie, and no matter how much someone hates Japan, it will always be a lie.全部が嘘だったのだ。誰かがどれだけ日本を憎んでいようとも関係が無い。嘘は嘘であることに変わりはない。Please read the IWG report that practically nobody seems to know exists. If you do not have time for the whole report, do a search inside the report for Comfort Women, and carefully read those parts:今までほとんど誰も存在すら知らなかったIWGの報告書を読んで欲しい。もし全部を読む時間が無いようなら、報告書の中で慰安婦(Comfort Women)を検索して、その部分だけでも注意深く読んで欲しい。http://www.archives.gov/iwg/reports/final-report-2007.pdf米政府の慰安婦問題調査で「奴隷化」の証拠発見されず…日本側の主張の強力な後押しに
2014.12.03
http://yukokulog.blog129.fc2.com/blog-entry-1226.html?sp先日発表された、米国議会の調査局報告書の中で、安倍総理が「ウルトラ・ナショナリスト」だと指摘された。この報告書の裏で、特亜のロビー活動と札束が動いているのではないかと勝手に想像しているのだが、そういった裏事情があるかないかは別として、こういう破廉恥な報告書を上げる米議会の非常識には辟易とする。日本が、国と民族の真っ当な歴史を掘り下げようとすると、戦勝国と特亜が騒ぐ相関関係は、今に始まったことではない。そういう雑音は、「日本は戦後秩序の中で黙して動くな」というメッセージだと思うのだが、日本人は日本人としての価値観を、こういう雑音にひたすら耐えつつ、希求する権利がある。 日本維新の会の中山恭子先生が、5月9日の産経新聞に寄稿された「正論」のなかに、「タシケントの奇跡」とも呼ぶべき先人の偉業が紹介されている。先の大戦前後の“真っ当な”歴史を学んだ人には割と知られた話だが、どんな状況に置かれても、日本人が日本精神を失わなかった例として、記憶されるべきものだ。まさに、“教科書に載せるべき”お話である。≪道義国家を体現した抑留者≫ 大使として3年を過ごしたウズベキスタンの首都タシケントに、ナヴォイ劇場という素晴らしい建築物がある。壁面のプレートに、「45年から46年にかけ極東から強制移送された数百人の日本国民がこの劇場の建設に参加し、その完成に貢献した」と刻まれている。「日本人捕虜」という表現を、91年、ソ連からの独立後初の外交案件として「日本国民」に改めたとカリモフ大統領から伺ったことがある。「日本と戦争したこともなければ日本人を捕虜にした覚えもないから」との理由である。 シベリアに抑留され中央アジアで重労働に従事させられた「日本国民」の働きぶり、生活ぶりは現地の人々に感銘を与え、今も語り継がれている。66年に首都を大地震が襲い、周りの建物は全て崩壊したにもかかわらず、この劇場はびくともしなかったという。 戦争に負け帰国できるかすら分からない中にあってなお、若者達は日本人として恥ずかしくないように陰日向(かげひなた)なく働き、良い物を残した。彼らは各地で任務に就いていた混成部隊である。当時の若者達に、「お天道様が見ている」という教えが家庭や社会を通じて広く浸透していた証左だろう。 不当な拘留によって、再び故郷の土を踏める確証もないなかで、先人たちは道義を貫いた。「お天道様が見ている」という言葉を、今の若い人たちがどれだけ知っているかはわからないが、良心に恥じない生き方を求め、「自分だけがよければいい」という精神を蔑む日本人の精神を表わす言葉である。忘れてはいけない言葉だ。 日露戦争のとき、対馬沖で敵艦リューリックを沈めた海軍は、こういう指示を出した。すでに戦闘能力を失った上は、彼らを苦しめるのは日本男児のすることではない。生存者は全てこれを収容せよ。また捕虜については、異常がある者はもとより、勤めて親切丁寧に取り扱うべし。負傷者には相当の手当てを行うべし。これは仁愛に富む陛下の大御心である。 これによって、救助されたロシア兵は日本水兵の衣服や靴が与えられ、その靴を戦後も大事に持っていたロシア兵もいたそうだ。人道とか道義を口で説くのは易しいが、行動に移すことは並大抵のことではない。 イラク戦争の際、サマワに派遣された自衛隊が帰還する際、「自衛隊帰らないで」という前代未聞のイラク人によるデモが行われた。ゴラン高原に展開した自衛隊の活動では、イスラエルとシリアの男女が結婚する際、自衛隊が花嫁道具の輸送を担った。古くから道義とか人道を重んじる日本精神において、こういう逸話には事欠かない。 「自衛隊帰らないで」と同じことが、支那でも起きている。支那の福建省アモイに派遣された堀内豊秋大佐は、現地の人々との会話を通じて食糧や物資の困窮を知り、その支援を行って大変喜ばれた。司令宅も門を開放し、誰もが自由に出入りできるようにした。堀内が一年後に転任すると聞くや、住民から「帰らないで」という運動が起こり、嘆願書が出された。堀内は嘆願むなしく転任するが、住民たちの募金で、堀内司令の仁徳を讃える顯彰碑が建てられた。 堀内はその後、インドネシアに赴任する。占領下で、一部の陸軍兵士が現地住民の家財を取り上げた時、「日本人の恥だ」と激怒し、陸軍に赴き、奪った者を返させたという。オランダの圧政に苦しんでいた現地住民が、オランダ人捕虜に仕返しをしたいと押し掛け、オランダ人捕虜に暴行するという事件が起きた。堀内は激怒したが、それらの責任転嫁はせず、自らの負うところとした。この堀内大佐は、B級戦犯として処刑された。オランダ人捕虜を虐待したという罪だった。 「自国日本を誇るな」とか、「戦前・戦中の日本人は悪い人たち」という歴史観が刷り込まれてきた日本の近現代史において、誇るべきものは山ほどあり、誇るべき先人たちにも事欠くことはない。タシケントの捕虜、旧軍人、自衛隊などに象徴される、道義や人道を尊重してきた日本人が存在し、今も存在することを、同胞としてもっと学ぶべきである。日本のマスメディアが反日を是とする今、教育の再生が急務である。
2014.11.08
