元気力UP!

元気力UP!

2016年09月27日
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カテゴリ: 吾輩は猫である
 舌上 に竜泉 なく、腋下 に清風 を生 ぜざるも、歯根 に狂臭 あり、筋頭 に瘋味
いよいよ大変だ。
ことによるともうすでに立派な患者になっているのではないかしらん。
まだ幸 に人を傷 けたり、世間の邪魔になる事をし出かさんからやはり町内を追払われずに、東京市民として存在しているのではなかろうか。
こいつは消極の積極のと云う段じゃない。
まず脈搏 からして検査しなくてはならん。
しかし脈には変りはないようだ。
頭は熱いかしらん。
これも別に逆上の気味でもない。

」
「こう自分と気狂 ばかりを比較して類似の点ばかり勘定していては、どうしても気狂の領分を脱する事は出来そうにもない。
これは方法がわるかった。
気狂を標準にして自分をそっちへ引きつけて解釈するからこんな結論が出るのである。
へ自分を置いて考えて見たらあるいは反対の結果が出るかも知れない。
それにはまず手近から始めなくてはいかん。
第一に今日来たフロックコートの伯父さんはどうだ。
心をどこに置こうぞ……あれも少々怪しいようだ。
第二に寒月はどうだ。
朝から晩まで弁当持参で球 ばかり磨いている。
これも棒組 だ。
第三にと……迷亭? あれはふざけ廻るのを天職のように心得ている。
全く陽性の気狂に相違ない。
第四はと……金田の妻君。
あの毒悪な根性 は全く常識をはずれている。
純然たる気じるしに極 ってる。
第五は金田君の番だ。
金田君には御目に懸った事はないが、まずあの細君を恭 しくおっ立てて、琴瑟 調和しているところを見ると非凡の人間と見立てて差支 えあるまい。
非凡は気狂の異名 であるから、まずこれも同類にしておいて構わない。
それからと、――まだあるある。
落雲館の諸君子だ、年齢から云うとまだ芽生えだが、躁狂 の点においては一世を空 しゅうするに足る天晴 な豪 のものである。
こう数え立てて見ると大抵のものは同類のようである。
案外心丈夫になって来た。
ことによると社会はみんな気狂の寄り合かも知れない。
気狂が集合して鎬 を削 ってつかみ合い、いがみ合い、罵 り合い、奪い合って、その全体が団体として細胞のように崩 れたり、持ち上ったり、持ち上ったり、崩れたりして暮して行くのを社会と云うのではないか知らん。
その中で多少|理窟 がわかって、分別のある奴はかえって邪魔になるから、瘋癲院 というものを作って、ここへ押し込めて出られないようにするのではないかしらん。
すると瘋癲院に幽閉されているものは普通の人で、院外にあばれているものはかえって気狂である。
気狂も孤立している間はどこまでも気狂にされてしまうが、団体となって勢力が出ると、健全の人間になってしまうのかも知れない。
大きな気狂が金力や威力を濫用 して多くの小気狂 を使役 して乱暴を働いて、人から立派な男だと云われている例は少なくない。
何が何だか分らなくなった」
以上は主人が当夜|煢々 たる孤灯の下 で沈思熟慮した時の心的作用をありのままに描 き出したものである。
彼の頭脳の不透明なる事はここにも著るしくあらわれている。
彼はカイゼルに似た八字髯 を蓄 うるにもかかわらず狂人と常人の差別さえなし得ぬくらいの凡倉 である。
のみならず彼はせっかくこの問題を提供して自己の思索力に訴えながら、ついに何等の結論に達せずしてやめてしまった。
何事によらず彼は徹底的に考える脳力のない男である。
彼の結論の茫漠 として、彼の鼻孔から迸出 する朝日の煙のごとく、捕捉 しがたきは、彼の議論における唯一の特色として記憶すべき事実である。

吾輩は猫である。
猫の癖にどうして主人の心中をかく精密に記述し得るかと疑うものがあるかも知れんが、このくらいな事は猫にとって何でもない。
吾輩はこれで読心術を心得ている。
いつ心得たなんて、そんな余計な事は聞かんでもいい。
ともかくも心得ている。
人間の膝 の上へ乗って眠っているうちに、吾輩は吾輩の柔かな毛衣 をそっと人間の腹にこすり付ける。
すると一道の電気が起って彼の腹の中のいきさつが手にとるように吾輩の心眼に映ずる。
せんだってなどは主人がやさしく吾輩の頭を撫 で廻しながら、突然この猫の皮を剥 いでちゃんちゃんにしたらさぞあたたかでよかろうと飛んでもない了見 をむらむらと起したのを即座に気取 って覚えずひやっとした事さえある。
怖 い事だ。


本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。
夏目 漱石
慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。






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Last updated  2016年09月27日 17時25分17秒コメント(0) | コメントを書く


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