元気力UP!

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2015年05月05日
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カテゴリ: 吾輩は猫である
細君はたった一言 「まあ!」と云ったがそのまあの中 には驚ろいたまあと、気を悪るくしたまあと、手数 が省けてありがたいと云うまあが合併している。

ところへ主人が、いつになくあまりやかましいので、寝つき掛った眠をさかに扱 かれたような心持で、ふらふらと書斎から出て来る。
「相変らずやかましい男だ。
せっかく好い心持に寝ようとしたところを」と欠伸交 りに仏頂面
「いや御目覚 かね。
鳳眠 を驚かし奉ってはなはだ相済まん。
しかしたまには好かろう。
さあ坐りたまえ」とどっちが客だか分らぬ挨拶をする。
主人は無言のまま座に着いて寄木細工 の巻煙草 入から「朝日」を一本出してすぱすぱ吸い始めたが、ふと向 の隅 に転がっている迷亭の帽子に眼をつけて「君帽子を買ったね」と云った。

「まあ奇麗だ事。
大変目が細かくって柔らかいんですね」と細君はしきりに撫で廻わす。
「奥さんこの帽子は重宝 ですよ、どうでも言う事を聞きますからね」と拳骨 をかためてパナマの横ッ腹をぽかりと張り付けると、なるほど意のごとく拳
細君が「へえ」と驚く間 もなく、この度 は拳骨を裏側へ入れてうんと突ッ張ると釜 の頭がぽかりと尖 んがる。
次には帽子を取って鍔 と鍔とを両側から圧 し潰 して見せる。
潰れた帽子は麺棒 で延 した蕎麦 のように平たくなる。
それを片端から蓆 でも巻くごとくぐるぐる畳む。
「どうですこの通り」と丸めた帽子を懐中へ入れて見せる。
「不思議です事ねえ」と細君は帰天斎正一 の手品でも見物しているように感嘆すると、迷亭もその気になったものと見えて、右から懐中に収めた帽子をわざと左の袖口 から引っ張り出して「どこにも傷はありません」と元のごとくに直して、人さし指の先へ釜の底を載 せてくるくると廻す。
もう休 めるかと思ったら最後にぽんと後 ろへ放 げてその上へ堂 っさりと尻餅を突いた。
「君大丈夫かい」と主人さえ懸念 らしい顔をする。
細君は無論の事心配そうに「せっかく見事な帽子をもし壊 わしでもしちゃあ大変ですから、もう好い加減になすったら宜 うござんしょう」と注意をする。
得意なのは持主だけで「ところが壊われないから妙でしょう」と、くちゃくちゃになったのを尻の下から取り出してそのまま頭へ載せると、不思議な事には、頭の恰好 にたちまち回復する。
「実に丈夫な帽子です事ねえ、どうしたんでしょう」と細君がいよいよ感心すると「なにどうもしたんじゃありません、元からこう云う帽子なんです」と迷亭は帽子を被ったまま細君に返事をしている。

「あなたも、あんな帽子を御買になったら、いいでしょう」としばらくして細君は主人に勧めかけた。
「だって苦沙弥君は立派な麦藁 の奴を持ってるじゃありませんか」「ところがあなた、せんだって小供があれを踏み潰 してしまいまして」「おやおやそりゃ惜しい事をしましたね」「だから今度はあなたのような丈夫で奇麗なのを買ったら善かろうと思いますんで」と細君はパナマの価段 を知らないものだから「これになさいよ、ねえ、あなた」としきりに主人に勧告している。

迷亭君は今度は右の袂 の中から赤いケース入りの鋏 を取り出して細君に見せる。
「奥さん、帽子はそのくらいにしてこの鋏を御覧なさい。
これがまたすこぶる重宝 な奴で、これで十四通りに使えるんです」この鋏が出ないと主人は細君のためにパナマ責めになるところであったが、幸に細君が女として持って生れた好奇心のために、この厄運 を免 かれたのは迷亭の機転と云わんよりむしろ僥倖 の仕合せだと吾輩は看破した。
「その鋏がどうして十四通りに使えます」と聞くや否や迷亭君は大得意な調子で「今一々説明しますから聞いていらっしゃい。
いいですか。
ここに三日月形 の欠け目がありましょう、ここへ葉巻を入れてぷつりと口を切るんです。
それからこの根にちょと細工がありましょう、これで針金をぽつぽつやりますね。
次には平たくして紙の上へ横に置くと定規 の用をする。
また刃 の裏には度盛 がしてあるから物指 の代用も出来る。
こちらの表にはヤスリが付いているこれで爪を磨 りまさあ。
ようがすか。
この先 きを螺旋鋲 の頭へ刺し込んでぎりぎり廻すと金槌 にも使える。
うんと突き込んでこじ開けると大抵の釘付 の箱なんざあ苦もなく蓋 がとれる。


本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。
夏目 漱石
慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。





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Last updated  2015年05月05日 22時16分59秒コメント(0) | コメントを書く


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