元気力UP!

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2014年12月13日
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カテゴリ: 吾輩は猫である
「しばらく御無沙汰をしました。

実は去年の暮から大に活動しているものですから、出よう出ようと思っても、ついこの方角へ足が向かないので」と羽織の紐をひねくりながら謎見たような事をいう。

「どっちの方角へ足が向くかね」と主人は真面目な顔をして、黒木綿の紋付羽織の袖口を引張る。

この羽織は木綿でゆきが短かい、下からべんべら者が左右へ五分くらいずつはみ出している。

「エヘヘヘ少し違った方角で」と寒月君が笑う。

見ると今日は前歯が一枚欠けている。

「君歯をどうかしたかね」と主人は問題を転じた。

「ええ実はある所で椎茸を食いましてね」「何を食ったって?」「その、少し椎茸を食ったんで。

椎茸の傘を前歯で噛み切ろうとしたらぼろりと歯が欠けましたよ」「椎茸で前歯がかけるなんざ、何だか爺々臭いね。



「ああその猫が例のですか、なかなか肥ってるじゃありませんか、それなら車屋の黒にだって負けそうもありませんね、立派なものだ」と寒月君は大に吾輩を賞める。

「近頃大分大きくなったのさ」と自慢そうに頭をぽかぽかなぐる。

賞められたのは得意であるが頭が少々痛い。

「一昨夜もちょいと合奏会をやりましてね」と寒月君はまた話しをもとへ戻す。

「どこで」「どこでもそりゃ御聞きにならんでもよいでしょう。

ヴァイオリンが三挺とピヤノの伴奏でなかなか面白かったです。

ヴァイオリンも三挺くらいになると下手でも聞かれるものですね。

二人は女で私がその中へまじりましたが、自分でも善く弾けたと思いました」「ふん、そしてその女というのは何者かね」と主人は羨ましそうに問いかける。

元来主人は平常枯木寒巌のような顔付はしているものの実のところは決して婦人に冷淡な方ではない、かつて西洋の或る小説を読んだら、その中にある一人物が出て来て、それが大抵の婦人には必ずちょっと惚れる。

勘定をして見ると往来を通る婦人の七割弱には恋着するという事が諷刺的に書いてあったのを見て、これは真理だと感心したくらいな男である。

そんな浮気な男が何故牡蠣的生涯を送っているかと云うのは吾輩猫などには到底分らない。



どっちにしたって明治の歴史に関係するほどな人物でもないのだから構わない。

しかし寒月君の女連れを羨まし気に尋ねた事だけは事実である。

寒月君は面白そうに口取の蒲鉾を箸で挟んで半分前歯で食い切った。

吾輩はまた欠けはせぬかと心配したが今度は大丈夫であった。

「なに二人とも去る所の令嬢ですよ、御存じの方じゃありません」と余所余所しい返事をする。



寒月君はもう善い加減な時分だと思ったものか「どうも好い天気ですな、御閑ならごいっしょに散歩でもしましょうか、旅順が落ちたので市中は大変な景気ですよ」と促がして見る。

主人は旅順の陥落より女連の身元を聞きたいと云う顔で、しばらく考え込んでいたがようやく決心をしたものと見えて「それじゃ出るとしよう」と思い切って立つ。

やはり黒木綿の紋付羽織に、兄の紀念とかいう二十年来着古るした結城紬の綿入を着たままである。

いくら結城紬が丈夫だって、こう着つづけではたまらない。

所々が薄くなって日に透かして見ると裏からつぎを当てた針の目が見える。

主人の服装には師走も正月もない。

ふだん着も余所ゆきもない。

出るときは懐手をしてぶらりと出る。

ほかに着る物がないからか、有っても面倒だから着換えないのか、吾輩には分らぬ。

ただしこれだけは失恋のためとも思われない。




本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。
夏目 漱石
慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。





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Last updated  2014年12月13日 10時01分45秒
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