http://yukokulog.blog129.fc2.com/blog-entry-1234.html3.11を期に涙もろくなったなぁと感じることが多いのだが、いくら涙もろくなっても、国会答弁でそういう状況になることは滅多にない。国会答弁というのは、「国会答弁みたいな言い方するな」などというように、本音をさらけ出さず、言葉を選びながら無難な対応をすること揶揄するようなことが多く、感動とは縁遠いものである。しかし、今月13日に、中山恭子先生の質問に答えた麻生副総理の答弁には、鼻の奥がツーンとするような感覚を覚えた。12日のエントリーに書いたナヴォイ劇場の件である。 恐らくこのやり取りについては、事前の質問通告がなかったと思われる。指名で発言を求められた麻生副総理は、中山恭子先生の質問の意図を、目を瞑りながら探ろうとしているようだった。そもそもこの日の中山先生の質問時間は、僅か13分。質問は1分も無駄にしたくなかったはずだ。保守政治家同士の以心伝心とでもいおうか、恭子先生の意図は明確に伝わった。というより、答弁は恭子先生の想像を超えたものだったかもしれない。5月13日 参議院予算委員会 中山恭子議員の質疑より中山恭子委員 麻生大臣は、ウズベキスタンでは、Taro Asoと呼ばれて大変尊敬されていらっしゃいます。カザフスタンのナザルバエフ大統領にもお会いになっていらっしゃいますが、中央アジアの国々での日本人の動きについて、ひとことお話いただけませんでしょうか。麻生副総理 カリモフという大統領がおられるんですが、1997年だったと思いますが、日本の閣僚として初めてウズベキスタンという国に行きました。大統領と接見があって、我々同友会から数十人同行されたと記憶します。 「子供の時、毎週末、日本人捕虜収容所に連れて行かれた」。ご存知かと思いますが、45年から46年にかけて、シベリアからウズベキスタンに2万5千人捕虜が移送されております。そのことを言っておられるんだと思いますが、「その捕虜収容所に連れて行かれた。母親が私に言った台詞は毎週末同じだった。『せがれ、ご覧、あの日本人の兵隊さんを。ロシアの兵隊が見ていなくても働く。人が見なくても働く。お前も大きくなったら、必ず人が見なくても働くような人間になれ。』 おかげで母親の言いつけを守って、今日俺は大統領になれた」。 なかなか一緒に行った私より、もっとご年配の方が多かったもんですから、非常に感激をしておられましたけれども、これは徹底して、この人が大統領でおられたために、色んなところにこの点は徹底して、今言われたナヴォイ劇場の話だと思いますが、これはナヴォイ劇場はその捕虜が建てたものですけれども、これはウズベキスタンの大地震の時に、このナヴォイ劇場だけが倒壊しないで残った。したがって、そこには、「日本人捕虜」と書かず、「日本国民」と書き直されて、我々は捕虜にした覚えはないので、日本国民によって建ててもらったということが書いてあるんで、これはウズベキスタンという国という中央アジアの中において大勢力ですけれども、この国において、日本人が非常に定着し、日本の文化というものが広まっていった基の基はその2万5千人にのぼる捕虜収容の、捕虜収容所に入れられた方々のひとりひとりのご努力の結果、今日の日本・ウズベキスタン関係、出来上がった基礎は、そこにあると、私も、伺った時そう思いました。中山恭子委員 ありがとうございます。日本の文化のすばらしさをみんなでもう一度誇りを持って過ごしていきたいと思います。委員長、大変ありがとうございます。 大東亜戦争の末期、外地にいた65万人もの日本人がソ連に強制連行された。最も良く知られるのは、シベリアでの悲惨な強制労働だ。だが、中央アジアにまで連行されたことは、あまり話題にならないため、知られていない。 ウズベキスタンに連行されたのは、麻生副総理の答弁にあるように、2万5千人だ。その拘留者の労働は、道路、工場、運河、炭鉱、発電所、学校などの建設と、多岐にわたっている。社会インフラの整備である。そして、過酷な労働、慣れない気候、十分ではない食事、危険な労働などの結果、抑留者のうち、813人もの方々がウズベキスタンで命を落としている。件のナヴォイ劇場建設には、500人の日本人拘留者が従事した。そしてこの500人のうち、約60人が命を落とした。死者が就労者の1割を超すほどの重労働だったわけだ。 しかし、このような悲惨な環境においても、私たちの祖先は手を抜くことをしなかった。ナヴォイ劇場の工期は約2年と言われている。その2年間、如何に理不尽な労働であろうとも、彼等は日本人としての矜持を失わなかったのだ。これは美談というレベルを遥かに超えた、「偉人伝」である。 当時のウズベキスタンは、勿論ソ連の一部である。日露戦争で戦い、そして自国を破った日本人に対する感情は、普通に考えても良かったとは思えない。だが、その日本人拘留者たちのひたむきな努力が、カリモフ大統領の母親の心に訴えかけたのだろう。今年、恵隆之介氏の「海の武士道」が、山形県教育委員会に採用され、道徳教育用の指導教本に掲載された。この“タシケントの奇跡”も、是非とも教育現場で採用され、子供たちに学んで欲しい事例である。ついでに言えば、メディアも支那や朝鮮の雑音ばかり報道せずに、こういう先人たちの遺したものを伝えてほしい。 最後にひとつ。中山恭子先生のFacebookで、ある方の書き込みに感動させられた。その方がウズベキスタンに旅行に行かれ、首都タシケントの観光でナヴォイ劇場を見学した際、現地のガイドが「ここで亡くなった抑留者の墓が近年新しく整備されました。それは前の大使の中山さんが尽力されたものです」という話をされたそうだ。前の大使の中山さんとは、元在ウズベキスタン特命全権大使、中山恭子氏その人であろう。維新の会のお家騒動は続くが、この方だけは絶対に落選させてはならないと、強く思うのである。
2014.11.08
第3章 なぜ苦しみがあるのか★魂はなんらかの荷物を背負い、困難と取り組むということが旅する魂の本来の姿なのである。必死に努力し苦しんでいる時こそ、魂にとって一番の薬なのです。 ★地上の人生はしょせんは一つの長い闘いであり試練です。魂には下等な欲望や感情もあれば神的属性も秘められています。そして、神の分霊を引き出して磨きをかけるためには、是非とも厳しい試練が必要なのです。 ★地上生活という巡礼の旅において、内在する神性を開発するためのチャンスはあらかじめ用意されています。そのチャンスを前にして積極姿勢をとるか、消極姿勢か、滅私の態度か、自己中心の態度か・・・・あなた自身の判断です。地上の生活はその選択の連続といえます。 ★持てる能力や才能が多ければ多いほど、それだけ責任も大きくなります。才能がありながらそれを使用しない者は、才能のない人より大きい責任を取らされます。 ★悲しみは魂に悟りを開かせる数ある体験の中でも特に深甚なる意味をもつ。魂は肉体の奥深く埋もれているために、それを目覚めさせるためにはよほどの体験を必要とします。悲しみの極み、苦しみの極みにおいてのみ学べるものだからこそ、それを学ぶだけの準備の出来ていた魂にとって深甚なる価値があるのです。 ★魂の偉大さは苦難を乗り切る時にこそ発揮されます。金塊もハンマーで砕かないと、その純金の姿を拝むことができないように、魂という純金も、悲しみや苦しみの試練を経ないと出てこないのです。 ★困難にグチをこぼしてはいけません。後で振り返った時、それがあなたの魂の目を開かせるこの上ない肥しであったことを知って神に感謝するに違いありません。 神は一瞬たりとも休むことなく働き、全存在のすみずみまで完全に通暁しております。神は法則として働いているのです。 ★有限なる人間に神を裁く資格はありません。物的尺度があまりにも小さすぎるのです。物的尺度で見るかぎり世の中は不公平と不正と邪道と力の支配と真理の敗北しか見えないでしょう。 ★祈りにはそれなりの回答が与えられます。