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【1】 コカコーラーは憧れだった
今から50年ほど前、僕は小学校の低学年。
ある日、従兄弟が変わった飲み物を持ってきた。醤油よりは少し色が薄いがまっ黒けの飲物。
「アメリカの飲物で、今はやっているのだ!」
しかし飲んでみると風邪の時に医者からもらう咳止めの薬のような変わった味だった。
それよりも有馬温泉の炭酸水を汲んできて、粉末ジュースに入れて飲む方がはるかに美味しいと思った。
中学校に進んだ時にはコカコーラーの味に慣れたが、飲んでいたのはもっぱらコカコーラーもどきの地方の鉱泉屋が作るコーラーだった。

1970年 大阪万国博覧会が開かれた。高校1年生の時。
あの頃は「貸本屋」というのがあって、ちょうど今のレンタルビデオ屋の様に漫画を借りていた。釣用の折りたたみの小さな椅子をもち休日は万博に出かけていた。
パビリオンの時間待ちに椅子を取りだし漫画を読む。
その横に衝撃的な飲物があった。
それがフローズンコーラーだった。

かき氷かアイスクリームしかなかった時代、このフローズンコーラーは衝撃的だった。なにしろコーラーのかき氷なのだが炭酸のシュワシュワ感もちゃんとある。
そしてかき氷なのだがストローで飲むのだ。今でこそ太めのストローは何処にでもあるが当時は初めての経験だった。
当時は・・・今でもそうかもしれないが、コカコーラーの制服の中古などを街中で着る人も多かった。
【2】 炭酸飲料が不人気の時代に有馬サイダーをつくった!
炭酸水が湧く有馬温泉で生まれ育ったので炭酸飲料になじみが深い。
有馬から六甲山に登る。ご褒美は山頂で飲むサイダー。普段は量の問題からなかなか1本まるごと飲むことはなかったが、汗をかき喉がからからの状態で飲むサイダーは至極の一杯だった。今、汗をかき冷たいビールを・・・という感覚と同じだ。
今から10年ほど前は炭酸飲料が少し敬遠されていた時代がある。伝統的な炭酸飲料も「微炭酸」という文字が書かれて炭酸気が抑えられていた。
かつて有馬温泉には色々な鉱泉会社が有った。あのウイルキンソン炭酸の最初の工場も有馬に有った。
有馬鉱泉という会社は色々なフレバーのサイダーを製造していたが、大日本麦酒という会社に買収された。第二次世界大戦後財閥解体がなされ大日本麦酒はアサヒビールとサッポロビールに会社が別れた。
当時製造していたシトロンサイダーのシトロンはサッポロビールが所有し「リボンシトロン」を製造するようになった。
アサヒビールは工場を川西市の多田に移し、サイダーの名称を所有した。
多田は多田源氏の故郷、紋章は三つの矢・・・こうして「三ツ矢サイダー」となった。
その様な歴史が有った事から有馬温泉でサイダーを復活する事になった。
色々試行錯誤を繰り返したが、最終的に決めたのが「昔のように飲むとげっぷの出るサイダーを作ろう!」という事になった。
ビンの許容量いっぱいの炭酸ガスを入れる事にした。
この事に寄り、コカコーラーは一気飲みが出来るが、有馬サイダーは一気に飲めないという都市伝説が広まるようになった。
有馬サイダーは地サイダーブームのきっかけになり、有馬サイダーの派生商品が有馬の中でいくつも誕生する事となった。
この様な動きのなかから有馬サイダーフローズンを作りたいと色々調べていた。
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