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2021.09.06
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カテゴリ: うるま市



沖縄本島中部のうるま市に「浜比嘉島」があり琉球開闢の祖である女神アマミキョと男神シルミキョを祀った伝説がある「神の島」として知られています。平安座島から浜比嘉大橋を渡り「浜比嘉島」に入ると左側に「比嘉集落」右側に「浜集落」の2つの集落で形成されています。「浜比嘉島」には神道(カミミチ)と呼ばれる神聖な道に御嶽、拝所、井泉が数多く点在し、古き良き琉球の風景が残るゆったりとした時間が流れています。


(地頭代火の神)

「浜集落」は「アガリ(東)地区」と「イリ(西)地区」の2つに分かれており「アガリ(東)地区」の中心部にある「浜公民館」の敷地内には「地頭代火の神(ジトウデーヒヌカン)」が祀られています。コンクリート製の小祠の内部に火の神の依り代として三個の霊石が祀られる拝所となっています。琉球王府時代「浜集落」には地頭代のおえか地(役地)があり、地頭代の役職になるにはまず「浜集落」の地頭を勤める必要がありました。その為に「地頭代火の神」がこの地に奉安されました。


(地頭代火の神の内部)

「地頭代火の神」の祠内には中央に「奉納」と彫られた霊石、その左右に2基の石造りウコール(香炉)と2つの陶器製ウコールが祀られています。ヒラウコー(琉球線香)は陶器製ウコールのみで使用されています。この小祠には1713年に王府が編纂した「琉球国由来記」に記される「殿(トゥン)」と呼ばれる「浜集落」の里主(サトゥヌシ)所が合祀されています。現在も「地頭代火の神」は"立身出世の神"として進学や旅立ちに際し祈願する慣わしとなっています。


(綱引きの場)

(アガリエーガー/親川家)

「旧浜中学校」と「浜公民館」に挟まれたこの道は「綱引きの場」と呼ばれる祭り道で、ここから西に150メートル先の「サーターヤー(製糖場)跡」まで直線の道が続いています。「浜集落」では旧暦6月24日〜25日に五穀豊穣祈願の目的で開催される「豊年祭」で綱引きが行われています。また「綱引きの場」の北側に「アガリガエーガー」と呼ばれる親川家の歴史深い旧家があり、強度と耐久性に富む「相方積み(亀甲乱積み)」の石垣が現在も残っています。旧正月の年頭拝み等で集落の住民により祈願されています。




(ヌンドゥンチ内部/向かって中央)

(ヌンドゥンチ内部/向かって左)

(ヌンドゥンチ内部/向かって右)

ノロは琉球王国時代に集落の祭祀を司った神女で「ヌンドゥンチ(ノロ殿内)」に住み、管轄する集落の祈願儀礼を行いました。御嶽や拝所で「オタカベ(お崇べ)」と呼ばれる神への祈願の言葉を唱え、神と交信する琉球神道における女性の祭司として琉球王府から正式に任命されていました。この「ヌンドゥンチ」には「大内家」のノロに琉球王府より献上された扇が祀られており、旧正月の年頭拝み等で集落の住民により拝まれています。


(メーヌカー/前ヌカー)

(メーヌカーの湧き水)

「アガリ(東)地区」の南側に「メーヌカー(前ヌカー)」と呼ばれる井泉があります。ウブガー(産井)とも呼ばれる井戸で、旧正月の若水や赤ちゃんの産水はこの井戸から汲んでいました。亥の年に行われる浜比嘉島の伝統行事である「龕年忌祭(ウフアシビ)」では祈願が行われエイサーが奉納されます。浜グスクの丘陵の麓にある「メーヌカー」は水量が豊富で現在は農業用水としても使用されています。井戸にはウコール(香炉)が祀られ、住民は水の恵みに感謝して祈りを捧げます。


(浜グスク)

(浜公園の標識)