しかしそれは必ずしもあなたが望んでいる通りの形ではなく、その時のあなたの霊的成長にとって一番望ましい形で与えられます。 ★絶対に誤ることのない霊的真理が幾つかあります。 一つは、動機が純粋であれば、どんなことをしても決して被害をこうむることはないということ。もう一つは、人のためという熱意に燃える者には必ずそのチャンスが与えられるということ。焦ってはいけません。 ★宇宙を支配する神の摂理の見事さに感嘆するばかりです。一つとして偶然というものがないのです。偶発事故というものがないのです。 ★愛の心と叡智をもって臨めば、何事もきっと成就します。愛がすべての根源です。愛 ——人間的愛—— はそのほんのささやかな表現に過ぎませんが、愛こそ神の摂理の遂行者です。 ★恐怖心こそ人類最大の敵です。つとめて恐れの念を打ち消すことです。真理を知った者は常に冷静に、晴れやかに、平静に、自信に溢れ、決して取り乱すことがあってはなりません。 ★はがねは火によってこそ鍛えられます。夜明け前に暗黒があるように、魂が輝くには暗闇の体験がなくてはなりません。そんな時、大切なのはあくまでも自分の責務を忠実に、そして最善を尽くし、自分を見守ってくれる神の力に全幅の信頼を置くことです。 ★全てが順調な時に神に感謝するのは容易でしょう。しかし真の意味で神に感謝すべき時は、辺りが真っ暗闇の時であり、その時こそ内なる力を発揮すべき絶好のチャンスです。 ★種を蒔きさえすれば芽が出るというものではないでしょう。芽が出せるだけの養分がそろわなくてはなりますまい。養分がそろっていても太陽と水がなくてはなりますまい。そうした条件が全部うまくそろった時にようやく種が芽を出し、成長し、そして花を咲かせるのです。 ★人間にとってその条件とは辛苦であり、悲しみであり、苦痛であり、暗闇の体験です。神性の開発のために、神は苦労を、悲しみを、そして痛みを用意されるのです。そうしたものを体験して初めて霊的知識を理解する素地が出来あがります。 ★霊的知識に目覚めると、その時からあなたはこの宇宙を支配する神と一体となり、その美しさ、その輝き、その気高さ、その厳しさを発揮しはじめることになるのです。 ★そして、それを機に霊界との磁気に似た強力なつながりが生じ、必要に応じて霊界から力なり影響なり、インスピレーションなり、真理なり、美なりを引き出せるようになります。魂が進化しただけ、その分だけ自由意志が与えられます。
2014.07.06
http://mixi.jp/diary_ranking_view_entry.pl?entry_id=739から今、死にたいですか? 僕に、貴方の死をとめる権利なんてない。 どうやって死ぬ気ですか? 薬? 練炭? その前に聞いてください。 ほんの少しでいいです。 耳を傾けてください。 今日、冷たい雨が降った。 雨の中、長ぐつを履いて楽しく遊べるのは何歳までだ? 俺らは、その雨を嫌い… 苦しい朝を迎える。 風で傘が壊れないよう縮こまって、暗い気持ちでその足を運ぶんだ。 『私、何のために生きてんだろう?』 そんな疑問と戦いながら今日という日を過ごす。 毎年自殺者の記録は更新される。 『きっと俺もそろそろだ。もうちょっとだ。』 そう思うのは、わからなくない。 俺も同じだ… 貴方と同じ朝を迎えている。 やらせだらけのメディア。 理解できない連中。 人の揚げ足取って… 傷つける事に快楽を覚える人間達。 自分の事しか考えないで… ふざけた行動に出られて… 『なんでこんな人間がいるんだろう。』 そう思って、我慢して拳を握る。 『死んじゃえばいいのに。』 そう願う。 『殺してしまいたい。』 そう思う。 『でもできないから、私が死ぬ。』 そう考える。 忘れられない過去の記憶と… 痛みと… 苦しみから逃れられずにいる。 俺も同じだ。 『もしかしたら、知らない間に人を傷つけているかもしれない。』 『俺だって人の事、言えないじゃないか。』 そんな矛盾と向かい合ってる。 でも、聞いて欲しい。 俺、一時期うつ病になって薬沢山飲んだ… ろれつ回らなくなって… 『あいつはもう終わった。』 って、そう言われた。 文章を読んでくれる人も、友達も沢山いなくなっちゃった。 俺は恨んだりもした。 でも攻撃できないし… 自分が悪いから… 死にたい…そう思った。 モバオクで買った練炭。 送料込みで3000円だった。 母親にバレて隠された。 もう二度と立ち上がれない。 俺は死ぬんだ。 覚悟を決めた。 その時は、そう思った。 それでも支えてくれてた人がいたから…救われた。 3年くらい前の話し。 今、俺生きてる。 友達も沢山できた。 一応仕事もある。 もう昔の人を恨んでない。 なぁ…どうすればいい? どうすれば貴方の死を、考えなおしてもらえる? 確かにさっき、とめる権利は無いって言った。 でも、何かしてみたいんだよ。 俺、偽善者だから… なんか死んでほしくないんだよ。 多分、貴方のまわりの人だって… 貴方が死んだら… まるで心臓がナイフで切り刻まれたみたいに痛い思いすると思う。 なぁ、俺なにを書けばいい? 何を伝えればいい? 俺、子供嫌いだった。 20才くらいの時まで… うるさい生きもんだと思ってた。 デパートにいた時…小さな幼稚園くらいの子供が迷子になってたんだ。 『お兄ちゃん、僕迷子なの。』 って俺の手を握って助けを求めた。 俺、その子の手を引っ張って母親探して歩いてまわった。 小さな手だけど、暖かい手だった。 本当に小さな手だったんだ。 子供が泣くから、俺その子を抱きかかえた。 『お母さーん、迷子ですよー!』 そう叫んだんだ。 そしたら、その子の鼓動…心臓の音が身体を通して伝わってきたんだ。 ああ…生きてんだなって… こんな小さな身体でも、生きてんだなって… 必死に生きてんだって。 もう、俺なに言いたいかわからない 俺、死なないでわかった事がある。 それは 『生きてれば必ず良い事がある』 って事。 努力しなくても…走り続けなくても… 生きてれば… 今日という日を乗り切れば、必ず良い事がある。 俺そうだったから。 思い出して欲しい。 俺がその子供と知り合ったみたいに… 貴方も、好きな人と もしくは親とか… 友達とか… 手を繋いだ事があると思う。 今となってはつらい記憶かもだけど… その瞬間は幸せだったはずだ。 一瞬でも幸せだった瞬間を思い出してください。 その温もりを思い出して下さい。 その瞬間は、また訪れる。 必ず。 必ず訪れるから。 だから…生きてみて下さい。 その日は絶対にやってくるから。 だから、お願いですから、死なないで下さい。 何を言えばいい? 何を言えば、とめられる? もっと俺、勉強しなきゃダメだね… だいたい人の死をどうこう言おうってのが、間違ってるんだよね… 支離滅裂だ。 ごめんなさい。 でもね… 文章を通して 一人でも 少しだけ もうちょっとだけ…生きてみてもいいかな って思ってくれたら、嬉しいんです。 完璧、偽善者の自己満。 俺が言いたいのはそれだけ… 伝える技術のなさに落胆する。 でも、生きて… 必ず良い事があるから… お願いですから生きて下さい。 読んで頂いてありがとうございます。 感動と謝罪で、感謝でございます。 ありがとうございました。
