有馬温泉 御所坊主人のブログ

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陶泉居

陶泉居

2011.03.01
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カテゴリ: おいしい話
ジュリア・ロバーツが映画のPRで初めて日本を訪れた。

日本嫌いとも噂され、来日しない最後の大物ハリウッド女優と言われていた彼女がやって来た理由がなんと「神戸ビーフを食べてみたかった」との一言だった。

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この大物ハリウッドスターをつき動かせた神戸ビーフは2011年1月現在、1頭も海外に輸出していない。

日本以外で神戸ビーフと称している肉は偽物だという事になる。

神戸ビーフを管轄している神戸肉流通推進協議会では神戸ビーフを輸出する考えは当面ないという。神戸ビーフは日本国内でしかお召し上がり頂けないという事になる。

【1】神戸ビーフは何故 美味しいのか?

ある時、有馬温泉で神戸ビーフの試食会を行いました。そしてアンケートを取りました。90%以上の人が脂身が美味しいと答えました。

神戸ビーフの脂身(脂肪分)は他の牛肉に比べて不飽和脂肪酸の含有率が51.4%と高く、融点が24.9度と低いので口の中で溶けやすく柔らかい肉と感じるのが特徴です。

そして美味しさの決め手であるイノシン酸やオレイン酸を豊富に含んでいる事が科学分析で明らかになっています。




また赤身は肉繊維がきめ細かく、上品な甘みがあります。ほんとうに神戸ビーフを食べると他の牛肉に比べて「甘い!」と実感して頂けると思います。

【2】「育った環境」と「牛の品質」の両方の基準をクリア―しなければならない。


1983年に生産者、食肉流通業界、消費者の参加により神戸肉流通促進協議会が設立されて、神戸ビーフの定義を正式に定めました。

(1)神戸ビーフは但馬牛の血統から生まれる。


兵庫県産の血統の牛を神戸肉流通推進協議会の指定登録会員の繁殖生産者、肥育生産者が食肉用として10ヶ月から20ヶ月ごろまで肥育し、兵庫県内の食肉センターに出荷され生体検査を受けと畜後、枝肉にされます。

枝肉とは頭部、皮、内臓などを除いて左右に背割りした状態で、英語ではカーカスと呼ばれています。またすべてにBSEの検査が行われています。


出荷牛は生後28カ月齢以上60カ月齢以下の未径産牛、去勢牛である事が基準です。


神戸で日本で最初に肉屋が誕生した。

(1)神戸港開港とハンター


神戸港が1868年1月1日(慶応3年12月7日)開港。神戸より10年早く横浜港が開港されていたので、横浜から神戸でビジネスチャンスを求めてイギリス人、E・CキルビーとE・Hハンター(神戸の異人館ハンター邸で有名。日立造船の創始者)がやって来た。


キルビーは外国人や日本人に牛を食べさせようと考えていた。その当時神戸は田舎で、米よりも綿花や麦を作っていた。




屠牛場は現在の神戸ポートタワーのあるあたりの酒蔵を借りた。

牛は御存じのように熟成期間が必要で、冷蔵庫の無い時代には都合が良かった。


そこでハンターはサンプルに牛肉を詰め込んで歩いた。

農家の人達も牛の肉に興味を示した。というのも農家の人達は農作物を荒らす六甲山のイノシシをすでに食べていたからだ。


ハンターは農家の軒先にあった、鍬や鋤をを使って肉を焼いて肉の美味しさを広めた。





横浜ではどうだっただろうか?


