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2014年12月18日
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カテゴリ: 吾輩は猫である


障子の内で御師匠さんが二絃琴を弾き出す。
「宜い声でしょう」と三毛子は自慢する。
「宜いようだが、吾輩にはよくわからん。
全体何というものですか」「あれ? あれは何とかってものよ。
御師匠さんはあれが大好きなの。
……御師匠さんはあれで六十二よ。
随分丈夫だわね」六十二で生きているくらいだから丈夫と云わねばなるまい。
吾輩は「はあ」と返事をした。
少し間が抜けたようだが別に名答も出て来なかったから仕方がない。
「あれでも、もとは身分が大変好かったんだって。
いつでもそうおっしゃるの」「へえ元は何だったんです」「何でも天璋院様の御祐筆の妹の御嫁に行った先きの御っかさんの甥の娘なんだって」「何ですって?」「あの天璋院様の御祐筆の妹の御嫁にいった……」「なるほど。
少し待って下さい。
天璋院様の妹の御祐筆の……」「あらそうじゃないの、天璋院様の御祐筆の妹の……」「よろしい分りました天璋院様のでしょう」「ええ」「御祐筆のでしょう」「そうよ」「御嫁に行った」「妹の御嫁に行ったですよ」「そうそう間違った。
妹の御嫁に入った先きの」「御っかさんの甥の娘なんですとさ」「御っかさんの甥の娘なんですか」「ええ。
分ったでしょう」「いいえ。
何だか混雑して要領を得ないですよ。
詰るところ天璋院様の何になるんですか」「あなたもよっぽど分らないのね。
だから天璋院様の御祐筆の妹の御嫁に行った先きの御っかさんの甥の娘なんだって、先っきっから言ってるんじゃありませんか」「それはすっかり分っているんですがね」「それが分りさえすればいいんでしょう」「ええ」と仕方がないから降参をした。
吾々は時とすると理詰の虚言を吐かねばならぬ事がある。




本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。
夏目 漱石
慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。





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Last updated  2025年03月07日 17時31分51秒
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