2014.03.05
http://mixi.jp/diary_ranking_view_entry.pl?entry_id=739から今、死にたいですか? 僕に、貴方の死をとめる権利なんてない。 どうやって死ぬ気ですか? 薬? 練炭? その前に聞いてください。 ほんの少しでいいです。 耳を傾けてください。 今日、冷たい雨が降った。 雨の中、長ぐつを履いて楽しく遊べるのは何歳までだ? 俺らは、その雨を嫌い… 苦しい朝を迎える。 風で傘が壊れないよう縮こまって、暗い気持ちでその足を運ぶんだ。 『私、何のために生きてんだろう?』 そんな疑問と戦いながら今日という日を過ごす。 毎年自殺者の記録は更新される。 『きっと俺もそろそろだ。もうちょっとだ。』 そう思うのは、わからなくない。 俺も同じだ… 貴方と同じ朝を迎えている。 やらせだらけのメディア。 理解できない連中。 人の揚げ足取って… 傷つける事に快楽を覚える人間達。 自分の事しか考えないで… ふざけた行動に出られて… 『なんでこんな人間がいるんだろう。』 そう思って、我慢して拳を握る。 『死んじゃえばいいのに。』 そう願う。 『殺してしまいたい。』 そう思う。 『でもできないから、私が死ぬ。』 そう考える。 忘れられない過去の記憶と… 痛みと… 苦しみから逃れられずにいる。 俺も同じだ。 『もしかしたら、知らない間に人を傷つけているかもしれない。』 『俺だって人の事、言えないじゃないか。』 そんな矛盾と向かい合ってる。 でも、聞いて欲しい。 俺、一時期うつ病になって薬沢山飲んだ… ろれつ回らなくなって… 『あいつはもう終わった。』 って、そう言われた。 文章を読んでくれる人も、友達も沢山いなくなっちゃった。 俺は恨んだりもした。 でも攻撃できないし… 自分が悪いから… 死にたい…そう思った。 モバオクで買った練炭。 送料込みで3000円だった。 母親にバレて隠された。 もう二度と立ち上がれない。 俺は死ぬんだ。 覚悟を決めた。 その時は、そう思った。 それでも支えてくれてた人がいたから…救われた。 3年くらい前の話し。 今、俺生きてる。 友達も沢山できた。 一応仕事もある。 もう昔の人を恨んでない。 なぁ…どうすればいい? どうすれば貴方の死を、考えなおしてもらえる? 確かにさっき、とめる権利は無いって言った。 でも、何かしてみたいんだよ。 俺、偽善者だから… なんか死んでほしくないんだよ。 多分、貴方のまわりの人だって… 貴方が死んだら… まるで心臓がナイフで切り刻まれたみたいに痛い思いすると思う。 なぁ、俺なにを書けばいい? 何を伝えればいい? 俺、子供嫌いだった。 20才くらいの時まで… うるさい生きもんだと思ってた。 デパートにいた時…小さな幼稚園くらいの子供が迷子になってたんだ。 『お兄ちゃん、僕迷子なの。』 って俺の手を握って助けを求めた。 俺、その子の手を引っ張って母親探して歩いてまわった。 小さな手だけど、暖かい手だった。 本当に小さな手だったんだ。 子供が泣くから、俺その子を抱きかかえた。 『お母さーん、迷子ですよー!』 そう叫んだんだ。 そしたら、その子の鼓動…心臓の音が身体を通して伝わってきたんだ。 ああ…生きてんだなって… こんな小さな身体でも、生きてんだなって… 必死に生きてんだって。 もう、俺なに言いたいかわからない 俺、死なないでわかった事がある。 それは 『生きてれば必ず良い事がある』 って事。 努力しなくても…走り続けなくても… 生きてれば… 今日という日を乗り切れば、必ず良い事がある。 俺そうだったから。 思い出して欲しい。 俺がその子供と知り合ったみたいに… 貴方も、好きな人と もしくは親とか… 友達とか… 手を繋いだ事があると思う。 今となってはつらい記憶かもだけど… その瞬間は幸せだったはずだ。 一瞬でも幸せだった瞬間を思い出してください。 その温もりを思い出して下さい。 その瞬間は、また訪れる。 必ず。 必ず訪れるから。 だから…生きてみて下さい。 その日は絶対にやってくるから。 だから、お願いですから、死なないで下さい。 何を言えばいい? 何を言えば、とめられる? もっと俺、勉強しなきゃダメだね… だいたい人の死をどうこう言おうってのが、間違ってるんだよね… 支離滅裂だ。 ごめんなさい。 でもね… 文章を通して 一人でも 少しだけ もうちょっとだけ…生きてみてもいいかな って思ってくれたら、嬉しいんです。 完璧、偽善者の自己満。 俺が言いたいのはそれだけ… 伝える技術のなさに落胆する。 でも、生きて… 必ず良い事があるから… お願いですから生きて下さい。 読んで頂いてありがとうございます。 感動と謝罪で、感謝でございます。 ありがとうございました。
2014.03.05
韓国とさえ関わらなければ、今ごろシャープは世界的な大企業になっていた気がしてならない。http://agora-web.jp/archives/1522600.html
2014.03.02
NEWSポストセブン|韓国紙デスク 韓国メディアが朝日新聞を大好きな理由を解説 http://www.news-postseven.com/archives/20140225_242818.html
2014.02.26
自民党小泉純一郎こそ真の売国奴と青山繁晴氏が暴露http://bit.ly/1ppLSwM 一兆500億円もの血税を朝銀信用組合(朝鮮総連の本体)の破たん救済に貢ぎ、5人の拉致被害者を一時帰国だけで北朝鮮に返す密約をしていた小泉元総理。永住帰国で押し切ったのは安倍総理
2014.02.26
http://s.ameblo.jp/hiroo117/entry-11741746343.htmlより自彊不息(じきょうや)まず安岡正篤師の心に響く言葉より…大器晩成という言葉があるが、人は自然が晩成した大器だ。一番後で作ることに成功した、まあ大器というてよい。そうして精神、技術というようなものを発達させて、ようやくこういう文明を作った。正に大器晩成で、大自然という偉大な創造者が何十億年もかかってやっと作ったもの。だから、自然の法則は人間においても同じく、人間は、早世する、早く物になるというほど危ないことはない。人間もなるべく晩成がよい。でないと諺の通り「十で神童、十五で才子、二十過ぎれば並の人」という風になる。まあ死ぬ頃なんとか物になるというくらいの覚悟でぼつぼつやるがよい。自然の一つの特徴は「天行健(てんこうけん)」、即ち易乾卦に書いてある通り。造化に断絶はない。我々も常に怠ることなく勉めねばならない。いわゆる「自彊不息(じきょうや)まず」とにかく努力だ。頼山陽が言っておるように、人はいろいろ自分のことを言うけれども、自分は要するによく勉強するだけだと。学問にしても芸術にしても、卑近な健康にしても、「先生、何か秘訣はありませんか」。そんな虫のいいことはあるわけはない。勉強するということ。孜々(しし)として勉(つと)めて倦まぬということ、それよりほかに秘訣はない。とにかく自然は健やかである。我々も常に怠ることなく勉めるということ。それから、自然は造化である。絶えざる創造変化である。