1862年横浜で居酒屋を営んでいた「伊勢熊」が初めて牛鍋屋を開業した。1868年創業の串焼き屋「太田なわのれん」が外国人用の食用肉の切り落としを入手し、牡丹鍋(イノシシの鍋)にヒントを得て、味噌とネギで肉の臭みを消して、浅い鉄鍋を使って七輪で牛鍋を始めた。

今日の牛鍋のスタイルは「太田なわのれん」だが「伊勢熊」牛鍋屋の元祖と言ってよい。


これらの肉は当初、付近の農家から牛を購入しようと試みたが、農民たちは食用にされるのを知って牛を売る事を拒んだためあきらめざるを得なかった。


そこで中国や朝鮮、アメリカから仕入れていた。牛肉の需要が増えてくるとそれでは足りなくなり、近畿地方や中国地方が和牛の生産地である事を知り、神戸から横浜へ輸送させて供給を満たしていたという。


この事から、神戸より10年早く開港した横浜で牛肉は最初食べられたが、それは和牛でなかった。

キルビーやハンターは神戸にいち早くやって来て、近郊の農民とコミュニケーションを図り、牛肉を手に入れた。

それは和牛であり、時間がかかった輸入牛でなかったので、外国人は「美味しい!」という事になったと考えられる。


またハンターは六甲山を開いた事で有名なグルーム(Arthur Hasketh Groon)と神戸港メリケン波止場の海岸通りにオリエンタルホテルをつくり、当時日本最高のホテルと称された。

このオリエンタルホテルから「KOBEビーフは美味しい」という伝説が広がったという。


ちなみに、日本初の牛肉小売店は大井精肉店で創業1870年。現在も神戸のポートタワーの近くにお店がある。

【4】神戸ビーフのふるさと小代


(1)日本の牛の歴史


約1300年前、飛鳥時代の記録に牛の乳から作る「蘇」(そ)が年貢の一つとして国に納めていたと記されています。

話は少し外れますが、蘇は古代のチーズともいわれ、有馬温泉御所坊では牛乳を4時間程掛けてゆっくり煮詰めて蘇を作っています。その蘇に丹波栗の甘露煮を加えて練り込み、前菜などに使用しています。


日本では牛は農耕用として飼育されており平安時代から鎌倉時代にかけては牛車を引く牛として活躍していました。その様子は平安絵巻に描かれています。


1200年前の平安期に書かれた「続日本記」に「耕運・輓用・食用に適す」と記載されています。

1583年豊臣秀吉が大阪城をつくる際に全国から牛が集められたが、但馬牛は他の牛に比べて粘り強く活躍したといいます。

それは山深い但馬で育った牛なので高地トレーニングを積んだ運動選手の様なものだったと考えられます。


神戸ビーフをはじめとして本松坂牛、近江牛、宮崎牛、前沢牛、飛騨牛、佐賀牛、鹿児島牛など日本の和牛の85%以上が但馬牛の系統です。


仏教が伝来した奈良時代には肉を食べる習慣がなく、江戸時代1687年徳川5代将軍綱吉の「生類憐みの令」による殺生肉食禁断戒律の厳重な励行により、一般庶民の間には「生き物を殺して食べると、その地域社会に不幸をもたらす」という迷信が広まった。


1868年(明治元年)神仏分離令の公布により肉食が解禁された。


1872年正月。明治天皇は肉食の禁を破り牛肉を召しあがられた。天皇により僧侶の肉食、妻帯、蓄髪が公認されると、一般庶民も肉食の偏見を捨てる事になった。


伊藤博文(初代兵庫県知事。初代内閣総理大臣)や福沢諭吉など知識人が肉食を推進した。

(1)伊藤博文や福沢諭吉と御所坊の関わり


「日本人にとって、肉は薬であり、それを用いずに虚弱であるのは、すなわち一国の存亡であり、一軒の家で病人が多いのは、わが家系だとして薬を用いないのが賢明だといえるか」と福沢諭吉は言っている。


1872年福沢諭吉が有馬温泉で滞在している。現在の御所坊の温泉浴場の所が、二階坊という旅館だった。そこに福沢諭吉が滞在していた。福沢諭吉は健康に留意していたのか、温泉の浴槽で泳いだという事が記録に残っている。


福沢諭吉と有馬温泉とのかかわりは多い。これは1868年慶応義塾をつくり教育活動に専念する。

有馬温泉を統括する三田藩からも多くの藩士を受入れ交流が深かった。

また朝鮮人改革者、金玉均を有馬温泉に招待したという話もある。






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最終更新日  2011.03.20 19:25:53
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