元気力UP!

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2015年09月24日
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カテゴリ: 吾輩は猫である
かように化物共がわれもわれもと異 を衒 い新 を競 って、ついには燕 の尾にかたどった畸形 まで出現したが、退いてその由来を案ずると、何も無理矢理に、出鱈目 に、偶然に、漫然に持ち上がった事実では決してない。
皆勝ちたい勝ちたいの勇猛心の凝 となったもので、おれは手前じゃないぞと振れてあるく代りに被 っているのである。
して見るとこの心理からして一大発見が出来る。
それはほかでもない。
自然は真空を忌 むごとく、人間は平等を嫌うと云う事だ。
すでに平等を嫌ってやむを得ず衣服を骨肉のごとくかようにつけ纏 う今日において、この本質の一部分たる、これ等を打ちやって、元の杢阿弥 の公平時代に帰るのは狂人の沙汰である。
よし狂人の名称を甘んじても帰る事は到底出来ない。
帰った連中を開明人
仮令 世界何億万の人口を挙 げて化物の域に引ずりおろしてこれなら平等だろう、みんなが化物だから恥ずかしい事はないと安心してもやっぱり駄目である。
世界が化物になった翌日からまた化物の競争が始まる。
着物をつけて競争が出来なければ化物なりで競争をやる。
は赤裸でどこまでも差別を立ててくる。
この点から見ても衣服はとうてい脱ぐ事は出来ないものになっている。

しかるに今吾輩が眼下 に見下 した人間の一団体は、この脱ぐべからざる猿股も羽織も乃至 袴 もことごとく棚の上に上げて、無遠慮にも本来の狂態を衆目環視 の裡 に露出して平々然 と談笑を縦 まにしている。
吾輩が先刻 一大奇観と云ったのはこの事である。
吾輩は文明の諸君子のためにここに謹 んでその一般を紹介するの栄を有する。

何だかごちゃごちゃしていて何 にから記述していいか分らない。
化物のやる事には規律がないから秩序立った証明をするのに骨が折れる。
まず湯槽 から述べよう。
湯槽だか何だか分らないが、大方 湯槽というものだろうと思うばかりである。
幅が三尺くらい、長 は一間半もあるか、それを二つに仕切って一つには白い湯が這入 っている。
何でも薬湯 とか号するのだそうで、石灰 を溶かし込んだような色に濁っている。
もっともただ濁っているのではない。
膏 ぎって、重た気 に濁っている。
よく聞くと腐って見えるのも不思議はない、一週間に一度しか水を易 えないのだそうだ。
その隣りは普通一般の湯の由 だがこれまたもって透明、瑩徹 などとは誓って申されない。
天水桶 を攪 き混 ぜたくらいの価値はその色の上において充分あらわれている。
これからが化物の記述だ。
大分 骨が折れる。
天水桶の方に、突っ立っている若造 が二人いる。
立ったまま、向い合って湯をざぶざぶ腹の上へかけている。
いい慰 みだ。
双方共色の黒い点において間然 するところなきまでに発達している。
この化物は大分 逞ましいなと見ていると、やがて一人が手拭で胸のあたりを撫 で廻しながら「金さん、どうも、ここが痛んでいけねえが何だろう」と聞くと金さんは「そりゃ胃さ、胃て云う奴は命をとるからね。
用心しねえとあぶないよ」と熱心に忠告を加える。
「だってこの左の方だぜ」た左肺 の方を指す。
「そこが胃だあな。
左が胃で、右が肺だよ」「そうかな、おらあまた胃はここいらかと思った」と今度は腰の辺を叩 いて見せると、金さんは「そりゃ疝気 だあね」と云った。
ところへ二十五六の薄い髯 を生 やした男がどぶんと飛び込んだ。
すると、からだに付いていた石鹸 が垢 と共に浮きあがる。
鉄気 のある水を透 かして見た時のようにきらきらと光る。
その隣りに頭の禿 げた爺さんが五分刈を捕 えて何か弁じている。
双方共頭だけ浮かしているのみだ。
「いやこう年をとっては駄目さね。
人間もやきが廻っちゃ若い者には叶 わないよ。
しかし湯だけは今でも熱いのでないと心持が悪くてね」「旦那なんか丈夫なものですぜ。
そのくらい元気がありゃ結構だ」「元気もないのさ。
ただ病気をしないだけさ。
人間は悪い事さえしなけりゃあ百二十までは生きるもんだからね」「へえ、そんなに生きるもんですか」「生きるとも百二十までは受け合う。
御維新前 牛込に曲淵 と云う旗本 があって、そこにいた下男は百三十だったよ」「そいつは、よく生きたもんですね」「ああ、あんまり生き過ぎてつい自分の年を忘れてね。
百までは覚えていましたがそれから忘れてしまいましたと云ってたよ。
それでわしの知っていたのが百三十の時だったが、それで死んだんじゃない。
それからどうなったか分らない。
事によるとまだ生きてるかも知れない」と云いながら槽 から上 る。


本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。
夏目 漱石
慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。





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Last updated  2015年09月24日 23時08分36秒コメント(0) | コメントを書く


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