『淮南子(えなんじ)』にあるように、孔子も非常に褒めた遽伯玉は、「当年五十にして四十九年の非を知り、六十にして六十化した」人間五十になって四十九年の非を知るということは、これはどうも痛切なことだ。けれども本当の人間は、そんな未練たらしいものではない。五十年にして四十九年の非を知る。今まで、いわばこの半生、一生は悪かった。これからまた新たにやり出す。こう考えるのが本当の学問だ。本当の人物だという。そうして六十になっても、六十になっただけ自己を変化創造してゆく。六十にして六十化し、七十にして七十化し、八十にして八十化す。生きている限りは創造変化してやまない。これが自然の本体であり、人生の本体である。これは非常に優れた思想信念である。これでいいという、これでとどまるということがない。大自然は造化だから、かたくなにならずに、一生自己を進化してゆこう。『「活眼 活学」安岡正篤』PHP「天行建(てんこうけん)なり、君子はもって自ら彊(つと)めて息(や)まず」(易教 乾卦)とは、天の運行が自然で、健やかであるように、君子は自らすすんで努め励み、怠らない、ということ。「六十にして六十化す」とは、60歳になっても変化し続けるということだが、同様に、生きている限りは、70歳になろうが、80歳なろうが、変化創造し続けなければならない。すなわちそれが、「一生勉強 一生不悟」ということ。「自彊不息(じきょうや)まず」いくつになっても努力し、勉強し続ける人でありたい。
2014.02.18
http://s.ameblo.jp/hiroo117/entry-11001173830.html より 呑んだくれの大工安岡正篤師の心に響く言葉より…大阪によく路地というのがある。つまり裏長屋というやつだ。そういうある裏長屋の行き止まりの所に、貧乏大工の呑んだくれがしけこんでおった。これは非常に腕がいいんだけれども、何さま酒癖が悪い無精者で、朝から酒ばかり呑んで働かん。そのためにだんだん人に見放されて、情けない路地奥の九尺二間にくすぶっておった。それをもったいないというので、家主がある日、長屋を訪れたら、この大工、酔っ払っておって「何しにきた。家賃の催促か」と、もう目に角を立てている。「いや、今日は催促にきたんじゃないんだ」「じゃあ、何しに来たんだ」「まあそう言うな。いい相談があって来たんだ。お前は元来非常にいい腕を持っておる」「よけいなことを言うな」と一々からむ。「わしがこれからお前に毎日一本ずつつけてやる。お前の飲むに事欠かんようにしてやる。家賃もまけてやる。その代わりわしの言うことを聞かんか」「それはなんだ」「お前も一日そう只酒を食らっておっても面白くなかろう、夕方になったら気持ちよく呑ませてやるから、朝起きたら道具をかついで、この長屋中を一軒一軒尋ね歩いて、どこか板が外れておらんか、台所の流しが壊れておらんか、戸ががたがたしておらんか、屋根が傷んでおらんか、床が抜けておらんかと聞いて歩いて、悪い所を修繕してくれ。もちろん料金をもらっちゃいかん。その代わりわしが家賃をまけて、夕方になったら一本呑めるだけの手当てをやる」「そんなことは何でもない」「そんならやれ」というので、奴さん早速やり出した。するとたちまち長屋中のおかみさんやら親父やら、野郎えらい感心だ。おれの所へ来て台所を直してくれた。床を直してくれたという。しかも礼を取らんものだから皆気の毒になって、何かお菜を持ってきたり、一本持ってきてくれる。お八つになると何か出してくれる。奴さん、家主からもらうばかりじゃなしに呑みきれんくらい酒が集まったり、食物も豊かになった。家主のくれる手当てが残るようになった。そうすると、いつの間にかそれが隣の路地にも聞こえ、向こう横丁にも聞こえて、そんな腕のいい、気心のいい大工さんがおるなら、こっちにも来てもらえんか、こっちにも来てもらえんかと引っぱりだこになって、そうすると張り合いがあるものだから、先生あんまり酒も呑まんようになった。あっちこっちで人気がいいものだから、すっかり気持をよくして精出した。一人では足らんようになって、弟子が二人も三人もできるようになって、そのうちち堂々たる大工の棟梁になったという。『活眼 活学』PHP研究所水を飲みたくないロバを引っ張っていって、水を飲ませることはできない。ロバに運動をさせ、喉がカラカラになったら、ロバは自らすすんで水辺に行って水を飲む。呑んだくれや、怠け者に対して、理路整然と「働くことの大切さ」を諄々(じゅんじゅん)と説いても、「ハイわかりました」といって働く人はいない。理屈では、だれもが、「人の道」や「道理」は人からいわれなくてもわかっている。何かを得ようとするなら、まず先に何かを出さなければならない。先に無料で、人のために、とサービスをしてまわるなら、必ず後から感謝の念が降るように集まる。そして、感謝の念をお金で返せないときは、みな物を持ってくる。人間が生きていて最も嬉しいことのひとつは、人から感謝され喜ばれる瞬間だ。感謝されればされるほど、パワーがでてくる。まず、人に与えることを先に実践し、感謝される人となりたい。
2014.02.18

http://ghidorah.hatenablog.com/entry/2014/02/14/191732から先日行われたソチオリンピック クロスカントリー男子スプリント競技で、ロシア代表のアントン・ガファロフ選手がレース中に転倒。スキー板が折れてしまうハプニングが起こった。ガファロフ選手はそれでも立ち上がり 、何度も何度も前に進もうとするが、その度にスキー板の破損を悪化させ、終いには木っ端微塵となった・・・もはやどうすることも出来ない状況の中、一人のカナダコーチが1本のスキー板を持ってコース内に飛び出し、ロシア選手にスキー板を手渡し交換した。ガファロフ選手は競技を再開し、みんなとは大きく遅れたものの、無事にゴールすることができた。同じチームの選手ではなく、競技では敵チームとなるはずなのに、そのカナダコーチは迷わずスキー板を差し出したのだという。カナダコーチへのインタビューで「見ていることができなかった。ロシア代表のガファロフ選手に母国で恥をかかせたくない一心だった」と思いを語ったのだという。なんて暖かい話なんだろうと。が・・・話はこれで終わりではなかった。 実はこのカナダコーチは結婚をしています。このカナダコーチの妻は元アスリートでトリノ五輪のスキー距離女子団体スプリントのチーム員だったそう。その妻のチームメイトがトリノ五輪スキー距離女子団体スピリントの決勝戦でストックが折れてしまうというハプニングが起こったのだそうだ。メダルのかかっている決勝戦。そんな中起こったハプニングによってメダルは絶望的と思われたが、その中でまさかの事態が!なんと決勝戦に出ているノルウェーのコーチがコースに飛び出て、カナダチームに新しいストックを渡したのだという。これだで驚くのは早く・・・実はストックが折れていた時にカナダは4位まで後退し、メダルの届かない順位にいた。そして自分のチームのノルウェーはカナダよりも前におりメダル圏内だったそう。このまま放っておけば強いカナダは順位を落とし、自国のチームがメダルを獲得するという状況下でストックを手渡したのである。その結果、カナダチームは順位を上げ、銀メダルを獲得。反面、自国のノルウェーチームは4位となりメダルを逃すこととなった。メダルにこだわる人間ならば有り得ない行動で、その優しさを侮辱され続けるだろう。そんな中の勇気ある行動。が、しかしカナダ・ノルウェー両国で話題騒然となり、批判等をするのではなく、このコーチを讃えたのである。カナダからはこのコーチに7400個ものメープルシロップが送られ、ノルウェー国内でもコーチが支援するガン撲滅慈善団体に270万円もの寄付が行われた。 このトリノ五輪の恩、優しさ、五輪マークの示す「他国との輪」という本当の意味の大会を行うために、ソチ五輪でカナダコーチは飛び込んだのだという。 戦争などのくらいニュースが続く中、本当に暖かい話でスポーツマンシップにのっとった話である。
