元気力UP!

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2014年12月25日
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カテゴリ: 吾輩は猫である




「いや失敬。

今大変な名文を拝聴してトチメンボーの亡魂を退治られたところで」と迷亭先生は訳のわからぬ事をほのめかす。

「はあ、そうですか」とこれも訳の分らぬ挨拶をする。

主人だけは左のみ浮かれた気色もない。

「先日は君の紹介で越智東風と云う人が来たよ」「ああ上りましたか、あの越智東風と云う男は至って正直な男ですが少し変っているところがあるので、あるいは御迷惑かと思いましたが、是非紹介してくれというものですから……」「別に迷惑の事もないがね……」「こちらへ上っても自分の姓名のことについて何か弁じて行きゃしませんか」「いいえ、そんな話もなかったようだ」「そうですか、どこへ行っても初対面の人には自分の名前の講釈をするのが癖でしてね」「どんな講釈をするんだい」と事あれかしと待ち構えた迷亭君は口を入れる。

「あの東風と云うのを音で読まれると大変気にするので」「はてね」と迷亭先生は金唐皮の煙草入から煙草をつまみ出す。

「私しの名は越智東風ではありません、越智こちですと必ず断りますよ」「妙だね」と雲井を腹の底まで呑み込む。

「それが全く文学熱から来たので、こちと読むと遠近と云う成語になる、のみならずその姓名が韻を踏んでいると云うのが得意なんです。

それだから東風を音で読むと僕がせっかくの苦心を人が買ってくれないといって不平を云うのです」「こりゃなるほど変ってる」と迷亭先生は図に乗って腹の底から雲井を鼻の孔まで吐き返す。

途中で煙が戸迷いをして咽喉の出口へ引きかかる。

先生は煙管を握ってごほんごほんと咽び返る。

「先日来た時は朗読会で船頭になって女学生に笑われたといっていたよ」と主人は笑いながら云う。

「うむそれそれ」と迷亭先生が煙管で膝頭を叩く。

吾輩は険呑になったから少し傍を離れる。

「その朗読会さ。

せんだってトチメンボーを御馳走した時にね。

その話しが出たよ。

何でも第二回には知名の文士を招待して大会をやるつもりだから、先生にも是非御臨席を願いたいって。

それから僕が今度も近松の世話物をやるつもりかいと聞くと、いえこの次はずっと新しい者を撰んで金色夜叉にしましたと云うから、君にゃ何の役が当ってるかと聞いたら私は御宮ですといったのさ。

東風の御宮は面白かろう。

僕は是非出席して喝采しようと思ってるよ」「面白いでしょう」と寒月君が妙な笑い方をする。

「しかしあの男はどこまでも誠実で軽薄なところがないから好い。

迷亭などとは大違いだ」と主人はアンドレア・デル・サルトと孔雀の舌とトチメンボーの復讐を一度にとる。

迷亭君は気にも留めない様子で「どうせ僕などは行徳の俎と云う格だからなあ」と笑う。

「まずそんなところだろう」と主人が云う。

実は行徳の俎と云う語を主人は解さないのであるが、さすが永年教師をして胡魔化しつけているものだから、こんな時には教場の経験を社交上にも応用するのである。

「行徳の俎というのは何の事ですか」と寒月が真率に聞く。

主人は床の方を見て「あの水仙は暮に僕が風呂の帰りがけに買って来て挿したのだが、よく持つじゃないか」と行徳の俎を無理にねじ伏せる。

「暮といえば、去年の暮に僕は実に不思議な経験をしたよ」と迷亭が煙管を大神楽のごとく指の尖で廻わす。

「どんな経験か、聞かし玉え」と主人は行徳の俎を遠く後に見捨てた気で、ほっと息をつく。

迷亭先生の不思議な経験というのを聞くと左のごとくである。




本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。
夏目 漱石
慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。





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Last updated  2025年03月17日 12時05分57秒
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