元気力UP!

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2016年05月23日
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カテゴリ: 吾輩は猫である
 何の故にこんな大きな机を新調して、また何の故にその上に寝て見ようなどという了見 を起したものか、本人に聞いて見ない事だから頓 とわからない。
ほんの一時の出来心で、かかる難物を担 ぎ込んだのかも知れず、あるいはことによると一種の精神病者において吾人がしばしば見出 すごとく、縁もゆかりもない二個の観念を連想して、机と寝台を勝手に結び付けたものかも知れない。
とにかく奇抜な考えである。
ただ奇抜だけで役に立たないのが欠点である。
吾輩はかつて主人がこの机の上へ昼寝をして寝返りをする拍子
それ以来この机は決して寝台に転用されないようである。

机の前には薄っぺらなメリンスの座布団 があって、煙草 の火で焼けた穴が三つほどかたまってる。
中から見える綿は薄黒い。
この座布団の上に後 ろ向きにかしこまっているのが主人である。
鼠色によごれた兵児帯 をこま結びにむすんだ左右がだらりと足の裏へ垂れかかっている。
この帯へじゃれ付いて、いきなり頭を張られたのはこないだの事である。
滅多

まだ考えているのか下手 の考と云う喩 もあるのにと後 ろから覗 き込んで見ると、机の上でいやにぴかぴかと光ったものがある。
をしたが、こいつは変だとまぶしいのを我慢してじっと光るものを見つめてやった。
するとこの光りは机の上で動いている鏡から出るものだと云う事が分った。
しかし主人は何のために書斎で鏡などを振り舞わしているのであろう。
鏡と云えば風呂場にあるに極 まっている。
現に吾輩は今朝風呂場でこの鏡を見たのだ。
この鏡ととくに云うのは主人のうちにはこれよりほかに鏡はないからである。
主人が毎朝顔を洗ったあとで髪を分けるときにもこの鏡を用いる。
――主人のような男が髪を分けるのかと聞く人もあるかも知れぬが、実際彼は他 の事に無精 なるだけそれだけ頭を叮嚀 にする。
吾輩が当家に参ってから今に至るまで主人はいかなる炎熱の日といえども五分刈に刈り込んだ事はない。
必 ず二寸くらいの長さにして、それを御大 そうに左の方で分けるのみか、右の端 をちょっと跳 ね返して澄 している。
これも精神病の徴候かも知れない。
こんな気取った分け方はこの机と一向 調和しないと思うが、あえて他人に害を及ぼすほどの事でないから、誰も何とも云わない。
本人も得意である。
分け方のハイカラなのはさておいて、なぜあんなに髪を長くするのかと思ったら実はこう云う訳 である。
彼のあばたは単に彼の顔を侵蝕 せるのみならず、とくの昔 しに脳天まで食い込んでいるのだそうだ。
だからもし普通の人のように五分刈や三分刈にすると、短かい毛の根本から何十となくあばたがあらわれてくる。
いくら撫 でても、さすってもぽつぽつがとれない。
枯野に蛍 を放ったようなもので風流かも知れないが、細君の御意 に入らんのは勿論 の事である。
髪さえ長くしておけば露見しないですむところを、好んで自己の非を曝 くにも当らぬ訳だ。
なろう事なら顔まで毛を生やして、こっちのあばたも内済 にしたいくらいなところだから、ただで生 える毛を銭 を出して刈り込ませて、私は頭蓋骨 の上まで天然痘 にやられましたよと吹聴 する必要はあるまい。
――これが主人の髪を長くする理由で、髪を長くするのが、彼の髪をわける原因で、その原因が鏡を見る訳で、その鏡が風呂場にある所以 で、しこうしてその鏡が一つしかないと云う事実である。

風呂場にあるべき鏡が、しかも一つしかない鏡が書斎に来ている以上は鏡が離魂病 に罹 ったのかまたは主人が風呂場から持って来たに相違ない。
持って来たとすれば何のために持って来たのだろう。
あるいは例の消極的修養に必要な道具かも知れない。
昔 し或る学者が何とかいう智識を訪 うたら、和尚 両肌を抜いで甎 を磨 しておられた。
何をこしらえなさると質問をしたら、なにさ今鏡を造ろうと思うて一生懸命にやっておるところじゃと答えた。
そこで学者は驚ろいて、なんぼ名僧でも甎を磨して鏡とする事は出来まいと云うたら、和尚からからと笑いながらそうか、それじゃやめよ、いくら書物を読んでも道はわからぬのもそんなものじゃろと罵 ったと云うから、主人もそんな事を聞き噛 って風呂場から鏡でも持って来て、したり顔に振り廻しているのかも知れない。
大分 物騒になって来たなと、そっと窺 っている。

かくとも知らぬ主人ははなはだ熱心なる容子 をもって一張来 の鏡を見つめている。


本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。
夏目 漱石
慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。






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Last updated  2016年05月23日 15時38分45秒コメント(0) | コメントを書く


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