2014.02.16

http://ghidorah.hatenablog.com/entry/2014/02/16/200837から スキージャンプ競技の日本代表の葛西紀明選手(41)は15日、スキージャンプ男子個人ラージヒルで2位となり、7度目の五輪で個人種目初の銀メダルを獲得した。葛西選手は7大会連続の五輪出場で、選手団主将を任されている。オリンピック前の1月にオーストリアW杯では優勝し、史上最年長記録を更新している。日本選手としては最多の16勝。神風葛西とニックネームをつけられ、そのフォームは世界一美しいともいわれている。しかし、葛西選手のこれまでの経歴・人生は平和で幸せな家庭ではないという。病気で働こうとしない父親とその代わりに母が働き家計を支えていたが、近所から米やお金も借りなければ暮らしていけなかったそうです。また’92年に続き、’94年のリレハンメル五輪の代表選手に葛西は選ばれたが、このとき、高校に入学したばかりの妹の久美子さん(36)が再生不良性貧血という病魔に襲われる。「僕が金メダルを取れば妹の病気が治るような気がする」(葛西選手) そのリレハンメル五輪で葛西選手は活躍し、団体ラージヒルで銀メダルを獲得した。その後、妹の病気は回復したものの。その2年後に家を放火され、母が大やけど負い、再三の皮膚移植も虚しく、11カ月後に46歳の若さで亡くなった。葛西選手は自身のブログのなかで「休む暇もなくずーっと子供達のこと考えてくれてたんだろうな~。そんな母さんに家を建てて上げるからって約束したまま……。今母さんがいたら即行!土屋ホームの家を建てて上げたんだけどな~」と告白している。 葛西選手は母親の墓地を建てた。命日とお盆、大きな大会の前には必ず墓参りをする。現在、妹の久美子さんは肺炎をこじらせて入院中だ……。さまざまな思い背負って葛西選手はソチの空を舞った。 姉の紀子さんはこう話す。「もちろん頑張ってほしい。でも、弟は金メダルを獲得するためだけに飛んでいるのではないような気がするんです。それが何なのか私にもわかりません。でもいつかこの日のために飛び続けていたんだ、なぜあんな苦労をしてきたのか、いつかきっとわかる日がくるような気がします」(一部女性自身より抜粋) その結果、見事銀メダルに輝いたのである。選手たちにとって競技目標はいろいろあると思う。その中のたった一つの目標なのかもしれない。ただ、不幸を不幸として同情をかうのではなく、自分のできることで応援する姿に目頭が熱くなる。今の自分に何ができるか・・・人のために何ができるか・・・必死に守りたいものをどんな風に守るか・・・ 私は大空を美しく飛ぶ葛西選手の背中に天使の羽が見えた。
2014.02.16
どっきり ダメな従業員が実は社長だったら http://www.youtube.com/watch?v=USdXdcHkwIc
2014.01.29
朗人さんからありがとうございます。【78対22の法則】(ユダヤの法則)【78対22の法則】というのをご存じですか。ユダヤの法則とも言いますが、世の中は、すべて78対22で成り立っているという法則です。 ★地球の海の割合は78%に対して陸地が22% ★人間の体を構成は水分が78%に対してそれ以外の物質が22%。 ★空気中の成分も窒素が78%に対して酸素が22%。 ★肺呼吸が78%に対して皮膚呼吸が22%。 ★健康な人の腸内は善玉菌が割合が78%に対して、悪玉菌が22%。 ★足裏の体重負荷率(かかと:足先)は78%に対して22%。 ★円に外接する正方形も正方形の面積を100とすると、円の面積は78、残りは22になる。 ★金を貸したい人が78に対して借りたい人が22の割合でできている。・・・この預けた人と借りた人の比率が、「78対22」のとき銀行が利益を得る。 ★100人で1000万円の売上があったら、22%の人が78%の売上をあげています。 ★コカコーラのビンは、縦と横の比率が78対22 身体のバランスが崩れると「病気」という「サイン」を出して、この78対22の割合に直そうとします。 食事も穀物78%にしてタンパク質を22%にするように心がければ、自浄作用で勝手に戻してくれるのです。 宇宙の法則によれば、一般大衆が持っているお金を22とすれば、絶対数の少ないお金持ちの人が持っているお金は78となります。つまり78を相手にして商売した方が儲かるということです。 お金も持っている人を相手にして、ちょっとしたお金持ちなら必ず欲しがって、しかも現実に手の届くものを売ること、これが商売の秘訣なのであるというのです。 また、お金を借りたい人が22、貸したい人が78の割合で、この世は成り立っています。 つまり78を相手に丁寧にじっくり商売をした方が儲かるということです。 ユダヤ人は銀行業で成功を収めてきたのだが、彼らによるとお金を預ける人78に対してお金を借りる人22の割合が成功の秘訣だったのだといいます。 アメリカの経済学者シュルツは「会社の売上の7割は、その会社の製品の 3割で達成している」という法則を発表してシュルツはノーベル賞を貰いました。 ★会社の売上の7割は、その会社の製品の3割で達成している。 ★普段の生活の中ではアナタの着る服の7割は持ってる服の3割である。 この7対3の法則は、もともとは、ユダヤ商法であり、シュルツはユダヤの法則を統計を用いて証明したにすぎない。ユダヤ商人が言うには、地球上の多くは7:3の割合になっているから、3割を探すのが金儲けの鉄則だそうです。ユダヤの場合は正確には78対22 タロットと同じ構成であす。 すべてのものは、この比率で成り立っているというのが宇宙の法則です。 お金持ちと一般人との比率や、 お金を貸したい人と借りたい人との比率 大企業と中小企業の比率や あらゆる商売の客の嗜好性など 全てのものが、この比率で紐解く事が出来るようです。 長者番付1位の斉藤一人さんは著書『絶対成功する千回の法則』で言われています。 「不完璧主義者になることだよ。人間のやることには限界があって、最高で78%であり、100%になることはない」 「人間のやることは完璧じゃないから、22%は残る。それはね、次にやると きに改良すればいいの。 で、次にやるときは、この22%を100だと考え て、完璧を目指すんだよ。でも、この改良がどんなにうまくいっても、や っぱり78%が最高なの。 すると、次にまた、この22%を改良しようとす る。こうやって、限りなく改良を続けていっても、いつも22%が残るの。 でも、少しずつ、完璧へと近づけていくんだよ。 プロは限りなく改良し 続けるものだ」。 斎藤一人さんも人間は78点が満点。 あとの22点は改善点で必要なスペースとして必要だというのです。 だから完璧主義は間違っているし必ず失敗するというのです。 このことは子供や人に対しても、出来なかった22%を責めるのではなく、出来た78%をほめて伸ばせばいいということになります。 取り組んだ一部は出来なくて当たり前なんだから、そこを次にクリアすればいい。 そういえば、善玉菌だけではダメなのと一緒ですね。 「不完全と思っていた事が実は、完全だった」 最小限の努力で最大限の効果が上がる。仕事はもちろん、人間関係、投資、家庭、レジャーなどにも応用自在な、成功と幸福を呼ぶ思考法です。 ★利益の80%は20%の顧客がもたらす ★成果の80%は20%の時間で得られる
