元気力UP!

元気力UP!

2016年04月10日
XML
カテゴリ: 吾輩は猫である
 金田君は探偵さえ付けて主人の動静を窺 がうくらいの程度の良心を有している男だから、吾輩が偶然君の談話を拝聴したって怒 らるる気遣 はあるまい。
もし怒られたら君は公平と云う意味を御承知ないのである。
とにかく吾輩は両君の談話を聞いたのである。
聞きたくて聴いたのではない。
聞きたくもないのに談話の方で吾輩の耳の中へ飛び込んで来たのである。

「只今御宅へ伺いましたところで、ちょうどよい所で御目にかかりました」と藤 に頭をぴょこつかせる。

「うむ、そうかえ。
実はこないだから、君にちょっと逢いたいと思っていたがね。
それはよかった」
「へえ、それは好都合でございました。
何かご用で」
「いや何、大した事でもないのさ。
どうでもいいんだが、君でないと出来ない事なんだ」
「私に出来る事なら何でもやりましょう。
どんな事で」
「ええ、そう……」と考えている。


いつが宜 しゅう、ございますか」
「なあに、そんな大した事じゃ無いのさ。
――それじゃせっかくだから頼もうか」
「どうか御遠慮なく……」

そら君の旧友さ。
苦沙弥とか何とか云うじゃないか」
「ええ苦沙弥がどうかしましたか」
「いえ、どうもせんがね。
あの事件以来|胸糞 がわるくってね」
「ごもっともで、全く苦沙弥は剛慢ですから……少しは自分の社会上の地位を考えているといいのですけれども、まるで一人天下ですから」
「そこさ。
金に頭はさげん、実業家なんぞ――とか何とか、いろいろ小生意気な事を云うから、そんなら実業家の腕前を見せてやろう、と思ってね。
こないだから大分 弱らしているんだが、やっぱり頑張 っているんだ。
どうも剛情な奴だ。
驚ろいたよ」
「どうも損得と云う観念の乏 しい奴ですから無暗 に痩我慢を張るんでしょう。
昔からああ云う癖のある男で、つまり自分の損になる事に気が付かないんですから度 し難 いです」
「あはははほんとに度 し難 い。
いろいろ手を易 え品を易 えてやって見るんだがね。
とうとうしまいに学校の生徒にやらした」
「そいつは妙案ですな。
利目 がございましたか」
「これにゃあ、奴も大分 困ったようだ。
もう遠からず落城するに極 っている」
「そりゃ結構です。
いくら威張っても多勢 に無勢 ですからな」
「そうさ、一人じゃあ仕方がねえ。
それで大分 弱ったようだが、まあどんな様子か君に行って見て来てもらおうと云うのさ」
「はあ、そうですか。
なに訳はありません。
すぐ行って見ましょう。
容子 は帰りがけに御報知を致す事にして。
面白いでしょう、あの頑固 なのが意気銷沈 しているところは、きっと見物 ですよ」
「ああ、それじゃ帰りに御寄り、待っているから」
「それでは御免蒙 ります」
おや今度もまた魂胆 だ、なるほど実業家の勢力はえらいものだ、石炭の燃殻 のような主人を逆上させるのも、苦悶 の結果主人の頭が蠅滑 りの難所となるのも、その頭がイスキラスと同様の運命に陥 るのも皆実業家の勢力である。
地球が地軸を廻転するのは何の作用かわからないが、世の中を動かすものはたしかに金である。
この金の功力 を心得て、この金の威光を自由に発揮するものは実業家諸君をおいてほかに一人もない。
太陽が無事に東から出て、無事に西へ入るのも全く実業家の御蔭である。
今まではわからずやの窮措大 の家に養なわれて実業家の御利益 を知らなかったのは、我ながら不覚である。
それにしても冥頑不霊 の主人も今度は少し悟らずばなるまい。
これでも冥頑不霊で押し通す了見だと危 ない。
主人のもっとも貴重する命があぶない。
彼は鈴木君に逢ってどんな挨拶をするのか知らん。
その模様で彼の悟り具合も自 から分明 になる。
愚図愚図してはおられん、猫だって主人の事だから大 に心配になる。
早々鈴木君をすり抜けて御先へ帰宅する。

鈴木君はあいかわらず調子のいい男である。
今日は金田の事などはおくびにも出さない、しきりに当り障 りのない世間話を面白そうにしている。

「君少し顔色が悪いようだぜ、どうかしやせんか」
「別にどこも何ともないさ」
「でも蒼 いぜ、用心せんといかんよ。
時候がわるいからね。
よるは安眠が出来るかね」
「何か心配でもありゃしないか、僕に出来る事なら何でもするぜ。
遠慮なく云い給え」
「心配って、何を?」
「いえ、なければいいが、もしあればと云う事さ。
心配が一番毒だからな。
世の中は笑って面白く暮すのが得だよ。
どうも君はあまり陰気過ぎるようだ」
「笑うのも毒だからな。
無暗に笑うと死ぬ事があるぜ」
「冗談 云っちゃいけない。
笑う門 には福|来 るさ」


本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。
夏目 漱石
慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2016年04月10日 07時16分37秒コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: