親父さん、とても素晴らしい方だったんだね。(^.^)

私の父も苦労人。だけど比較はできないね。お互いの大切な父親だから。

親父さん仕込みの中華で一杯やりたいね。(^_-)-☆

(2012.02.23 10:45:29)

魁!「ラジコン侍」改め「ガンプラ足軽」。(笑) 死して屍拾う者無し!!

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2012.02.23
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カテゴリ: その他

こんにちは、ぐんかんです。

ブログへのコメントの返事を書いてる中で、親父の事が出てきました。
久しぶりに親父の事を思い出してしまいました。
ぐんかんの親父はもうすでに亡くなってしまいましたが、昭和6年生まれなんで生きていれば82歳。
ぐんかんは親父が42歳の時の子供です。
親父の親父(ぐんかんのお爺ちゃん)は軍医だったらしく、親父曰く「頭のいい人」だったそうです。
そのお爺ちゃんは長男だった親父への教育方針「広く世界を見る」の為、幼少の頃からお爺ちゃんに連れられて「満州国」で生活していたそうです。
映画「ラスト・エンペラー」の国です。一応建前上は独立国でしたが、実際は日本の植民地。
公用語もほぼ日本語だったそうです。

酔っ払うといつも子供の頃の話をする親父でしたが、昭和47年生まれ、高度成長期真っ只中に生まれたぐんかんには、戦車兵に憧れたなんて聞いても全然ピンときません。(笑)
学校や住んでる街では、相当ガキ大將だったそうです。ガキ大將って言っても昔のガキ大將。
軍医の子供って相当おぼっちゃまだったハズなんですが、同級生が上級生にいじめられると、仕返しにすっ飛んで行ってたそうです。
「体は小さかったが、腕っぷしには昔から自信があった。」って言ってました。

終戦を迎えると、事態は一変。中国人からの弾圧や虐待、虐殺を生で見てきたそうです。
お爺ちゃんと引き揚げるってなった時も、お爺ちゃんと親父の乗った満洲鉄道だけ、たまたま襲われなかったそうです。

○自力で帰国伝説。
お爺ちゃんの提案で、日本には別々に帰る事になったそうです。 
中国の近海で、日本人の引き揚げ船が中国の海賊船に襲われるってのはよくある事だったらしく、「2人で船に乗って襲われたら、2人とも死んでしまうが、別々ならどっちかは生きて帰れる。」っていわれて港町に置いてかれたそうです。
って、 それって中国残留孤児の典型的なパターンじゃんか!
でもウチの親父、自力で日本に帰ってきちゃったんです。

で、中国人の孤児のフリをしながらタバコの吸殻を集め、集めた吸殻の葉っぱをまた紙に巻き直して売って歩いてたそうです。
貯めたお金でフィリピン行きの船に乗り、フィリピンからの引き揚げ船に乗って日本に帰ってきたそうです。
なんて サバイバラー。 自分の親父ながら、 「アンタ、何者だ!」 (笑)

でも、親父のほうは「帰って来たら、弟や妹が増えててビックリした。」そうです。親父、アンタなんかズレてるよ。(笑)

○生野菜は絶対食べない伝説。
親父はサラダって絶対口にしない人でした。
葉物野菜でも根菜類でも、鍋や炒め物、煮物等、調理したものじゃないと絶対に食べませんでした。
この点は、あまり多く語ってくれませんでしたが、多分、前出の船代稼いでる時に雑草や根っこばっかり食べていたんでしょう。でも、果物は大好きでしたね。

○何でも出来るけど、何もしない伝説。
お袋が亡くなったあと、食事に関しては特に途方にくれましたね。
でも、食いたい物は自分で作るしかない訳ですが・・・
お袋の葬式の次の日、親父がスーパーで買い物をしてきました。
「おっ、なんか作ってくれんのかな?」って思っていたら、「教えてやるから、飯作れ!」ですって。
で、親父に魚のおろし方、満洲仕込みの中華料理なんかを教わりました。
そのせいか、ぐんかんの一番の得意料理は中華。
親父自身、日本に帰ってきてからはお爺ちゃんとお婆ちゃんは共働きになっていたので、幼い弟や妹の食事をよく作ってたそうです。
しかもほぼ自給自足で。親父の実家は山口県の宇部。海が近かったので、海や川で捕ってきた魚介類を自分でさばいて調理していたそうです。時にはうなぎや河豚まで。
「免許はないが河豚もさばける。」って豪語してました。でも親父、 ソレ犯罪ですから。 (笑)
あと、ナマコだけはさばいてくれましたね。
昔は商店街の魚屋さんで普通に活ナマコ売ってたんですよ。
ぐんかんはさすがに気持ち悪くてナマコだけは触れませんでした。その度親父に「情けない、それでも男か!」って馬鹿にされましたね。
男だって普通触れるか!あんなもん。
昔は今みたいに粉末だしなんてあまり出回ってませんでしたから、ぐんかんは高校生ぐらいになるまで教わったとおり、鰹節や鯖節をカンナで削ったり、乾燥昆布でだしをとってました。
高校生になったら、部活とかも始めて忙しくなったので、ほんだし使うようになりましたね。
中華系のだしはどうしてたのかって?ケンタッキーのフライドチキンを買ってきてもらい、食べ終わった後の骨をキレイに洗って長ねぎ、玉ねぎ、生姜と煮込んで鶏ガラスープ。
豚足食べた後の骨を、やっぱりキレイに洗って同じく長ねぎ、玉ねぎ、生姜と煮込んでとんこつスープ。これらをタッパーに入れて冷凍してましたね。
今じゃ面倒くさいんで、全然やらないですけどね。
一応、ぐんかんの料理の師匠は親父って事になりますが、親父の作った物を1度も食べた事がありません。(笑)

まだまだ親父伝説、いっぱいあるんですが、長くなったので今回はこのへんで。


以上、ぐんかんの「ぐんかんの親父伝説。」でした。







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最終更新日  2012.02.23 08:19:25
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ぐんかんさん、おはよう。(^o^)/  
♪ あい ♪  さん

Re:ぐんかんさん、おはよう。(^o^)/(02/23)  
♪ あい ♪さん、おはようございます。

でも、面白い親父でしたよ。

昭和ひとケタのくせに、意外と世の中への順応が早いっていうか・・・

俺より先に携帯持ってましたからね。

あいさんの串揚げも食べたいです。 (2012.02.23 10:58:08)

Re:ぐんかんの親父伝説。(02/23)  
ぐんかんさんのお料理のルーツがお父様だったという事が分かり、納得&感動。

素敵なお父さんとお爺様。身近な方からの戦争体験は貴重なお話ですね。

あ、お隣さん、いまだに食べた後のフライドチキンの骨で出汁とってます(笑)。

父方の祖母も生のなまこを買ってきて塩でもんで?酢の物にして食べてたのを思い出しました。
(2012.02.24 01:16:08)

Re[1]:ぐんかんの親父伝説。(02/23)  
むさしとももさん、コメントありがとうございます。

今回は、真面目な伝説のみ書きましたが、

親父は、実は超爆笑伝説の持主なのです。

思い出しただけで、腹筋がつってしまう・・・その話はまた今度。

麻婆豆腐といい、フライドチキンの骨で鶏ガラスープといい、

ぐんかんはお隣さんと凄く気が合いそうな気がします。(笑) (2012.02.24 18:39:22)

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