2014.01.22
さよなら小野田寛郎さん・「心ならずも戦死された」は英霊に対する侮辱・私が見た従軍慰安婦の正体http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-5329.html?sp
2014.01.22
小野田寛郎氏、靖國神社で小泉首相を痛烈に批判!【都知事選は田母神氏で決まり!】http://m.youtube.com/watch?v=4R9JavyavG8&desktop_uri=%2Fwatch%3Fv%3D4R9JavyavG8
2014.01.22
東京 都知事選 2014 – 選挙情報 候補分析 支持団体分析 - 日本の即時脱原発でだれが大儲けできる?http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/note/n244427
2014.01.21
<原発技術者>東電人材流出やまず 韓国が引き抜き攻勢http://lovecorea.exblog.jp/14712290
2014.01.21
「日本人の誇り喚起」 米紙が小野田寛郎さん称賛産経新聞 2014年01月19日08時05分 【ニューヨーク=黒沢潤】米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は17日、フィリピン・ルバング島で30年間潜伏任務を続け、16日に死去した元陸軍少尉の小野田寛郎さんの評伝を掲載した。 評伝は小野田さんについて、「戦後の繁栄と物質主義の中で、日本人の多くが喪失していると感じていた誇りを喚起した」と指摘。「彼の孤独な苦境は、世界の多くの人々にとって意味のないものだったかもしれないが、日本人には義務と忍耐(の尊さ)について知らしめた」と強調した。 小野田さんがフィリピンのマルコス大統領(当時)に1974年3月、投降の印として軍刀を手渡したとき、「多くの者にとっては格式のある、古いサムライのようだった」と形容した。 また、小野田さんの出征前の日本は「紙と木からなる牧歌的な地」だったが、約30年を経て帰国した母国は、「高層ビルやテレビ、ジェット機などがある未来型の世界」へと変貌を遂げていたと指摘した。 一方、米紙ワシントン・ポスト(電子版)も同日、「彼は戦争が引き起こした破壊的状況から、経済大国へと移行する国家にとって骨董(こっとう)のような存在になっていた忍耐、恭順、犠牲といった戦前の価値を体現した人物だった」と論評。多くの軍人は「処刑への恐怖」から潜伏生活を続けたが、小野田さんは任務に忠実であり続けたがゆえに「(多くの人々の)心を揺さぶった」とたたえた。
2014.01.19
お泊まりデイ、3年で26人が死亡 #ldnews http://ln.is/news.livedoor.com/ar/lg80W
2014.01.19
店までマクドナルドを占拠…「韓国人追い出して欲しい」警察出動2014/01/17 00:21 コメント974http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1785292.html?__from=mixi
2014.01.19
<中華ボイス>アジア人の見分け方、「澄み切った目=日本人」「狡猾な目=韓国人」中国人は?—企業責任者Record China 1月17日 0時19分配信http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140117-00000001-rcdc-cn&__from=mixi
2014.01.19
大寒波で海が一瞬にして凍結!? 逃げ切れなかった魚群とヘラジカが無残な姿に=ノルウェー http://n-knuckles.com/case/international/news001086.html
2014.01.19
この40年間、喫煙率は2分の1になって、肺がんは約10倍になっているのは一体何故!?http://s.ameblo.jp/64152966/entry-11752202436.html
2014.01.19
オランダに350年支配されてたインドネシアを、日本軍が9日間で解放http://m.youtube.com/watch?v=OCy4xlS1EBY
2014.01.19
日本人なら思わず涙する日本はすごい国・日本人のすごいところhttp://m.youtube.com/watch?v=hCN9inLlbL4
2014.01.19
朗人さんからありがとうございます。体は病んでも心まで病ませるな中村天風先生がインドでカリアッパ師のもとで修行中にこんなことがありました。以下、竹田鏡村「中村天風の行動学」(東洋経済)によります。 天風はゴーグ村の羊小屋で寝泊まりし、ひえを食べては、ヨガの修行に打ち込んだ。 毎朝、カリアッパ師は、 「どうだね、気分は?」 と尋ねるので、天風は何気なく、 「体がだるくて、いい気分とは言えません」 と本心で答えた。 するとカリアッパ師は、語気を強めて、こう言ったという。 「私は、お前の体のことを訊いているのではない。気分はどうかと訊いているのだ。ところが、お前は口を開けば、体がだるい、胸が苦しいなどと体の具合ばかり言っている」。 そう指摘されても、事実、体が悪ければ気分がいいはずはない。そう反論したくなる天風の心を見すかしたかのように、師は毅然としてこう言い放った。 「体は病んでも、心まで病ませるな。そこのところがわからないと、お前の病気は治らないぞ」 師の言葉は、天風の胸を強く打った。しかも、その言葉は天風の心に徐々に沁みわたってきたのである。 「体は病んでも、心まで病ませるな」。 繰り返し呟いているうちに、この言葉はアメリカやヨーロッパの学者たちに尋ね歩いて求めることの出来なかったものであるということに気づいたのだ。 病気にかかると、とかく病気の症状の自覚ばかりに気持ちがいってしまう。心のすべてが病気にとらわれてしまうといっても過言ではない。 しかし、それは病気によって心まで病んでいることにほかならないのだ。 たしかに病気は身心を病ませるものである。しかし、実態は、体を蝕んでいるだけにすぎない。それで心まで蝕ませることはないのではないか。 体は病んでいても、心まで病ませることはなく、明るい気持ちを持っていたなら、あるいは病気そのものが治るのではないか。 「病は気から」 よく言われる言葉だが、気持ちを変えることで病気にかからず、たとえ病気になっても治すことができるのではないだろうか。 そう思うと、天風の心には爽快な風が吹き抜けた。それと同時に、熱い涙があふれてきたという。 以来、天風はどれほど体が苦しくても、 「どうだね、気分は?」 と問われると、 「はい、いい気分です」 と答えた。そう答えることで、体が楽になるような気がした。そして、不思議なことに次第に健康を回復していったのである。 カリアッパ師の言葉は、天風に健康を取り戻させたと同時に、心の悟りを開かせるものだったのである。 感じるのは心だ だから 自分の心で すべてのことを 幸福にしてしまいなさい ・・・・天風