「浜グスク」は「浜集落」を南側から見下ろせる位置に築かれており、グスクの北側崖部分に野面積みの石垣があり南東の崖の面に古墓が分布しています。グスク内は北側と南側で2メートル程の落差があり2つの曲輪から形成されています。「浜グスク」からは土器、陶器、須恵器などが出土されています。現在は「浜公園」として整備されて、自然豊かな住民の憩いの場となっています。展望台もありグスクからの絶景が楽しめます。


(カーミット・シェリー大佐の碑)




(カーミット・シェリー大佐の碑)

米軍に納品する農作物の収入で島の農協を強化して立派な農道も整備されました。米軍が農業用の給水所を造った事で農業用水が枯渇することもなく島全体が活気づいていたそうです。島ではシェリー大佐が亡くなった後、感謝を示すため昭和43年に慰霊碑を建立して毎年6月23日の慰霊の日に慰霊祭を行っています。慰霊の日の前日には島民と海兵隊員が一緒に「シェリー大佐の碑」の清掃を続けており、浜比嘉島の住民は今でも海兵隊への感謝の気持ちを忘れず持っていて、反米軍の感情は無いと言われています。


(龕屋/アカンマー跡)

(龕屋/アカンマー跡の拝所)

「浜グスク」の南側に「龕屋(ガンヤ)跡」があります。集落で亡くなられた方をお墓まで運ぶ木箱を龕(ガン)と言い、別名「アカンマー」とも呼ばれています。龕を収めていた小屋が「龕屋」であり、現在は拝所が祀られています。12年に1回「亥年」に行われる「龕年忌祭(がんねんきさい)」では、明治時代から昭和46年頃まで使用していたとされている龕の修理や修繕、龕屋跡の拝所での祈願が行われています。今日「龕屋跡」は一頭のヤギが門番として大切に守られています。




「シーローガー(水道ガー)」は「アガリ(東)地区」最南端に位置し、別の名前で「イーヌカー」とも呼ばれています。水量が豊富な井戸で稲作の水を引いており、農作業の休憩場所でもありました。現在はコンクリートで囲って水を溜めポンプで汲み上げて農業用水に利用しています。「シーローガー」の正面にはウコール(香炉)が祀られており、旧正月の年頭拝み等で集落の住民により水への感謝が祈られています。


(イリヌウタキ/西の御嶽)

(ビジュル神)

「イリ(西)地区」の最南端の森は「イリヌウタキ(西の御嶽)」と呼ばれる聖域です。「シリギチャー御嶽」の名でも知られるこの御嶽は「琉球国由来記」に勝連間切の拝所として「マサゴロヨリアゲ嶽」と記録されています。民話では「メーベーヌウタキ」と呼ばれ、金武王子のウナイ(姉妹)がノロとして来た事から「チンヌウタキ」とも言われました。御嶽の森を昇る石段の先には「ビジュル神」が粛然と佇み、霊石とウコール(香炉)が祀られています。


(竜宮神)

(七竜宮)

「浜集落」の最西端に「浜比嘉ビーチ」があり、ビーチ南側に「竜宮神」の石碑が建立されています。「サングヮチャーの石」と呼ばれ旧暦3月3日の"サングヮチャー"に豊漁と航海安全などを祈願する拝所です。以前は海岸に平い大きな石があり、海獣のジュゴンや魚類、豚などを解体する場所でした。さらに「浜比嘉ビーチ」の最南端には「七竜宮」があり、霊石と貝殻が祀られ海の神に祈願する場所となっています。


(浜集落の路地)

「浜比嘉島」の「浜集落」は琉球王朝時代の原風景が残り、歴史と文化が大切に継承されています。世界遺産に登録されている「中城城跡」に使われている同じ技法の石垣積みが集落の生活に自然に現存し、琉球のロマンを存分に醸し出しています。島の外からの来訪者を優しく受け入れてくれる「浜比嘉島」の住民の心の温かさを感じ、御嶽や拝所のパワースポットが点在する「浜集落」は、まさに「神の島」の名に相応しい空間として我々を癒してくれるのです。






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最終更新日  2022.03.06 23:19:30
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