元気力UP!

元気力UP!

2016年11月10日
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カテゴリ: 吾輩は猫である
 釜 の周囲には沸 き上がって流れだした米の汁が、かさかさに幾条 となくこびりついて、あるものは吉野紙を貼 りつけたごとくに見える。
もう飯も汁も出来ているのだから食わせてもよさそうなものだと思った。
こんな時に遠慮するのはつまらない話だ、よしんば自分の望通りにならなくったって元々で損は行かないのだから、思い切って朝飯の催促をしてやろう、いくら居候 の身分だってひもじいに変りはない。
と考え定めた吾輩はにゃあにゃあと甘えるごとく、訴うるがごとく、あるいはまた怨
御三はいっこう顧みる景色 がない。
生れついてのお多角 だから人情に疎 いのはとうから承知の上だが、そこをうまく泣き立てて同情を起させるのが、こっちの手際 である。
今度はにゃごにゃごとやって見た。
その泣き声は吾ながら悲壮の音 を帯びて天涯 の遊子 をして断腸の思あらしむるに足ると信ずる。
として顧 みない。
この女は聾 なのかも知れない。
聾では下女が勤まる訳
世の中には色盲 というのがあって、当人は完全な視力を具えているつもりでも、医者から云わせると片輪 だそうだが、この御三は声盲 なのだろう。
声盲だって片輪に違いない。
片輪のくせにいやに横風 なものだ。
夜中なぞでも、いくらこっちが用があるから開けてくれろと云っても決して開けてくれた事がない。
たまに出してくれたと思うと今度はどうしても入れてくれない。
夏だって夜露は毒だ。
いわんや霜 においてをやで、軒下に立ち明かして、日の出を待つのは、どんなに辛 いかとうてい想像が出来るものではない。
この間しめ出しを食った時なぞは野良犬の襲撃を蒙 って、すでに危うく見えたところを、ようやくの事で物置の家根 へかけ上 って、終夜|顫 えつづけた事さえある。
これ等は皆御三の不人情から胚胎 した不都合である。
こんなものを相手にして鳴いて見せたって、感応 のあるはずはないのだが、そこが、ひもじい時の神頼み、貧のぬすみに恋のふみと云うくらいだから、たいていの事ならやる気になる。
にゃごおうにゃごおうと三度目には、注意を喚起するためにことさらに複雑なる泣き方をして見た。
自分ではベトヴェンのシンフォニーにも劣らざる美妙の音 と確信しているのだが御三には何等の影響も生じないようだ。
御三は突然膝をついて、揚げ板を一枚はね除 けて、中から堅炭の四寸ばかり長いのを一本つかみ出した。
それからその長い奴を七輪 の角でぽんぽんと敲 いたら、長いのが三つほどに砕けて近所は炭の粉で真黒くなった。
少々は汁の中へも這入 ったらしい。
御三はそんな事に頓着する女ではない。
直ちにくだけたる三個の炭を鍋 の尻から七輪の中へ押し込んだ。
とうてい吾輩のシンフォニーには耳を傾けそうにもない。
仕方がないから悄然 と茶の間の方へ引きかえそうとして風呂場の横を通り過ぎると、ここは今女の子が三人で顔を洗ってる最中で、なかなか繁昌 している。

顔を洗うと云ったところで、上の二人が幼稚園の生徒で、三番目は姉の尻についてさえ行かれないくらい小さいのだから、正式に顔が洗えて、器用に御化粧が出来るはずがない。
一番小さいのがバケツの中から濡 れ雑巾 を引きずり出してしきりに顔中|撫 で廻わしている。
雑巾で顔を洗うのは定めし心持ちがわるかろうけれども、地震がゆるたびにおもちろいわと云う子だからこのくらいの事はあっても驚ろくに足らん。
ことによると八木独仙君より悟っているかも知れない。
さすがに長女は長女だけに、姉をもって自 ら任じているから、うがい茶碗をからからかんと抛出 して「坊やちゃん、それは雑巾よ」と雑巾をとりにかかる。
坊やちゃんもなかなか自信家だから容易に姉の云う事なんか聞きそうにしない。
「いやーよ、ばぶ」と云いながら雑巾を引っ張り返した。
このばぶなる語はいかなる意義で、いかなる語源を有しているか、誰も知ってるものがない。
ただこの坊やちゃんが癇癪 を起した時に折々ご使用になるばかりだ。
雑巾はこの時姉の手と、坊やちゃんの手で左右に引っ張られるから、水を含んだ真中からぽたぽた雫 が垂 れて、容赦なく坊やの足にかかる、足だけなら我慢するが膝のあたりがしたたか濡れる。
坊やはこれでも元禄 を着ているのである。
元禄とは何の事だとだんだん聞いて見ると、中形 の模様なら何でも元禄だそうだ。
一体だれに教わって来たものか分らない。


本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。
夏目 漱石
慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。






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Last updated  2016年11月10日 19時58分02秒コメント(0) | コメントを書く


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