2014.01.19
「『従軍慰安婦』と言う言葉は、日本を貶める為に後日作った造語。喚き散らしていれぱ、何かが得られると狙っている」〜私が見た従軍慰安婦の正体:小野田寛郎 http://nippon-end.jugem.jp/?eid=4118 「従軍慰安婦」と言う言葉は聞いた者も、また、使った者もいまい。それは日本を貶める為に後日作った造語であることは確かだ。喚き散らしていれぱ、何かが得られると 狙っているということだ。 「従軍慰安婦」なるものは存在せず、ただ戦場で「春を売る女性とそれを仕切る業者」が軍の弱みにつけ込んで、利益率のいい仕事をしていたと言うだけのことである。:小野田寛郎
2014.01.19
【靖国問題】佐々江駐米大使が米紙に完璧な反論文を寄稿 http://nakasoku.blog18.fc2.com/blog-entry-4085.html 「中国は国際世論読み違え」=佐々江駐米大使、米紙上で反論【ワシントン時事】佐々江賢一郎駐米大使は、中国の崔天凱駐米大使が米ワシントン・ポスト紙上で安倍晋三首相の靖国神社参拝を批判したことに対抗し、「同大使の投稿(での主張)は誤っており、中国の指導者は国際世論を明らかに読み違えている」と中国を批判する論文を17日付の同紙に寄稿した。 佐々江大使は論文で「中国は世界的な反日プロパガンダキャンペーンを展開しているが、国際社会が懸念しているのは日本ではなく中国だ」と強調。「アジア太平洋地域の平和と安全に対する深刻な懸念になっているのは、首相の靖国参拝ではなく、他に例を見ない中国の軍備増強であり、周辺国に対する威圧だ」と指摘した。 佐々江大使は「日本は世論調査で世界最高水準の好感度を得てきている。戦後、戦闘で一発も弾を撃っていない」と日本の姿勢をアピール。「残念ながら中国は情報の流入を認めていないため、中国国民は真実を目にすることができず、ゆがんだ見解を批判することもできない」とも記した。靖国神社は軍国主義の象徴とした崔大使の批判に対しては「日本国民は戦没者の魂を弔うために参拝するのであり、戦争を美化したり、A級戦犯を崇拝したりするためではない」と反論。中国は1978年のA級戦犯合祀(ごうし)後も85年まで靖国参拝を批判していなかったとし、「中国は政治的な動機によって参拝を問題視するようになった」と指弾した。 http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2014011700366
2014.01.19
英霊の遺書。 「六月五日、あんまり緑が美しい。 今日これから 死に行くことすら 忘れてしまひさうだ 。 真青な空。 ぽかんと浮ぶ白い雲 、 六月のチランは もうセミの声がして 夏を思はせる。 「小鳥の声がたのしさう。 俺もこんどは 小鳥になるよ」 日のあたる草の上に ねころんで 、杉本がこんなことを 云つてゐる 。 笑はせるな。 本日一四、五五分。いよいよ知ランを離陸する 。 なつかしの 祖國よさらば。 使ひなれた 万年筆を“かたみ”に 送ります。」日本を裏切らなかった先人達。日本を裏切らないとは、我々も含め未来の日本も裏切らなかったということだ。そんな先人達に、現在の我々は胸を張れるだろうか?せめても深く頭を下げなければならない・・・伝統とは、口で説明できるようなものではない。また、理解も出来ない。凄く、大きくて、深くて、長いものなのだ。なぜなら何千年もの先祖の知恵がつまっているからである。それを、現在を生きる一代の人が、あれこれいうことが、そもそも大間違いだし、説明しろというのも間違いなのだ。先人達が二千年以上守り続けてきた伝統や、慣習に従うのは自然の流れであって、それを止めたり、簡単に変更するのは恐れ多いことだし、誰もそれを説明なんて出来ない。そのくらい伝統とは重くて、そして大事なものなのである。先人達は先の大戦で、なぜ必死で戦ったかというと、その伝統を死守したからである。そして、その伝統がどれだけ大事であるかを理解していた。だから、我々が現在もこのように日本語を話せて、神社にお参りも出来るのだ。この伝統を大事にしなければ日本は、なくなってしまうのである。大事にするとは受け継いでいかねばならないということだ。
2014.01.19
【三橋貴明ブログ 脱原発と東京強靭化】 http://amba.to/1d4i5Qa 東京都民を含む日本国民は、いい加減目を覚ますべきです。。 特に、東京から太平洋ベルト地帯にかけた地域は、早急な強靭化対策が必要であり、脱原発といった政治ゲームをしている時間はないのです。
2014.01.19
八木秀次「徴兵される在日韓国人・中国人らは相手国の『潜在的兵士』。参政権付与は論外」 http://blog.livedoor.jp/zigzagu5678/archives/2553326.html 上記の理由により日本人や日本を守るために、1在日韓国人に日本の参政権は一切、必要ない。2在日韓国人は全員、祖国の韓国に帰国していただく。
2014.01.19
石原慎太郎と田母神俊雄の対談 いざというときアメリカは助けてくれない。 - 今、気になる喜怒哀楽のブログ http://blog.livedoor.jp/zigzagu5678/archives/2552952.html
2014.01.19
【これは酷い】舛添要一、伊豆大島の被災者を怒鳴りつけていた事が発覚!!!「被災地の声をちゃんと聞いたんですか?」 ⇒ 「聞いたって言ってるでしょう!!失礼でしょうが!!」 婚外子3人の内1人は重度の障害者・元愛人と養育費でモメて裁判沙汰・豪邸住まいのくせに月収10万円と大嘘をつく…こんな人間のクズを本当に都知事にしていいの??【これは酷い】舛添要一、伊豆大島の被災者を怒鳴りつけていた事が発覚!!!「被災地の声をちゃんと聞いたんですか?」 ⇒ 「聞いたって言ってるでしょう!!失礼でしょうが!!」 婚外子3人の内1人は重度の障害者・元愛人と養育費でモメて裁判沙汰・豪邸住まいのくせに月収10万円と大嘘をつく…こんな人間のクズを本当に都知事にしていいの??
2014.01.19
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